特別感演出でぼんやり光らすの禁止

・日本は永久に俺の属国なんだから自尊感情なんか持つんじゃねえ、みんなの利益のためにいっちょまえに意見なんか持つんじゃねえてのが日本に対するアメリカンの本音なんだね。それ前提にしながら自分の意見の重要さを教えろとか言われましても…。自分の意見の重要さがわかったところでクチにだすと「てめえは黙ってろ」て怒鳴られて、その命令に従わないと極右あつかいすんでしょ。少数の邪魔者の意見は踏みにじられるが善行とされてる世界観なんすねー。
完全に能力のみの評価にすることでつながりが生まれてくから職を失う心配はない(=1カ所にしがみつくのは不健全だからやめやがれ)てのは研究職みたいな高給取りさんにはいいかもしらんけど、弁当屋のおばちゃん的なヒトには適用できない気がするが。いかな効率良くコロッケ揚げるからって、引き抜いて給料高くしたらコロッケの単価高くせざるをえないじゃん。それと性質からしぜんと提供されたちょっとした気遣いや優しさ的サービスって、お客さんにとって心地よくても「能力」として厳密に評価するのは難しいんじゃないのかなー。そういうことが得意な人をどうするか、てのをリンクした文書いてる人はまったく考えてないようにみえるんだが。そこをちゃんと評価してくれるのがブルーカラー的な労働環境にあるヒトにとってはすごく嬉しいんだよね。これからもずっとここで働こう、て気持ちがわくんだよ。ばんどう太郎のような経営体制のとこが他にもたくさん増えてけば能力いかんで引き抜き、とかもあるやもしらんけど、そうするとリンクした文書いてる人のいう「1カ所にしがみつくな」てのとは真逆になるよね(ばんどう太郎の経営体制は社員や取引先をすごく大切にする=ずっと居てもらう、て方針なので)。なんか…高給取り業界にだけ通用することばっかし是とする人てどうも個人主義至上で家族嫌いなかんじの方が多いようにみえるんだが(ちなみにルドルフヘスは家族に愛情を持てなかったらしい)、そういう人て孤独で生きていける人なんすかね…。なんか超人とかなの?わし、伴侶とか家族がいないと多分バランス崩しちゃう弱い人なのでそういうマッチョなのについていけない。家族嫌いの人の論理て、介護や家事・育児なんかの屋内労働を「マイナスの人生経験」て見なしてるふうなんだよな。それだって立派な人生経験だろうがよ。そうすると仕事で社会的に成功するだけが「プラスの人生経験」てことなんだろうか。自営業の家で長年暮らしてるんでそこらへんを切り離して考えるノリがぜんぜんわからん。あと家族嫌いさんは祭礼昔ながらの神仏的な存在が嫌いふうなのもなんかな…。なんで忌避すんのかなー。廃仏毀釈的なノリにつながってるようにしか思えないんだけど。
会田誠展「もう俺には何も期待するな」(21日。MIZUMA ART GALLERY)→ネオ.ダダ新作展 2013-2014(ギャラリー58)→釈迦(神保町シアター)とみまして、ギャラリー58のはそうは銘打ってはいないのだけど、なんとなく麻薬中毒者の世界観を思わすのが中心だったような。そこらへんは吉野辰海さんや篠原有司男さん作品に顕著で、吉野さん作品は幼児体系の人体に萎びた巨大なピンクの象の頭がくっついてる人形と絵が中心なんですけど、絵だとその周囲にみょうに明るい黄色が塗られてて、底抜けに明るい雰囲気なんすよ。未熟な身体感覚のまま、思考だけが異形化してしまっているのに、当人は肥大した脳内で快楽を始終貪ってるからとってもシアワセそうなんですよね。肥大した象さん頭部だけならまだしも、なんだかその頭部にトリや獣の骨なんかが寄り集まって取り憑いてしまっていて、もぐりこんだりなんだりして更にわけがわからないかんじになってるふう。しかもコレ生まれたあとになったのならまだしも、どうも骨からつながってるので生まれつき、てことなのかしら。この異形は死んで骨になっても他人に取り憑いて異形化させてまわっては、肥大した脳内で快楽をむさぼり続けるのかもしらん。快楽をひたすら貪りはじめたら、ヒトはどういう末路をたどるのか?てのが表されてる感。ほかには「screw 唐辛子犬に視る」ていう、まだ青い唐辛子の体から、先っぽの赤く熟しはじめた頭部が犬となってニュルっとでてきたふうな作品があって、それがちょっと面白かった。噛み合うことのない頭部と肉体、てのを主題にしてるヒトなのかな。思考と肉体感覚のズレをままわかりやすい形でつくってるふうな。篠原さんのはヤク中のサイケ幻覚というか、誰も欲しがらない混沌をむきだしにした筆致なんすね。ウサギとカエルがお雛様的なモノに三色餅持ち寄ってる題の絵があるんだが、ちっとも心温まる場面じゃなくて、なんかこう…劇画的なギ音が似合いそうな凄絶な筆致で描かれてるのよ。おひなさまぁぁぁぁ!!!ズシャアァァァ(※フツーに歩いてる場面)餅!!!みたいなかんじで。使ってる色も蛍光色中心でギトギトだし。ここで使われてる色ってひとつひとつは綺麗なのに、共通言語的な「法則」がまったく見出されないふうに使われてると、まるで生ゴミを発見したかのようにたちまち見向きもされなくなってしまうんですよね。なんというか、打ち捨てられて怨霊化した激しいエネルギーを思わせるっていうかね…。