子供が性に於いて自立することを恐れてるのかな?>イシハラとか自民党とか

『「勧善懲悪」のような分かりやすく整理された認識なんて実はハリボテで、人間とは善も悪もない混沌であり「わたし」といった自我など混沌に浮かんだゴミクズ同然で何もコントロールできない──そんな不安な真実を読む者に突きつけるのです。(だからこそ、原作冒頭で大人になったデイヴィッドは「わたしの人生は何一つ上手くいっていない」というのだと思います。)
(中略)
原作のスゴいところは、先に書いたような人間が抱えるコントロール不能の混沌が、主人公だけでなく虐待を主導するルースにおいても描かれている点です。子どもたちを支配して何でも自由にできるはずのルースですら、内面は引き裂かれ、それが身体の変調として表出してしまうのです。』

660 :名無しさん@十周年:2010/03/30(火) 13:46:14 id:xFPY4XA70
>591
プレミアついて相場が10万以上する
タテスジロリ写真集持ってるガチロリの知り合いがいるんだが、
こういう手合いは中学生で同級生を好きになるも
そのまま好きな対象が中学生で固定したまま大人になる。
ロリコンの全部が全部こうであるとは言わんが
ロリコンを根絶するなら、成人するまで男女を
完全隔離しないと無くならんよ。

ちなみに、完全規制されたら
子供に手をだしちゃうかもと
言っていた。


コイツも親が警察wwwwwwwwwww 』

上記『』内は上のが罪山さんのケッチャム映画の原作とのちがいの件から抜粋したブツで、下のがここのモノです。元作家副知事の人が漫画キャラ規制を押し進めようと真っ赤になってるそうですが、「子供エロ」という字面だけで激怒するということは、つまり子供をエロい目でみてしまう大人や、幼い時分からエロに興味があっておとなを誘惑する子供というのがむかしから世界各地にゴマンといることをさっぱりご存知ないということなんですかねえ。「漫画さえなければ人間は善で」とかマジに思ってるとか?人間は善でも悪でもない、いろいろなものが混ざって出来てるもんだよ。そのひとつの要素をとりあげて「悪だ」とか勝手に決めつけてんじゃねえよ。何様だてめえ。つーか現実に起きていることを題材にした読み物を対話者の話を遮ってまで弾圧しようとするような人がよく作家やってたなあ。性描写だの正論だのでさんざん儲けてチヤホヤされてた奴が権力もったら庶民の娯楽を弾圧か。イシハラやイノセの人にとって小説かくことは単なる金儲けの手段でしかなくて、時と場合によっていくらでも主義主張を変える日和見太鼓持ちが本性なんですね。

そういえば昨日ひとあし遅れてゆきみさんの作品集よみましたが、主人公(女子高生)の母親の再婚相手の連れ子が小学校低学年〜中学年くらいの小さな男の子なんですけど、ある日主人公がフロでオナニーしてるところをみつかってしまって、以来「えっちさせてくれなかったらお姉ちゃんがぼくと遊んでくれないって言いつけるからね」というふうに半ば脅迫する形で主人公が男の子から毎日のようにエロいことをされるようになってしまうという話が冒頭に載ってまして、エロいことと女のからだをハンパに覚えてしまった子供についてかなりリアルに描写してあります。人として生きて日の浅い「子供」ならではの加減の知らなさに加えて、家族愛的なものへの渇望と性的な欲求としての渇望が認識できないままないまぜになってどうしようもなくなっている心模様が描かれていて、卓越した描写力(リアル路線と漫画の境界感あふれる描き方がすごい)ももちろんですが性に直面した者たちを通して「幼い」ことと「おとな」であることのあいまいさと越えられない壁についてしっかり描いていてすばらしい。この話が入ってる作品集ではおんなを知らずに悶々とする頭でっかちの秀才君が出会う最初で最後の純愛話にも泣かされてしまいましたし、エロ漫画大賞のようなものがあればまちがいなくこの本に大賞をさしあげたい。ゆきみさんだけじゃなく真摯なエロ漫画作家さんは、どの人も老若男女関係なく性に直面した者たちの心模様や精神状態をつぶさに描く(そうしたほうがよりエロくなるので)場合が多くて、ただエロ描写があるというだけでその仕事を評価せずに公では叩くだけっていうのはあまりにもひどすぎる。そもそもエロ漫画というジャンル上の特性からして、性行為という濃密だったり軽薄だったりするものを通すのでいやがおうにも人間関係のいちばん深いところに触れてしまう=ドラマちっくになってしまうことが多くて、こういう劇的さが売りのものに対して「描いてはいけないもの」を国が決めるというのはどうかしてると思う。あとエロ漫画家さんは作品に子供を登場させるにしても子供の目線や気持ちをきちんと描こうとしているあたり、子供には「性」やそれに付随するドラマなどないと頭ごなしに決めつけて描写自体をこの世からなくすことしか考えない自民党創価学会よりもずっと真摯に「子供」やそういう性癖の存在について考えていると思う。
エロ描写なしには語れない漫画といえばこの作品は「望みどおりの夢」がみられる機器を開発したことによって混乱が広がってゆく話で、その機器を開発したのは主人公の高校生なんですけど、最初はかるい気持ちで級友たちにおためしで機器を使ってもらってたところ、想いをよせる相手とのエロい夢とか保健室の先生とのエロい夢とかガンガンたのしむ内に現実と夢との区別がつかなくなってゆく級友が続出し…みたいな展開になっていくもので、まさに漫画規制を叫ぶ人が勝手に危惧している件が題材になっているあたりもとてもスリリングです。この作品がなぜスリリングかといえばキャラのみる夢がほとんど「一方的に想いを寄せる相手との性的な内容」だからで、それは現実にだれしもが抱いたことのあるものだからにほかならない。だれかを自分の思い通りにしたいという気持ちは年齢関係なく、むしろ幼い子供ほど強く抱いている欲求であって、人の関わる物語の根幹に「自分以外のだれかに深く関わりたい」という題材を据えたところで性を避けて通ればそれは嘘っぱちの空々しいものにしかならないだろう。性に関わったことのない人間などいないからだ。より優れたドラマをつくろうとする創作者ほど「性」へ挑まずにはいられない。エロ漫画はそれが通常のものより過剰なだけだ。なぜなら性を描かない作品以上の感情ー射精や絶頂を読者にもたらさねばならないのだから、エロ漫画に対して過剰さを非難するのはカレーから辛さを抜けといってるのと同じでバカです。

今回はゆきみさんとcuvieさんの作品を紹介しましたけど、どちらについてもリアルな性描写がなければ成立しえない物語であって、しかもこうまで優れたものが世界中で日本でしかつくれないという重要さを権力者はもっと理解しておくべき。世界中でだれもできないような強力な「売り」を潰してどうするの。この豊かな土壌をつぶすって?あらゆる性癖むけのエロ漫画を最低でも10000冊よみこんでから出直してこい。