もとは神性をそなえてた人でも度胸がないと腐ってしまう件

どなたかが結界張ってくださってマジ感謝してますが、張ってないほうに攻撃されて獣に食いつかれてる中です。リアル金ないんで神仏にたのみにいこうにもできんのよ。お礼代すらねーし。思念攻撃てのはふしぎでねえ、どうも左耳にむけて飛ばすのがやりやすいのかなんかしらんが毎度左からなんすよ。どういうわけか右耳に向かって飛ばすのはやりづらいとかなのかな。それと飛ばした思念の音、てのが各人でちがうのね。後醍醐帝のバカのはモールス信号的なのを蚊がとびまわる調子にしたかんじのなんだが、今回張ってくださった方のはなんだろうな、映画で刀が映るときにでる金属音的なのが壁ぽくなるかんじで、菩薩さんとかは大抵このテの金属音で崇高なカンジなんだよな。今まできいた思念音でいちばんスゴかったのが護摩やってもらった後日に某大師さんの思念が左から右へ通り過ぎた際、ヴォオオオオオて重低音でなにこれカッケェェェェと思って惚れました。あの人の逸話でツラの良さに狂った女子どもを黙らせるために鬼のツラになった、てのがあるけど、鬼変化後は別の意味で悲鳴があがることになったんじゃないんだろうか。あの重低音思念聞く目的だけで護摩やってもらいたくなるレベル。個人思念で飛ばされてきた獣霊てのはなんだろうね、くいつく箇所を命じられてんのかなんかしらんが、唇のはしっこだとか乳首の左だけだとか、かたくなに1カ所だけにくいつくのね。今回は右耳に飛ばされたせいか唇も乳首も右だけだな。あと鎖骨下の奥あたりが痛んでるけどこれは関係ないんだろうか。んでその獣霊はいつも左の二の腕のうしろ側に潜んでるぽいんすよ。聖観音ちゃんの涼しい風があたったりするとそこがぶるぶる震えだすの。夜になっておいらが寝こむとのそのそ出てきて言われたとこに食いつくぽい。朝起きると口の端に血がでてんだよね(乾燥肌なんで保湿は充分してるからしぜんに割れたってことはない)。乳首咬まれてるときに風呂入って洗うと乳首から血でてくるし。ちいさい穴が2コついてんのよ(ダニの咬み痕よりずっと大きいです念のため。かゆくなくてズキズキ痛むだけだし)。牙の痕なんだねおそらく。獣霊は取れたあとに石けんで体洗うと傷のあった箇所付近にえらく垢がついてて、それがとれたかどうかの最終的な証でもある感。咬み痕も即なくなるし。自然界の作用でこれをとる方法があんだけど、それはこの前書いた小説にもりこんだのでどっかで出ることがあったらよんでいただけると幸いです。100頁にも満たないみじかいやつなんで出るもクソもねーとは思うが。同人誌にしようにも映画代すら出せない現状じゃムリだしな。獣霊て取れたときにしゅんとしてるふうでなんかかわいそうなんだよな。くいついてきたもんに同情してもしょうがないんだけども。とはいいつつ取っても取っても飛ばされてくるとかなりウンザリです。かといって結界張ってくださった方にじかに連絡とれねーし(大体誰なのかはわかってますが)、そもそも無償で張ってもらったのに更にもっと張ってくれとかって言いづらいし…と思って某空海指導下の方に相談したところ「なんにしても、振り回されない方がいいですよね(^^)」とか軽く済まされて「― 空 海 ―」と白目になりました。思っくそ見下してニヤついてる空海のツラがよぎった。前日に根本中堂で最澄さん像拝見してきたせいだろうか。たぶんそうだな。後醍醐帝の生まれ変わりは霊能力で立ちふさがられると打開しようとして躍起になっちゃう人ぽいので、壁的なのもいいんだが左から右に流れさすのもテなんすけどね。まあそうなるとスッゲエうるさいことになるんですけども。本来的に孤独な人に対しては弱さや愚かさに共感を持ってひたすら寄り添うが吉、てのはわかるんだけども、数か月毎日ひっきりなしに攻撃されるとさすがに呆れて罵倒したくもなるのよ。後醍醐帝の生まれ変わりは「相手を屈服させて全能感を得たい」欲求(リンク先の「性的興奮と虐待時の恥辱感が激しく結びついているために、まともにセックスを感じる事ができない」「自分が男らしくないという恐怖から逃れるため過度に攻撃的になる場合も多い」とか特に)を下敷きに嫌がらせしてきてるっぽくて、対話する気ゼロくさいんだよなー。そういう状態の人に「共感を持ってひたすら寄り添う」とかしても操ろうとしてきたり、逆らえば暴力にさらされるから逆効果というか、その攻撃を常に平常心で防ぎつづけなきゃならんのよなー。でも後醍醐帝の生まれ変わりが仮に憎い相手を屈服させたところでその渇望はぜんぜん満たせないだろうし、さらに孤独に陥るだけだと思うがなあ(なんとなくこれがよぎるなあ)。おいらへの思念攻撃に関しても心身共に傷つけて屈服させてから自分のもとへ来させたくてやってるんだろうけど、おいらに反論したいなら手紙だのメールだので寄越してくればいいことなのにねえ。言葉で伝えずに霊能力でコソコソ嫌がらせしはじめる時点で度胸がないことを証明しつづけてるも同然なんだけどな。ツイッタやなんかで難癖つけてきた人とやり合ったときの大変さからすると、後醍醐帝の生まれ変わりの嫌がらせって度量の狭さや見識の低さがまるだしなんだよね。対話もせずに嫌がらせばっかりするテロリストじみた奴の講演で涙ながす客ってどんだけ頭使ってない連中なんだろう。とりあえずさあ、子宮じみた車の中から出て自分の足で立ったり歩くところからはじめたらどうでちゅか後醍醐帝ちゃん。涙流して褒めちぎる人に囲まれてるって気持ちいいのかねえ。気色悪くてヤだけどな。まあ異論に耐えきれないほど弱い子だからしょうがないのか。正々堂々とは真逆の薄汚いこと繰り広げといて愛や癒しを説くってどのツラさげてやってんだろね。その暗黒面を歌にできたらすごく面白いのになあ。こんなに嫌がらせしてまで本性さらすの拒否してるってことは今生では到達できないのかもな。それができるかどうかは当人次第だからおいらはしらんけど。歌は関係つくる能力をはぐくんでくらしいけども、涙流してありがたがる取り巻きと関係築きつづけたとこでそれまでよか風通しのいい関係にはならんだろうな。
なんつーかなー、創作物で自分の本性を世間にブチまける、てのは自己犠牲なんだよね。根底にそのノリがないとできないの。自分を恥にさらしてでもヒトを楽しませようとする心ね。後醍醐帝の生まれ変わりにはその覚悟がぜんぜんなくて、だれからも文句いわれないよう、より多くに好かれようとしてあたりさわりのない歌詞でやわらか〜い調子の歌ばっかしつくってる感ふんぷんなんよね。本性は上記に書いたようなどす黒いもんなのにさ。本性をだしても離れなかったヒトこそがほんとの友達なんだよ。あんたは嘘のキレーな人格で売りながら他人を自分のいいように操ろうとしてる。
クッソキモいんだよバーカ。