恐怖心から本音を出せなくなってる社会を全体主義とは呼べないんでしょうね

・イルカの件についての社長談を以下にのせておく。
 1.イルカは魚食いまくるし、網やぶるし、漁師にとってはわりと害獣
 2. 養殖や家畜で育てたイルカならば食っていいのか?
 3. 頭いいから殺すな→頭悪いから殺していい、という発想は「頭のいい者だけが生きるべき」という優生思想につながるのでは
 4.大国による大規模汚染で損なわれている生物が大変な数にのぼるはずだが、それをほったらかして僻地で行われる珍しい狩り文化を潰すのにはどういう意義があるのか
ほか、社長談として「イルカ漁反対論に牛食うな論はちょっと極論(笑」「ところ変わればゲテモノも変わる」「そもそもクジラもイルカも数を勘案しながら獲ってるのにな…」とのことです。個人的には絵本にでてくるでっかい食い物に憧れるのと同じノリで、海にデカブツがいるのをみたら「アレ食ってみたい」と思うのはしごく当たり前のことだと思う。かくいう社長は愛用のパタゴニア服をガッチリ着込んでの僻地旅からもどったばかりなのだった。なんか、夏でも12度くらいにしかならない地域にかつて裸でくらしてた(ここに出てる)民族がいたそうなんですが、白人が来たとたんに菌でたちまち死に絶えたらしい。あんなとこで裸で暮らせる遺伝子てのはいったいどんなものなのか!て力強く語ってた(当人にこの件たしかめないよーにね)。
大森さん談に出てたアメリカンに頼らず日本独自に情報を得てくためには秘密保護法が必須てのと情報戦に於いて日本はだいぶ遅れてる件てのがまったく取り沙汰されないで保護法反対論ばっかし出すってのもちょっと異常じゃね?>朝日さん江。首相と党の人もそこをちゃんと正直に説明すべきでしょ。肝心なとこをうやむや表現で済ますからよけいに疑いの目でみられるんだよ。情報犯罪がらみだとこういうのすら挙げられない現状とかちょっと怖いんだが。保護法について恐怖煽りしすぎ、て指摘してんのが朝日紙上では長谷部さんくらいなのもどうかと思うし。アメリカでは秘密保護法があることで新たな出版市場ができている件とかもっと出せばいいのに。廃炉に100年かかるもんを「安全です」の1点張りでまんまと依存させられた件だとか儲けが生じてるもんを権力者が簡単に手放すわけない件からするとそう簡単には信用できないてのは重々わかりますけどね。身上調査を厳しくしすぎることで現場のヒトに無用なストレスかかってなきゃいいスけどね…。とりあえず国の台所事情については包み隠さず公表するのは当たり前だし、市民による権力監視についてはよりしやすいようにしておくとか、なにしろ異論を排除しない、て姿勢を明確にしたらいいのにね。そこらへんがいまいちハッキリみえてこないんで不安なんだよ。おいらがいまの首相を信じてみるか…て気になった大きな理由は「エロ漫画への弾圧じみた規制を止めてくれた」ことなんだよね。それを聞き入れる度量がある人間の政策に対して、むやみやたらに反対しまくる、てのもどうかと思ってな。保護法については第三者機関もつくる、つってんだからとりあえずまあ静観してみようと思うよ。どんだけのもんつくれるのかはしらんけど。ただ、漫画をはじめとする創作物への弾圧的な動きをまたはじめようものなら即座に反自民にまわりますんで、そこんとこよろしくね。創作物はすべての源泉だから禁じるようなバカはぜったいしちゃいかんよ。どんなものであろうとも。
