万物すべての上に星がかかるように、豚の上にもやはり星はかかる

・後醍醐帝の生まれ変わりがまだ嫌がらせし続けてきてんだが、このクソが言いたいのはつまり「生霊取ってやったんだから俺の歌を褒めろ」てことだろうか。あんたマジでクズだな。恩があるんだからお世辞を言えってこと?そういうこと繰り返してると質の高い芸術が評価されなくなっていって、クズみたいなもんしか残らなくなるんだよ。生霊抜きの報酬はその都度ちゃんと払ったし、それとあんたの歌(こっちが自費で観賞した)についてどんな感想いだくかは関係ないことでしょ。知人のよしみでだとか、友人だからだとかで芸術作品についていちいちお世辞や嘘のごますり評価なんてしてたらおいら個人の信用もなくなってくんだよ(批評の質が下がるからね)。どんな人間だろうと作品の評価とは別。知人だろうとなんだろうとクズはクズとおいらは言う。それを言ったために関係が壊れたっていい。たとえばクズみたいな歌だなと本音では思ったとして、本人の前でそれを言わないのは思いやりとか言うことがあるけど、それはちがう。相手がキレて拒否されるのが怖いだけ。本音を受け入れる度量がないとみなされてるってことだし、なにより本音が言えないってのは相手を信用してないということだよ。人間関係を息苦しく感じるのなら、それは本音があまりにも交わされていない=他人を信用できない人で周囲があふれかえってるということだろう。そんな気色悪いのはヤだから、おいらはこれからも感じたままのことを言い続ける。本音が多くやりとりされる関係は風通しがよくて気持ちがいいから。そういうヒトは心の底から信用できる。嘘で塗り固めてふんぞりかえってるバカとは付き合わない。おいらをライブに誘った際にこの展開がわからなかったのかねえ。わーすごーい後醍醐帝の先をよむ霊能力すごーい(棒)
イスラム過激派だとか創価学会みたいなカルト信者が自分とこの宗教への入信勧誘を強引なまでに繰り広げるのってさー、同じ考えを持つ人に囲まれてないといてもたってもいられないくらい不安だからなんじゃないのカナーとなんとなく思う。信仰や宗教が大事なのではなくて、他人の思考(=自分以外の他者がなにを考えてるかわからないために怖くてたまらない)が自分の理解の範囲内であると思い込むことでかりそめの安心感を得たいだけつーかさ。不安が強い人はおなじように不安を抱えてる人を引き寄せてしまいがちらしいんで、どんなに信者ふえたところで不安感が解消されないまま勧誘を死ぬまで繰り返すしかないのだろうなあ。本来的に納得いく信仰をもつ人は常に満ち足りていて不安感などないはずなんですけどねえ。現世利益上等な神仏をこっそり祀ったりお参りしたりしてるヒトってさ、勧誘はおろか自分が祀ってることすら他人には教えないよね。リアルにご利益がでるもんを他人に率先して教えるわけねーというかね。マジに儲かるならひとりじめしてるはずのありえない儲け話をもちかけてくる詐欺師じゃないけど、マジにご利益があるもんを普通は他人に教えてまわるわけがないというね。お願いした神仏に対して自分がなにをしたかが大事なのであって、他人を入信さしたからどーとかはぜんぜん関係ねーもんな。他教徒でもお参りを拒まないうえ、ヘタするとご利益もくれる日本各地の神社仏閣の懐の深広さからするとカルトや原理主義宗教者の人間性許容範囲の狭さかげんがいやがおうにも際立ってくるものですね。それと、カルト…なのかな?霊ネタで売ってる向きでキトラ古墳を敵視したりしめ縄を目の敵にしてみたりする人がいるんだが、なんつーか…神仏間でソリの合わん同士はいる(それぞれ強烈なエネルギー持ってるせいか性格も同じように強烈だし、それをふつうにむきだしにしてるんで)とは思うけど、神仏の相性うんぬんはあくまで神仏間でやりとりすればいいことであって、人間のほうがそれに追従する必要はないと思うんですけど…。