「安泰な芸能人生活」て字面が矛盾してる件

『国民が期待したのは既得権益に果敢に切り込み、財政の無駄を省いて我々の暮らしを豊かにしてくれる民主党の姿です。借金の証文と引き換えに施しを受けても、幸せな気分にはなれません。まず、アメをばらまく前にやるべきことがあるはずです。
(中略)
 政権の基本的なスタンスとして、家計への分配を優先して企業、中でも大企業に負担を課すことを当然とする姿勢が感じ取れます。他国に比べて突出して高い法人税をどうするかという議論のないまま、租税特別措置を見直して2兆7000億円の実質的な法人増税を行い、家計に配ることがマニフェストのひとつの目玉になっています。
 儲けすぎる大企業は悪、弱い家計や中小企業は善、という発想では、日本全体が衰退します。
 繰り返します。その時、最も痛みを受けるのは、弱い家計や中小企業です。「分配優先で成長戦略が見えない」という新政権への不信感の源泉は、まさにすべきここにあるのです。
(中略)
 日本がこんなことになってしまったのには、メディアの責任もあります。ぬくぬくと既得権益のぬるま湯につかりながら、お題目のようにきれいごとを並べる政治家、ニュースキャスター、評論家が日本を破滅に導くのです。
(中略)
経済の豊かさより心の豊かさが大切
 こういう毒にも薬にもならない、当たり前の言葉にこそ、「悪」が隠れています。考えてもみてください。現在のように、大学を卒業した学生の3割、高校を卒業した子どもたちの4人にひとりが仕事にあぶれるような状況で、心の豊かさが手に入るはずがありません。
 衣食足りて礼節を知る、とはまさにこのことです。政治の責任は、まず、まじめに働きたいと思っている人々に労働の機会を与え、それによって自ら衣食を確保する喜びを実現することです。食うに困る状況で、心の豊かさなどあり得ません。
(中略)
 日本で生活する人々が心の豊かさを感じるためには、まず、一人当たりのGDPを安定的に向上させて、新卒の子どもたちが職にあぶれることのない経済状況を作るしかないのだということを肝に銘じ、アホな自称経済学者(その中には大学教授の肩書きを持つ人も少なくありません)や、キャスターに鉄槌を下さなくてはいけません。
 もっとも、世界中から「ワーカホリック」とバカにされ、寝顔以外は子どもの顔を見たことがないなんていう状況が異常であったことは間違いありません。そのおかげで、日本人は餓死せずに、誰でもが海外旅行を謳歌できる国になりましたが、どこかで、行きすぎた「働きすぎ」「経済至上主義」を見直す必要があったのも確かです。しかし、現状は完全に逆の方向に針が振りきれてしまいました。
(中略)
 GDPが成長しないということは、生活水準が良くならないということと100%イコールです。それが低下するということは、生活水準が低下するという意味なのです。行き着く先は、日本の北朝鮮化であり、その先に待っているのは餓死です。「日本で餓死者は出ない」、その思い込みが間違いであると証明される日が来ないことを、祈るばかりです。
(中略)
 子会社にどう利益を分配する方法を作るかは確かに政治の責任ですが、それ以前に、大企業がいかに儲かって、従業員や、傘下企業に利益を分配できる体制を作るかこそが、真っ先に求められるのです。大企業をいじめて、日本全体が良くなることは絶対にありません。むしろ大企業優遇こそが、日本を救う方法だということに目覚めてください。
 日本企業が、他国に比べて明らかに負担の多い状況下に置かれ、それが原因で、次々外国企業に負け始めているという現実は、日本の将来にとって絶望的です。日本の法人税率が現状のまま続けば、間違いなく、金の卵を産む最大の鶏である大企業は雪崩を打って海外に逃げ出してゆきます。結果として、利益を受けるのは、それら企業が進出してゆく外国であり、被害を蒙るのは日本国民なのです。
(中略)それぞれの国の象徴的な何かを外国に買われるのを、快く思う人はいません。例えば、かつて日本がバブルのころに、日本企業は、ニューヨークの有名なビルなどを次々に買収して、米国大衆を敵に回すというアホなことをしました。
 でも、この投資で結局儲けたのは誰かというと、そんな高値では誰も買わないような物件を売りつけるのに成功したアメリカ企業で、損をしたのは、イメージが悪くなったうえに不動産価格が下がって大損した日本企業です。
 この点外国企業は抜け目なく、日本の1997年の金融危機の時に、日本の企業・銀行が怖がって手をつけなかった某長期信用銀行を、損失補償条項まで日本政府につけさせたうえで買収し、大儲けするなんて荒技をやってのけました。実に腹立たしい話です。しかし、よく考えれば、この時、とびきりアホだったのは日本の金融当局で、意気地がなかったのが日本国内企業だっただけの話です。
 重要なのは、こういった特殊な例はともかくとして、一般的に「外資が乗っ取る」ということの本質的な意味を認識することが重要なのです。外資が乗っ取るということは、すなわち、どんなかたちにせよ、外国人が日本国内に投資をするということです。
 外国から投資のかたちで入ってきたお金は、日本国内の貯蓄と同じように、国内の投資の元金になります。つまりその金が国内で雇用を生み、消費を増やし、GDPを上昇させる要因になる可能性を意味しているのです。また、基本的に、誰も儲からない国に投資なんかしませんから、外国人が日本に投資するということは、日本の将来を信用しているということにほかならないのです。
 今はどうでしょうか。外国人が日本に投資しないどころか、日本企業が、日本国内で得た利益をどんどん海外に投資している状況です。こうなると、雇用が生まれ、消費が増え、GDPが向上するのは、その投資先の国ということになります。そういう意味では、人気の100円ショップや、格安衣料品チェーンのビジネスモデルが、日本にとって最悪だということが分かります。
 いずれも日本人が製品を買った金は、外国の工場の設備投資や、その国の賃金としてどんどん流出していくのですから。この点、一見同種のビジネスに見える某外資系衣料メーカーなどは、相当程度自国生産にこだわっています。これが本当の企業の社会的責任です。
 まあしかし、最近、そのような衣料品チェーンの雄であったユニクロは、国内の高級素材を使ったジーンズを売り始め、さらに外国での店舗展開に積極的に乗り出しました。(中略)願わくは、外国で儲けて、その利益を日本に持ち帰る、そんな企業になってもらいたいものです。
 (中略)外資が日本に金を落とすというのは善であり、決して安物の民族意識で批判するような話ではないのです。
(中略)「今売れているモノ」を確認してみましょう。あなたはそのいくつかに、必ず金を払っているはずです。ウィンドウズのパソコン、アップルのパソコン、ヤフー、グーグルのサービス、iPhoneiPod、映画「アバター」、いずれも直接金を出していないという人でも、インターネットと全く無縁という人は極めて少ないでしょうから、間接的には米国のGDP向上に寄与しているはずです。これらの商品やサービスは、80年代までに米国の自動車や家電が国際競争力を失うのと入れ替わりに、米国経済を牽引する機関車として登場し、成長を遂げました。
 日本では、20年前も、そして今も、海外で勝負できる唯一の商品が自動車です。この間、ゲーム機とアニメだけは少し目立った存在になった時期もありますが、とてもそれで1億3000万人を食べさせることはできません。「日本は供給過多で、需要が少ないから、国民に金をばらまいてもっと使ってもらえば、景気が回復する」。これが、需要に重きを置く経済対策の考え方です。
 日本でこれは効きません。理由は簡単です。供給力があっても、そこで生み出されるモノやサービスが必要のないものなら、いくら金があっても誰も買わないからです。
(中略)
 モノが売れないのは、買い手に力がないからではなくて、売り手の側に売れるモノやサービスを生み出す力がなくなっているからなのです。日本でなぜ、ヤフーやグーグルが生まれなかったのか?なぜ、ソニーiPodを作れなかったのか?これを考えることにこそ、日本再出発のカギがあります。』(幻冬舎刊「日本経済の真実」p.188-209より抜粋)

