BASTARD!!には成熟した女がひとりもいないよね

後醍醐帝の生まれ変わりさんはその更に前にはある僧としてこの世に生を受けてたらしくて、かつてはすこぶる優秀だったみたいなんですが、のちに生まれ変わった際に虐待されたことでねじ曲がってしまったんだな。後醍醐帝時に一気にねじ曲がったというよりも、むしろ僧侶として生きてたころから既にねじ曲がる根を心のなかに孕んでたみたい。僧侶として生きてたときには霊能力もずば抜けていたし、いろんな改革をやりとげる統率者としての器もちゃんと兼ね備えてたんだけども、他人と深く付き合うだとか「人を真に大切にする」ことの重要さを理解しないまま生を終えてしまったところへ虐待されたことで人を傷つけてもなんとも思わない人格のほうに転がってしまったくさい。もともと才気あふれる人ではあったらしいんだけども、人格者ではなかったんだな。そこらへんの精神面での欠点なんかを正面きって指摘されると、逆上して指摘してきた者を殺してしまってたようなんだよ。仏の道の人間が聞いて呆れる。座主に選ばれたのは単純に優れた手腕だけを買われてのことだったみたい。んでそこらへんの精神的欠落をどうにかして改善するために、当時恋人(奥さんではなかったらしい)だったおいらがそのお役目を引き受けたとかなんとかそういう…ははは。書いてて信じられねえや。まあいいや。慈恵さんてもっとストイックで女嫌い的な硬派な人なのかなーと勝手に思ってたんだが、女好きでかなりワイルドな性質だったぽい。僧侶当時は地位も手伝ってほうぼうに愛人つくって遊びまくってたらしいんだが、その愛人たちは彼にとってはあくまで遊びでしかなくて、ヤリ捨てまくってたようなんだよね(後醍醐帝時の乱交好き嗜好だとか、現世での女性客へのセクハラがその名残りなんだろう。場当たり的にイイ思いをできさえすればあとはどうなってもいい、と考えてるからこそそんな浅はかなことを平気でカマすんだな)。とはいうものの、彼は基本的にフェミニスト(萩原一至漫画の主人公なかんじ)なので女…特に肉体関係のあった女性を殺す、てのができないタチだから、彼にとって手痛い真実を指摘してくにはまあおそらく女性しかいない…ということになったんだろう。とはいえ角大師さん(feat.摩陀羅さん)がいなけりゃおいらも今頃どうなってたかわかりゃしねえよ。つーか、角大師でもって慈恵からの攻撃を防いでたんだな…。彼と肉体関係を結んでた当時から、おいらはなんか聖天様をお世話してたっぽいんだよね。聖天様とはそのころからの縁なんだな。聖観音ちゃんとはさらにずっと前からみたいだけど(そのころは男だったぽい)。最初の2柱てのはなんとなく重要に思ってはいたんだが、こういう背景があったとはね。このへんのことがなんでわかったかつーと例によって夢でみせられたからなんだが、その際に当時の姿にはなってはいたんだけども、おいらがニブすぎてなんだかわからんくて、イラついた先方に押し倒されただすよ。うーん。それでなあ。いろいろされたんだが、なにされてもまったくトキメかなくてねえ。それどころか快楽なんかが皆無で、肉塊が無機質に接触してきてるふうにしか感じれなかったんだわ。ひたすらうっとうしいだけっつーか…。片思い中の相手が夢にでるときは連れ添って歩いてるだけで至福の極みなのにな。キスされたときなんかにゃトキメキすぎてどうにかなりそうでしたわ。片思い中の相手も当時からのつながりがあるみたいなんだけど、結局深い関係にはなれなかったぽい。地位的な問題かなんかわからんが、当時も片思いのままでなにもなく終わったらしい。根本的に関わることのできない間柄なんだな…。日陰の女→フィクサー的なこの自然な流れ(笑)おいらが現世でなぜか浮気だとか不倫がスゲー嫌いで、家庭をひたすら大事にしたいと思うのはここらへんの苦い思いがあってのことなのかもな。正妻さんツラかったろうな、と思うと涙がボロボロでてくるんだよ。悲しくもないのに。この日記かくのもちょっと今までにないほどつらい。精神的負荷がかかることって今までさしてなかったんだけど、今回のはちょっとしたダメージがあるな。ナニが書きたいかとゆうと、慈恵は相手の心奥まで深く関わることをしない男だったから、たとえ何人もの女とヤッたところで相手はひとりたりともイッてないわけ。イクどころか快楽すらない浅はかで稚拙な交合ばかりだったというのに、当人ひとりだけが満足してあとはポイ捨て状態だったみたいなんだよ。