「あの神はダメでこっちの神がいい」「あの仏を憎め」的な考えを推奨したり煽ってる時点で闇に近しい行いな気がするつーか。神様とひとくちにゆっても道真さんや崇徳さんなんて怨霊だったし、夜叉や鬼を率いてる荒っぽい神様だっているっつーのにいちいち理由つけて「この神がダメ」てのは正直ありえないと思うんよ。神仏として祀られた以上は何かしら必要とされてるのであって、理由つけて敵視する時点でもう神仏から程遠い精神状態なんだよなあ。植物や動物を「〜だからダメ」なんてありえないでしょ?意味がないというかさ。無用な諍いを呼ぶ発想にしか思えないんだよね。暴力で信仰をむりやり替えさしてる過激派の根っこにはそういうのがあるんだろうし。動植物を差別するのがバカなように、神仏を差別するのもバカだと思う。区別は大切だけど差別はいかんと火水伝文が書いてたっけかな。「すべてあってこそ」なんだよ。動植物も神仏も芸術作品も性癖も、消し去って「良い」ことなんてひとつもないのよ。そういえばイスラム過激派が文化破壊しまくってるらしいですが、美術品て古ければ古いほど美術館だの博物館だのに収蔵して半永久的に展で稼ぐことのできる国家的に重要なブツですけど、そういう稼ぎブツはべつにいらんと思ってのことなんだろうか。壊すのはカンタンだけど、古いモノほど損なわれたら2度と手に入らん貴重な稼ぎブツですよ。なんであれ古いもんの集客力はバカにならんよ。スペイン人征服者が古代文書を葬ったのでマヤの昔話を知る手がかりがなくなっちゃった件(すげえ知りたい。ふざけんなスペイン人)じゃないけど、イスラム過激派はむかしのクリスちゃんと同じバカをくりひろげてるんだなーと思わずにいれんので。場当たり的な不安感でおもしろい創作物を弾圧するバカは信頼できん。ちなみに特定のなにかを敵視推奨するカルトと似たノリのもんとしてプロ嘘つきの吉田清治とか禁煙学会とか児童ポルノ呼ばわりして漫画弾圧煽るおばさんたちとかいますけど、やっぱり人に不安感植えつけて知識に目を向けさせないようにする点で共通してて、他人をヒステリー状態にして操るのを良しとするんだよな。大昔から魔女狩りなんかくりひろげて無用な暴力を起こしてきたのはこのテの「中身は餓鬼に近いのに天使ぶってる」連中な。「掲げる理念で人を自分の思うまま操る」のが目的で、その理念が真実かどうかはどうでもよさげなんだよなー。そういえば古参宗教の逸話中によく「異教徒」て表現がでてくるけど、それは自分とこ以外のを切り捨てる風な姿勢にみえちゃうあたり、古すぎて役に立たない通り越して偏見煽りにすらなりかかってる気もする。古参宗教といえば「偶像崇拝すんな」とかいうのがあるけど、ちゃんと手順踏んで開眼さした像を拝むんなら偶像崇拝でないと思うんだがな。偶像はダメでも神の魂の存在は認めてるから信仰してるわけで、よくしらんけどイスラムだって参拝所に然るべき神様降ろしてんでしょ?教義とかで現実にそぐわないおかしな箇所があるんなら、神様降ろしていちいち聞いてなおしていけばいいんじゃないかと思うけどな。クリスちゃんもさ、エクソシスト部隊がいんならどうせイタコ部隊みたいのもいんでしょ。霊や神の存在を教義で語ってるなら直接対話すればいいじゃん。なんで聞かないのかなあ。本音では霊も神も存在しないと思ってるとか?へんなの。日本の神社仏閣は神仏の霊魂と人間の利益について認知&合致した思想だけど、クリスちゃんとかイスラムてそこらへんが合致してないふうなんだよな。