ウォール街の専門家は、自分たちがやっていることをまったく理解していなかった。著者[「The Big Short」著者マイケル・ルイス]は繰り返し、そう指摘する。サブプライムローンを組み込んだ複雑な金融商品の内容を理解していなかった証券会社社員。取引数を増やすことにばかりとらわれ、たいした調査もせず劣悪な証券に高い格付けをしていた格付け会社。世間的には「優秀」とみられる人々がいかに愚かだったかという事実に驚く。』(2010年5月24日 Asahi Shimbun GLOBE G-7面の宮家あゆみさん文より抜粋)

『数学もまさしく同じことをしている。構造を築きあげながら、それが何の構造か知らない。完全な(すなわち完全に正確な)モデルを作りながら、それが何のモデルかを知らない。そんなことには無関心なのだ。
 たとえば彼は球、直線、点と口にする。しかし彼らがそれらの専門知識であらわすものはわれわれのなじみのものと異なる。球体のマントには厚みがないし、点には広がりがない。彼らの構築物である空間は我々の空間ではない。なぜならそれは望むだけ多くの次元を持つことができるから。数学者は無限や超無限を知るばかりでなく、負の確率も同様に知っている。何かが必ず起きるときその確率は1である。とうてい起こりえないとき確率は零である。そして「起こりえない」よりもなお起こりえないことがあり得る。
 数学者は自分が何を作っているか知らないことをよく承知している。「数学とは」と非常に才能のある人物、すなわちバートランド・ラッセルが言っている「自分が何について話しているか全く知らず、自分の言っていることが正しいかどうかも知らない専門領域であると言える」』(エディション・プヒプヒ刊 スタニスワフ・レム「発狂した仕立て屋 その他の抜粋」p.8-9より抜粋)

