パンフでもルドンの絵とかほめちぎられてたけど、あの絵はルドン的にはさして面白くないほうのだよなあ

上野伊三郎+リチコレクション(日曜。目黒区美術館)→夏時間の庭(テアトルシネマ)→爆音ピアノチューナーオブアースクエイク(さっき。バウスシアター)→爆音シャインアライト→爆音ヘアピンサーカスとみてきましたが、とりあえずただでさえライブそのものだというのに爆音版でまで席に座ったまま微動だにしないまじめぶった連中はストーンズファン失格とみなす。おいらひとりで飛び跳ねてたもんねーだ。映画とはいえ超ノリノリの状態でおとなしくしてる客席ってどうかと思いますよ。再度みて思いましたけど、若い頃のインタビューみても当時爆発的に売れてたというのにミックとかチャーリーとか受け答えの内容が今と同じかそれ以上に冷静でまったく浮かれてないんですよねえ。ヤクや酒はまあふつうにたしなんでたとしても、名声とかカネとかに振り回されてる様子とかはぜんぜんなくて、むしろ周囲の過剰すぎるさわぎっぷりに困惑してるみたいなカンジなとこが還暦超えしてもふつうに続けられてる理由なのかなーと思いました。オリジナルメンバーをどうにか保ってるとこもすごいし(途中から入った人があれだけなじんでるのもすごいし)。ヘアピンサーカスはエンジン音が腹に響き渡って爆音化に最適な作品で。高速マジかっとばしながら撮ったと思しき映像も迫力あったし。主人公の元レーサーの教習所員の人はなんか棒読みでしたけど、走りキチガイの女の子がかわいいかったからEです。ピアノチューナーは意外と環境音ノイズじみた低音づかいだったりするのが爆音であぶりだされたり。オートマタの出す音が爆音だとかなりショッキングでビリビリします。日曜にみた夏時間の庭はなんか画家の愛人だった(複雑な関係とかじゃなく単に結婚しなかったというだけっぽい)ばあさんがかなりな美術品持ちで、その画家との子供が3人いてそれぞれ所帯もってたり海外で働いてたりしてるんですけど、ばあさんが死んでじゃあその遺品どーするのというアレ。交渉場面目当てにみにいったというのにちょうどその場面でぐうぐう寝込んでしまったらしくて話がさっぱりわかんなかった。先にみた夫人の話では国宝レベルの美術品つーのは相続すると税金が異常にかかるらしくて、よっぽど金持ちでもないかぎりは継ぐとか簡単にはできないらしい。結局寄贈したり売ったりするらしいですけど、そのばあさんが美術品と共に住んでた家がけっこういいとこで、思い出深いからと子供のひとりが買おうとするんだけど、ラストシーンの孫娘の「もうここの家はほかの人のものになっちゃうんだ…」みたいな会話からして結局売っぱらっちゃったのかもしれない。なんかおフレンチ映画っていちいち動向がハッキリ提示されねーからわからんことだらけで相当マンドクサいです。しかし孫娘はおばあちゃんが死んじゃったの、ってしくしく泣きながらいうわりに静かでいい雰囲気だったばあさん宅跡で麻薬パーティーやったり乱痴気さわぎしたりして亡きばあさんに敬意をビタ1文払ってないあたりはいいんですかね。あの終え方はなんつうか肉体的な意味での血が受け継がれていくという暗示めいたアレなんでしょうけど、精神はけっこうないがしろな画ヅラでさ。まあステキなゲージツ品みてポワ〜ンとする目的できたおばさんたちを置き去りにするという意味ではよくやったと思いますけど。
