部外者の意識でつくるとアニオタからソッポ向かれちゃうのかな

・前に満員電車ネタ取り上げた際に書くの忘れたんですけど、ラッシュのひどい駅の扉があく箇所に定点カメラ仕掛けて電車が到着してブワーって乗客が降りる場面を延々と撮り続ける映像って現代美術作品になるんじゃね。映像足りなかったら東南アジアの客が山盛りになってるバスとか船とかおさめとけばいいよ。あ…でも映ってる人ひとりひとりに許可とんなきゃいけないからできねーか。こっそりやってさっさとグッゲンハイムに売りつけちゃえばいいんじゃね?

愛子ちゃんジャッキーチェンに似てね?つうかそもそも親父がジャッキー顔なのか。紀子ちゃんが男うんだらとたんに愛子ちゃん天皇論が排除されたかのようにしずまりましたけど、おいら的にはいまだに愛子ちゃんがポンニ王になる方向がガチ。趣味(相撲好き)からナニ(デズニーランドで着ぐるみにおびえて終始なつかない)から真向きすぎる心根だし。でもまー天皇なんざなってもニコニコしてあたりさわりのない言動以外できない息苦しい生活しかおくれなくなるからそこそこ自由にふるまえる地位のが愛子ちゃんにとってはいいか。愛子ちゃんびいきの理由として愛子ちゃんのシッカリしてそうな人格以外に秋篠宮が嫌いというアレもあるにはあります。前に誰かからの受け売りまんまな意見をさも自分でひねりだしたかのようにすっげえ偉そうに披露してる場面がテレビで流れてて(それが何のニュースだったか忘れたけどなんか世の中を騒がしてたネタだったことはたしか)、なんとなく芯のない典型的ちゃらんぽらん男なんだなーという印象が強かったので。特に責任の重くないあのポジションにいたら去勢されてあたりまえだけどさ。素行としてもタイで女遊びしまくってるらしいし。芯のあるなしでは雅子ちゃんの旦那のほうがぜんぜん男らしいと思う(あれが宮中での男度の限界だろう)。秋篠宮って平民だったらヒモになってそう。あくまでイメージですが。

・昨日はこれ少女革命ウテナの劇場版みてきたり。前になんとなく原作の文庫版全巻買いしてたんでちょっと気になっていってみた。見始めは顔面の半分くらいあるでかすぎる眼描写にウッとなりましたが、みてるうちに気にならなくはなった。このウテナっつー話は基本的に少女が自立するまでの話で、原作ではウテナ(名前に意味あり)というキャラは王子様を追い求めるあまりに自分が王子様のような風体になってる女子で、王子様の手がかりを追い求めてある学園に編入することになるんですが、そこではどんな願いもかなうという空の城へいくための鍵的な存在である姫宮アンシーという女子を決闘によって獲得するシステムがあって、バラの指輪をもつ者だけがその決闘に参加できるというもの。一見このウテナという子が主人公のようにみえるんですが実は決闘でやりとりされるアンシーという子の自立までの物語っぽいアレ。この女子は決闘による勝者の意のままにされることに慣れきっていて自己意思のない人形のようにふるまってるんですが、勝者になったウテナに獲得されて、はじめて人間らしい扱いをされて徐々に自立していくという。なんというか真にちから(願いをかなえる城)や姫君を手にするにふさわしい人間とはどういうものであるかという、おとぎばなしの根幹を掘り下げて少女への応援歌に仕立てあげたみたいな物語ですよ。決闘に参加する男とかはただ力づくで手にいれりゃいいんだろ、みたいなふうに姫宮アンシーを勝ち取って娼婦のように乱暴に扱うんですが、それでは城への道は開かれない。いくら決闘に勝とうと、姫を抱こうと、真にふさわしい度量を備えていなければなにも手にすることができないのだ。そのような者が現れてはじめて姫宮アンシーも真の姫になることができる。「少女革命」というのはそのへんのを表したアレ。原作ではこのへんが基本になってて、今回みた映画版では後半で突然カーレースものになってしまう変わりダネ作品になってた。ウテナが車に変形させられてそれをアンシーが運転してその世界を打ち破って出て行くという展開。ラストはなぜかウテナとアンシーがチューして百合くさいっつーか同人誌的に大喜びな終わり方ですが、つうかウテナが民放で放映されてたリアルタイムにエロ同人誌でそういうのがかなり出てたっぽいですけど、ウテナとアンシーがエロ展開になっちゃったら学園でぬくぬくしてる革命できない連中と同じになっちゃうんでだめだろ。や、自立への力が合わさった的なメタファーとしてならいいんでしょうけど、原作の城へ消えたウテナを追ってアンシーが王子様みたいになるオチから考えると、あのふたりが合体しちゃうとそこで話が完結しちゃうし。ウテナとアンシーのエロ画監督GJってわかるけどさ…。なんか納得いかん。あと機械仕掛けの学園の骨董的なつくりと近未来的メカのビジュアルアート面がなんかどっちもはっきり美術傾向の定まってないような描き方で、あの近未来っぽいのと古びたのの美術面の落差が強ければもっと面白い作品になったろうにな。監督さんの美術的素養の薄さがちょっとみえてしまった。「近未来っぽいの」とか「昔っぽいの」みたいに雰囲気だけであいまいに描かれたものを見せられても客としてはつまんないんだよなあ。ビジュアル的な落差感も薄いし。造形とか世界観に強烈なこだわりがないんだったら特定のアーチストの既存イメージをバンバンぶっこんだりしたほうがビジュアル的にみごたえがあるのができそうな気がするけど。影絵挿絵みたいなのもあったけどさ、どっかでみたことあるやつ程度でびっくりするようなきれいさとか仕掛けまでいってなくて、どれもトハンパな描写なんだよな。やろうとしてることはわかるしがんばってるなーとは思うんですが驚くようなもんがなくて惜しい。こういうアニメの監督さんというのはコアなアニオタを喜ばせばそれで終わりっつー意識なんだろうか。

・そういえば一昨日映画みた帰りの夜9時頃に地元の駅の改札のとこで夏目漱石の孫だとかいう人が高島平に忘れた何かのことで駅員を脅しつけてた。なんか上下灰色の軍服みたいの着てた。