霊は死なないからこそ厄介なんだな。


きつねさんが神仏のもとでさせられる修行てのがどんなもんなのか是非しりたい。霊をおせんべいみたいに噛んでて萌える。ところで退治された獣霊てのはどうなるんすかね。消滅 つーても「死」ではないんだよな確か。正確には縛りがなくなるてカンジなのか。獣霊に今回関わっていろいろ考えたんだけども、獣霊には仕事の内容が判別できないとか使い手が死んでても放置された獣が活動しつづけるてのがあんまりだと思って、そこらへん改善できないかどうか提案だしといた。どうなったかは例によってしらん。こういう獣霊と呪術者との理みたいのって、最初につくったの誰なんすかね。古代出雲あたりのことなんだろうか。仏像に神仏の魂おろして開眼さす、てのもさ。空海さんか?慈覚さんか?きつねさんといえば九尾さんは人間にウンザリしてるけど最近観察する気になってきたとのことですが、欲深でどうしようもないとみえる人でも刺激のしようで滂沱の涙を流しはじめたりもするので研究の余地アリと思いますよ。きつねさんたちはどうもストレートな性質のコが多いかんじだから真っ正面からやろうとして何度も挫折したりしてんのかな。こういう霊自身も親にそう育てられたのかもしらんくて、根っからのワルとかではないと思うです。

・やたらな庚申塚とかお稲荷さんとかでねぎらいのつもりでもお参りすると、その日の夜にヘビさんがとんできて手から入ろうとするのでやめとくようにした。いい子ならいいんだけど、おいら見えないからどんなコなのかわからんしねえ。前に油断してデカい黒蛇に入られて元からいた可愛いコが黒いのに染まりかけたりしたらしいんだが、あの経験からして「優しげな性質のヒトが闇方面に近寄らんほうがいい」というのはつまり優しい子は闇側の論理に対抗する論理を持ち合わせていなくて染まりやすいからなのかなーとなんとなく思った。そんなこっちゃあ柳下さんの本は楽しめないぜ。いかな善良であろうとバランスよく取り入れてないと危ないメに遭う可能性大てことなのやも。手でモニモニしてるヘビさんを入らせないようにしてると、腹を立てたのかなんかで二の腕をずうっとつんつく突っつき続けるんだよ。前に長いことあった二の腕ドクドク祭りはコレだったんだね。ぜんぜんわかんなかった。
・昔から伝わってるお祭り道具は龍がさわったりするために付いてたりするそうなのでやさしく扱うが吉。龍がさわりにくるとこが皆で見れるといいのにねえ。ちなみに聖観音ちゃんは龍ぽいので、怒らすと雷雨くらいます(経験済)。
古いもんは出しとかないと腐って悪いもんが入ってくる件ほしのさんが語る屋内の質量の件じゃないけど、エネルギーてのは納まりどころを常に探してるってことなんだろうか。ヤドカリみたいに自分の体にちょうどよく合う場所とかをさ。神仏の霊が家にくるときはちっさくなってる件で思い出したんだが、1カ月くらい世話して満足したのか出てったあとにまた世話してほしい的な存在がきちゃうくさいんだけど…(金がないのをわかってか今は来てない)。似たようなエネルギーが居て出てった箇所が外部から把握できるとかなんでしょうか。ひぐかんさん漫画に出てたTシャツまじないは「幸運舞い込み」と出るか「膿出し」と出るかがすごくハッキリでちゃうアレだったけど、赤ペン付きTシャツのある箇所から入ってくるモノが部屋にいる人に合う気に引き寄せられるということなのか?よくわからん。
宇宙には良いも悪いもないからエネルギーは平等に働く件よんでて思ったけど、もしかしてきつねさんとか菩薩さんが持ってる宝珠てそのテのもんで出来てるんだろうか。祈っただけ好き放題叶っちゃうエネルギー、てことはやりようによっちゃヒドいことになりかねないから、仏の教えなんかを篩がわりにしとくのがちょうどいいってことなのかな。
澄めるは天性 濁るは地性 陰陽交わりて万物を生ずてのはなんか今回の後醍醐の生まれ変わりから嫌がらせされたことによって書く事ができた日記とかよぎらずにいられんなあ。おかげさまで次に書こうと思ってる小説のネタにもちょっとなりましたよ。ありがとう。邪念や生霊は飛ばすほどに咲く花と化していけば飛ばしたほうは弱ってくし、この世にお花が増えて華やかになるし、一石二鳥ですな。妬んで呪ってくる人てのはなんなんすかねえ。そのちからを自分磨きに注いだら妬んでる人以上になれるかもしれんのに。他人にばかりちからを向けてると悪いクセをいつまでたっても改善できねえぞ。霊関係て霊能力持ってないヒトはちょっと対処がムリで、でもフツーの人が対処できないシステム自体がおかしいんじゃねえのかなーと思ってシステム自体を変えたりできんのかどうかいろいろやったんだけど、どうなったかはわからん。尚、神仏のちからを借りるてのは「自分でどうかする」範疇に含まれるということなので、八方塞がりの場合はどんどん神仏にたよるべし。そうそう、今回すごくよくわかったんだが、普段から懇意にしてる神仏でも違う宗派の像からお願いしてもまったく叶えてもらえないぽい。話だけならよく聞いてもらえるんだけども、お願いごとはビタ1文なんにも叶えてもらえん。おいらの場合真言宗の寺からはぜんぜんダメだった。入ってる神仏はおんなじなのになー(宗派による神仏派生のちがいについて当の神仏自身はどう考えてるんすかね。間違ってても生暖かい目でゆるしてるんだろうか)。まー…神仏側からすると普段からその宗派のお寺にお世話されてるぶん、恩もあって宗派ちがいで縁のある人間のお願いをきくわけにはいかんのでしょうな。やたらめったら叶えてたら宗派の違いがぜんぜん意味ねーことになるし。なので、お願いしにいくお寺の宗派が前世とか過去世(前の人生よりもっと昔に生きてたときの経験)とイイ関係があったかどうか調べとくと吉なんだがね。神社仏閣で願掛けしても聞いてもらえない場合があるときは十中八九そこ敵対してた的な関係が前世であったとかだと思う。おいらは今回たまたま協力してくれる寺社が近所にあったからよかったけど、なんかいろいろムズい。前世で関係なくとも今生で好きな寺社のために尽力してあげたりすればそこで良き関係ができたりするとは思うんで、まあやり方ひとつだとは思う。理由はないけどなんとなくスキ、てとこが正解なんだろうな。そもそも寺社仏閣でお願いしたヒトはどれがもらったご利益なのかちゃんと把握できてるんだろうか。斎さん漫画できつねさんがご利益あげたのに、なんでくれねーんだ!!て暴れてよけいヒドいことになってたおっさんの実録漫画があっただけになんとなく心配。寺の話にもどしますけど、なんか像ごとに備わってるちからが違うとのことで、やっぱ有名どころの古〜い像はそれなりにすごいんでしょうな。よくわからんが。寺社ついでにこれね、永久保さんのほしのさん(このヒトが頑として霊に人格を認めないのは、認めちゃうと効率良くガッツリ稼ぐ的な仕事のしかたがしづらくなる[情がからんで業務とみなせなくなる]からだと思う。それはそれで面白い)漫画にも似たの出てたけど、すげー役立つ。映画いくとなんかついてくるくさいことが多いんだけど、帰りの電車内で例の呼吸しながら好きな寺社を鮮明に思い浮かべてると風がふいてヘンなもんがいなくなったふうなかんじがする。べんり。

