面倒くさいがあらゆるものを腐らせてゆく件

『医療法人徳洲会グループは全国に展開していて、全67病院 403施設。従業員は2万5000人を超え、月間外来患者数は約63万6900人と、世界第3位 国内最大の規模である。東京には1病院 1施設。徳田ファミリーの家系図を紹介した。中でも、長女・二女は今月12日公選法違反容疑で逮捕され、これを受け二男の徳田毅自民党を離党している。。徳田虎雄氏を長年取材したフリージャーナリストからは、いまでも徳田虎雄がグループを牛耳っていて、徳田虎雄の意向がなければなんの力もないということだった。
安部総理は、徳田毅議員を集金力・投票力があることから、自民党ホープ、日本のホープ、突破力があり選挙に強いと話していた。2009年の政治資金の収入は個人寄付金・法人寄付金の95%が親族またはグループ企業からによるもので、資金源は徳田虎雄氏が率いる徳洲会グループの病院経営であると言える。また、2011年度の国会議員の収入ランキングでは、それまで1位だった小沢一郎氏を抑え徳田毅氏が一位だった。青木氏は、徳田虎雄氏について、"善人・悪人両方の面がある。善人の面を見れば、氏は離島や僻地に医療を届けるという理念の下、病院を建ててきた。その面は評価すべき”と述べた。
虎雄氏の故郷・徳之島を取材。鹿児島本島から南へ470キロ離れた徳之島は、闘牛が盛ん。虎雄氏は、貧農の家で幼少期を過ごした。』
・上記『』内は26日のミヤネ屋でやってた虎雄人生編から抜粋したブツ。この日は出かけてたもんで実母から伝え聞いたんだが、虎雄さんて最初は弟さんかなんかが医者に診てもらえなかったくやしさから「誰でも分け隔てなく診察する医者になる」て立派な志で医師めざしたりしてたらしいんだけど、成功してくにつれ自分の意のままにしたいふうになってって、今のカネで済ます人になっちゃったらしいですね。こまかいことはぜんぜんわからんけど「全部自分の思い通りに動かせるようにしちゃおう」て考えは「自分の考えだけが尊い」に直結してて、それって独裁そのものなんだよなあ。自分の思い通りにしたいってのは、つまるところ意見を異にする他人を説得するのがメンドクサいってことだろ。面倒くさいは狂うスイッチな件からしても、権力を握る人間が他者を説得する胆力を失ってしまうと雪だるま式におかしなことになってゆく気がする。嫁に嫌がらせする姑から一国の独裁者まで、彼らに共通するのは「自分だけいればいい」=「他人の考えはいらない」て理念をもとに行動してると思うんだが、信念のゆるぎなさかげんからすればちょっと見は強者ふうなんだけども、実はままならない他者への恐怖に常に怯えてる弱い人なんだよね。人の意見を受けとめる度量をまったく持ち合わせてないってことだから。そのテの人がリーダーになると基本的に自分を否定したりゆるがすようなことを言う他者を排除してく方向になんだよね。そうなると今までさんざん書いてきた後醍醐帝の生まれ変わりみたいに、周囲に本音いう人がひとりもいなくなっちゃって、挙げ句に自分を客観視できなくなって着てる服がキモいかどうかすら自覚できなくなっちゃうと。他者を自分と同じようにたいせつに思うヒトって「どんなに苦労しても頑張って人を説得して物事を変えていこう」つー心持ちになるもんなんじゃないのかなあ。聞く耳をもたないって時点で、自分以外の他者を見下してる気がすんだよね。いろんな意見を聞いて、その中から良いものをつまんできて皆が納得いくものに仕立て上げてくってのが民主主義てもんなんでしょ。「いっしょに国を良くしていきましょう、そのためにあなたの意見も聞かせてください」的な、市民と共に歩むことを重要視する権力者こそが市民にとっての「良き統率者」ということなんじゃないかと思うけど、そういう度量を放棄して決めたことが市民にとって良きものになるとは考えづらいんよねえ。市民を戦場に送り込んでも屁とも思わなそうで。