・エロを弾圧しようとする人てなんでいちいち神を引き合いにだすんすかね。神のほうも迷惑なんじゃなかろうか。自作自演をやらかしてまで弾圧しようとした人てのは、おそらく正義の味方になりたい欲求がものすごい強いんでしょうな。自分が正義の味方になるためにはそれに見合う悪をつくりださなきゃならんわけだ。結局バレちゃって悪者だったのがわかっちゃったわけだが。なにしろ性を規制する発想の根には自らを神聖視させるための企みがあって、でも実際に人間を神聖視さすとなるとおかしなことになる(包皮切除を勧める外科医院てのはみんなここらへんの流れを汲んでるんだろうか)ものの、禁じるための本で市民はヌイてたそうなのでやっぱ市井のたくましさはいつの時代も信頼できるものだなあとしみじみした。ナニが言いたいかつーと売春てのは女性の労働史の原点であって、その視点を持たないままで売春業の存在自体を「あってはならないこと」とするとピラミッドすら語れないことになるので、結果的に知をないがしろにすることになるみたいすな。場末を見下すのも底辺労働者を見下すことにつながるのね。あと売春業に限ったことではないんだろうけど、現実では得がたいモノほど良質の客寄せ素材になるんだなー。エロ本やAVがないころはそのテのセックスファンタジーを娼婦さんで満たしてたんだね。性関連で糾弾されたときほど性に深く向き合う基本を踏襲しておきました。
・極右も皆勤賞もすきくないんでそのおばさんに興味はないが家族を大事にすることを「個人主義の抑圧と弱者の排除」につなげちゃうの…?斎藤さんがどういう意味で「個人主義の抑圧」て表現を使ってるのかわからんけど、個人主義なヒトほど一体感欲求(←激烈すぎるがゆえに無自覚に従ってしまいやすい危険さを孕んでいる)を満たしたいがためにしぜんと同じ考えの仲間と集まってるふうなんだよなーとはてブだの2NNだの見てて思うんですがね。社会にでる前に家族や家庭で異論に接する(+同調するのが必ずしも友情ではない)ことに慣れてくのがいちばんいいんじゃないかと思うんだが。あと「神道を基本に」してると暴走族化して弱者排除方向につながりかねないのでは?的に書いてるところからして斎藤さんはなんとなく神仏に関して誤解してるようだが、神仏と関わるとずうっとついてまわって「でもやるんだよ。」推奨しつづけてくるんで、弱かろうとなんだろうと見捨てられることはありませんよ。ただ、神仏に対してバカをしでかしたときにはどうなるかはしらん(聖天様にちょっと聞いたんだけど、神仏の障りで死んだ人て死後に修行的なことさせられてるぽいよ)。すぴりちある女子が「みんながハッピーになりますように〜☆」とかヌルいこと書いてるとせせら笑うし、でもやるんだよ的なこと書くと弱者排除だとか言って嘆くし、無神論で霊懐疑の人の考える「理想の神」てのはどんなもんなんスかね。常人には考えつかないくらい限りなく平等で克つ底なしにお優しいモノなんだろうか。それこそ人間味からかけ離れてて気色悪いスけどね。人間味ドップリといえば人と接するとき、まず相手のことを考えるてのは対話を円滑に進めるうえでも基本中の基本だし正しいですけど、菩薩さんたちて好きな相手がいると強引に押し掛けて居座るんだよな。そこらへんはあんまり相手のこと考えてないような気もします。まあいいか。なんかトラック野郎にでてくる子だくさんの家だとか、勝手に家にあがりこんでくる近所のおばちゃんみたいなアレですよ。とりあえず斎藤さん記事の結論としてはなんとなくアクアフレッシュの妖精思い出した。神仏の実像といえばさー彼らについて知るほど戦乱をくりかえしてきた歴史がどうしてもみえてきちゃうんだよな…。神仏はお参りにきたヒトを気に入れば(その人が戦に勝ったらどうなるかも見越して)ちからを貸しちゃうから、たびたび寺社仏閣の戦がらみの逸話にでてきてて、つまり「神仏が戦に関わった」件数がまま人間がなにを望んできたかを映し出す鏡になってるんだよな。戦で勝つことではなく、人が人を活かすためになることを望めばそれだけ神仏は尽力してくれるんですよ。戦が多かった時代はそういうお願いごとが皆無に等しかったのかもしらん。人間が(神仏に対して)なにを望むかがすごい大事なんだよ。国家神道だろうがなんだろうが、そこでどんなことを投げかけるのかが大事。どんなもんであろうと「存在してるものを潰す」ことが善き事と思えなくてね。すべてあってこそだよ。ところで戦時の件について直視したくない歴史をみつめることを推奨するヒトは「謝罪すべきところ」だけを直視すればそれでいいと思ってるのかな。