性器への執着傾向が鍵かなと

『自分は特別な人間だと確信している。小市民的な生き方を軽蔑し、そういう人達と一緒にされることを嫌う。裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわる。
(中略)
すべてに言えることは、ありのままの自分が愛せないこと。自分は優越的な存在でなければならない。素晴らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならない。愛すべき自分は、とにかく輝いていなければならない。
しかし、これはありのままの自分ではないので、現実的な裏付けを欠くことになる。無理を通すので、時々は、現実にそぐわないことになる。
しかし、本人にしてみれば、高慢だと言われてもぴんと来ない。それよりは、その人に対して、「あなたは、他人や周囲の出来事を過小評価している」と言った方が理解されやすいかもしれない。自分より優れたものを認めたがらず馬鹿にしているので、他人の能力や才能が見えず、他人の優秀さを無視する。そして、他人を見下したり軽蔑したりすることに快感を覚える。
(中略)
ナルシス・ナル君はなにがなんでも自分が優位に立つ必要がある。どんな卑怯な手段を使ってでも、どんなにつじつまの合わない妄想であろうと、自分を守るためにしがみつかざるを得ない。嘘をついたり、他人を利用したりすることも、「自分は特別だ」という信念を補強するためと考えれば、合目的的なのである。
他人から侮辱されたと思い込んだりした場合、自分を守るために、非常に激しく怒ったりする。あまりにも自己中心的な怒り方であり、周囲の反感を買うが、本人は必死である。自己愛的憤怒と呼んでいる。
(中略)
自分を批判する者や自分の価値を引き下げる対応をする者は許すことが出来ないので、衝動的に激しく攻撃したり(自己愛性憤怒)、防衛的に無視して距離を取ろうとする。』(ナルシス・ナル君 自己愛性性格についてより抜粋)
『相手に暴行したり・虐待したりして黙らせると、それを快楽と感じるようになるというのをネットで見ている。つまり相手を「支配」「征服」することに快楽を感じる。それを繰り返すことで嗜癖化する。いわゆる依存症。そして、性と結びつくと性犯罪となる。性犯罪の再犯率が高いのは、この嗜癖化にある。hikichin 2012-02-27 21:13:46』(児童性加害者・性虐待者とは、どんな人かより抜粋)
『Sというのは、暴力を好み、
他人を支配する事に満足感を得るタイプだろう。
彼らの脳内は興奮と攻撃を司るアドレナリンに満たされ、
欲求が叶うとドーパミンが出て満足するのではないか?
まぁ、これも推測なので、詳しく知りたい人は調べてみてくれ
(中略)
S男は支配欲があるから、 従順で依存心の強い女を求める。
容姿でいえば、ふくよかでグララマスなタイプが好み。
美よりも肉欲重視だからだ。』(君はSか、Mか、それともL?より抜粋)
『過去20年以上のセックス依存症患者の研究から、高い確率で幼少時のトラウマ、性的虐待、健康的な人間関係を作ることの困難やリアルな性的関係への困難が見られるとステファニー氏は言います。「逃避や治療の代わりに、セックスを用いるのです」』(これは怖い…身の毛もよだつ「セックス依存症」の真実より抜粋)
『男性が性被害を受けた場合、結果として誰とも性関係を持たなくなる人もいれば、訳の分からない激しさを感じながら何とか性関係を保っていこうとする人もいる。これは、性的興奮と虐待時の恥辱感が激しく結びついているために、まともにセックスを感じる事ができないためである。』 (少年への性的虐待より抜粋)
『両親から受けた子供の頃の虐待や、今回のように母とのトラブルが恋愛依存のきっかけになるのは自分でも自覚していますが、両親はそんなこと聞く耳持ちません。
主人には言えないし、主人とのセックスではなぜかダメなのです。
私は不倫相手の男性と両親を重ねて見ています。
真綿のような表面的な優しさで私を縛りつけ、虐待し、物のように私を扱ってきた両親の姿を不倫相手の男性に重ねて、セックスをしているのです。
相手の男性が、私を性欲処理の道具としか見ていないのもわかっています。それなのに耐え切れないほどの不安に襲われるとこのまま破滅したい、自滅したいという気持ち、また一瞬でもいいから快楽で不安を忘れたいという気持ちになり自分が傷つくことをわざわざ自分から進んでやってしまいます。
(中略)
私は白か黒かはっきりしないと気が済まず、それが神経症の原因になっていたのですが最近やっとこの二つの要素を認め受け入れられるようになって来ました。成長したんですね。親を軽蔑することも防衛かもしれないけれど、親への愛憎の苦しい気持ちがあるという事実をそのまま認めたとき少し軽くなったんです。
(中略)
身体が離されると耐え難い分離を感じる。確認できる愛情の証があればセックスに求めることはないのでしょうけれど、愛のないセックスをすればするほど分離感情は比例するんです。その悪循環よりも依存対象をなくすことの方が耐え難いんですよね。ましてや自分で断ち切るなんて、決して容易なことではないことは経験者としても分かります。
(中略)
心理的コントロールを解除するのはやっぱり自分の自由意志ひとつだと思うんです。「整理」について強い拒絶反応があるようですがdousitara4さんはまだ整理する心の準備さえできていないのではないでしょうか。
(中略)
