隠してるとひどいことになってくからってさらけだしたところでミもフタもないしなー

もうさー12月24〜25日は「キリストで抜く日」にすればいいんじゃん?抜けない人は全員悪魔ってことで焚くと。

昨日はセバスチャンサルガド→木村伊兵衛とアンリカルティエブレッソン(両方写真美術館)→インフォーマント!(ガーデンシネマ)→脳内ニューヨーク(シネマライズ)とみまして、サルガドはアフリカでも追い出したり追い出されたりをくりかえしてる混乱真っ最中な地域のヒトビトや光景を写した写真が中心で、食べ物はおろか水すらもろくにないような乾ききった状態のなか、皮膚が骨に張付いてるような痩せさばらえて飢えきったちいさな子供やおとなたち、もしくは同じような体つきの家畜が力なくぐったりとしているところとか、片足をなくしながらも棒を足代わりにして暮らしている子供とか、飢えと死がそこらじゅうにある砂っぽい大地で大きな目をむきながら生き抜いてる人たちの光景です。これは部族間抗争で住んでいた土地を追い出されてさまよわざるをえないほうのヒトの写真ですが、そういう地域とは関係なさげな土人さんのかっこいい(裸にアクセサリー的な)風体写真とかもけっこうあって、なんかふつうにイイ写真多いです。まるだしのパイオツがファッションの一部になってるっつーか。ぜんたい平和そうな地域の写真でも地獄のような地域の写真でも、ちいさい子供を背負ってたりおっぱい吸わせてたりするかあちゃん女性が被写体になってるのが多くて、なんつーかポンニでも戦国時代より前あたりからこういう光景(虐殺や飢餓)をしぬほどくりかえしてきたんだよなーとしみじみ思いました。アフリカ全土が市井レベルで欧米やポンニのような状態になるまで数百年かかるんだろな。そうなったら公害とかもマジパネェしとくゆうのモノ(土人さん文化)がなくなってつまんなくなっちゃいそうだけど。どの国でも大昔に経験したはずのひどい光景をまのあたりにできる、という意味でサルガド写真はみておくと吉。「アフリカかわいそう」みたいに他人事としてみるより、ヒトはどんなひどい状況でもわりと生き抜いているし俺らの元祖的なヒトビトもそうやってきたんだよーみたいにみるとリアルにみれるやも。人間のいるとこでああいうことのなかった国なんかないんだし。
木村伊兵衛カルティエブレッソンはふたりとも「イイ瞬間」をつかんでるヒトだけど、カルティエブレッソンが写真の切り抜きを貼ってつくったありえないようなコラージュ的構図が立ち現れた瞬間ばかり狙って撮っている(「形」にこだわってる。たとえばまったく異なった方角から同じ場所にむかって歩いてくる3人を高いとこから写したものとか、女性の髪を梳いてる女とその背後で作業を手伝ってるとおぼしき女と梳かれてる女の3人ともが同じような小太り・作業するために手をだしている・視線が全員カメラをみていておなじような目つきと3人シンクロ率120%な瞬間とか、密告者を糾弾してるとおぼしき女の勝ち誇った様子とうなだれた女と周囲を取り巻く群衆の殺伐とした目つきと調査官とおぼしき無表情な男のいる異常な光景とか。あと路上喫茶のテーブルがディズニーアニメにでてくるキャラクタみたいにひとつだけカメラのほう向いてるのもスキ)のに対して、木村伊兵衛は構図とか配置よりも、鑑賞者に「愛らしい」「ほのぼのしてほほえましい」みたいな情感を抱かせるような表情やしぐさをしている人のありさまを中心に撮っていて、コラージュ的なありえないおもしろさはちょっと陰をひそめて申し訳程度にあるふうな持ち味という。展示の最初に伊兵衛とブレッソンがお互いを写しっこしたポートレイトがあるんですが、伊兵衛が撮ったブレッソンの写真がカメラを抱えながら伊兵衛のほうをみていたずらっ子みたいにニヤッと笑ってるという1歩まちがうと記念写真になってしまいかねないほどストレートな写真なのに対して、ブレッソンが撮った伊兵衛の写真は、石造りの家にかけられた梯子の途中まで登って撮影ポイントを見極めようと遠くをみてる伊兵衛の足もとの家の入り口から住人とおぼしき親子がわいわいのぞきにきてるという、ほのぼのシュルレアリスムな写真になってて、やっぱカルティエブレッソンは配置や構図のおもしろさにこだわる人で、伊兵衛さんは被写体のヒトのもつ味わい(情感)にこだわるのだなーとしみじみした。あんなにハッキリ作風のちがいがあらわれてるのもすごいもんだ。
