鏡をみても何もみえなくなっちゃった人について

逃げ出したくなるような国づくりしてる権力者のがよっぽどクズだと思いますが。国でも人でも離れる向きが続出した場合は自分を見つめなおすと吉なんだがな。今年出くわした嫌がらせツートップの後醍醐帝の生まれ変わりといい黒へびの人といい、自分の意のままにならない相手をちからずくでねじ伏せようと躍起になってるあたりが共通してて、おそらく彼らはそれを嫌がらせではなく「努力」方面の前向きな行為だとでも思い込んでるんだろうな。自分の持つ霊能力をひたすらぶつけて打開する、そういう方法でしか「困難」に対処してこなかったんだろうと思う。心が損なわれたんなら心で補わなきゃなんにもならないのに、それをしないでひたすら自分ゴリ押しを続けるってよけい事態を悪化させるのにね。善意であろうとそういう行為はもう暴行とか嫌がらせの部類になるんだよ。闇がつまらん、てのは困難にぶつかるといちいち逆恨みして嫌がらせに走りがちだからなんだろうなあ。それやってると面白いことが起こりづらくなってくのに。相手を活かす方向でなく、引きずり降ろすことにしかならないから、結果的に面白い相手が損なわれてって周囲からいなくなっちゃうわけだ。そうなるとよけいに痛い本音をぶつけてくれる人材が寄りつかなくなって、気色悪い連鎖がどんどん続いてくと。相手の気持ちを思いやるとか、察したうえで謝罪や感謝を言葉で表す、対話を根気よくつづける、そういう選択肢は彼らにはないんだろうな。ひたすら攻撃してれば自分の恥ずかしいところをさらさずに済むしねえ。まあ後醍醐帝のアホについてはお粗末な身分詐称しながらコメント欄にわざわざIPアドレス残してったけどね。ほんとに霊能力以外での推測ができないんだねえ。生まれもった霊能力にあぐらをかいて努力をしないでいるとうまく使えなくなるとはまさにこのことだな。後醍醐帝の生まれ変わりなんてさあ、ちっこくて毛深いおっさんなのにパステルカラーのシルクシャツとか平然と着てんだぜ。誰がみたって似合わないのにさ、それが自分でわからないってのはもう内観以前にすべてを客観視できてなさすぎて意識が幼児レベルっていうか…。それを対面のとき言ったんだよ。男っぽいビジュアルなんだからそういうの着ても似合わないってさ。したら「あなたはこれこれこういう生まれだからそういうのが気になるのだ」的な、なんつーか、霊能力だとか占星術的な観点でしか返事ができないのね。おそらく「服」ひとつとってもそういう情報しか知らないみたいなのよ。いいトシこいておそろしく世間知らずなの。誰からもそれが似合うかどうか言われたことがないし、それ以外の観点での会話すらまともにしたことがないくさいんだよ。かわいそうなぐらい世俗についてなにもしらないぽかった。歌のライブのときにもさ、他人の歌うたったあとに「気がめちゃくちゃ出てただろ?」みたいに霊力がどうだったか的なことばっかし言ってて、基礎的な歌唱力がないことに気がついてないの。気が出てたかどうか以前に音程はずれのお粗末な歌いっぷりなところにまず気づけよ。それとモノマネ歌謡番組じゃねえんだから「似てるかどうか」じゃねえだろ。プロの歌手なんだったら自分なりにアレンジして原曲とは違う良さを出せるかどうかだろ。当人がつくったオリジナル歌の歌詞もさあ、どっかで聞いたような流行歌のフレーズを寄せ集めたような、個性のまるで感じられない言葉が羅列してあるだけなんだよねえ。この人独自の色がまったくないのよ。なぜなら自分が傷ついてないから。作り手として身を切る覚悟ができてないから真に心を動かすものがつくれないでいるんだよ。自分の恥をさらしてまで人を楽しませようとは思ったことがないでしょ。そこに向き合わないと芸術家としていつまでたっても突き抜けられないままだと思うよ。つまらんプライドをまず捨てないとほんとの才能がでてこないよ。そういえば送った手紙にまどみちお先生の歌詞本について書き添えたけど、もしかしてバカにされたと思った?そう思ったらならまど先生の凄さがわかっていない証拠だよ。