多様化に逆行するような安易なジャパン・コンテンツ・レイプは誰も幸せにしない

  
     
  
     

『さべさんは自分の欲望には非常に素直な気質で、やりたいことは我慢しない。牙を持たない極道のような人でした。欲しいものがあれば、翌日にはもう手に入れてたりしていたこともしばしば。俺がバイクに乗っているのを羨んで、よく夜中に勝手に持ち出して乗り回したりもしていました。挙句の果てに警官から職質を受けたり。無免許だったので、まんまと簡易裁判所送りにされてましたがw
3.阿佐ヶ谷晩期
 さべさんが結婚やら何やらで松戸を離れてからの数年間は、原稿のお手伝いをしに俺が阿佐ヶ谷まで会いに行くというパターンが多くなり、彼の方からうちに遊びに来ることは無くなってしまいました。ヤツは重度の痔持ちだったため、他人の家に泊まることを極度に避けていたのかも知れません。一度、徳島にあるうちの実家にお誘いしたことがあるのですが、そのとき真っ先に出された第一要望は「その家にはウォシュレットがあるか?」でした。
 さべさんの漫画のアシスタントは随分やってきましたが、漫画についてお互いの将来を熱く語り合うことは殆どありませんでした。そんな「まんが道」みたいな付き合いなんてカッコ悪いと思ってましたし、お互いがお互いの漫画を嫌い(本書308ページ参照)だったからでもあるんですけどねwあのヤローは、俺の描いた投稿用カットに油性ペンで「ヘタクソ!」と書き込んでくれたりもしていました。まさに外道。この時ばかりは彼をお世辞抜きで「スゴイ人だ」と尊敬してしまったことが果たして正しい判断だったかどうかは、今になっても結論に至っておりません。

 とにもかくにも俺が上京して何の不安もなく都会の地で楽しく過ごせたのは、さべさんがいたからでしょうね。
 最後に記憶しているさべさんの姿は、仕事中の顔、ニルヴァーナを聴きながら黙々とペンを走らせる横顔でした。
 あの顔だけは多分一生忘れることはないので、さべさん、安心して下さい。てか、「気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ」とあの世でドン引きしてるがいいさ。』(さべちん所収「SABEさんのこと」大野ヒロフミさん文より)

・上記画像と『』内はワニのさべ本のです。ブルメタルとか雀ロボ(←雑誌掲載時に1話だけ読んで一般向けという縛りに日和ったなさべ…とばかりにあーあと思いましたが、10話ぜんぶつづけてよむとちゃんとおもしろかった。すまなかった>さべ)とかめぼしいのはのってますけど、快楽天に掲載されたブルマフェチの兄キをもつ妹ちゃんのエロ受難みたいな短編がのってないじゃん。ひさびさのエロ全開さべだったしたのしみにしてたのに。なんなのワニマガジン?今後なんかさべがらみでやらかすつもりなの?あとさ!!すげえムカついたんですけど、雑司ヶ谷腐れ酢霊園のタイトルは快楽天掲載時にはさべ手描きの気色悪い題字でしたよね?さべの追悼で出てる作品なのにつまらんみてくれにさし替えるのってさべの破壊的作風を否定することじゃないの?さべちんにつまらん編集した者、貴様は万死に値する。浮遊霊と化した悲惨なさべに取り憑かれてひどい痔瘻にくるしむがいい。そんでまあひととおり読んで思いましたが、好んで使うネタや基本的な破壊芸風は大筋では昔から変わってない(作風完成後に使ってるキャラクタは4コマ時代に生まれたものが多い)のに、地獄組の女4巻らへん以降の絵柄&構成が完成されてからは支持するファンや客層がかなり変わった(アマゾンの客評から察するに4コマ時代のファンの人は腐れ酢とかブル漫画とかが下品すぎて受け付けないもよう。逆においらのような作風完成後のブル漫画から入った人は4コマ時代の素人っぽさの残る展開の甘さと扱い慣れてない破壊的ギャグ描写の拙さを受け入れがたい)という変則的な漫画屋人生を送ってるようでしたな。ぜんたいフェチを貫く的な作風からして自殺とは縁のない人だ(リアルフェチやオタクには終わりはないので)とばかり思いこんでましたけど、今回でたさべちんに掲載されてる前妻のQ太さんにウザがられて三行半つきつけられてるとこ(戯画化されたものでも多少の真実は含んでると思う)からして、太宰系の自己憐憫的なウザさをもった人だったのかなー…とちょっと思った。自らブルマ道を諦める宣言するような死にざましやがって。来世には多分(体育着としての)ブルマなくなってるだろうし。でも太宰ちっく臭を多少は感じたとはいえ『自身の破滅的な性格から長期連載には恵まれず、それによって離婚等で私生活が破綻し、その精神の乱れが作品の狂気に拍車をかける』とか訳知り顔で「狂気」だの「破滅」だの安易に使って分析した気になったふうなこじつけにちかいこと書きやがるのは気に入らねえ。オーストラリア(プロレスの人みたい)つー人はさべが長期連載しなかった理由が「破滅的な性格」からで「私生活の破綻が作品の狂気に拍車をかけた」って断言できるほどこまかいリアルさべ事情に精通してんのかよ。あと『SABE氏の作品はどれもが、主人公の精神のバランスが崩れたままに終わったものが多く』て書いてるけど、厳密にいうと「他人におもしろ半分に破壊されてそのまま放置される」だと思う。あと前の日記でさべ関連の画像撮ってのせてたとき、たいていの漫画家さんの絵は画像フツーに撮れるんですけど、さべの阿佐ヶ谷腐れ酢とかの単行本の画像をケータイで撮ろうとすると描線が繊細すぎてボヤけてしか映らなくて、この人はもしかして繊細な性格なのかな…?とよぎったことはあります。太宰臭じゃないけど鴨川さん(ヤク中)とか赤塚さん(アル中)とか突き抜けた破壊ができるギャグ漫画家さんは繊細だからこそなにが極端なのか知ってたんだろうし、感覚が鋭いぶんやり過ごすなにかを過剰に必要としたとかはあるやもしれない。当人じゃないのでわかりません。なにしろ自他ともに認めるフェチが作品やフェチ対象以外のことであの世イッたとかおとなしく追悼する気になりません。せめて不慮の事故とかまだなあ。あとなんだこれ

