全員が傷ついているのです

『僕はムスリムの家庭で育ちましたが、両親も僕も信仰心はありません。コーランをまともに読んだことすらないんです。ただ、レバノンムスリムは、左翼ムーブメントに属してパレスチナを応援し、僕の両親も内戦時代は武闘派として親パレスチナ・ムーブメントに参加していました。僕の3人の従兄弟は、パレスチナのために戦い、キリスト教徒の民兵に殺されました。1975年に内戦が始まったとき、僕は12歳でしたが、キリスト教徒に対して深い嫌悪感を抱いていました。ジョエルは僕とは正反対に、極右のキリスト教徒の家庭で育ちました。それで、小さい頃の僕が最も嫌悪していたタイプの人間であるトニーと男性弁護士のパートを僕自身が、ヤーセルと女性弁護士のパートをジョエルが書いたんです。かつて「敵」とみなしていた人物について書くことで、僕もジョエルも自分自身を見つめ直す作業をしました。』(「判決、ふたつの希望」パンフレットp.16より抜粋)

『何事にもそつのないレバノン人の多くは、社交の場では宗教や宗派、党派の違いなどまるで感じさせないこなれた振舞いを見せるが、その実、彼らは互いの違いを極めて強く意識している。初対面の者同士は互いの名前や身なり、アクセサリー、言葉の訛り、住んでいる地区によって素早く相手のバックグラウンドを把握し、緊張をもたらすかもしれない言動を回避するよう努める。こういった一種のプロファイリングを脳内で瞬時に行うことはもはやレバノン人としての習性のようなものである。いや、外国人である筆者自身、ベイルートに暮らしていた頃は無意識のうちに同じことをしていた。

 タクシーに乗りこんだらまずはバックミラーとフロントガラスをチェックする。ミラーからぶら下がっているのが十字架のついたロザリオ(まさにトニーの車のミラーにもかけられていた)か、あるいはタスビーフムスリムが使用する数珠)か。フロントガラスに貼ってあるステッカーはマリア像か、政治指導者の写真か、あるいはクルアーンの聖句か。カーラジオから流れているのはレバノンの歌姫フェイルーズか、あるいはナシードと呼ばれるイスラームの宗教歌か。これらの情報をもとに運転手のプロファイリングを行うことで安心して会話に入っていくことができるのだ。』(「判決、ふたつの希望」パンフレットp.20より抜粋)

 『どうしてそれが嫌いなのか、そのことに意識を向けてみてください。「どうやって嫌いなものから遠ざかるか」ではなく、それが嫌いな理由を探してください。嫌いな理由はあなたの内側にありますから、それはあなた一人で解決がつきます。嫌っている原因が見つかったら、あなたはもう二度と逃げ出す必要がなくなるのです。』(加害者より抜粋)

