人間のもつエネルギーの80%くらいかけてやってると思う

・なんつーか…ある業界内で長い事ヌシ的に居座ってる人が「自分が支配下に置いている(と思い込んでる)」場所で、新参者なんかがヌシを差し置いて注目を集めたりすると、ヌシ的に居座ってる人がひそかに(他人にはわからないところで)激怒して新参者に嫌がらせしはじめたりすることがあるけど、そのヌシ的存在の嫌がらせ気質をこじらせまくって化け物レベルになっちゃったのが気に入らない人に眠剤入りシュークリーム食わせまくってた先生なんだろうね。ソシオパス化してる感が傍目からみてもひどい。こうなるまで発覚しづらいのはこの気質持ちが生涯をかけて敷いた真綿的な支配構造があるからなんだよねー。こういう人のまわりにいるヒトたちはというと、その人がヌシかどうかも認識してないうえ、その人から支配されてるなんて自覚すらまったく持ってないのよ。なんでかというと、自分をヌシと思い込んでる人は周囲のヒトから信頼を得るために「いい人」として振る舞う言動を常に心掛けてる=「支配」というネガティブな印象を消し去ることにめちゃくちゃ長けてるからなんだよね。自分の評判を悪くするような言動はぜったいにしないの。周囲をそれとわからせないように支配しづらくなるから。ものすごい労力を割いてその仕事に取り組んでる。件の逮捕された先生は病気ならば神経症的なもんだろうし、霊関連ならばキモいもんが取り憑いてる系くさいふうだけど、大元にはそういう気質があってのことだと思う。実はそういう気質の女子をリアルにひとり見知っているので手に取るように分析できました。その人はおいらをなんだか目の敵にしてて、同じ場で働くとなると必ずちょっかいだしてくるんだよね。なんか、くやしがらせようとしてるふうなんだよ。おいらとしてはあの場も業務に関してもすっげえどうでもいいので、毎度毎度なにを必死になってるんだろうと滑稽に思います。当日記で頻出する夫人ではありません念のため(夫人は突き抜けきってるからそんな気色悪いことはしない。ただ直球に傲慢で怒るとキー!!てなるだけ)。ちなみに前の会社のヒトではない。そこと商売上でのつながりのある場ではあるけれど。あすこはのんきな方がわりと多いけど、そういう陰湿さに気づいた人は近づかなくなったり、べつの集まりに加わってくようになるんだろうな。件の嫌がらせ先生もこの人同様に女子だし、字がキレーなとこなんかはちょっと木島佳苗的でもあるなあと思った。支配されてると自覚させずに支配してて、裏で快楽に打ち震えてるなんて実に陰湿だねえ。これは非力ゆえに狡猾な女子ならではの支配方法だな。
・そろそろ書くのもウンザリぎみの後醍醐帝の生まれ変わりの件ねえ、書いても書かなくても同様に嫌がらせ攻撃がつづくんなら全部かいとくわ。彼の霊能力以外の能力が育たなくなったのには「周囲に本音いう人がいない」て原因もあるんだけど、(多くに取り入るためにつくった)偽の人格である「愛され癒しキャラ」と本性の「セクハラオヤジ人格」があまりにかけ離れすぎてるのもわりと起因してると思う。つーか、なんで女好きじゃないようなフリする必要があんの?セクハラオヤジ、いいじゃないすか(そもそもどんなに隠してても男は全員チカンです)。梅沢富美男だのベルやんだの、女好きデヘデヘをむきだしにしてもふつうに仕事もしてるしそれなりに人望もあるしさ。むしろそうやって正直に本性をだしてるほうが信頼できるつーか、愛嬌もでてくるんだよね。逆にそのへんのセクハラオヤジ感をひた隠しにしてるほうが(キャラ落差も手伝って)気持ち悪い男に思われる可能性120%だと思うんですが。よく犯罪報道のご近所インタビューで出る「あんないい人がこんなことしでかすなんて…」的に白い目でみなされがちになっちゃうじゃん。んで後醍醐帝の生まれ変わりは偽人格である「愛され癒しキャラ」に基づいて歌もつくってるもんだから、さっぱり彼のよさが出てないわけ。嘘の人格でつくった歌だからほんとの才能なんか出てきっこないわね。見聞きしたヒトの心を動かすモノこそが優れた芸術作品とおいらは思ってるけど、そこからすると後醍醐帝の生まれ変わりが偽人格をもとにつくった歌にはそういう優れた要素がみじんもないのに、霊能で集めた客の女どもが涙ながしてありがたがってるからさ。なんだこれ…?頭おかしいカルトの群れ…?としか思えなかったんよ。つまるところさ、後醍醐帝の生まれ変わりは偽人格でつくったカスカスな歌程度で多くの客をだませるのだと思い込んでるってこったろ。客をバカにするのもいいかげんにしろと思った。いい作品つくるヒトはみんな恥ずかしさをのりこえて自分のほんとの部分を世にブチまけてんだよ。そこまでして売れなかったらどうするだあ?そんなこた知らねえがとにかく出さずにいれねぇつーのが芸術家だろ。自分をだすんだよ。ぜんぶさらけだして世にぶつけるの。おいらに手紙送られたときどう思った?どんな気持ちだった?殺意?憎悪?正直に紙にぶつければいい。そうしてぶつけて、その当時の気持ちをいちばん出せてると思ったもんを世に放つんだよ。俺はこんな気持ちだったんだと。どうやったら自分の抱いた感情を他人に伝えられるかって、考えたことがあるか?