「被害者をやめる」てのは宇宙エネルギーさんのすべてを受け入れてあげれる状態になるってことなのね

『両極を学び、両極を体験することによって初めて真ん中、すなわち無極(ニュートラル)を知るのです。これまでの永い転生の歴史の中で、人を殺した体験のない人はいないと伝えられました。殺す体験をし、殺される体験をして真ん中を学びます。優しく思いやりのある人間を体験した後は、意地悪で独りよがりな人生を体験して、その両極の中心点が分かります。切れ者で英才を演じた後は、愚鈍で仕事の出来ない役を体験して、二極のバランスを図ります。名歌手を演じた後、次の転生で音痴を体験して、ねたみの気持ちを味わいます。真ん中そのものを体験することの出来ないこの世界で、二極の両極を体験することによって真ん中を知ろうという筋書きのようです。』(遍在するものへより抜粋)
・基本的に地球上のもんが滅ぶのは生み出す無限循環を上回るペースで獲っちゃうのが原因だそう。資源は無限にできるのだけど、それが生み出されるペースはわりと遅いんだよ。「無限にでてくる=生み出されるペースも使うのを上回るほど早い」的な考えを自動的に抱いちゃうあたり傲慢かどうかすら自覚できなくなってんのな。あと無限生み出しを上回るほど使ってるのに加えて「(資源獲った時に)感謝しない」「(絶滅しそうなモノを)救いたい的な人の願望実現さすために宇宙エネルギーが適度に滅ぼしてる」がコンボで畳み掛けてるあたりが追い打ちかけてるぽい。
・毎月恒例の生理痛がきたんで、痛みに意識を集中さしてみたら「傷ついた記憶」がいっぱいでてきたよ。へんなことされて、それにうまいこと対処できなかった口惜しさとかいろいろ絡み合ってたよ(1つの感情じゃないから複雑なって痛いのね)。きちんと向き合うと痛みがなくなるのな。しかし自分ではその経験に関して傷ついたとは自覚しとらんかったな。実はトラウマなってた模様。わし我慢しちゃうしなー。なんかさ、いろんな霊がおいらのからだのあちこちに入り込んでてわがままゆったりするんだけど、それと同じで自分の体に起きる「痛み」てのは自分の心がなんらか訴えかけてきてる証なんだな。ツラいよ!うわーんていうかんじの。あの経験ツラかったな、て向き合いながら痛い部分をなだめてあげるとやわらぐよ。このツラさに向き合えてないよー!ていう信号があらわれてるのね。恐怖てのがそれと認識できないほどにアチコチに刺さってしまってるふう。
・宇宙エネルギーさんが仕事を促してくるままにやってると「すんなり循環」が起き続けるのをこれまで実感してんですが、時間や状況をまったく勘案してもらえない…というかコッチの常識とは無縁のアレなので、マジに思い込みを全部捨ててあたらないと循環が即断ち切られるかんじがする。なので今んとこ就寝時間とかがムチャクチャだ。でも体こわしたりはしてないな。精神的にもこれ以上ないほど安定してるし。ふしぎだ。自分の手がけようとしてるコトが「(宇宙エネルギーから)もたらされた仕事」となんらかの恐怖心から「やらねばならない」と思い込んでの行動のどちらなのか、すぐに判別つけられるようになるといいんだがな。いまだに「宇宙エネさんの持ってきた仕事」を差し置いて「タダ券あるから使わなきゃもったいない!」て恐怖心のほうを優先させてしまいそうなときがある。そんなときは木フダの神仏像がうなづいたり首横に振ったりして教えてくれるんだが。ありがたいことこのうえない。彼らが来てくれてなかったら気づけなかった案件だらけだぜ…。いなかったら気づかずにぐうぐう寝ちゃった日がいっぱいあったろうな。あと大体これに沿ってるのでギリギリ認識してはいるんすけどね。神仏もがカートグラフィ進行に沿ってるとこみるとアレ自体がガチなんだな。あの法則よく見つけたな創始者の人。津留さんレベルにすごいぞ。ぜんたい否定されたと思い込むことでそうなってしまうあたりの鉄壁の平等ぷりを誇る宇宙エネルギーさんを使いこなすに赤ん坊さんの精神状態がベスト、つーことです。中道と空は赤さんが体現しているのだな。そういえば体の痛い部分て、なだめだしてから気づいたんだけど、自分のなかの赤ん坊さんが泣きわめいてるのをいたわってあげてるふうなかんじだよ。
・霊能者さんにありがちな人助けを止められなくて体こわす、てのはその時点で二極思考にがんじがらめになってるてことですよ。まさしく他人は自分のバランス悪いとこを教えてくれる鏡なんだな。その都度わいてくる感情味わう(過程)のが大事なのであって「どういう人になるか」(結果)がゴールじゃないんだよ。どんな状態でも尊いんだよ。とりあえずそんなことしたらいけないて考え方をしなくなるとちから縦横無尽に使えるようになるみたい。自分をむきだしにすることで相手自身が内観する機会を生み出す件もセットでドゾ。すべてが学びになる仕組みのなかでは迷惑なんて存在しないんだね。ちなみに「神のすがた」はどんなもんかというと、現世で生きてる人間全部を合わせたふうなもんみたい。いろんな姿になっていろんな立場を経験してんだな。地球上にいる数十億の分け御霊についてすべての観点が尊いと気づくには二極ぽっちの考え方じゃ足りなさすぎるしねえ。コントのネタだとか諷刺を許せず消し去るまでやる人、てのは「結論がすべて」(=たどりつくべき「真実」以外は間違ってる)と思い込んでるんだろうな。苦しみをたんのうするために必要な思考構造なので、結論は1つきりと思い込みがちなのはしかたないんだけども。結論を得るために生きてるんじゃなく、いろんな立場からの意見をたんのうするのが目的なんだよ。ちなみに美食漫画の作家さんは恐怖を捨ててからもういちど福島を体験しなおしてみるのが必要なんじゃないのかな。この件の問題は描き手が「恐怖に駆られた精神状態」でしか物事をみてないことだけ。でも件の作家さんが「恐怖を捨てられてない」状態なのが鼻血だした漫画で表現することによってわかったからよかったじゃん。「描くな」「載せるな」を是としたらこの作家さんがどういう精神状態なのかすら知られることもなかっただろうし。「いいor悪い 」の観念を捨てないことにはその立場にたどりつけんよ。対処法については大方触れたけど、何も通じない人にいくらゆっても意味がないからやめるよ。昨日漫画弾圧が推進されてるのをニュースでみながら、目前に楽園の扉があってもいがみ合うのに夢中で気づかないんだなーとしみじみした。苦しみを体験するための否定循環をつづけるかぎりはミロク世から遠ざかってくのに。地獄を選んだのね。表現の自由が条件付きになった時点で次の世界に行かない表明してたも同然だったのかもしらんが。仕組みを明かされてさえ疑い続けて「他者を否定しながら互いを食い潰すのが正しい」とばかりに恐怖で自滅してゆく神の姿をしっかり目に焼き付けようと思います。これまで読んでくれてありがとう。いろいろ書けてたのしかったよ。
 
日記 おわり