リグレッション(16日。武蔵野館)→ヒトラーと戦った22日間(武蔵野館)→判決、ふたつの希望(シャンテ)と観まして、判決、ふたつの希望は工事現場で仕事してたら隣のアパートのベランダの排水管から水が直で流れてきて濡れるんで、アパートの主には何も言わずに勝手に新しい排水管を取り付けたらそれに気づいたアパートの主(トニー。キリスト教徒)がなぜか怒りだして新しい排水管を壊してしまう。それをみた工事現場の監督(ヤーセル。パレスチナ人)が悪態をついたもんだから更に怒って工事現場監督の所属する建設会社の事務所に乗り込んで監督当人から謝罪するよう求めたところ、トニーの経営する自動車の修理工場に事務所所長といっしょにヤーセルがやってくる。所長はヤーセルが難民で不法就労であることを知りながらも真面目で仕事もできるヤーセルを擁護したくて場をおさめようとするものの、怒りでカッカしてるトニーはヤーセルに暴言を浴びせてしまい、カッとなったヤーセルはトニーをぶん殴って肋骨を折る重症を負わせてしまう。トニーはなんで排水管を壊したかというとそれを取り付けたヤーセルの訛りに気づいたから=パレスチナ人と気づいたからで、日頃からパレスチナ人出て行け的な人の演説を仕事中にも見聞きしてるほどの極右思考の持ち主なのも手伝っておさまりがつかなくなっちまったんですな。ヤーセルをカッとさせた暴言つーのも(パレスチナ人難民キャンプでの虐殺を指揮した)シャロン(元イスラエル国防相)に殺されてればよかったのにな!ていう内容で、簡単に言えば「死ねばいいのに」ていうアレです。当然ヤーセルは謝罪なんかするわけもなく、暴行されたトニーは弁護士のとこいって告訴することになるんだけど、トニーのほうの弁護士は賠償請求に躍起になるし、ヤーセルのほうの弁護士は人権侵害を主眼に置いて戦おうとするし、パレスチナ人に謝らせたいだけのトニーの思惑から離れて事が大仰になっていってしまうという話。傍聴席でも暴言が飛び交い、マスコミに取り上げられてからは暴動が起きたりトニーに嫌がらせが頻発したり、悪目立ちに危機感を抱いた建設会社社長によってヤーセルが解雇されてしまったり、社会的におさまりがつかなくなってるのをみた大統領が二人を説得したりといろいろ起きるんですが、それでも謝罪には行き着かない。ただ、周囲が大騒ぎに発展してしまったのに嫌気がさしてか、車のエンジンがかからないで困ってるヤーセルをトニーが助けたりと少しずつ冷静さを取り戻してゆく二人。そんな中、トニー側の弁護士がトニーの過去までほじくりかえした結果、トニーがパレスチナ人を憎む原因が明るみに出る。トニーは幼少期に住んでいた所でパレスチナ人たちの襲撃に遭い、命からがら父に抱えられて逃げた過去があった。映画の序盤でトニーの奥さんが引っ越しを提案するものの、まったく受け付けないトニーには拠点を移すことに対するわだかまりがあるからなんだろうか。お互いの似た出自がわかったところで、ヤーセルがひとりでトニーの仕事場にやってきて「歯やられたら歯で済ませときなさい」的な決着をするのがよかったです。男は拳で語るのか!と一瞬思ったけどあれ長引いたらまたケンカになっちゃうからな。あと物語中に「中国製じゃなく純正品がいいよ」的な国産品バンザイ話が差し挟まれているのはキャラの極右感を増すための演出なのかな。二者対比といえば対決する弁護士が親子であるというのも親子ゲンカ的にカッとなってしまいそうな危うさを演出してるふうなのも面白かったし、あとカッカしやすいキャラのそばに身重の妻を置いて口論さす、てのがDVスレスレ感を想起してしまって冷や冷やしますな。物語的には解決するんですけど、弁護士費用とかどうなったんだろうな。トニーのほう、特に費用高そうだったけど。

ヒトラーと戦った22日間はソビボル(調べたら三大絶滅収容所とかいわれてるのな)つーユダヤ人収容所でナチス兵たちの傍若無人ぶりにはらわた煮えくりかえったユダヤ人たちがナチをひとりずつ殺していって脱走にこぎつけるまでの顛末を描いたものなんですが、いじめっ子が殺しの権利を与えられたらそうなるだろうなあ的な蹂躙ぷりがよかったです。手に職のない女子供はシャワーと偽ってガス室で皆殺し、彼らから剥ぎ取った宝飾品をおもしろ半分に身にまとってはしゃいだり、よい戦利品を渡すと褒美としてコニャックを差し出されるもののユダヤ教の戒律で酒が飲めないと正直にいうと俺の酒が飲めねえってのか!むち打ち25回!数えまちがったら最初から!だの、この切り株を5分以内に切れなかったら10人にひとり銃殺な。(脱走者が出ると収容者全員をひざまずかせて10人にひとり銃殺していく見せしめが基本)だの、ちょっとした理由ですぐに銃殺するもんだからみんな震え上がって脱走をクチにすることもできない。そんなときにある小屋で女子がナチス兵に強姦されそうになって、とっさにそばにいた男がナチス兵を首り殺してしまう。それに着想を得て「誘惑で釣って殺す」作戦を決行することになり、ナチス兵それぞれの好みを知り尽くした人がおとりの皮コートを餌にひとりずつナチをおびき出して殺しはじめる。んで殺して奪った銃でもって常駐しているナチス兵を殺して脱走する計画が実行されるわけです。これはすんなり行われたわけでもなく、なかには殺しができない人や、殺したことでトラウマを負ってしまう少年などもいる。んで計画実行日には正面突破で脱走するのだが・・ていうのが大筋。クリストファーランバートの鬼畜ナチス上官ぷりがなかなかハマっててよかったです。

リグレッションはイーサンホークが小娘に振り回される映画。悪魔崇拝つったら顔面白塗り黒フードで!小動物や赤ん坊を切り裂いて!食ってー!!ていう画ヅラを刷り込まれてうなされる人続出してFBIまで調べてたんだけど・・的な話。悪魔祓いを詐欺稼業としてる男が最後にリアル悪魔に出会ってしまうなんとかいう映画のが面白かったな。