書く効果は素晴らしいものがあると実感しています。昔は浄化作用があるんです。でも最近は書くことすら辛いです。現実と向き合わなければならなくなりますから。今毎日でも少しづつでも、今回の件から始めて過去にさかのぼって人生を整理してみようかと思ってます。今回のことはショック療法とでもいれるものかもしれません。でもあまりにも同じことが繰り返されるし、また自分の現実から目をそむけ続けていたため、理性的な、健全で、客観的で知的な「私」が怒ったんだと思うことにしてます。でも少しづつでもメガネの度数を下げていくと、やっぱりリアルに見えてくるものってあるなと。それを気づかせてくれるのが自分との対話とそれを整理することです。
当時直感してた危機感や病気による失敗が容易に予測されても、当時もその客観性をきちんと持ってても、非現実に押し込めて結局自傷行為してた。今も整理しようと書いている上では「書き方」も美化してることに気がつきました。それでは当時も今も同じことになってしまう。だからといって批判的になるのではそれも自傷行為のひとつになるので、あるがままに、当時とそして今思っていることを書き連ねていくことにしてます。そうすると、その間にやっぱり成長している自分がいるんですよね。同じ連鎖の中にいても、同じようなタイプの男に苦労してても、昔とは違っている自分がいる。私が嘔吐していたのは彼への反抗だし、自分自身の魂の苦しみの拒絶反応だったのでしょうね。
ところでANo.10さんが紹介されているリンク先に「嫌われ松子の一生」についての精神分析のコラムがあるのですが、この作品は私にとってのバイブルなんですね。境界例や依存症の象徴的な世界だと思います。そして前回も申し上げたように自分の現実が芸術として昇華されているから(笑)。観客の視点で同類の人を見ると、現実においてもその世界の「主役」である自分に客観的に自分を自分を見れるんです。自分の現実を作品化する。でもそこでいけないのは美化してしまうこと。美化すれば汚い現実や自分を正当化→連鎖が辞められないということになるのかもしれませんね。』(中年の主婦。恋愛依存(セックス依存)を克服したいです。助けてくださいより抜粋)
前世の精神疾患を転生後にも持ち越す、てのはありえることなんだろうか。推測でしかないんだけども、後醍醐帝となる前の男が幼少期に周囲の大人(親族とは限らない)から暴行や虐待をされ続けて、自己愛性人格障害セックス依存症を併発したまま今生まで来てるんじゃないのかなとちょっと思った。前世に帝となって政治機関をめちゃくちゃにしたのも、そこがらみの大人から暴行された恨みなのかなーとも思うし、性関連への妄執(前世では乱交、今生では客への痴漢行為をせずにいられない←ココがポイント)は幼少期に受けた性虐待が原因なのかなーとも思うし、おいらへの嫌がらせにしても左耳への思念攻撃(耳鳴りウルセー)と同時にいつも乳首やくちのまわりに獣を咬みつかせるあたり口唇期的なもんを思わせるんだよな。上記抜粋した「ありのままの自分が愛せないこと。自分は優越的な存在でなければならない。素晴らしい特別な存在であり、偉大な輝きに満ちた存在でなければならない」「自分を批判する者や自分の価値を引き下げる対応をする者は許すことが出来ないので、衝動的に激しく攻撃」する自己愛性人格障害てのがまま彼にあてはまる気がして書かずにいれんかった。おそらく「絶大な霊能力を持つ自分の歌は涙を流して絶賛され世界中で売れる」ことを想定してたんだろうけども、残念なことに霊能力以外を客観視する能力が著しく低いことから自分の歌唱力が現実にどうなのかがわからなくて今に至るわけですね。霊能力で支配欲求を満たしながら妄想と自己愛を肥大させて生きてきた彼は「ありのままの自分」が受け入れられないことから現状把握がぜんぜんできないでいるんだな。自分を客観視できないからなぜ批判されるのかわからないのに加えて、その批判の内容すらも真偽が見分けられないからとにかく攻撃するしかないという。そのうえ生まれもった霊能力だけは絶大なもんだから、これがナルシスト性向をより補強さしてしまったんじゃないんですかね。霊能力を捨てないかぎり彼はその他の能力を伸ばす事ができないだろうな。自分に従わない人間全員に対して霊能力攻撃しつづけるだろうし。批判者を殺してクチ封じしても今のあんたの歌がゴミクズって事実はすこしも変わらないよ。後醍醐帝の生まれ変わりがやる生霊抜きは「抜いたあとにフタをする」を1分もかからずにこなすやりかたなんですけど、これってそこらの能力者にはできないレベルのもんで、悩みがソッコーで解消されるもんだから結果的に相談にきた向きが「この人なしではいられない」的になってしまいがちなんですよ。この人さえいればどうにかなるふうに。依存と思わせずに依存状態にさす的な。良心的な霊能力者ほど依存状態になんてさせない(相談者を自立させる=自分でどうにかできるように促す方向にもってく)はずなんですけどね。上記抜粋した中に「(支配欲求の強い男は)従順で依存心の強い女を求める」てのがあるけど、困った人に頼られる図式の対面鑑定なんかまんま入れ食いのようなもんじゃんか。でも真に強い男てのは支配になんてこだわらないはずなんですけどねー。相手や自分をあるがまま受けとめたうえで共に歩む度量の広さを持つヒトが強者なのであって、「相手を支配せずにいられない」てのは他者に対する不安と恐怖を持つ気弱な人である証拠なんじゃないのかねえ。
いろいろ書いたけどさー、前世に受けたトラウマにしろ、他人にはマネできない独自ネタじゃんか。こういうの克服して芸術で出せたらすごくおもしろいんだがなあ。そういうのに徹底して向き合って客観視できるようになったら才能がじゃんじゃんでてくるって何度も書いてるのにわからんのか。あんたを攻撃してるわけじゃなくて、あんたの才能がでてきてほしくて書いてるんだよ。あんたの顔色伺っておべんちゃら言うような、本音を隠して従順にしてる連中はあんたのほんとの味方じゃないんだよ?