「物事から目を逸らす」ことが良き道徳観だと思っているひとたちへ

『「リトル・ランボーズ」は、監督のガース・ジェニングスによる全身全霊の一本である。なぜならこのストーリーは、彼自身の想い出がベースになっているのだ。
 彼は少年時代、友人たちとホームムービーを作っていた。きっかけになったのは、シルベスター・スタローン主演、テッド・コッチェフ監督のハリウッド製アクション映画「ランボー」(82)の海賊版コピーだ。それを観た時の衝撃をガースはこう語っている。
 「ランボーの勇姿は僕たちの小さな心を吹き飛ばした。彼は崖から飛んだり、腕の傷を自分で縫い合わせたり、自分一人で軍隊をやっつけることのできる超人。ベトナム戦争のことは僕らの頭上を通り越し、そこにいるのは、素手で世界と対決する一人の男だったんだ!」』(リトルランボーズ パンフレット PRODUCTION NOTEより抜粋)
 
リトルランボーズ(21日。シネクイント)→義兄弟(シネマート新宿)→黒く濁る村(シネマスクエアとうきゅう)→贋作(23日。有楽町朝日ホール)→ビーデビルド(有楽町朝日ホール)→アンチガススキン(日劇)とみまして、リトルランボーズは少年ふたりが映画館で隠し撮りした暴力的な映画をみて自分たちも映画づくりをはじめるものですが、石原慎太郎を筆頭とした自民党公明党、彼らと手を結びたいと思っている民主党の議員たちが「違法行為」を描写した漫画規制しようとしていますけど、この規制が通ってしまえば「映画の隠し撮り」「暴力的」といった要素が物語の根幹に据えられているというだけで、どんな漫画であろうと一定の年齢以下の人たちは公でみることができなくなってしまいます。それどころか「違法行為をして大成した人間は認めない」ということになる。この表現方法に対する規制は日本でつくられる漫画に課される規制ですが、リトルランボーズがもしも漫画であったら、リトルランボーズをつくった人は石原慎太郎自民党公明党からすれば「存在してはならない人」になるのでしょうか。
漫画表現を規制しようと思っている議員さん、あなたは「性的に行き過ぎた表現」を幼い子供の目に触れさせないため、と、あくまで善意によって規制に賛同しているのでしょう。その善意は市民への不信が基底となっていることに気づいてください。「行き過ぎた性表現による影響を上回る教育を親はできないだろう」「行き過ぎた性表現をみた子供は道を踏み外すだろう」、だから権力がみえなくしてやるんだ、という市民の意志や可能性を根こそぎ切り捨てる弾圧行為です。現実には性犯罪は年々減少しているにも関わらず、なぜそのような市民努力をないがしろにする弾圧を正義や善かのように思い込んでいるのでしょうか。それは良き権力者の采配とは到底思えません。市民を信じられない権力者を、市民が信じることができるでしょうか。
先に書いたような年齢による鑑賞規制はすでに映画には課されており、特定の年齢以下の人たちはみることができないようになっています。ですが、その年齢規制は本当に子供たちのためになっているでしょうか?そういう年齢規制がかけられた作品も、ビデオやDVDになってしまえば、何歳の人間であろうと家のテレビで自由にみることができます。年齢規制のされた映画や漫画に本当に人間性を歪めるような影響があるのであれば、家のテレビでみるビデオやDVDも規制されていなければならないはず。なのに、そこまでの規制はされません。なぜなら規制された作品を何歳の人がみたところでほんとうはなんの悪影響もないからです。なのになぜ「映画館でみることが悪影響」で「家でみるのは悪影響でない」という状態になってしまったのか。それは「子供が親の意に反することをしたのは今みた映画のせい」という親の難癖から映画館や配給会社が身を守るため、ということが原因でしょう。親は自分のせいにしたくないがため、映画館はそういう親から責任をなすりつけられることを避けたいがため、様々な表現に触れる機会を子供から奪っているのです。この規制でいちばん損をしているのは子供です。まだ映画の年齢制限がなかったころにたくさんの映画をみて育った人たちが今さまざまな世界で活躍しています。その人たちはもしも子供のころに映画を観なかったら、いまの活躍もなかったかもしれません。漫画にも同じことが言えます。さまざまな人が漫画と共に才能を育み、心の糧にしたことをまるで無視して、石原慎太郎自民党公明党は映画と同じく漫画を子供から取り上げようとしています。子供の頃に性や暴力の映画や漫画をみて才能を育んだ人は、自民党公明党からしたら「いてはいけない人」なのでしょうか。その基準からすると強姦小説を書いて今の地位への足がかりにした石原慎太郎はいてはいけない人になりますね。映画の年齢制限のように、いちど規制が取り入れられてしまえばそれは取り去るまでにとても長い年月を要します。実際には役に立ってすらいないことなのに、それに反対する人間をまるで悪かのように見なしかねない間違った規制は即刻撤廃すべきです。ひどい表現のある作品については、子供たちに注意書きを読ませることを義務づけるだけで実際には充分なはずです。たまにそういう作品をまねてバカなことをしてしまうかもしれないけれど、それは家族の躾の如何であって、そういった市民努力を通り越して規制ありきというのは乱暴すぎる。道徳は親が子に教えるもので、国家や政治家が押し付けるものではありません。年齢差別による規制は子供の可能性を阻む悪法です。 漫画や映画、あらゆる創作物に年齢制限は必要がありません。