インフォーマント!は予想外にひろいもんとゆうか、当初はアメリカを売った男的なまっとうな企業内ドラマみたいなもんかと思ってたんですけど、なんか観終わってアネハとか横山弁護士とか思い出した。アネハは単にヅラつながりなだけですが、まあいろいろ隠してる人はハゲも隠すがガチなのだなーと思ってためになった。主人公が勤めてるのが味の素系の食品添加物がらみの会社(わからん)らしいんですが、主人公が担当してる添加物製造の過程で菌がでた!つーかこの菌日本企業の悪だくみで自分脅迫されたんですけど!とか主人公が騒ぎだしてFBIが捜査担当することになるんですけど、その捜査の最中に主人公が突然FBIの人に上司(というか会社)の悪事(企業間の価格的な手打ちとか)を告げ口しだして、なんだってぇー!?とかビビッたFBIがそっちの捜査に切り替えるんですけど、まあこれの証拠が挙げられると会社の存続とかいろいろやばいですが、そんな中で主人公のマットデイモンが会社でけっこうな昇給があったから、とかいう理由でFBIに告発した上司への捜査をやめるようにかるく申し出てくる。ハァ?!となったFBIはこういうことは知ってしまった以上はやめるわけにいかないし、規模的にも深刻なんでやるんだよ。なことをマットデイモンに言って聞かせる。なんとなく了承するマットデイモン。この時点でマットデイモンがなんとなく頭のアカンコ(by深町さん)っぽいのかな?という雰囲気がただようものの、なんか変かなくらいでスルーになろうという際にマットデイモンが「日本のスパイ話は実は嘘っス」とかFBIの人に突然ゲロッてきてFBIの人あぜんとなる。その後のしばらくは良き勤め人とFBI協力者としての両面を能天気にたのしむマットデイモン。数年後にマットデイモンの協力でどうにか証拠をつかみ、さあ裁判という時になんかマットデイモンがみょうにはしゃいでて、ちょっと心配になったFBIの人が君が内部告発者だってバレたらたいへんだよ…?仕事だけじゃなく家庭もどうなることか…とか親身になってあげてんのに、いよいよ上司失脚でオレが社長だー!!とかキャーキャーはしゃぎまくるマットデイモン。FBIの人がどんなに真剣に説明しても勘違いは直ることなくマットデイモン上機嫌で運命の日にのぞむことになり、当然世間的にも大騒ぎになってる最中にまたしても突然マットデイモンがFBIの人にある大嘘を告白して…みたいな話。実話とかなんとか。結局マットデイモンは精神的な病気とからしくて、でも嘘をつくにも彼なりの理由がちゃんとあるようなんですが(養子の人は「養子なのにがんばったわね」みたいに付加的評価をされておトクなので、養子でもないのに「オレは養子で苦労した」とか言うし履歴書にも書いちゃう)、その嘘をつくことによって大事なモノを失ったりひどい目にあうということについてはなぜか考えられないようで、それに野心が入ってしまうとなりふりかまわずでかすぎる嘘をつきまくる、みたいなことになってしまう人っぽかった。その反面で数値的な仕事はものすごいこなせるようなので、使いようなんだろなーと思いました。あとこの主人公は自分の論理に従わない人はだれであろうと信用できないというタチなので、マットデイモンの立場を守ろうとがんばってる弁護士にお前はオレを陥れようとしてるんだろ!そうだろ!とか不信まるだしにした挙句地元のあやしげなヨタ弁護士をFBIに向かわせて意味不明の話をさせてみたり、頭のアカンコっぽいマットデイモンを心配したFBIの人がマットデイモンに「これをやったら君が不利になっちゃうからやったらだめよ?」みたいに何度も何度もやさしく言ってきかせるんですけど、数時間たつとすぐ忘れてかるく自爆しまくった上でまたちがう論理で動いてたりとかするくりかえしで、FBIの人のあぜんとした顔がたくさん拝めておもしろかったです。エリートな人が絶句してる光景ってなかなか爽快なモノがあります。大企業のなかの大事なポジションに通常の世間ルールとはまったく異なってる言動の物体がいるってなんか暴力だなあ。
脳内ニューヨークはフィリップシーモアホフマンがひたすら嫌われてるアレでそんなに嫌わないであげて!!とうちひしがれた。ダウトとか7時58分のワルっぽい人と顔はおなじなのにぜんぜんちがうひとなんだなー。ふつうの映画だと年単位で時間がかわると―数年後―みたいなテロップがでてひと呼吸置く演出がされるものですけど、今作はなんの説明もなくでてるキャラが問答無用にどんどん年くってく演出(30分前は3歳児だったのにもうハタチ、的な)ですのでちょっとアセります。「時間があっというまに過ぎ去ってく」の流れる感覚がすごくよく表現されてるというか。あとやっぱフィリップシーモアホフマンの中2病こじらせ続けてるっぷり(周囲のシアワセな状況がうらやましすぎる)が痛々しかった。華やかなのが好きな人間が地味にしか生活できない自分を蔑み嘲笑しながら離れてくとかリアルすぎる。他人がドン引くあられもないネタがいちばんイキがいいってぜんぜんわかってますけど…。つーかそうゆうたぐいの人間はいつまでたっても友達とかふつうにできませんよね。うちひしがれたとか言いながらラストで寝てたのでいったいどうなったのかわからない。あそうそう、あとシーモアホフマンから引き離されて育って不遇の最後をとげる娘さんがかわいそうすぎた。自分がもてあそばれた(レズ女が娘さんを手元に置いときたいがゆえに嘘ついて実父から引き離してたのは愛情ではなく強制隷属だし)ことを認めたくないがゆえに父親のシーモアホフマンに嘘を告白させるとこ痛々しかった。だれもが1度は味わったことのある痛々しい気持ちをバンバン思い出させる作品ですよ。なんかもうろくでもない。