よるの だいすきな わたしのような こどもたちへ

こども画像もってるだけで犯罪者に仕立て上げるひどい法律が決まりかかってるとのことで創作物に大打撃な予感ですが、子供が売りのジャニーズや映像業者だのは反対したりしないんですかね。とりあえずネッツ協会の人が役立たず法案やめろボケ声明だしてます(タマヒメさん経由)けども。こんな乱暴な決まりが勝手に成立されようとしてるのにテレビとかではどういうわけかまったく取り上げられねーし。とりあえずフリーマンすぎる件にええっとなっていることは事実です。

ところで本日題と画像はこれのものです。最近ちょくちょく図書館いって絵本をチラ見してるんですけど、ひとくちに面白い絵本といっても現実に即したリアル系のものとありえないホラ話を広げきったままのファンタジー絵本とあることにいまさら気づいたりして、そこらへんを基本に長く愛される作品とクソつまんない作品のちがいとかをちょっと考えたりしてみた。とりあえずこれは絵柄も話もかわいらしくてポンニ人作家もようやく欧米系の絵本のノリをつかみはじめたんだな〜と一瞬だけ感慨にふけったんですけど、よくよく考えるとこの表紙の子ぐまは春がまちきれなくて巣の外へ飛び出すんですが、つーかクマ冬眠しねーの?(しかも住んでる親ともどもそれまで寝てた様子すらない)というのと、ラストに至っては人間の女の子に菓子で餌付けされてるありさまなんですが、こういうありえなさっていいんですかね。おいらが小さいころ読んだり見たりしたものでは動物側の親が自分の子に「人間と安易に関わっちゃいけない」みたいに諭すふうなものがなんか主流だった気がするんですけども。なにもかも現実的に描けってんじゃなくて、なんつーかファンタジーのいれかたが微妙にへたくそなカンジがするっつーか…。冒頭にリンクした魔女たちの生態を描いた絵本なんてホラ話そのものだし、つうかああいう架空の生物の牧歌的な生態をリアルに描くみたいのはちいさい子が信じ切っちゃっても問題ないでしょうけど、動物はなあ。起承転がまるっきりファンタジーでも結で事実に収束したり、まるっきり擬人化して人間の生活してる(読み手に伝えたいのが戯画としての実生活[衣食住]のよろこびであって「動物」そのものを伝えることが目的じゃない)作品の嘘はおもしろいしわかるんですけど、なんかリンクした子ぐまのはリアルにすべきところとファンタジーでいいところをまちがってるような気がするんですけど。あの子ぐまの春さがしの絵本は結局何を伝えてんのかっていうとお外のいろんな場所をみてみよう、っていうことと、子ぐまの天真爛漫さなんですけど、だったら冬でも活動してる動物にすべきなんじゃねーのかね。熊は「冬眠してる→目覚めたら何も喰ってないのでげっそり痩せてる→冬眠後に巣外へいくのはエサさがすため」が鉄板な生物なのでどうしても納得いかん。子ぐまだけで人里にちかい場所へだすのも納得いかん。子供のもんだから嘘でもいいだろうっていうのは子供をバカにしすぎでひどいつくりかただと思う。子供がどう思うかよりも「大人の目でみて可愛らしい」という基準でつくりすぎてんじゃないんですかね。「子供→幼くて深く考えられない→幼稚なつくりのものを見せておけばいい」みたいな夢見がちな考えって最近の日本人にものすごく多い気がするんですけど、こういうのはいつごろからはびこりだしたのか。なにしろ子ぐま絵本についてはこれをみたときと同じ違和感があってちょっと気色悪い。単にこのみの問題なんだろうか。たべもの主題の絵本でも具材がありえないほど大きい(おおきなかぶとかぐりとぐらのでかい卵とか)って設定のでもそれができる過程や料理をする過程がちゃんとリアルだからおいしそうに思えるんであってさ…。どっちの作品についてもそれはおとなが勝手に考えてる「(架空の)幼児性」を根底にしてつくってんじゃねえの?としか思えないいやらしさがぬぐえないふうにしかみえないんですが。この2作品をリアル子供時代に読んでおとなになった人にどう思ったか聞かないことにはほんとのとこはわかりませんけど。とりあえずおいらはこの絵本クソだと思う。絵本における現実とファンタジーの兼ね合いで思い出すのはポター作品で冒頭からずっと二足歩行で洋服着てる擬人化動物絵だったのに、物語の途中でとつぜんふつうの四足歩行になってて現実で目にする動物の姿として描かれたシーンが挿入されてて「これが現実よ」って突きつけるような構成になってんのがマジすごいと思うよ。こどものものだからって全然手を抜いてないよ。こどもに変なファンタジーを抱いてないといえば夫婦で絵本つくってるサラスチュワートとデイヴィッドスモールの作品(こういうおばさんらしい。ちなみに旦那はハゲですが影響を受けたとゆう絵はなかなかカッチョイー)が顕著ですが、この夫婦のつくる絵本には突飛なファンタジーは一切含まれてないというか、仮にファンタジーだとしても現実でありそうなことばかりで、子供を幼稚だからとか思ってなくてふつうにひとりの人間に語りかける体の筋の物語ばかりで、これが成熟ってことなんだろうなあとしみじみします。リンクした花好きの子の作品以外には本好きの人の生涯(ちょっと早川さんにでてくる稀少本収集家の子みたいだ)と金持ちの少女の孤独(エロイーズにはこれがすっぽり欠けてるので読み手が感情をゆさぶられることがいっさいなく、じゃあ何があるのかといえば贅沢環境への憧れ煽り…ってハリーポン太の売りとまったく同じだな)を描いた作品があって、どっちもおとなの涙腺を刺激してくるいい絵本だ。当のこどもさんはぜんぜん興味ないのやもしれませんけども。おとなのバカな嘘を見抜きはじめてうんざりしてたり、夢がみられないほどにつらい境遇を味わってる子にはこの夫婦の作品がちょうどいいかもしれない。子供をバカにしてるものとそうでないものの違いについてはちいさいころからかなり敏感だった気はする>おいら。結果的にポンニ絵本の悪口ばかり書く方向になってしまったのでアレですが、ポンニ絵本でも日本むかしばなし系(モチモチの木とか八郎とか)の伝説モノとか民衆のくらしに即した落語絵本(仏像彫りの風来坊のシリーズがいちばんすき)はリアルすぎるほどリアルで大好きなんですけど、どうも最近つくられた欧米絵本のファンタジー部分だけを勝手な幼児観から都合よく肥大させた上リアリティをないがしろにしてるふうな絵本作品についてはヘドがでる思いです。あの昔ながらの骨太の作話術はどうしちゃったんだよ。安易に捨てんなバカ。子供なめんな。