おまえはほんとうに更生したのか?

昨日はシネパトスでストーンみましたが、なんか意味わからんくてパンフ買ったけど物語上の解説類がさっぱりのってなくてどうしたらいいんですか。夫人の勧めてくる「フランス映画みたいなおとなの話」的なわからなさをまさかハリウッド映画で体験するとは。おとなになったな>ハリウッド映画。スジとしては受刑者の仮釈放審査を数十年続けてきたベテラン仕事人のデニーロが、退職直前に担当することになった放火殺人犯のエドワードノートンに翻弄される的な物語なんですけど、なんか最初はどこにでもいそうなさもしいチンピラまるだしだったノートンがいつまでたっても出所できないイライラを解消するために手に取った自己啓発本みたいの読んで以来、ソフトなものわかりのいいあんちゃんにだんだん変貌してってデニーロとノートンの彼女(ミラジョボ)が…えっ…?てなる展開で。あすこだけみるとノートンを変えたゼなんたらいうカルト宗教の宣伝映画なのかと思ってしまうくらい重要な転換点になってるんだよな。ちょっと遅れちゃって冒頭がすこし観れなかったんですけど、もしかして若かりし頃のデニーロと奥さんのくだりがけっこう重要なのかしら。なんか明確に物事の原因や心象を提示せずフレンチ映画のようなニオわせる描写でぜんぶ済ませてるんで、はっきりとナニがどうってわからんのですよ。なんかデニーロの奥さんはデニーロに対して離婚したいほど我慢ならない嫌悪感を持ってて、それがラストにも出るんですけど、やっぱりはっきりとは原因がわからんつーか。デニーロが人を裁く的な立場にいながら実際には裁かれるべき心証をしている(人を痛めつけるような言動を平気でする)つーのはわかるんですけど、ラストで何かが聞こえてきた的なシーンがあるから結局「このどうしようもない男もようやく改心しはじめましたよ」つーことで一応ハッピーエンド…てことになるのかしら。さもしいチンピラ時点のノートンが出所したさに彼女のミラジョボをデニーロにけしかけて色仕掛けさしたりすんですけど、ミラジョボとノートンはそれぞれお互いのことを「何を考えてるかわからないバケモノ」呼ばわりしてんですよね。それが嘘なのかどうか、あのノートンの中盤からの変貌ぶりがほんとなのかどうかもよくわからない。この映画の監督さんがなんかこんどやるトンプスン映画で脚本やってるそうなんですが、監督さんの善悪や償いに対する考えがなんか穴の底がみえなげでたのしみ。あ、つーかデニーロ・ノートン・ミラジョボそれぞれの2つの顔を並べてるのか。ミラジョボは昼は子供たちの世話してて夜は娼婦だし。デニーロはミラジョボを軸に変貌してしまうし。つーか変貌してなくて元々もってたのが出てきただけか。あとミラジョボが映画中のセックスシーンが辛くて家で泣いてたとかパンフに書いてありましたけど、デニーロとえっちしてしくしく泣いてるミラジョボって想像つかんな。いつもツリ目で蹴り殺してるイメージしかない。ミラジョボって犯罪がらみの映画だとあばずれの役が多いのにねえ。