それこそ多面的に理解するところから遠ざかるばっかりだと思うが。直視したくない歴史をみつめたあとはどうするんだろう。戦時に日本が非道を犯した国の方々に会うたびに日本人全員が謝罪してく姿勢を推奨してるってことなのかな。政治屋の人はそういう行動をしそうもないし、市民が行動で表すことで草の根的に市井の意識を変えてくことにつながるやもしれませんね。そういう立派な行動を率先して体現できるなんて素晴らしいですね。おいらはねー戦時被害者だったからえこひいきして云々みたいのは相手をバカにしてると思うので、とりあえず相手のおもしろいところがあれば普通に感想を書いたりしてゆきます。コキおろすときはコキおろす。あやまるとこから入るとそれがしづらくなる。謝罪の気持ちを個人からそう簡単に出さそうとするのがなんかおかしい。マジに申し訳ないと思ったときの絶望的な心持ちを考えるだに「直接経験してないこと」に対してそれを出したり引っ込めたりしろって時点でムリだしヘンだよ。文献をみてその気持ちになれって言われても…。社交辞令でならいくらも言えるけど、それは本当の謝罪じゃないからしたくない。誰であろうとはじめて会った人に対しては神仏に相対するときと同じように最低限の敬意を払うふうな応対しかできない。なので謝罪してまわる立派な人の背中を観察していこうと思う。それでも親族の葬式で涙が出ないことを糾弾されてるような気持ちしか持てないかもしらん。そこらへんの自分のどうにもならなさがらみでイヤだと思う人とは向き合ってみるといいかもーとか書きながら2度と行かねーよバーカと書かずにいれん矛盾について考えてたんすけど、話の通じない嫌がらせ人間の処遇は神仏にゆだねるのがいちばんだなーと思った。そのテのに怒りや憎悪つのらせてもコッチが損するだけなので、相手が改心するに必要なだけ障りを与えてもらうのが好ましいのやも。ストーカーみたいのに悩んでて、いいかげんダメとなったらおカネはたいて護摩だの祈祷だのしてもらって神仏にお頼みしてお灸すえてもらうといいと思う。そこでリアルに呪う心があったりするとたしなめられると思うけども。とはいえ子供8人失わないと改心しなかった人もどうかと思いますよ。一番福を逃した人の件はなんらかの障りで足もってかれたのか、それとも一命とりとめたのがご利益だったのかちょっと判別がつきづらいとこですね…。ガッチリ向き合うのが吉とでるかどうかは時と場合によるとはいうものの、この件で加害側に向き合わず被害者ぶってばかりいるのは真の解決にはつながらんと思う。この件この件も給与に不満だった、てのが動機で出てるけど、ほんとうだとすると経営者は事件がなければそこに向き合うことはなかったってことなのかな。待遇ケチったせいで売り上げも信用もなくしちゃって。ヤだと思うとこから逃げてるとろくなことにならん件じゃないが、病気に関して「向き合う」てのはしっかり栄養とって寝ること(=治療)であって、向き合わずに遊びほうけてたら悪化するわけですよ。ガッチリ関わらなきゃ治るもんも治らんとゆう。まあ病原菌に霊体があって意思があるかも?なんて考える事体バカにされてあたりまえですわね。よくわかっておりますよ。これからもバカをつづけます。擬人化ついでに朝日さんとしては台風を擬人化させたくてしょうがないということなんだろうか。疫病感染じゃないけど、いま繁栄謳歌してるとこって、他国との商いが欠かせない状態なもんだからでかいとこが失速すると連動して関わってるとこも失速してくのがこわい。
・一体感欲求を満たすための場を壊す奴(=異論をもたらす者)は敵、か…。イイ大学でる頭もってても易々とそこへ陥ってしまうんだな。オウムの死刑囚さんたちは次生まれ変わったらこれが前世になるんだな…。一体感欲求はちゃんと自覚したうえで逐一満たすようにしてかないと、うっかり全体主義の片棒担いでることになりかねない。目には見えないからこそその激烈さがおそろしい。親がそこに陥ってしまった件なんか、もっとテレビは取り上げたほうがいいと思う。