もしもこの状態のままでこの人が大手レーベルかなんかからデビューしたとして、歌聞いたお客さんが批判したなら霊能力攻撃するのかと思うとゾッとするな。おいらならどうにかなるからそういう意味では今回の展開で良かったのかなとも思う。卑怯だよね。いちいち霊能力でなんかするとかさ。仏の教え踏みにじって生きてる野郎が仏舎利まともに扱えると思ってんのかよ。神仏にも心があんだぞ?気持ち踏みにじる輩にちから貸すと思うのかよ。まずそこからだろ。心根がこうまで足りてない人間が帝んなったり物凄い霊能力もってたり、生まれもったもんや地位のバランスが悪すぎなんだよなあ。どうなってんだろうこの人の転生具合って。精神状態からしてどう考えてもそれを持たすにはまだ早すぎるってもんを備えさせられてんだよな。ポルポトみたいのもこれと同じ傾向なんだろうか。おそらくなにかから逃げた結果なんだろうけど。アホ霊能者といえば、前付き合ってた野郎が(どっかの能力者にでも協力させてるんだろうが)おいらが好きな人の姿に成り変わって夢にでるというタチの悪い刷り込みじみたことをしでかしてくるんですが、もうさ、数年つきあった結果全然好きになれないから別れたのであって、そこを察してくれませんか。洗脳して操ってやろうって考えする人に近寄ろうと思わないんスけど。伴侶や部下を操っていいものと見なしてる人はきっとおそろしく孤独だろうねえ。あと保険屋の鳥はいいかげん気色悪いのでそろそろひっこまないかなと思う。おかげであの鳥が嫌いになった。間違った方向への努力は悪行になりかねないんだがなー。間違った方向への努力は悪行になりかねないといえば9月18日らへんに日記内検索ワードで「おねがいしても悪いことばかり起こる」てのがあったんだが、神仏が助けてくれる場合は「その人のちからではどうにもならない災厄からの守護」みたいな件だけであって、カネや地位が欲しいとかそういう自分だけウハウハしたい的まるだしのは叶えてくれないどころかおしおきすらされる可能性大よ?自滅するまで死ぬ程ご利益与えられたりね。現世利益的なのを叶えたい際は神仏に「誓い」をしにいくしかないのよ。その誓いをしてひたすら目標にむかって努力つづけてると、ちょこっと助けてくれたりはする。誓いしてから叶ったら御礼しにいかんとおしおきあるよ。神社仏閣てのはそういうアレ。護摩にしたって「神仏が叶える」んじゃなく、お願いしにきたヒトが自分のちからでどうにかできるようにサポートしてくれるって場合のが圧倒的に多い気はするな。とりあえず大昔からある神社仏閣ほど「なんでも叶える」なんてねーから(神仏が人になんでもかんでも与える時てのはそれによって痛い目にあわすのが必要だった場合だけだと思う)。だからこそ神仏に近しくしてる参拝者さんを白い目でみるのはちょっとお門違いというかね。神仏いない論者さんは「努力もせずに神仏に叶えてもらいやがって」的にみてるんだろうが、努力放棄した向きが参拝くるとおしおきされるあたりからして本来的に神仏と近しくしてるヒトほどものすごく前向きに努力しつづけてる頑張り屋さんばっかりだと思うんスけど。神仏いない論者が思ってるであろう「自分のちからだけでどうにかするのが筋だろ」てのは正しいんだけども、その人たちはまだ自分のちからじゃどうにもならないことに出くわしたことがないのかなとも思う。逃げることのできないたぐいのさ。なにしろ「神仏」つーと熱心すぎる参拝者さんの姿から派生した気味悪い的なイメージがあるかもしらんけど、おいらが関わった神仏に関しては「大昔生きてたちょっと変わったヒトたちで、とにかく言動がブレない」かんじの存在に思う。自分の手に負えなそうなことに出くわして困ったときにはこういうたのもしい先輩に相談にいくと吉なんよ。とりあえず神仏にどうお願いするか、てのがわりとムズかったりするので、それがわかんないときは神仏にきけばいいよ。どうお願いしたらよいほうへ向かいますか的に。たぶんわかるようにしてくれると思う。それが把握できるようになると勘もよくなる。はず。