霊仕事は因縁しょいこむ恐れがあるつーか人間として生きる以上は因縁は発生しまくりますけどね。客商売なんざ逃れられませんぜ。霊験修法曼荼羅2巻でも坊さんが「水みたいに流せ(ば取り憑かれない)」ていうけどさ、菩薩とかって相談にきたヒトのこととか邪念とばす輩のことなんかをしっかり考えて対処してんでしょ。流してたら解決できないし。流されずに対処、てのと流して対処、てのをバランスよくこなせるようになる状態がベストなんでしょうかね。ところでヒトが死んだら守護してた霊たちはどこいくんすかね。てきとうに解散ですかね。地上にとどまるのと上あがるのと2つあるてのもイマイチよくわからん。浄化の過程の隠喩てのもなんとなく面白いけど、やっぱりよくわからん。

加門さん外薗さんはおいしいとこだけ喰い散らかしたうえマジにヤバくなると他人になすりつけてトンズラこくツートップでサイコー。観察してて損のないふたりすぎる。つーかなんだよ黒異本のコワさは!!異常だよ!!内装業さんエクストリーム請負すぎるだろ…。なんだよあのマネキンがみっしり詰まった部屋で気が狂っちゃった話とか!!ぐるぐるしてる異物がのぞきこむマンションとか!!おかしいよ!!外薗さんの実録本の怖さがひどすぎ!!どんどんたのむ(赤)
第25惑星の宇宙人からすると地球は一等地な件わろた。この宇宙人がまあふつうに居るとして、存在を悟られないように行き来する―今の地球とはくらべもんにならんほど文明が発達してる人たちからしても地球が一等地、てことは地球の自然がずば抜けて素晴らしいもんだということになるのか。とすると他の惑星は地球よりもヒドいところということなのか?
・男がデヘデヘなる理由がなんとなくわかったので、哀れみの目でみながらゆるしてやることにする。