上記『』内の数学のヒトは「数学の正体」には興味がない件はハトの人(グリ目のほう)にまるであてはまるなーとかるいきもちでのせてみたんですが、いちばん上の『』内で抜粋した社長から押し付けられた本の内容とすこしかぶるかなーとも思ってなんとなくならべてみた。ちなみにレムさん文は上記抜粋箇所のすぐあとにシュルレアリスム的展開が広がるシビれる5行が続くんですけど、今回の趣旨から逸れちゃうのでのせずにおきますた。宮家さんが紹介してるサブプライムで大儲けしたヒトたちを描いた本ではハミだし者的なヒトたちだけが破綻をコンプリート予測してた旨書いてあるそうですが、となると異質な者は社会の監視者ということでたいせつにしなければならないですな。空気読めないからって気にいらん人を村八分にしてると、腐ってる部分すら自覚できなくなってにいつのまにか村は滅びちゃうってことっぽい。異分子排除で一時的に安心感得るのをよりどころにしようとする差別の人じゃないけど、現状と将来への不安感から根ざしたと思しき貧乏人の足のひっぱりあいみたいな世相がここんとこずーっと続いてて不穏なのはわかりますが、たとえば漫画が世界で売れるんなら国をあげて盛り立てるくらいしてもいいのに、政治家までもが不安や疑念でがんじがらめでショボい政策しか繰り出せない状態らしくて未知の事の前に不安でもたもた尻込みした挙げ句、外国にどんどん追い抜かれてジリ貧螺旋に陥ってるありさまでいいかげん閉塞打ち破る的な思いきったことしてくれよ。しかし日本経済真実本が推奨する大企業優遇体制で社員の人へのカネのお通じがよくなればいいですけど、ウォルマート経営者じょんいるみたいな市民を奴隷扱いしてピラミッドの頂点だけが儲けをガッポリかっさらって涼しいツラ決め込んでるような、人の上に立つ資格のないさもしい連中が経営者としてのさばってるのをみてしまうと、悪いこと続きの市民感情としては不安がぬぐえないことこのうえない。ほんとにそんな政策しちゃってだいじょぶなの、みたいな感情が根強くある。倒れるはずがないと思われてた名だたる金融会社が突然ぶっ倒れて世界中にひどい影響及ぼしたこととか、ひどい出来事が多過ぎてなにを信じて進んだらいいのか多くの市民がわからなくなってるのはしかたないとしても、国の采配するヒトまでもがビクついててもこまる。信念もって国を元気にさす政策と思うんなら正面から市民を説得してみろよ。この政策ならば日本が元気になります!とか胸張って言えないでいる自体が不安感を倍増さすことこのうえない。尚、日本経済真実本では著者の方が三丁目の夕日的な「懐かしいあの時代」的生活状態にちかい状況の国へいってみた件が書かれてまして、一般市民は腰蓑巻いた土人さん的な生活でそこらへんの雑草だの虫だの喰ってて、金持ちは高級住宅街で最先端機器に囲まれて悠々自適な安楽生活をおくってるという有様だったそうです。自民公明や矯風会はこのような世界を理想として目指してるんですね。頭おかしい。
日本経済真実本では『ぬくぬくと既得権益のぬるま湯につかりながら、お題目のようにきれいごとを並べる政治家、ニュースキャスター、評論家』も日本経済衰退の原因の一端としてますが、日本のテレビ局や新聞が悪者の太鼓持ちと化してるのは「ラクちんして生きていきたい・たいへんなことはしたくない(=苦労せずたくさん得たい)」て心根が原因なのかなーと思う。真実に切り込んで面倒ごとと対峙するよりも安易な視聴者のヒステリー煽りして場当たり的に儲けてたほうがラクちんだし。信者がエアファンクラブしてくれてカラ人気得て安泰な芸人生活おくるのを目的に創価に入信する芸人も、結局芸ひとつで生き抜いてく壮絶な生き様がイヤだからなんでしょ。本来的に芸能界のような切った張ったの業界で「安穏と暮らしたい」てのを求める自体間違ってると思うんだが。むかしの大御所俳優が豪遊するのとかも、壮絶な業界で日々過ごすストレスを解消するためのもので、1晩で数百万浪費しないと精神面が釣り合わないようなひどい仕事だったからなんだろうし。 自民党がいつまでたっても天下りをやめさそうとしなかったのも結局ラクして地位と儲けを手にしていたいからで、それは経済が上り調子のときには影響なくても下りになってもかじりつかれてたらたまらない。親の金食い潰して家にこもってるニートと同レベル。ナニがいいたいかとゆうと、ラクしたい目的の輩は落ち目の世界では悪そのものになっちゃうねという話です。ヒモやダニです。めんどくさいことやむずかしいことからは目を逸らして同じ宗教唱えようって?それってキリスト教でいう怠惰の罪じゃねーのか?
しかし「苦労を避ける」精神状態が市民間にはびこるとこんなことになっちゃうんだな。親が子に苦労の意味や忍耐について教えられない時点でどうかしないといかんのやも。

とりあえず経済や政治の中枢に数学の人を据えるの禁止。