とりあえず陳情先のせときます。おいらもした。
 
『ゴードン・スチュワート・ノースコットは雪男で有名なカナダのサスカッチワンで生まれた。彼は母親のサラ・ルイーズに溺愛され、幼少時は女の子の服装と髪型をさせられ、人形で遊ぶように命令されて育った。そのせいか、彼は繊細な青年になった。シェイクスピアを好んで読み、クラシックやジャズのピアノ演奏を得意とした。近所でとても仲良くしていた少年の一家が東海岸に移住した時には泣きながら得意のピアノで”Song of the Songs”の弾き語りを続けたという。
 しかしゴードンは、父親のジョージから性的虐待を受けたとも主張している。女装させられ、父親に犯される異様な生活で体のバランスを壊したのか、彼は思春期になると全身に濃い体毛が生えるという先祖帰りを発症した。また、幼い男児に激しい性的欲望を覚えるようになった。』(いつだかの映画秘宝のp.20より)
アンチガススキンはガスマスク着用した人殺し集団に怯える知事選直前のおっさんと、彼らを「悪」と定めて倒そうとする正義の味方きどりのにーちゃんと、彼らに殺されたくて殺害現場めぐりしてる若者サークルといった3者各々の「審判の日」までの足取りを追うもので、人殺し集団はなぜか青い衣服を着てるヒトばかり殺すんで自殺願望の若者たちは青い服着て徘徊してるし、あきらかに知事選前の夫を嫌ってるとおぼしき奥さんが夫に青いネクタイつけるし、正義の味方きどりのにーちゃんはスーパーマン好きでたまたまコスが青いしとそれぞれちゃんと青を身にまとっているにも関わらず、当の人殺しガスマスク集団からは相手にされることなく3者共放置プレーされるスジ。知事選直前のおっさんは殺されることにいつも怯えてるんですけど、ラストで自分以外の全員が死んじゃってだれからも相手にされなくなるんでまあ自分だけしぬのとあまり変わりませんな。市民がいなかったら知事もクソもねーし。主役と思しき自殺サークルのリーダー的存在の女子高生はなんか顔面に濃い毛が生えてるんですが、この子が幼少期にガスマスクの殺し屋が自分の両親を殺したところを目撃してしまって、そのときに受けた心の傷が顔面毛だらけの原因っぽいんですけど、幼少期の少女が向かう先々でガスマスクの人殺しがなぜか殺しを見せつけてくるようにしてつきまとってきたときがあって、はっきりとは描写されないんですけど、どうやら少女の無意識下ではガスマスク人殺しがつけまわしてくる恐怖にずっと駆られていて、その恐怖から逃れたいがために自殺願望になってしまってるのカナ?みたいなカンジのラストでした。正義の味方きどりのにーちゃんは「悪」を倒すのが目的じゃなく、ただ自分が目立ちたいだけなんで真の超人に出くわしたと思うやいなや崩壊しちゃうし。3者とも市民が大量死してるなかで生き残ったというありがたみを感じるヒマすらないほどに自分の欲求を満たすことばかり考えているがゆえに、いつまでたっても心の渇望が満たされないという。
ビーデビルドは犯罪目撃してもしらんぷりするわ仕事でかわいそうな客から融資せがまれても無下に一蹴するわと心が鬼の美人さんが主役で、その非道行為から派生した疑心暗鬼的心根によってしでかした職場でのヘマが原因で上司から休暇名目の謹慎させられて、その休暇中にラジオで故郷の話を耳にしたことからなにげなく帰郷してみるスジなんですが、故郷の島には9人しか暮らしてなくて、しかもその9人のうち6人はおばさんと若い女と子供、ほか3人は男(だっけ)で、若い女は子供のころに主人公とよく遊んでた間柄だったんですが、島ではなぜかその若い女だけがまるで奴隷かのように強制労働をさせられつつ暴行をされる暮らしをおくっていて、ババア連中と男たちからいいようにもてあそばれてさえも従順だったのが、ある事件を境にブチキレる展開です。年寄りの男もいるんですけど、いかにも腑抜け感あふれる惚けた表情でそこらへんに生えてる葉っぱを始終もしゃもしゃ食べてて、完全な草食系男子でした。そんで奴隷扱いされてる女の人が完全な被害者のひどい事件がおきて、その光景を主人公もちょうど目撃したにも関わらずなぜか「みてない」の1点張りで幼馴染みを容赦なく切り捨ててしまい、そうして信じるものをすべて失ったとき、その若い女は奴隷労働中に太陽に教えられて大報復へとむかうわけです。