言い逃れのできない質問をぶつけるが吉よ

日本の五輪招致プレゼン会見で汚染水に関する質問にまっとうな回答をせず「安全だ」の1点張りだったことに外国の記者さんたちは憤ってましたが、あれは「こまけえこたぁいいんだよ」という意味です。権力者が駆使するあのテのやんわりとしたゴリ押し手法でこれまで日本で発生した問題のほとんどすべてがうやむやにされ続けた挙げ句、隠蔽&汚職体質が茶飯事となっているために何の疑問もなく被災地すら笑顔で置き去りにする自殺大国と相成ったわけです。都合の悪いことから目を逸らしつつ手放しでハシャいでも咎められることのないイベントの開催が決定してほんとうによかったですねえ。ここで「被災地復興が名目にできないのなら五輪は開催すべきではない」とか言い出す人間がいれば五輪開催決定の祝祭感覚に水を差す悪者扱いされるんでしょうな。被災地復興が名目にしづらいんなら原発から離れる記念とかなら真のお祭り感覚にふさわしいお題目になりえるような気もしますけど。でもまー各地にデカいブツつくる計画だの交通網の24時間営業が検討されるだのとゆうことは多少なりとも経済面の活発化になるでしょうから悪いことばかりでもない気もしますが(ところで築地市場の移転先の土壌はキレイになったんですかねえ)、全部整ってさーいらっしゃ〜い!というところでタイミングよく日本で一番有名な山が噴火したりしないことを祈るばかりです。五輪といえば壊れた原発からタレ流れてる汚染水を危惧して日本からの海産物の輸入を韓国さんが禁じたそうですが、禁輸を発表した時期からして日本が五輪開催地に選ばれないようにするための足引っぱりネタ投入のつもりだったんですかね。単なる邪推ですけども。韓国の政治家さんは日本のことを支持率アップがある程度期待できる「確実な叩き目標物」とでも思っているのだろうか。特定の国や人種を「叩いてもよいモノ」と掲げてる時点でナチスユダヤ人を殲滅してよいものと定めていた実例とよく似ていますし、そうだとすると韓国ではいまだに軍国主義的な思想が普通にまかり通っているんですね。こわい国だなあ。五輪ついでにいろんなヒトが演説してて思いましたが、セレブを自称してるデビ夫人や叶姉妹皇族の方とは対極に位置してる存在に思えてならないのはなぜなんでしょうか。真の貴族はデビのようにお茶の間にしゃしゃり出て言いたい放題ギャースカすることはないようですし、叶姉妹については金満生活に関する報告がされればされるホドに貴族とは程遠い人に思えてしかたない。なぜですか。
・いまだに外国でもけっこうな人気のある70年代前後につくられた日本のアニメが「大人向け」を掲げられてつくられたことを踏まえてかなんかしらんが、今さらヤマトだのハーロックだのをリメイクして当時と同じくらいの稼ぎがだせるとでも踏んでんすかね。マジにおとな向けの内容てのは祝祭で浮かれてる中に被災地を笑顔でないがしろにするのが正義かのように思われる風潮や社会情勢をまんま盛り込んで視聴者をドン引きさすふうなモノのことであって、ただシリアスでリアルなキャラやメカ出してるだけじゃいつまでたっても真のオトナ向け作品になりっこねえよ。アニメなんざ興味ない社畜さんの背中に冷や汗流させるレベルの時事ネタとかブチ込んでみろってんだよ。今やってるヌルいリメイクよかボヤッキーが視聴者のほうを向いて全国の女子高校生の皆さんに呼びかけるほうがよっぽど大人向けだぜ。そういう門外漢にすらも腰抜かせてやるぜ的な魂を今リメイクされてるアニメからはまったく感じないんですけど。二番煎じでそれなりに儲かりゃいいみたいな雰囲気が充満してるつーか。見世物師じゃなくて想像の範囲内で定期収入を確実に手にしたい人がつくってる感ふんぷんなんだよな。そういえばさー宮崎さんの引退に際してどこの局だか忘れたけど、朝のワイドショーかなんかで宮崎駿のアニメ作品について「平和を描いているから」「自然の素晴らしさを描いているから」素晴らしいのだ、みたいなことばっかし出演者がしたり顔で語りまくってたけど、宮崎アニメは少女の可愛らしさとメカやアクションのカッコよさや爽快感が各自の快楽ポイントに刺さった向きがわんさといるから人気があるのであって、平和や自然を描いてることは作品として優れてるかどうかとは別だろ。平和や自然の良さを描いてるから素晴らしいとかゆってたら地味ーな動物ドキュメンタリー全てが宮崎アニメと同等のクオリティということになるけどそうじゃねーだろ。宮崎アニメをああいうホメ方してる人てのはつまり自然や平和について描いてないアニメは素晴らしくないと思ってるということなんすかね。異常に狭い了見だな。データ無視して自分の嗜好を巷に押しつけまくる漫画嫌いのヒスおばさんのいいなりになりやすいわけだ。どうして宮崎アニメについて「少女がけなげでかわいいところが素晴らしい」「悪者がカッコイイ」とか素直に言えないんですかね。見当はずれの感想ばっか笑顔で取り沙汰してて気色悪いことこのうえなかったよ。こういうのジョンレノンの歌も同じなんスけど、ひとえに彼らのつくった作品が芸術としてずば抜けて優れてる=人の感情を直接揺さぶるほどのちからがあるからこそ世界中で人気があるのであって「平和や自然について描いてるから」てのは作品の質に際してはあんまし関係ねーと思います。ありゃ曲が魔術的に素晴らしいんであってたとえ歌詞がヒドくてもみんなクチずさんでたと思う。感動した部分について善人ヅラしながら平然と嘘を並べてる輩をみるとどうにもヘドがでるもので。書かずにいれんでした。