日本でキリスト教がいまいち広がらないのって、なんか清貧を良しとしてるくさい(そういえば前の職場で日本語の教典がついでで入荷したことあったけど、巻末に「売るな」て書いてあるから値段つけられないし、そうなると捨てるしかないんだよね。他人に押し付けたら迷惑がられるだろうし、そもそもそこまで熱心な信者じゃないし)から利益求めてお願いにいったりすんのが罪悪みたいに思えちまって行くの憚られるからなんじゃねーのかな。異教徒として白い目でみられそうだし。いちいち厳しそうでなんとなくヤなんだよ(おいら生まれた時洗礼させられて事実上はカソリック教徒なんだがね…)。あと性癖やエロに対してもダメだし多そうだしさ。息苦しいイメージが多くてなるたけ寄りたくない。健全な精神の元でなら現世利益はよいほうへ活かせる、として俗のほとんどをゆるしてくれてるうえで強烈な性格むきだしにしてるいろいろ正直な神仏のがぜんぜん信用できるんだよなー。
さん喬て人が芸人のリアクション芸はいじめにつながるんじゃないか的なことを書いてるんだが、そもそも「人が瞬時に真逆の状態に変化する」のを目の当たりにしてつい笑ってしまうのは原初からしぜんなことであって、いきなりいじめにつなげるのは飛躍しすぎもいいとこだと思う。「誰かに強制させられる」ことが暴力なのであって、自分から率先してやる場合はぜんぜん問題ない。それをわざわざ言わなきゃわからんほど昨今の子は能無しだとでもいうんだろうか。悪意であざ笑う以外でつい出てしまった笑いてのは意思と関係なく根源的なエネルギーが爆発的に引き出されたものであって、罪でもなんでもないよ。自然に出た笑いを「罪」だというのは人に備わる感性を罪悪視するも同然だろう。それと、笑いは肉体感覚に根ざしているために下品(と言われるもの)になりがちなのは至極あたりまえのことであって「下品な笑いはいかん」という文言自体が人間の肉体と精神双方への存在否定に他ならないんだよね。事あるごとに出てくる「最近の芸人の笑いはいじめにつながる」的な論調にぜんぜん納得いかなくて、それはお門違いだということを前々から書きたかった。芸人てのはもともと祝福と忌避にさらされる者(秩序を破壊する人は僅差で悪にも英雄にもなりうるもドゾ)だそうなので、的外れな批判も含めて常に笑わしてくしかないのかもしらん。物事を逆転させる破壊が笑いを引き起こすてのはグランビルなんかの風刺画でも顕著だけど、場当たり的に笑いをひきだす行いを意図して出来るってのはものすごいことだよね。破壊者に眉をひそめるといえば創作物の破壊的描写を糾弾する向きがたまにいるんだが、傷や痛みを通してしか理解できないことがたくさんある(ちなみに正しく認識することでトラウマは克服できるので「傷ついたから放送を止めろ」て難癖は成立しないはずですな。「傷ついたからもっと詳細に説明しろ」ならわかりますが。あと死を体験することで生がはじめてわかる件もドゾ)点からすると物事を理解することから遠ざからせてるふうにしか思えませんね。生理現象をすべて「下品」と決めつけたことで肉体感覚を嫌悪するようになった件快楽を理解しようとせず嫌悪さすのと似て、どちらも知性から遠ざからせることに他ならないんだよなあ。あるがまま(現実)を認めず頭でっかちな観点(妄想)だけを優先さす、てのは冷静さから離れさせてヒステリーだけを鵜呑みにさせる考えだよね。とりあえずヒステリーを優先しがちな方は自分のなかの残虐性を認識せずに善人以外の何者でもないと信じきってる人がいちばん危険つーのを思い出すようにしとくと吉ではないかと。ぜんたい自然のなかで暮らす動物にノイローゼはないということは自然に反するほうに傾きすぎると精神疾患になりやすくなるってことにも思えるので、自然な感性からは離れすぎないでおくほうが吉くさいです。自然な感性がらみでおとなだってぼんやりしてることを自覚すべき件のせときます。ぼんやりたいせつに。