「閉鎖社会を暴く話」で抜け出すカタルシスをより増幅さす事を軸にしたつくりなせいか、金田一さん的な陰惨さには欠けててなんかむしろカラッとしてます。結果的に求めるのが愛情だけだし。若い女がなぜ夫から暴行されるのかという理由もクライマックスで出るんですけど、その血まみれで若い女が夫を性的に懐柔しつつ惨殺するシーンはもうエロス&タナトスがからみつく今年いちばんのエログロでございましたよ。あのシーンほど死と性がねぶりあって体現してる中のおんなシーンはないよ。そんで最後の最後で主人公はようやくこの幼馴染みの若い女が自分をずっと慕っていて、その気持ちがあったからこそ奴隷扱いされても生きてこられたことを知ってようやく改心するんですけど、つーかあんたは大量殺戮を目にしないと改心しないほどの鬼畜なのかよ。むしろそうなった原因のがしりたいよ。つーわけで主人公の後先考えない非道さの理由が描かれてなかったあたりが消化不良な気もします。奴隷扱いの若い女は心根とかがしっかり描かれるのに、主人公がなに考えてるか全然わからんのですよね。主人公の非道ななりふりが地獄を生み出す契機になるほど重要な役回りなのにも関わらず、背景とかくわしいことがさっぱり描かれないんよ。あと、主人公と若い女の関わりぐあいがちょびっとレズビアン風味。ふたりして男を殺せばままジェンティレスキ絵だなーと思ったけどそういう画ヅラにはならず。そういえばこの映画に出てたベテラン女優さんが上映終了後に壇上に出てきてたんですけど、上下濃いピンクのスーツに長い首飾りつけてて、その飾りが照明があたってやたらビカビカ光って成金感がすごかった。ひとむかし前のお金持ちなんだなって思った。劇中の田舎の素朴おばさん役との落差がすごかった。そういえば上映後のトークで監督さんが、この映画は実際におきた事件(隣家の子を長い事レイプしてたおっさんが成長した子供に惨殺された+輪姦された被害女性がなぜか加害者にされて街から追放された)をいろいろまぜこんでつくったとかで、なにしろ傍観者がいちばん悪いということを言いたかったそうなんですが、なら傍観してしまう側の理由も描くべきだったのでは。
黒く濁る村は詐欺師ふたりにさんざん利用され操られ滅び、再び女の手で再生する村の話。ここでも閉鎖的村社会と男たちの性欲を一手に引き受けるひとりの女と葉っぱをなまでくう草食男子の害悪設定がでてきます。閉鎖社会を打ち破る的な題材がいまの韓国ではトレンドなのかしら。当初は主人公の父親はそれなりに善人なのかなーと思ったら自分の思い通りにならない相手を殺そうとしたりして、妄執に駆られた単なるカルト教祖なのね。しかし皆殺しにして土地奪うってすげえなあ。でもラストのクライマックスらへんはなんだかモタついてた気も。服着るから出てけ!て言われてのこのこ出てっちゃだめでしょ。大事件の主犯なのに。あの検事さんは敏腕なのかマヌケなのかようわからんな。あとあんまし関係ないですけど、韓国って庭に板の間だしてピクニックみたいにごはんたべんのな。最後のサンゲタンおいしそうだったから食べてからにすればよかったのに。あのとろっとしたトリスープ好物です。主人公の父親が存命中に、刑務所長だか刑事だかの部屋でふるまわれてた牛肉スープみたいのも食べたかったです。アンチガススキンの愛人宅の食卓に並んでたいろんなチマチマした漬け物とかもいちいちおいしそうでした。こまる。
贋作はふたりの中年男女がデートしてるうちに男女間の普遍的な問題をすべて出してく的な話。決まったスジはなくて「男女関係における典型的展開」をおばさんとおっさんがぶつけあう系で、最初は「はじめましてーよろしくー」なふたりだったのが会話重ねるうちにいつのまにか「数ヶ月のごぶさた明けの夜だったのに即居眠りこくなんてどういう神経なの!」「お前だって子供乗せて運転中にガーガー寝ただろ!」みたいな何十年連れ添った夫婦の熟年離婚危機的な光景になっててにゃにがにゃんだか。みてるほうとしても最初は「もうあんたら結婚しちゃえよ!」だったのがラストにむかうにつれて「もうあんたら離婚しちゃえよ!」みたいな心境になるのでフクザツです。あのふたり頭おかしい。「出会いたて→古夫婦」の間柄になる転換点としてサ店でイタリア人のおばさんが女のほうに夫婦存続指南みたいの(男は働きすぎるか浮気するかのどっちかの生物なんだよ、的な話)するシーンがあるんですけど、あのおばさんのセリフから察するに、監督さん的には「おんながおとなしくしてりゃーまるくおさまるんだよ」てことなのかしら。ところでタミ監督の作品て母国ではいっさい公開されてないんですってね。かわいそうにな。国民の才能ひとつ活かせないなんて遅れた母国だよ。




あと2作の感想は近日中にカキます。どっちもよい作品でしたのでちゃんと書きたい。