おそらく全然ないんだろう。偽の人格でそこそこうまい事こなせればいい程度に軽く考えてたんだろう。芸術をなめんな。傷だらけになって、それでも出したい、だれかに自分を知ってもらいたい強烈な欲求があるはずだ。そこから目をそらすんじゃない。その強烈な場所に向き合って、文字にして紙に叩きつける。それができるようになるまでの度胸をとりあえず持たなきゃ。がんばれよ。応援してる。どんなに霊能力や獣をとばして攻撃されてもそれは変わらない。あんたがほんとの自分をだせるようになるまで待ってるよ。「本気でやる」てのは「小手先で済まさない」てことだよ。売れようが売れまいが関係なく出したいモノのこと。100年かそれよかずっと先まで「自分がいた証」を世の中へ刻みつけるんだよ。自分がいた証、てのはどういうもんかというと、あんたの抱いた気持ちのことだよ。それは掛け値無しにあんた自信であって、だれにもまねのできない独自性なんだよ。
とりあえずさ、クチではきれいごと並べてるくせに、影で汚ねえことばっかしやってる腐った政治家と同レベルに気色悪いとこまできてるってのをまず自覚しような。持ってる霊能力はガチにずば抜けてるのに、それ以外があまりに成長しなさすぎで結果的に詐欺師が女をはべらかすカルト集団と同レベルになってしまうもんなんだな…。
余談だけど、獣霊て取り憑いてる人が寝たりして意識のないときに咬んだりひっかいたりすんですけども、そんときにつけた傷は獣霊が取り憑いてるあいだじゅうずっとついてるんですよね。咬んだときの状態のままでずっと傷がつき続けてるの。その傷をなくすには獣霊を取り去る以外に方法がないんだよな。傷つけてるのは獣霊でも、こんなかんじの痛みをとばした人が抱いてるってことでもあるのかなあと思って傷ぐあいを味わってみたりしてる。でもうっとうしくてヤだ。こういう操られて悪事やらかしてる獣とはべつに良い子の獣霊ちゃんとかいんだけど、霊のほうからはおいらにさわれるのに、おいらのほうからは獣霊にさわれないのが残念すぎる。ふかふかやモフモフのをなでられたらいいのにな。余談だけど、霊や肉体と傷の件でかなり面白いことが書けそうなので絶賛待機中なんだが、とりあえず今のアレがどう転ぶかでいつ書けるのかも決まりそうなふう。どうころぶかぜんぜんわからんでな。あと好き嫌いの件も。要素が多岐にわたりすぎでマンドクサげではあるけど、そこそこイイくさいのが書ける。はず。長ったらしく書けるかなーと思ってたら3行くらいですんじゃうこともたまにあって余談はゆるさんのだが。
『色々遊び方を工夫しているうちに、大歓喜自在童子は、本当は自分独りで遊んでいるのだと気がついても消えてしまわない仲間を創るというのは、どうやらとても難しいことらしいと気がついた。というのも、自分が気がついてもそのことに気がつかない相手を創るということは、自分の思うようにならない相手を創ることだからだ。
(中略)
とにかくその遊び仲間は、独自の遊び方をするはずだった。独自の道を歩むはずだった。いろんなふうに、思いもよらないやり方で。
 けれども、ただひとつこの遊びで肝心な点は、大歓喜自在童子の思うに任せない、大歓喜自在童子の思いからは独立した、本当の遊び仲間がいるということだった……。』
・上記『』内はここから抜粋したブツ。童子の件検索でお知らせくださってどもー>>どなたかー(赤)童子といえば摩陀羅さん両脇にいる童子がうたうとゆうシシリシニとソソロソニの歌、あれはチビッコがちんこちんこゆって大喜びするアレですかね。摩陀羅さんてワニマガジン快楽天編集部、てカンジかと思ってたんすけど、そこらへんからするとどうもでんじゃらすじーさん邪とか赤塚不二夫くさいふう。
道徳を授業化するんなら答えが簡単に出ないたぐいのフクザツな問題についてクラス内でさんざん話し合ってひねり出された結論を貼り出して違うクラス同士のを眺め合えばそれでいいんじゃないかと思うけど、どーしても「評価」つけたいんなら倫理学者や児童心理学の名著を丸暗記さして穴埋めテストさすくらいしか思いつかねえなあ。道徳といえば道徳に秘密保護法のコンボがなんかこわいて意見があって完全に同意。秘密保護法制定したい、てのは長い目でみて結果的に国家や市民のためになる告発かどうか、てのをちゃんと精査できる自信があってのことなんだろうか。ためになる告発をした人を厳罰に処したらいかんのですよ。イチ市民的にはsengoku38さんみたいなヒトは罰しないでほしいんだが、そこらへんはだいじょぶなようにつくってるんだろうか。市民からウルセーこと言われたくないって体制が高じたのが北朝鮮やなんかの締め付けがキツすぎる管理国家ですけど、市民を信頼しなさすぎると権力者は自分や国の現状を客観視できなくなって、結果的にキモい国に成り下がるんだよな。市民に本音いわさんてことは市民の才能を出させないも同然だから、自発的な創作(あらゆるモノづくり)の数も増えてかないだろうし。後醍醐帝の生まれ変わりについて書いたとこと根は同じに。だいたい「悪口いった奴は死刑」て、どんだけ意気地なし坊やなんだよ。打たれ弱い子すぎだろ。