ところで毛唐が勝手にアトムに服着せてる件は国宝レベルのキャラクタを勝手な論理で歪められてるものですけど、政治の人はおろか右翼の人もギョーカイの人も公式に批判や不快感を表したりはしないんだよなあ。個性だの多様性だの真っ向から否定してポンニ人が生み出した原初のものに「裸を隠す=いい文化」論理をむりやり押しつけて作りかえる強姦精神むきだしっぷりとかひどいもんですねー。リメイクするからって裸婦に服着せるのが立派なことなんだと。機械でも服を着なきゃだめとかいう役に立たないヒステリーから離れられないくせして他国文化にクチだす(ここもどうぞ)とかどんだけ傲慢なのか。変質者ごときの目に屈したヤワな表現の自由とやらの不自由さと共産圏並の発想の貧しさときたらねーな。ロボットキャラですらも「裸っぽい」ビジュアルにすることができない「表現の自由」と「子供の権利保護(しかし犯罪被害児童はまったく減らない)」(笑)つーか「裸だから」「子供だから」みたいな「○○だから見ちゃだめ」みたいな押しつけは差別っていうんじゃないんですかね。年齢を理由にした芸術鑑賞の線引きは前々からおかしいと思い続けています。ダビンチ作品や裸婦画やその他ガキが裸になってる芸術作品に年齢制限てありましたっけねえ?どうしてアダルトビデオみたいに年齢制限つけないんですか?>欧米の人。アトムは人間じゃないけど服着てなきゃならなくて、どうして油絵はまんこまるだしでいいんですか?あんたら個性尊重だの多様性尊重だのは大嘘で自分らの考えに全世界をねじ伏せてでも従わせたいってまるだしだよ。なにしろハトの人のいう友愛はてめえの国代表するもんが汚されても日和って文句ひとつ言わずヘラヘラ笑うという意味のようなので、これからもポンニ芸術が欧米人の考える表現の自由という名の一方的暴力によって変形させられて魂を抜かれたまま世界へ伝わりつづけてゆくことでしょう。尚、本日題はここからです。ついでにソニーは海外では全開な件ものせときます。
 
画像みててつくづく思いましたけど、ポンニだからこそさべが才能をじゅうにぶんに発揮できたのだなーとしみじみしました。こういう予想のつかない才能を生み出せる土壌でいるためにも裸だの性だのの描写とか規制しちゃだめなんだよ。欧米のクリスちゃん道徳観の不自由さに支配されたらポンニのフトコロ深さを損なっちゃうだろ。