『「はだしのゲン」が良識にかなっているかどうか。そう問うのはヘンだと思う。暴力や利己的な人間たちの生々しい描写、鮮烈な歴史観。それもあるから多くの人が惹かれる。 平和は大切だという価値観だけで咀嚼できる作品だったらだれも読むまい
 非常識な本がすべて名作だというのではない。しかし名作は常識や良識の枠におさまらない。
(中略)
 麻生氏は今回の論争について「もっと禁止したほうがいい成人向け漫画がある」「『はだしのゲン』が今そんなに読まれているか知りませんが、あの時代はそういうものが多かった」とコメントしている。漫画の世界に造詣が深いだけに、全体を見ずに一作品を論じることへの違和感がにじむ。
 平和を訴える本に感動すれば反戦主義者になる、戦記に夢中になれば好戦的になる、というほど人は単純ではない。さまざまな作品を糧としながら自分の考え方をはぐくむ。だから図書館は豊かで異様な空間であってこそ意味を持つ。そこに常識と衝突する作品があることは異様ではない。』(2013年9月8日朝日新聞2面「名作に常識は似合わない」より抜粋)
・たしか23日のとくダネ!のゲンがらみで元からあった不条理な部分を変更した昔話絵本がつくられてることに関する特集をやってたんですけど、その特集内で新宿のなんとかいう幼稚園で「手を加えてない昔話」と「手を加えた昔話」を両方読ませて園児たちに感想聞いたらどうなるかつー実験やってたんですが、したらほとんどの園児がオチなんかを当たり障りのないもんに変えたほうの昔話を面白いとゆってたんですけども、変更後の昔話てのはわかりやすい勧善懲悪話(要するにアンパンマンとか戦隊モノ)になり下がっちゃったので幼児はおもしろがるよ。そりゃ理解力がまだあんましないちっちゃい子は人類のバカさ加減という普遍性なんぞよくわからないでしょうから、やっつけましたー!でも殺さないでおいてあげるー!メデタシ!ナカヨク!のが安心感も得られて単純で面白いと思うでしょう。そうやって出版社がよりたくさん売ってくために支持されやすいジャンルへと差し替えて続けてくと、ほんとうは大人向けでも遜色ないほどのちからをもつ作品でもだんだんと子供だましとして見下されてくことになるんですよねー…。大人に見下されるようになると童話や絵本が巷で暗黙的にバカにされるようになるんですよ。桃太郎に関してはもとは異端児の扱いにくさとかについて描かれた訓話なんすけどね。ま、親御さんはそんなのどうでもいいっすよね。扱いやすいバカな子のが親としては御しやすいでしょうし。ニートと化して暴れた子供をどうすりゃいいかなんてビタ1文興味ありませんよね。そうして必要に応じてどんどん大人に対する貴重な教訓の詰まった昔話を壊して無くしていけばいいです。なんでそんな不条理なまま現代まで伝わってるか、てのを考えるのが大事なのにね。かちかち山なんて河合先生の本によるとタヌキがただ老夫婦を惨殺して終わりだったりするんだぜ。どう考えても読者のカタルシスを満たすため(←この作り方がそもそもエロ本の手法そのもので下衆なんだよ)につくられたんじゃないよね。これって。この世の不可解さを知っておけと大昔の誰かが伝えてくれてるんじゃなかろうか。
・浅草のサンバカーニバルで踊ってる女子の局部ばっかし拡大して撮ってる人がけっこういるらしくて、そのうちのひとりに目標定めてTBSのレポーターが「なんで局部撮るんですかー!!なんで撮るんですかー!!」て追いかけまわしてけど、レポーターさん理由わかってるんでしょ?つーかヤらしい目でみられるのがそんなヤならガッチリ振り袖でも着込んでサンバ踊ってろや(汗だくなるだろうなぁ)。そんなもんどうってことねーと思ってるからこそあられもないカッコでいるんでしょ踊り子さんたち。ぜんたいTBSがバカだという結論です。まあバカこそ見世物の基本ですけどさ。TBSの局部撮り追いかけネタってインターネッツにでてる画像をオナニーに使うなとか言って真っ赤になってるおばさんたちと似通ってんだよな。そういう連中がコンビニのエロ雑誌なくせとか言い出すんだよ。局部撮りさんは自分の欲求満たすことしか考えてないけど、エロ本なくせとか大騒ぎして真っ赤になってるおばさんも結局自分のことしか考えてないよね(自分が嫌いなもんを消し去る=他者の好みはどうなってもいい)。長距離ドライバーの性欲解消についてなんざ思いを馳せてそうもねーもんな。今の副総理の人がそのテのおばさんにすっかり染め上げられてるところからして「性癖は多様であってはいけないし、異様な性癖を持つ者は死んでいい」くらいに思ってた人だったのかもしれんなあとなんとなく思ってる。ヒスおばさんに色々吹き込まれたことでその本性が出て来ちゃったのかもしらん。自分が嫌いな部分はぜんぶ潰してキレーな無菌国家にでもしたいと思ってるのかな麻生さんは。だとしたら大昔の冷血な貴族そのものだね。文化をどうでもいいと思ってる人は生態系についても同様の見識なんだろうか。