流砂で何度も映像が暗くなっていつ映らなくなることかとハラハラしたなー

ビラルの世界(8日。オーディトリウム)→過去を逃れて(シネマベーラ)→グレイト・フラマリオン→コンフィデンスマン ある詐欺師の男(シネパトス)→赤い家(9日。シネマベーラ)→ビッグ・コンボ→暗黒街の弾痕(10日。シネマベーラ)とみまして、ビッグコンボはなんかハードボイルド探偵小説の原型かなんかですかね。捜査するうちにギャングのボスの情婦に入れあげちゃって経費使い込んでまで事件にのめりこむ刑事とか、今ある刑事モノや探偵モノのテンプレ的な設定がちりばめられてたふうだった。後半ほとんど寝ちゃってどうなったかしらん(気づいたら霧か硝煙の煙るなかで情婦が主人公に歩み寄る後ろからの構図だった)ですが、ベーラさんチラシのあらすじに書いてある「ホモセクシュアルの殺し屋コンビ」てもしかしてヒロインを監視してる2人のことか。だから拷問前に主人公との個人的やりとりを求めた奴から相方の分の袖の下も要求したんだね。そういや主人公への拷問、補聴器つけさせて激しいジャズ演奏聞かせたり整髪料をむりやり飲ましたり、外傷がつかないようにするふうなやりかたが陰湿かつ効率的で面白かったな。ぜんたい冒頭のボクシング会場の片隅でギャングから逃げ惑う女の光景みたいにすごくキマッた画ヅラがけっこうあったし、なるほど傑作なのだろうなあと思った。ねむくないときにしっかり全部みたい。主要キャラ全員が「後がない・逃げ場がない」設定なのがフィルムノワールの定石なのね。ところでヒロインの女優さん、美人なんだがあの髪型が似合わない。なんか…髪全体がペターッと頭にくっついてるスタイルでおでこが全部出てるもんで、生え際から顔ぜんたいにかけての長方形デコッパチ感がすごい。監督さんがあの女優を好きでなかったとかなんだろうか。
赤い家はエドワード・G・ロビンソン(スカーレットストリートのうすのろ善人画家)の過去のトラウマが凝縮された森の廃屋に、色恋沙汰しか頭にない中高生のガキんちょどもがピクニック気分で踏み入ろうとするのでニート青年に威嚇射撃たのんどいたところ、あんまし関係ないおばさんを射殺しちゃったのを皮切りにガキんちょどもが森の廃屋めざしてがむしゃらに突入しだしたのが原因でロビンソンの過去のトラウマがぶり返して本格的に頭おかしくなりはじめて、廃屋に全員集合したところで大団円になる話。ロビンソンはスカーレットストリートから引き続き報われない片思い男役(つーかスカーレットストリートの後日談とみても遜色のないキャラすぎるよ…)ですけど、いつもこんな役ばっかでロビンソンはいったいどんな心境だったのか。ロビンソンをそっと抱きしめたくなった。ヒロインにあたる女優がふたりいますけど、善人キャラのほうの子が大映しになるときにかならずぼんやりする効果が使われてて、監督さんこの子すきだったんだなーと思った。
グレイトフラマリオンは頑固で身持ちの堅い初老の曲撃ち芸人が、雇ってた助手夫婦の妻の色じかけにだまされてアル中の夫殺しをさせられたというのに、助手妻が忘れられずに各地を追って歩いてついに…みたいな話を瀕死のフラマリオン自身が回想で語るスジ。80分まるまる来歴語り倒したのち「フ…。言っただろう…警察がくる頃には死んでいると(ガクリ)」て幕切れしたのがいさぎよかった。頑固ジジイをメロメロにするってのはなかなかヒドい仕打ちだね。
過去を逃れては中身がどす黒いワルなのに、癒し系美人顔なのでたいていの局面をうまいことやりすごしてしまうジェーングリアの映りかた七変化っぷりをたんのうする映画。猛禽女の頂点でしょうな。関わる主要男キャラがどいつもメロメロになるんですが、主人公はやはり善人女優に心を捧げる方向になります。
暗黒街の弾痕は相思相愛で離れられないふたりが、彼氏のほうの短気が原因で犯罪者カッポーとして逃亡生活をおくるようになるまでの話。わかりやすい造型のキャラクタをそれぞれちゃんとひどい目に遭わしてくれるあたり、ラングさんは優れた娯楽映画監督だなーと思った。



 
ほかのについてはそのうち。