ちなみに肉体感覚抜きには芸術は成り立たない代表として踊りがありますが、踊り狂ってアミダ浄土体験するてのはなんらか摩陀羅さん童子の踊りと共通のもんがあるんだろうか。子供が無意識にはじめる遊びはどうもそこらへんの不可思議なアレとじかにつながってるふうなかんじがするんだが、まだちょっとよくわからん。ちなみにおいらの「心に刺さる絵本」や「萌え狂う文体」から感じるのはまさにこれで、その感覚てのはトシくうと薄れはするものの、何歳になろうと基本的にゆるがないんですよね。そこから受け取る感覚的な快楽とか心地よさてのがさ。そういえば最近みた夢のなかで、なぜか自分が水着着用した白人男性の姿で広い建物のなかトイレを探して走り回ってて、うんこでそうだったんだが、突然プールのある空間に行きついたら向かいの入り口から男の子(オランジーナの笑う子みたいなくるんくるんの髪型)がやっぱりうんこしたそうにあたふた走り込んできて、目が合った瞬間に「プールで!!」て了解が走って2人してプールとびこんで仲良くうんこした夢をみた。男の子笑ってた。これとかこれをまのあたりにしたからなんだろうか。
現代日本の女子間トレンドである玉の輿風潮というのは現代のユートピア物語なんですな。労働でくたびれきったヒトの逃避願望というかね。叶いえない夢をみてる的な。しかしユートピア願望をこじらせる痛い目にあうそうです。ところでニートをこじらせる、てのは退行現象なんだろうか。ちなみに貧乏がこわいからって向き合わずに逃げまわってばかりいると起こる奇跡も起こらずじまいになってしまうらしいので勇気をもって対処するにこしたこたない感。現実に即した結論をだすヒントとして両極端な2つの答え以外の解決策をひねりだすにはその中間で鍛えられた精神が必須とのことです(日本は身内づきあいが基本だから断れない件が徐々にでも改善してくといいんだが…)。退行現象がらみとして母性愛がたりてないヒトほど若年セックスに走りやすい件とか母性愛に飢えた男が結婚相手によって母性愛が満たされると離婚しちゃう件とかのせときます。変化した肉体への強烈な違和感は関連あんのかな。
・家庭内で家族関係が破綻してたり冷えきってるのに、外では円満家族や仲良し夫婦を装う親にガマンがならなくなった子供がそれを壊して親から本音を引き出すために無意識に突飛な行動をしはじめる件からするとみのもんたガツンともとを取られたてことなのかな?家族会議とかみのはやったことがあるんだろうか。有名人としての自分を出してばかりで、ひとりの男として子供とガチに向き合ったことがないんじゃないだろうかね。子育ては万人にとっての貴重な体験なのに、皆にちやほやされるテレビに比べたら唾棄するほどつまらんことだとか見下してほったらかしてきたんじゃないのかなあ。家庭は葛藤を学ぶ場所とのことなので、この際みのはテレビ業界からキレーさっぱり足洗って徹底的に家のなかに向き合うべきなんじゃないかと思います。なにしろ人は予想外のできごとによって鍛えられてゆく(=予想範囲内では成長できない)とのことなので、おそらくみのにはそのテの成長が求められているんではないんでしょうか。なんらかの大きなモノから。 尚、親子関係に於いて自然な対話がしたいときは子供のほうから話しかけてくるまで気長に待つのがすごく大事とのことです。
みのだけじゃなく、企業で問題が起きた際に頭下げてる連中も同じなんだけどあやまるだけで済ませちゃって問題点をどう改善するか言ってない場合がすげえ多いんだよね。
 

 
本日題はこれから抜粋したモノ。この文含むスタイグとライヒ博士のくだりがなんか壮絶。だれかドキュメンタリーにしないかなあ。