神は諦めずにつくり続ける

昨日はリミット(池袋HUMAXシネマズ)→ヌードの夜 愛は惜しみなく奪う(シネパトす)→エクスペンダブルス(丸ピカ)→100歳の少年と12通の手紙(しね)とみまして、100歳の子供つーとAKIRAの子供老人とか老いる病がよぎりがちですがそうじゃなく、余命が2週間弱しかないお子さんが唯一こころを開いたおばさんが気を利かせて「1日で10歳年とるってのはどーよ?」ていう人生体験ごっこを落ち込む子に勧めてみたくだりのモノ。その子は他の患者の子とダチになるほどに長期入院してるんですけど、もうしぬ日が確定してるほど重い白血病を患ってるもんで周囲のおとながその子(オスカー)を腫れ物にさわるように扱ってて、たちの悪いイタズラしても犯人がオスカーだとわかるや「も〜だめだよイタズラは〜ウフフ〜」みたいに気味の悪い笑みを浮かべてなかったことにされたり、信頼のおけるはずの両親ですら暗い顔でいらないプレゼントばかりやたりに持ってきたりと、なんでそんなキモい扱いをされるのかわからなくて当のオスカーは落ち込んだりふてくされたりしてる。ある日オスカーが院内を歩ってると、曲がり角でピンクのスーツ着たおばさんとぶつかって「なにやってんだこのガキ!」的な罵声を浴びせられて途端に水を得た魚のようによろこぶオスカー。ピザの配達のおばさんなんですけど、以来オスカーは腫れ物扱いする医師や両親とはクチを聞かなくなってしまって、困り果てた医師がオスカーにどうしたらいいのか訊ねると「ド派手なおばさんとしかクチきかねーし」つーことでおばさんが呼ばれる。おばさんは元プロレスラーなこともあって気性が荒いうえ慈善だのボランティアだのが超嫌いと公言するとても正直なおばさんで、そのうえ病気・結婚・愛という捕らえ所のないモノがニガテという許容振り幅が極端かつ繊細な人柄なので「死を目前にした子供の話し相手」などという慈善と愛と病気が渾然一体となった頼み事など即お断りするものの、開業したてのピザ屋のピザを病院で毎日注文する条件をチラつかされてしかたなく受けてしまう。そんでオスカーの病室におばさんがいってみるといきなりオスカーが自分の坊主頭だして「…どう思う?」てたずねるので、おばさんが「火星人」てクソ正直にいうと「だよね!」て大喜びしておばさんとの会話を楽しむオスカー。オスカーのいる病棟はほかにも重病の子がたくさんいて、それぞれ体があきらかに変形してる(水頭症とか肥満児とか自閉症とか)もんで子供同士であだ名でつけてお互いに呼び合ってるんですけど、それは差別とか悪意じゃなく純粋にあだ名のモノに似てるからで、当人たちもイヤがることなくそれをふつうに通り名にしてる。体が病気なだけで心はそこらのヒトとなにも変わらないのに、健全なままの心や魂までを「病気」と見なした腫れ物扱いのヤワな善意が心を癒すわけがないんだよね。相手よりも自分の悲しみ優先した上っ面の善意で覆われた病院内のおとなのなかで唯一信頼できるド派手おばさんを得たオスカーは、おばさんの過去のプロレス武勇伝(再現映像部分はシルクドソレイユがやってるらしい)に目を輝かせたり、おばさんの勧めで腹立つ神に手紙書いたり1日10年人生進行で実行できることに着手したりと死に向けて充実した毎日をおくるオスカー。おばさんは口が悪いものの、相手が本当に傷つくようなことは決して言わずにうまいこと話を広げてくあたり、プロレスの進行が身に付いているからなのかなーとちょっと思った。なんかプロレスって相手のこと考えないと試合にならんのですよね?あと長年孤軍奮闘でバリバリ働いてきた女性つーのはいろいろ守らなきゃならんモノがあって強面になりがちなんだけど、それは重い責任から派生する重圧をこなし続けてきたからで、べつに悪いヒトではないんですけどそれが染み付いてしまってつい口汚くなってしまうんすよね。身近にいるんでよくわかります。そのテのヒトって大抵心根はあたたかいんですよ。でもそのあたたかい部分をいちいち出してたら責任を果たせないからついキツい物言いになってしまう。今作ではそういう生き様をしてきたおばさんもよく描けてたと思う。オスカーとド派手おばさんは境遇も年齢もぜんぜんちがうけど「人生上っ面じゃねえんだよ」という部分で合致した魂の友だったんですな。あだ名つけられてメソメソしてる子はあだ名つけてきた奴をズバリ言い表したあだ名つけかえして日常的に呼んでやんなさい。意外とダチになれるやもよ。お互いに真実を避けてもろい関係でいるよりもずっと強いつながりが確実に生まれると思う。最終的にオスカーが両親に対して勘違いしてることをド派手おばさんがしっかりたしなめるところもけじめをキチっとつける意味でよかったと思う。ほんとうの友達は間違っているとこをお互いに言えるものです。
消耗品軍団は「あんたさあ、こんなバカな映画いつまでも観てるのよ!もういい年なのに!もっとやらなきゃならないことがあるでしょ。財テクとか年金とか、そういうこと全然あんた知らないでしょ!もっと大人になりなさいよ!」て町山さんの奥さんが激怒しそうな例のアレですが、個々の火気使用シーンとかアクションはもうしぶんないんですけど、なんつーか…シャレでつくってる感が否めないっつーか…。80年代にただの儲け仕事として量産された考えないアクション映画のシリアスさがぜんぜんないんですよね。なんか客の了解のもとにウインクしながらゆるい雰囲気でつくってるカンジつーの。いろんなヒト集めてたちむかう系なら地獄の7人のがずっと燃えるなあ。終わり方も仲間が集結して飲んで完つーのも80年代のだったら「全滅さしたとこから飛び立って完」なんじゃないのかなあ。なんかユルユルなんだよな。アクションや火気描写のリアリティある重たさと、「全員了解のもと」前提のユルいシャレじみた構成が合致してないんだよな。リアルならリアル、ユルいならユルいのどっちかにしたほうがよくなかったですかね。真剣であるべき部分がユルさに置き換えられてんだよ。スリリングを出す箇所を間違ってるのかな?ぜんたい80年代のアクションにはある熱い血があるようでないっつーか。主人公側のニヤニヤ度がいやに多すぎるつーかさ。メンバーがぜんぜん死なないのもどうかと思うし。
ヌードの夜はひどい境遇なあまりに積もり積もった憎悪によって殺人が止まらなくなってしまった娘に竹中直人が「あの子は純粋なんだー!」みたいにトチ狂う映画。パンフのたきもとさんの「探偵ではなく代行業だからこそマゾヒズムが際立ちノワールとなる(うろおぼえ」論はシビれた。ノワールは欠損が軸ですからね。とかいうほどみてないけどなんとなしに。大竹しのぶナチュラ守銭奴おばちゃんぷりは当然すごいすけど、井上晴美も着々とよい女優になってきていますね。
リミットは生き埋め映画としては徹頭徹尾正しいつくりのお手本のような作品で。人事部の非道さにシビれた。ライティングの関係でライターをつけてなきゃならんてわかるけど、棺が燃えそうでハラハラした。おいらなら後半でみつかったナイフで床板をガリガリやって掘るけどな。空気なくなっちゃうか。あとHUMAXシネマズの下がブックオフになってた。漫画屋が映画館の下にあるっておいら的に最強コンボ。くらせる。