そういえば11月26日のNEWS ZERO特定秘密保護法案が衆院本通過ネタ取り上げた際に、アメリカ情報保全監察局の局長を5年務めたビル・レオナードさんが「第三者の監視機関をつくっておかないと中身カラッポなまま暴走するよ」的なコメントしてたんだが、そういうのもないがしろなままで急いで成立させなきゃならない理由てなんなんすかね。ちなみにさ、秘密保護法案が衆院通過した日てこれ日の運勢からすると「通信全般が裏目に出る日」なんだよね。カートグラフィの運勢が全てではないとは思うけど、よりによってその日なんだ…て思った。野田さんが自民党の裏をかく目的で急に解散したら裏目にでちゃって自民党大勝利になっちゃったときの光景思い出した。熟慮が必要なもんを急くと大方ろくなことにならない。虎雄さんの件は都知事になる人に貸しつくっとくことでより病院づくりとかしやすくなるふうなアレがあってやってたらしいけど、トシくってカネあると他人を説得するみたいな細かい苦労なんかしたくなくなるんだろうね。誠実さやセンスのよさを老いてまで維持するのはそうとう困難なことなんだな…。虎雄さんの件については田中角栄を思い出す、と実母。まばたきだけで数千万が動いちゃう昭和感覚。間にヒトが入らざるをえないとはいえ巨大すぎる存在感。
・今はいろんなお助けを頂いたのでだいじょぶなんだけども(ありがとうです)、ちょっと前まで後醍醐帝の生まれ変わりの思念というか、霊魂の一部が片足に入り込んできた(これができるのって天部や菩薩さん以降だけなんで、この人はマジに元々そっちの存在なんだね)んでちょっと話しとかしてたんすけど、そのときに「直接抗議にきた人がいて迷惑」とかゆってたふうだったんで、じゃあ、つーことで前回日記の冒頭文をかくに至ったのですけども、その時に「それ書いたらもう嫌がらせは止めてね?」て約束したはずなんだがね……。いまだにうっすら思念だの獣霊だの送ってくるけはいがあるんですが。約束を簡単に破るのは、彼が前世で虐待された際に何度も約束を破られた名残りなのかな。神仏がなんらかの必要から人間として生まれた際に、虐待されてしまうと他のヒト同様にトラウマを負ってしまうんですな…。英国王のスピーチみるとよくわかるんですけども、虐待同然にけなされ続けて育った子てのは萎縮して自分を出せなくなってしまうらしいんですね。そういうヒトが本音をだせるようにしてく、てのが治療のうえでもすごく大事なことらしいんだが、それは言語療法士だとかプロのカウンセラーが数年かかって信頼を培いながらこなしてくことで、でも後醍醐帝の生まれ変わりはそこに迫ろうとする者を菩薩並の霊能力で攻撃して屈服さそうとするんですよ。だから誰も近づけないわけ。そうなると攻撃を防ぎつつ間接的に諭すくらいしかできないわけで、現在のおいらのブログに至るふうなアレらしい。彼は霊能力はすっごいのに、度胸がぜんぜんねえんだよな。それこそ飛行機も乗れないくらい怖がりになっちゃったみたい。なんか、怯えた子供のままなんだよな。本質が。後醍醐帝の生まれ変わりだけじゃなく、ちからづくで相手の気持ちをどうかできるのだと思い込んでる男の人ってわりにいるのかな。こういう場合「ちから」を使えば使うほど相手のこころは遠ざかってくんだよ?後醍醐帝の生まれ変わりさんね、あんたに言うべきことは今日ですべて書き尽くしたから、もうおいらに出来ることはなにもないよ。今後は、あんたが自分に向き合えるよう努力するだけだよ。これから誰かに攻撃しても足踏みしてることにしかならんよ。そんなことしてもぜんぜん前に進まない。自分に向き合うのがよほど怖いんだな…。怖いとかんじるとこにこそ宝物がいっぱい詰まってるのに。なにしろ「自分らしさ」てのがどういうことなのか、地道に知ってく努力をつづけるしかないと思うよ。カネにモノいわすのはかんたんなんだけど、はたしてそれが「自分らしい」ことなのか、てのをちゃんとわかっておくとブレずに済むようになると思う。それがしっかりしてないと、たとえば状況が急変したとき(突発的な出来事―災害から宝くじ高額当選まで)に対処できなくなって、なし崩しにおかしな方向へ行きがちになるかんじ。