ネオン管展示は会田さんの殺すネオンがよぎらずにいられんでしたよ

フレンチ・ウィンドウ展(7月29日。森美術館)は汚物入れとしかみなされていないモノにトンチのきいた題つけるだけで特定の「時代」を客観視することのできる作品になってしまう手法の始祖であるマルセルデュシャンの精神を受け継いでる美術家の作品を並べてある展。ひとつの見方しかされていない(多くは「くだらない」と思われている)モノを過剰に目立たせることで「現代」のありさまをみせつける的な傾向のが中心です。しわくちゃに丸めた紙クズを2メートルくらいの鉄で再現したもん(ワンドゥ「中国日報-都会派男性のプロフィール、トップ10」)とか3メートルくらいのポストイット然としたアルミ製オブジェ(ペナド「Game Over」)とか、コンクリの建造物がどこまでも続いているニコラムーランの人工無人世界の写真とか、いつも目の当たりにしているありきたりのつまらないゴミクズが質感や大きさを変えるだけでとたんに不可解でブキミな物体になってしまう。かわりダネでは天井のモザイク色が床に置かれた銀の玉に映るとドクロになってるサーダンアフィフのとか、チョコレートとかバニラクリームを塗ったくった板をネズミにかじらせた痕(付ネズミのうんこ)を展示してるミシェルブラジーの作品もほのぼのしてますし、ありきたりブツを過剰にみせつける系では脳みそを巨大化さして銀ピカにしたラメット作品は基本ですし、最初のほうに展示されてるペナドの茶色いミシュラン人形は欧米ではけっこうヤバめのもんなのかしら。ナプキンのCMで使われる液体が青でなければいけないのと同様にあの人形は白でなければいけないもんなんですね。色をちょっと間違えただけで意味合いが大きく変わっちゃうっつー。意外と気づかないもんですわね。現代美術の授業と称してちびっこたちに既存の企業商品の色を自由に塗ったくらせるってのはどうか。世の中にはわりと特定の誰がしかに対して自粛してるもんが多いってことがみえてくるぜ。あと個人的にモノ作品よか映像作品がツボで、だれもいない森の小道をえんえんと進んでゆくローラングラッソの「ホーンの視覚」は椅子が置いてあったりしてなんとなくダラダラみてしまうし、なんかダラダラみてしまう系ではドミニク・ゴンザレス=フェルステルの「エグゾトゥーリズム」がすごい。この展て夜間だったせいもあってカッポーだらけだったんですけど、ほとんどの作品をほぼ素通りしどおしの女子たちがこのエグゾトゥーリズムにはどうしてか見入っていた。男はすぐに飽きて立ち去ってたけど、どういうわけか女子が「なんか面白くてみちゃった〜」つって。内容としてははっきりした物語があるもんじゃなくて(実はあんのかな?)、なんつーか…海のなかで生命らしきモノが発生してるふうな光景とか、刻々とうつろう空の雲間から輝くなにかが降ってきてはどこかへ流れてゆくようなたえまない煌めきと何者かのうごめきを淡々と追うふうな…なんつーかイメージ的にはゆらめく色合いと点在する光りでもって地球ができていくところを表現してるふうな。映ってるもんがなんなのかわかるもんがひとつもなくて、全部が単なる模様じみたモノなんですけど、いくらみててもぜんぜん飽きないんですよ。どうしてなんだろうか。20分くらいじっとみてたんだけど、どこが切れ目がぜんぜんわかんなかった。あれ腰すえてみてたいので椅子用意しといてほしいわ。突っ立ったままみるのキツかった。映像の最後(最後なのか始めなのかわからん)のほうで宇宙船の光じみたなにかが雲のむこう側にあるふうなのがあったけど、なんなのかなあ。はっきり描かないんで不明。前にワタリウムの地下で聞いた中原さんとノイさんのSF断片リミックス演奏をちょっと思い出したよ。「ニオわせる」演出でハッキリとはさせず客に判断まかすアレ。とにかくすごくきれいではあった。ヒトによっては癒されるやもしれんし気持ち悪くなるやもしれん。演出に使ってるもんは無機的な幾何学模様じみた形状のモノばっかしなんですけど、なにか…あきらかに生物を描いてるふうにみえた。動きのせいかな。それと「なんかダラダラみてしまう」あたりでこれぽくもあった。映像作品でもういっこ面白かったのが客の9割が素通りした(まだメインの作品が映ってもいないのに御大層な講釈タレてさっさと去ってった美術好きとおぼしき男2人組、みてますか?バーバー)Celeste Boursier-Mougenotの「フロム・ヒヤー・トゥ・イヤー」て作品で、天井から吊るされた大量の白ハンガーの内側に小鳥たちが放たれてて、その内側に吊るされた餌台にとまったりつついたりすると音が鳴るやつ。ハンガーにとまってもかすかな音がして、そうやって小鳥たちがあちこちとまるたびにでる音こそが作品てことらしい。この作品て映像みたかぎりでは大きな小屋を設置した中につくるみたいですけど、それでもハンガー内の小鳥たちはハンガー外にでていかないのな。まわりで客がみてまわってんのに。どうしてなんだろう。わりと快適だからかな。つーかこれ映像じゃなくて実際に日本でやってくれんか。もりならできんだろ。トリの美術展つーことでオッペンハイムのトリテーブルといっしょにみせてください。フレンチ窓にもどしますが、作品でよくわからんかったのがいくつかあって、ヒルシュホーンのはスピノザカーてことですけどなぜスピノザでコップを貼付けてんでしょうか。スペイン漫画展でもスピノザがらみで作品描いてるヒトいたし、どのへんにメロメロなんだか説明してほしい。なぜといえばXavier Veilhanはやたらにサイだらけだし、ピエールアルドゥヴァンてヒトがエレファントマンのメリックのヘタクソな人形つくってなぜか花瓶に生けてる件もよくわからない。展のさいごの映像んとこのロールシャッハ絵移ろい映像はだれひとりみてなかったしどこにも作家名なかったけど、ただつなぎで置いてただけなのかしら。
そういえば31日の夕方にやってた怒り新党て番組で、若手芸人の舞台みにきてる客が芸ではなくてアイドル的なモノが目的できてる色目当ての輩ばかりなことに苦言を呈する視聴者からの投書に対してマツコと有吉が「そんなことを要求するほうがおかしい」とかいってたけど、まーその若手芸人は色目当ての客ばっか寄ってきてる時点で「笑わせる」ちからがどんなもんか推して知るべしってもんだし、色目当ての浮ついた客でもカネ落としてくれるんだからたいせつってわかるよ。わかるんですけど…。作品を目当てにきた身からすると大方の作品素通りしてイチャイチャするカッポーだらけだとさすがに辟易するよ。マツコと有吉の言いぶんは重々わかるけど同意はできません。でもまあいいよ。美術館の存続のためにはなるし。どんどんカネ落としていけよ。楽しんだり理解したりする必要ねーよ。大枚はたく散歩道ですよね。つうか年がら年中いかがわしいことしか考えてねーんだな。あーよかったよかった。平和平和。