パティスミス鼻の下がうっすらヒゲヅラだった

昨日はメイプルソープとコレクター(ライズX)→チャーリーバートレットの男子トイレ相談室(ヒューマントラストシネマ文化村[へんな名前)→ストレンジャーズ戦慄の訪問者(えぬ)→ザ・バンク堕ちた巨像(シネパレス)で、メイプルソープとコレクターはそれぞれホモの青年写真家と性癖を抑圧しつづけてきた収集家兼学芸員が出会うやいなやお互いにむさぼりあったり遊び歩いたりした挙げ句エイズで死んでいく実話。メイプルソープが有名になるに従ってご乱交も激しくなってくふうな流れなんですけど、その後すぐに同じとこで遊んでたアーチストたちがエイズでバンバン死んでいった画面になってちょっと笑った。あきらかにおまえらやりすぎとしか。自分からクソ穴もといガス室に突入していたのか。そういう意味ならアートですが。なんか彼らと親交のあった人のインタビューがわりと差し挟まれてて、作家っぽい人がメイプルソープはあくまでワグスタッフの資産目当てで愛なんかなかった、みたいにしきりにいうし、最後のほうでワグスタッフの遺産を相続したメイプルソープがコレクション売却時にいっさいワグスタッフの名を出さないことでも資産目当てであることが強調されるふうなつくりでしたけど、カネ抜きでの愛は出会った頃からふつうにあったんじゃないすかね。遺産関係でワグスタッフのクレジットを拒んだのはメイプルソープよりもずば抜けた審美眼や才能をもっていたことに対するワグスタッフへのささやかな嫉妬心からなのでは。批評って文句ばっかタレやがって、みたいにいわれるけど、作り手だってクチにこそ出さないけど心のなかであらゆるものに対して批評しまくってんだよね。それは他人のつくったものだけじゃなく、自分独自のものを作る際にも不要な部分を切り落として洗練させていくためには自己に対する批評がなければできないから。作り手はそうして作ったものによって答えを提示するから他者への批評をわざわざいう必要はないけど、批評という才能をもって生まれた人間は作り手としての才能は持ってないのであくまで批評そのもので提示するしかない。批評者は自発的に生み出すことができないかわりにあらゆる多くのものの本質に触れてまわることができる。作り手は自発的にこの世にひとつとない自分自身の欲望を投影してつくりだすことができるかわりにつねに自分を切り離すことができず、ある限定された世界からでることができない。互いにある面が飢えていて、いくらむさぼってもそれは満たされることがない。ワグスタッフのような優れたキュレーターはいまはいないと映画中で言われてたけれど、永遠に満たされることのない性癖を抱えてなおかつそれを満たしうる作品だけを選びとるという一生をそれに費やす覚悟のある人なんかいなくてあたりまえだと思う。たいていは「仕事」としてやってるんだろうし。ワグスタッフは快楽と直結させてたからこそ厳しいそぎ落としと洗練ができてたんじゃないんすかね。「仕事」をやる人が陥りがちな、だれそれが撮ったからだの美術史的にどうのとかの後付けのゴタクよりも自分が感じないものはすべてはねるわりにちゃんとビジネスのほうの勘も備えてるふうな、繊細と野蛮が共存してる人だったんだろな。
ちなみにパンフ買ったらこの写真が両面にでっかく印刷されたでかい紙袋を渡されて持ち歩きながらガチホモ2人組の紙袋さげてる女の子って(赤)とかちょっと恥じらった。パンフ売り場ではメイプルソープのフラワーズが売りきれてた。花撮るんだったら裸もおなじだろうがアァン?てわかりますけど、ガチムチホモ裸体とかってみろこの俺様の恥部を!!みたいな出したい見せたいが全面に出過ぎなせいかえげつないが全面に出ちゃってな。花や女みたいな欲望があんましでないもんのが品の良さとエロさむきだし感のバランスが絶妙ですばらしい。自分の性癖ど真ん中なものを撮ろうとするとつい興奮しすぎちゃうんだろうな。
チャーリーバートレットは人との関係の糸口がいまいちつかめない金持ちのお坊ちゃんが、私立校にはいるたんびに違法物品売買で大人気になる&バレて退学をくりかえしてて、さすがにいくとこがなくなって地元の公立校に行くことになるスジ。いつもはリムジン登校なんですけど、そういうセレブまるだしなことしてると引かれるんで、バス通いにするも出で立ちがお堅い私立校制服着てたりして笑われたり殴られたりする。心配したセレブ母が呼びつけた精神科医からてきとうにリタリンもらってのんだらハッスルすることを発見し、翌日いじめっこをよんでちょっと商売しね?てやってみたらバカ売れし、リタリンのんでひとしきりどんちゃん騒ぎした生徒達は次の日チャーリーに一目置くようになっている。