数億なんていう大枚を手にした際におかしなことになりがちなのは、自分らしくないことを続けざまにしはじめてしまって、ほんとうは何がしたかったのか、どういうことをすれば真に満足がゆくのか、てのが置き去りになってしまうからだと思う。なんつーかな…「自分らしさに沿った決定を下す」てのをどんな状況でも念頭に置くを基本にしとかないと、軸がなくなっちゃって、あらゆるモノに振り回されてしまいがちになるつーかね。カネやモノはあくまで駒で、それらをどう使えば「自分らしさ」を実現してゆくことができるのか。生まれながらの美人さんが自分で服選ぶと似合わないもんばっかり身につけはじめることがあるけど、それは生まれもったもんにあぐらをかいてセンスを磨いてこなかったからで、そんな状態のままでヒトもカネも群がってくるもんだから、しぜんと顔以外のクオリティがヒドいことになりがちなんでしょうな。そのテの人が美貌を失っちゃうと、安穏と暮らしてたときの怠惰な心持ちしか残らないわけで、美貌目当てに集まってきてた人間は離れてくだろうし、そうでないヒトからはキモがられたり煙たがられたりするわけですな。ほったらかしておいた「自分らしさ」部分が結果的に本質として残ってしまう、つーね。物事にふりまわされがちなときは大抵が「自分らしさ」を掘り出す努力を放棄してしまってるときなのかもね。前の会社に勤めてる中にさ、ほんの一時期だけど服にカネ使いだしたときがあって、実家住まいなもんだからけっこうやりたい放題してたのよ。でも、ふと高い服着て外出したときに、なんだか服ばっかりに気をかけてる自分がいて、あれ…?こういうのって、自分じゃないじゃん…?て、なんだか気がついて、以来やめたのよ。服にばっかり気づかって他のことをまったく考えなくなってる自分がいて、それって自分らしくないし、そもそもよく考えたら楽しくもなんともなくね?て気がついて、それから服にカネかけるのやめたの。なんかすごくバカバカしくなった。カネがあるときほど自分らしくないことをやってしまいがちぽい。他のヒトがどうなのかはしらんけども、おいらはそうだった。踊らされてる、てのを自覚するのはすごくむずかしいぞ。そんで自分らしく生きる、てのをいつも失わないようにするのはすっごい大事だと思った。莫大なおかねを持つとマンドクサいことをしなくなる=センス磨きしなくなる=バカ図式の好例といえば11月22日のニッポン・ダンディでやってた『「メトロポリス」から大ヒット作品まで超大作が続々登場!超大作の法則をあぶりだす!!』の内容を(特にヨシキさん回の)重視聴者である実兄から伝え聞いたところによると「カネかければかけるほど出資した人たちがクチはさんできてどんどんつまんなくなる」「ハワードザダックは主役キャラのブラックさが持ち味なのに、映画で金かけすぎた結果善人キャラになっちゃってコケた」「園子温の映画はぜんぜんお金かけないんで誰からもなんもいわれず好きな事やってる」等のことで、カネかけすぎた大作映画がコケがちなのは「どうにかして面白いものつくろう」という気持ちよりも「カネをどう回収したらいいか」ばっかし気になって結果うんこが出来上がるとゆうアレに陥りがちだからなんでしょうな。それの真逆じゃないけど、この前会長がすごい死に方(誕生日に酒のんで倒れる)して感心してたらそのいとこにあたる某企業の経営関係者の方が後を追うように昇天したらしくて、伝え聞いたところによるとその方の葬儀では香典一切お断りにした替わりに自分とこの傘下の花屋の花を買うこと(1万円〜)を参列者に義務づけてたらしくて、いくらなんでもえげつなさすぎよ!!でもそんなだからあそこまでの企業になったのね…て夫人がドン引きしながら怒ってたんですが、それ聞きながらクチではひどいっすねーとか言いつつ心のなかでスゲー!!S家(※)スゲー!!て思ってた。そっか賢いってこうか!!と思った。