女がイク、てのは気持ちだとか好みだとか、性交でいえば肉体上のツボどころも各人でまったくちがうから、何回か関係していく上でようやく把握できてきて、全部把握したところでお互いを自由自在にイカすことができるように(心と体両方が通じ合う)、てのがふつうの流れかと思うんだが、こういう大事なポイントをなーんも勘案せずにただ人数こなしたってだけで悦に入ってたんだな。慈恵って野郎は。たくさんと薄く、よりもひとりと深く関わるほうがずうっと大事なんだよ。それを思いやりを至上とする仏教徒のくせにわかってないんだな。慈恵だけじゃなく、男子のほとんどが勘違いしてるのかもしらんが…。殿方は(特にちんこ付近を)物理的に刺激されただけで血流が増して勃つだろ。それが女だろうとミミズだろうと関係なく。でも、女てそうじゃないんすよ。誰が、どのように触れるかによって受ける感触が180°ちがうんです。技術どうこう以前に(ツボどころを押さえた触り方を熟知してるなら別だが)。性器=性感帯とは限らないし。琴線に触れたかどうか、心が動いたかどうか。要するに好きかどうかがめちゃくちゃ大事なんだよ。ミミズじゃだめなんだよ。心あるミミズならわからんが。エロ漫画とかリンク張ったバスタードに顕著なんだが、女たちが肉体上のおなじとこをおなじように触られてあんなよがるわけないんですよ。何回も書くけど、人によってツボどころも好みもまったくちがってるというのに、会って1発でそれがわかるなんてないでしょ?何回かしてアレコレ試してるうちに「この人はココをこうすると気持ちいいみたいだなあ」てのが把握できてきて、だんだんとお互いにとってのイイ交合にたどりつく流れがふつうなんだと思うが(性交でイッたことがないセックス貧乏なのでエラソーに言えた立場でもないんだが…)。性交だけじゃなく会話も同じで、どう展開させれば面白くなるかっつーツボどころが万人によってちがってるわけですよ。なんつーか、あらゆる局面を円滑に活かすには各々のツボどころを的確に押さえることに尽きるんじゃないかと思う。なにしろね、後醍醐帝の生まれ変わりが大昔からお子ちゃまセックスしかできなかったのを反映するかのごとく、今生では会話術すらもろくに磨けてないのですよ。カウンセリングでもライブでも、俺は霊能力ですべてを見抜いているのだとばかりにひたすら自説が正しいのだとまくしたてるばっかりで、相手の話しを聞こうとはしないのね。「俺には全部みえてんだからしゃべるな」とでもいわんばかりに。それを繰り返してきた結果、自分の着てる服が似合うかどうか、歌の実力がどうかも客観視することができない状態になってしまった、と。凄まじい霊能力を持っているのをいいことに、その他の能力を磨くのを完全に怠ってしまったんだね…。後醍醐帝の生まれ変わりさんさ、霊能力が無くなったとしたら今と同じように稼げる?今と変わらず人が集まると思う?あなたのライブにくるお客さんの大半が、霊能カウンセリングのついでやお情けできてくれたヒトばっかりでしょ。ほんとに歌手で立ちたいのなら、霊能力は置いといて純粋に歌だけで客寄せしなきゃ。結局あなたは霊能力にすがってばかりじゃないの。霊能力を手放すなんて、怖くてできないんでしょ。それを捨てるところからはじめないかぎり、あなたのほんとの才能はいつまでたっても出てこないし、磨いていくこともできないよ。あの世の階層の高いとこから来ただとか、霊能力がいかに強いかとか過去世がどーだとか対話すらろくにできない時点でなにひとつ意味ねーよな。対話のみですべてを解決する心屋さんのがずっと凄いと思うよ。後醍醐帝の生まれ変わりさんてさーカウンセリングで客が話し出すとイライラした調子で貧乏ゆすりはじめるんだぜ。幼稚園児かなんかなの?大人の男になれてないんだよね。今も昔も。人間としてまったく尊敬できない状態に陥ってるというのに霊的な階層が高いとか言われましてもねえ…。後醍醐帝の生まれ変わりさんさ、おいらが恋人や友人相手にカスだどうだと言うことが幼稚だって思ってるんでしょ。恋人や友人だからこそ事実を言わなきゃだめなんだよ。己が傷つくことを厭わず、相手が成長するために必要なことをいつも言う態度を貫くことこそが愛なんだよ。深い関係を築いた同士てのはお互いに手痛い事実を指摘し合っても友人でいられる間柄を保ってる状態なんだよ。神仏や夫人とずっと付き合っててつくづくそう思う。いつも本音だけだから、とっても風通しがいいんだよ。会ってて気持ちがいいの。