あるとき気弱っぽい生徒からトイレ内でヤク売買兼体調相談を請け負ったのに味をしめて、人生相談とセットでヤク売買を思いつく。これが大当たりで相談室と化した男子トイレ前は行列ができる始末。相談者がマジで精神的な病気っぽい場合は相談者がいってたまんまの言葉や症状をセレブ母が呼びつけた精神科医の前でいうとそれを治すための薬を処方してくれるので、まんま相談者に売りつける。気になってた彼女ともけっこうイイ仲に。この彼女の父親がこの学校の校長で…みたいな話。校長がロバートダウニージュニアでつらいことがあるとすぐ飲んだくれになるんですが、酔っぱらい加減がなぜかとても説得力があります。チャーリーバートレットがこの学校にきて以来いろいろ起こる上自分の娘までとられちゃいそうなので荒れます。話をちゃんと聞いてほしいのとほっといてほしいが同居する十代のコと、面と向かいあってろくに話をせず頭ごなしにコントロールしようとするくせに人生うまくいってないおとなとの軋轢みたいな。チャーリーは父さんがいないために自分がよけいしっかりしなきゃ、みたいなところからしっかりしすぎて売人になっちゃったとかなんすかね。
ザ・バンクは犯罪組織や紛争国への武器売買のための金の融通だの出所不明にしたりだの、やばい世界の金の流れを大々的に取り仕切ってたワル銀行(実際にあったとこらしい)がらみの話で、過去にこの銀行を挙げるべく捜査してて妨害にあって手を引かざるをえなかったオーウェンが再びこの銀行を挙げるべくナオミワッツと奮闘するスジなんですけど、とにかく銀行側が自分らに不利なネタを握りつぶしまくるんですが、中盤でその銀行側が放った刺客とのけっこうな銃撃戦があって、それはグッゲンハイム美術館のなかでのドンパチ(あの場面で流れてる映像作品て特定の作家のなの?それとも映画用にスタッフがつくった?)で目撃者もいっぱいいて負傷者や死傷者もバンバンでるのに握りつぶせんのか!すげえIBBCすげえ!クライブオーウェンてでる映画ぜんぶ銃撃戦ありますね。グッゲンハイムでの撃ち合いで相手の受けた傷に指つっこむプチ拷問シーンいたそうだった。オーウェンがもう病的なほどにIBBCを挙げることに妄執かけて挑んでるんですけど、過去に妨害されたとはいえ寝食も忘れて入れ込みすぎるありさまもなんかよかった。理由はよくわからんけどああいうハードボイルドなキャラクタひさしぶり。そうそう、あと高橋諭治さんがパンフで書いてたんですけど、建物の雰囲気もちゃんとスジに沿ったふうな撮り方やビジュアルになってるとか(敵のアジトである建物が表層だけガラス張りで透明にみせかけてるのに内側はドロドロ、相手のいる建物の巨大さとオーウェンのちっぽけさ、インターポール内の古めかしさとかアナログさを対比させる)で、そこらへんからすると銃撃戦が行われるグッゲンハイム内部のあの螺旋状のつくりはいくら捜査してもどうどうめぐりとか、どんなにやっても解決にはならないみたいなことの暗示的なつくりをしてるってことなんすかね。なんかわかりやすい監督さんだなあ。大きいもののビジュアル重視なとこが。画面構成の捉え方がドイツ表現主義みたい。インターポールのほうの汗まみれな捜査感がよけいオーウェンを古くさい探偵小説の主人公みたいにみせてるのかな。なんか骨太な監督さんだ。
ストレンジャーズはいざこざあったカッポーが突然お面かぶった殺人鬼に襲われる話。まだ襲われてない朝の4時ごろに突然玄関ドアをバンバン叩く人がきて、でてみると女なんですけど、…タマラはいる?…とか意味わからないことを聞いて来るんでいないというとかき消えるように突然どっかいっちゃって、リブタイラーにフラれた男が気分転換に車で出て行ったあとにまたドアをバンバン叩かれるうえ、その叩き方が尋常じゃなくなっていろいろゴタスタしてるうちにさっきまでここにあったものが別の場所に移動させられてたり、窓にこんちわこんちわ書いてあったりして怯えはじめるリブタイラー。リブタイラーの目線の届かないところにフゥ…ッとずたぼろの布マスクをした人影があらわれては消えたり、そのテの出そうで出ない的なやりくちが頻発しすぎてやきもきします。襲ってくる人は計3人いて、か弱いリブタイラーのすぐ背後に何回もあらわれるのにじっとみたまま何もせずすぐ姿を隠しますし。なんかこうすぐにでも殺せるのになぜかやらないんですよね。でも最後は結局ころすんですけど、それがちゃんと椅子に座らせてあらためて向き直らせて3人が素顔をみせるんですが、あそこまでやることになんかの意味があるんですかね。この3人が何を目的にしてるのかがさっぱりわからないのでブキミ。最初にたずねてくる妙な女といい、全体的にちょっと都市伝説風味なスラッシャーものです。