そのうえ葬儀場の中のようすというか飾り付けが安っちいというか下品だったらしくて、あれはいちばん安い葬儀屋にたのんだのよきっと…大きな企業のくせに…て夫人がドン引きしまくり。カネをかけず!!ガッツリいただく!!くわしくはいえんけど、会長自身も若い頃はわりとえげつないふうに仕事してたらしくて、夫人から聞いたかぎりでは同業にわりと嫌われてたらしいんだよね。たくさんもうけるには血も涙もいらないんだなと思った。最低限逆撫でしない、ていう基本を踏襲しながら。後醍醐帝の件にもどしますけど、なにしろ「こわいの!」て叫ぶ吉高由里子に向かって漁船から「こわくない。こわくない。ぜんーぜんこわくない」て拡声器で返事する漁師さんのノリであたるといいのではないかと思います>>みぢかな方。 後醍醐帝の生まれ変わりの件は攻撃がはじまった当初は災いとしか思えなかったけど、いま考えるとけっこういろんなもんがもたらされた気がする。災い転じてなんとやらか。
どこの誰のことだかわかっても言わないでね。
ストーカーによる凄惨事件て第三者の多くは白い目でみてるんだろうし、もちろん許されんことなんだけども、そうなりかねないほどの激烈な感情を知ってるから同情する。その激しさは道徳なんかじゃどうにもならないのよ。そのテの精神状態にある人がもしも犯罪行為に走りそうなら周囲がちからづくでも止めないとならんと思う。閉じ込めるでもなんでもいいから。そういう状態に陥ったヒトが内観できるくらい冷静になるまでにはかるく数年はかかるよ。その間なにをさしとけばいいかというと、規則正しく働かしとくのがいいと思う。毎日からだがヘトヘトになるくらいの労働がいい。ごはんちゃんと食べて、働いて、たまには遊んでのくりかえし。家族的なヒトがいつもそばにいれば尚いい。なにもしないで孤独でいるのがいちばん危ないと思う。
・千躰荒神さんて祀るのがムズかしいからあんまりみかけないのかなあ。摩陀羅さんを祀るのがそうとうムズいように(山本先生の著書で摩陀羅さんの本格的な祀り方みると、素人目にみても超絶手間かかって超マンドクサいぽいんだよな。しかも間違えるとコワイことになりそうぽいし)。滝上一門の方とかのお寺で摩陀羅さん祀ってくれねえかなあ。都内に参拝できるとこがあればいいんだがな。これまですっごくお世話になってるかんじがすんのに、御礼しようたってけっこうな交通費がなきゃ行けないとこにしかねーから御礼すぐできないんだよ。まあでもあのヒトは普段は自然にかこまれた中でのんびりしてたいクチなのかもしらんからいいか。牛祭では暴れるみたいだけど。メリハリがすごい。摩陀羅さん関連のとこって茗荷紋があしらわれてるとこが多いんだが、品川の千躰荒神さんのお寺もなぜか茗荷紋で、なんでなのカナーとこの前行ってみたんだが特にわからず(お寺自体はこじんまりしてさわやかなよいお寺だった)。でも三宝荒神さんと千躰荒神さんがぜんぜんちがうヒトぽいということだけはわかった。なんとなくだけど、足に入ってくれたぽくてわかった。馬頭観音さんを輪にかけてキツくしたかんじのヒト。そういえばさーおなかに入りこむヒトとか当初は天台系限定なのかなーと思ってたんすけど、なんか最近は宗教関係なく入ってくるぽいので、もしかして思想だとか宗教だとかがごった煮状態でいることが平穏である、てのを体現するために入ってくるのカナーとなんとなしに思った。おいらが生まれた直後に洗礼させられてカソリックなのもその一環かなと。つーわけで宗教関連は1コに走るよかあちこちでつまみぐい程度にしてるほうが心身共に健全でいられるのやも。今年もそろそろ毎年恒例クリスちゃんの毒にも薬にもならない話を聞きにいく会が開かれる時期だなあ。神仏それぞれいろんな宗教の神仏を兼任してるが事実だとすると、各宗教のお祝いごとは基本すべての宗教総出でお祝いしてもよい、ということになるんじゃなかろうか。なんの根拠もないけど過激派のリーダーの人て一番イイ席でAKBのコンサートとかみせたらコロッとハマリそう。