上野伊三郎リチのは新聞にのってた図柄がかわいらしかったんでなんとなくいってみた。リチはウィーンで頭角表してたデザインの人とかで、伊三郎と結婚して京都きたりもした鼻と口のでかいおばさんなんですけど、おもに壁紙の模様とか菓子の小箱図案みたいな生活用品を洗練させて工芸化するような仕事を中心にやってて、図案を描く際の基本理念が「ファンタジー」ということで宝石箱のなかの装飾品とか花束とかいろとりどりの飴玉とか、とにかく女の子の好きなキラキラしてて色鮮やかな小さいものを寒天で固めたみたいな図柄が中心なんですけど、色彩のセンスが卓越してて、同じパターンの絵をちがう色の取り合わせで何枚か刷られたりしてて、それがどれもすげーきれいでさすがです。壁紙っていうとモリスみたいにしっかりした描線である程度無機的な記号寄りの線が使われて整えてしまいがちなんですけど、ことリチのものは独特のフリーハンド線がそのまま使われてて、そのあたたかみと鋭い色彩センスが人気(ウィーンにいたころはかなり売れてたらしい)の理由だったのかなーとか思いました。でもリチのフリーハンド描線で描かれた図案て、額装されてみるぶんにはステキですけど、あれが壁紙で部屋一面おおわれてるのはどうなんだろうな。リチのフリーハンド図案が使われてる部屋の写真とかありましたけど、なんというか…あの微妙なふるえを含むフリーハンド図案をまんま使うとリチの作家性が強すぎるがゆえにちょっと汚らしい落書きがしてあるみたいにみえてしまう気がしてさ…。展示の後半に実際にリチの図案が使われてるウエスティンホテルとか庁舎の壁紙が飾られてましたけど、あの図案はどう考えてもリチに手直しさせたか業者に整えさせたやつだろう。それまで展示されてたリチ直筆のものの色や線とくらべたらすっげえ機械じみた均一線とあたりさわりのない色けすぎなんだもん。いかにも目立たないよーに作り直されたやつでさ。あれじゃリチの図案使ってる意味ないよなあ。リチの図案をまんま使ったらヤバい部屋になっちゃうからああして作り直させたんでしょ?あと布地へのプリント復刻したやつは展示してあったのに、リアルな壁紙としての展示がなかった(最悪カラーコピーを壁に貼ればいいだけなんだから金かからずしかも簡単にできるはずなのに)のは壁紙としてはあんま良くないからなんでしょ。かといってウエスティンホテルのみたいに機械的に直してしまうとリチの持ち味がなくなってしまうしねえ。なにしろ作家色の強すぎる図案て壁一面にしたらかなりどぎついと思うよ。額におさまってるぶんにはかわいいけど、あれが部屋じゅうってなると話はまた別だし。個人的に究極の壁紙と思ってるマークロスコの壁画、人がロスコ壁画の前をとおるたんびにどの位置にいてもデザインとしてさまになってしまうあの魔術的空間は描いてる「自分」よりもむしろ(絵の前にくるであろう)あらゆる人のことを考えてたからこそ作れたものであって、だからこそ何者をも引き込んでしまう懐の深いものなんですけど、そこ行くとリチのはやっぱ「絵」で、ロスコ作品の前には何人ひとがこようがまったく邪魔にならない(むしろ絵になってしまう)んですけど、リチの図案の前に人がくるとやっぱ邪魔なんですよね。自分の妄執はこれだと前面に押し出す生まれながらの芸術家タイプ。あとあのこまごました宝石箱じみた作風って突き詰めると草間彌生の隙間のないアレになるのかな。女の子の強迫観念てみんなああいうものなんですかね。なんかリチの図案て壁紙やテキスタイルが多かったせいか間合いとか空間とかはぜんぜんなくて、ひたすらかわいいものを寄せ集めるふうな作風なんですよね。まるっこい花とえんどう豆みたいな丸と細長いものの組み合わせみたいなのが多い。
つうか今回の展はむしろあの壁紙デザインのポストカードとかがほしくて行ったようなものだったんですけど、そういったグッツをまったくつくってないとかで、その上図録は売り切れたので巡回する京都で買えとか貼り出されててどういうことだよ。目黒区は税収ガッポリなんだからポスカぐれえつくれんだろうよ。案内員の人も客からの要望がかなりきてるとか言ってましたけど、聞くだけでやる気はまったくねーのね。ポスカなんざちがう展のときでも置いときゃ売れんだろうからとりあえずつくっときゃいいのに。