ほんのちょっと共通言語的配置をするだけで祝祭にもなり得るのに、篠原さんは真の自由(=共感を求めない)を選んだので鑑賞者はおもに不快感しか感じられず、正視しようってヒトはそうはいないであろう。わしは15分ほどじっくりしましたが。どんなにみても理解できない。本来的に他者の頭んなかってのはそういうもんなんであろう。基本的にどんな場面であろうと過剰にしか受け取れないヒトなのかもしらん(笑)この線でなければならない、ていう衝動が篠原さんの中にあるっていうことだけはなんとなくわかった。田中信太郎さんのは篠原さんとは真逆で、ちっさいひそかな存在を表したふうな作品だった。自然ブツの上にのっけられた人工物(真鍮製)の塊が、だれもみてない片隅でそっと音をたてているふうな。ほんのすこし大きさのちがう円錐ふたつの先っぽがそっと触れ合う瞬間だったり、かたい正方形と思っていたモノがふとほどけて平面になってゆく瞬間だとか、硬質な楕円の中央に開いた穴から風がひそやかに吹き抜ける瞬間だとか、そういう「誰も気にしてないのだけど確かに存在する」たぐいのモノ。大きな大理石の楕円が、小さな木の楕円とそっとくっついたふうなやわらかな出会いを思わすのもよかった。赤瀬川さんのは淡々と日常にあるシュルレアリスム的風景を撮りためてるふうな写真がちょこっと。人工物の無遠慮な侵蝕にだれひとり気づいていないふうな、のんきさと硬質さがあいまったふうな光景。どのヒトもなんらか過剰さから無縁でないふうだったな。
釈迦はなんかタダ券もらったんで。チラシみてコレ笑えるやつだなと思ってみにいった。笑えるっていうか、なんか…全体的にテレビのコント番組のクオリティというかね…。衛兵とか門番つーとガチムチの屈強なのがよぎると思うんだが、近所の貧相な体つきのオヤジ連れてきてガムテープ巻き付けたみたいな風体の人ばっかしなんだよ。ちょっと突き飛ばしたら即倒れて1時間くらい身悶えするんだろうな、というのが誰の目にもまざまざとわかるレベル。身につけてる金色の装身具の浮きっぷりもひどかったな。あと、美術がね。なんか…すごく広い神殿ぽい建物内で撮影してるふうなんですが、その…なんていうのかな。建物内の空間が広すぎて装飾が追いついてないのよ。いかにも借りたとこで撮ったふうで。長く暮らしてるのに実用とみえるものがひとつもないというかな。あと、主人公が本郷功次郎てヒトなの?前半は顔ちゃんと映るんだけど、悟りひらいてからは何故かロングショットでしか映されなくなってさ。顔ぜんぜん映さないの。なんか、ヤバいの?それと「悟りひらきました」表現として体全体をぼんやり光らすだけで済ますのもどうなのか。よくしらないんだけどさ、釈迦の逸話みたいのって結局いろんな問題を論破してったのが尊いってとこなんでしょ?映画中だといちいち超常現象で済ましてる場面が多くて(象の足が空中で動かなくなるとか、あとライバルがつくった巨像がピシャーンてなったり)、それってスキャナーズとかと変わらなくなっちゃうのでは…て思わずにいれませんでした。あそうそう、あと釈迦の話て大部分が男の汗くささシーンで構成されてんのがほんとなんじゃないのかなと思うんだが、特に悟り開く場面で豊満な女優たちがしなだれかかってくる(煩悩隠喩ね)とこがけっこうあって(母子相姦しかかってくる人とか、あと坊さんにホレちゃう女子とか)、そうゆー客寄せでいいのか?てちょっと思いました。いいのか。飢えてるヒトもわりと服だけはキレーだったりして貧乏描写も軽かったな。あの最後らへんにでてきた油ほしがる婆さん演じてた女性がけっこう名演なかんじだった。釈迦にライバル心燃やして嫌がらせしつづけるのって、あれ勝新なのな(あのキャラは生育環境に問題がありそうね)。結論としてまあ全部ゆるしとけつーアレだった。チラシの説明に公開当時大ヒットを記録したとか書いてあんだけど、出てる俳優が有名どころばっかしだからまあそれでいいのか。出演者のクチぶりとセリフ音声が合ってなかったけど、もしかして全編英語で演じてた?輸出…したのか…。
会田さんのはおもに土人さん発見映像をみに。あすこの映像部屋いたらなぜか気持ち悪くなったけど、なんかいんのかな。島根のなんたらいう島に土人がー!つーことで草野仁的番組のレポーターが突撃する映像。最初に現地のヒトへのインタビューがあったけど、あすこで答えてたおばさんは仕込みじゃないよな?すごくナチュラルな受け答えで演技と思えない。突然土人たちが現れて近所の学校の校庭に作り物してんだけど、地元のヒトたちはみょうに受け入れてた。なんか、大地を女認識してるとかで、満月の夜になると地面を犯してたんで滅びたんですって。うんこが色とりどりでなに食ってるのかさっぱりわからないつーことで、近所の子からもらったスナック菓子食ったらたちまち腹こわして死んでた。展開としては土人さんに接してるうちに女子レポーターがいつのまにか感化されてたふうな進行になってくんですけど、「汚れた社会」とか「堕落した世の中」てのもポエムてやつだなーとしみじみした。
交流こそが和解への道てのに同意。マンドクサいこと放り出して破壊行為に勤しんでる過激派さんたちはこういうバランス感覚を培うといいんじゃなかろうか。