興行はあつかましい態度を貫けたほうが勝ちなんだね。

危険なメソッド(31日。しね)→合衆国最後の日(3日。えぬ)→ザ・レイド(シネマライズ)→カリフォルニア★ドールズ(えぬ)→トールマン→ヘッドハントとみまして、ヘッドハントはふと目覚めたらPCのった机の前の椅子に鎖で縛りつけられてて、雇い主と称する殺人鬼からそいつの無実を証明する業務に強制的に従事させられて苦しむ6人の男女のゆくえはいかに的なスジで、サイコパス物件なのでなんとなくみにきただけだったんですけど結末までみてなにこのロボトミーサイコパスヒーロー!!と爽やかな気持ちになりました。雇い主を自称する殺人鬼はレッドさんというんですけど、レッドさんに逆らったり業務の進み具合が滞ってる社員は義手の下に隠されてる鉤刃でおでこに傷がつけられていって、その傷が5コになると喉笛をかっ切られて事実上の解雇となるのですが、いきなり拉致監禁したうえ勝手なルールにそぐわないとサクサク殺す時点で無実でもなんでもなくふつうに殺人鬼なんですけども、後半にむかうにつれてレッドさんは投獄された罪状についてはガチに無実だし、拉致って傷つけたりするのも実はその無実の罪で投獄された際に精神病院で施されたロボトミー手術が原因でそのような冷血漢になってしまったふうなことがだんだんわかってきて、前半であんなにレッドさんを憎しみの目でみてたとゆうのに後半になるとなぜかレッドさんがなにもかも正しいように思えてきてもうどうしたらいいのか。なんだこれ続編たのむ。結末までみるとそれまでのレッドさんの言動がなんか正しいことにみえちゃうのよ。ぜんぶ理由があんの。調査のやりなおしさす手法や過程がやりすぎなことはたしかなんですけども、でもレッドさんの裁判に関わった連中が実は誠実に証拠を精査していなかったとゆうことがあぶりでてくんですよね。逆にいえばレッドさんがそこまで拷問じみたことをしないかぎりあの5人はちゃんとしらべようとすらしなかったってことだろ。そうなるとやっぱりレッドさん正しいんじゃね?て思っちゃうんだよな。あざやかな演出だよなー。まいったよ。レッドさんは無実の罪きせられて投獄された精神病院でロボトミーされるまでは至ってフツーの経営者だったみたいなんですけど、なんかロボトミーされたら業務を遂行さすまでの厳しさリミッターがどっかいっちゃったみたいで、解雇の際にブチ殺した後の処置がまたやたらヒドイのよ。喉笛かっ切ったと思ったらそのまま首切り取っちゃって、どこ持ってくのかと思ったら部屋に置いてある事務用ひきだし的なもんの中にいつも無造作に放り込んでしまいこむんですよね。社員への懲罰後の体の一部だの装飾品だの、なぜかぜんぶ同じ引き出しのなかにしまいこむのよ。レッドさんあのひきだしが好きなんだろうか。業務のためなら殺人を厭わなくなってしまった経営者てこうなるんだなーと感心した。結末までみるとレッドさんの行動原理はかなり一貫してるのかな(ちゃんと仕事をした者は殺さないし)とも思えるんだけど、でも恐怖や道徳リミッターが存在しないゆえに殺人をみせつけられた社員たちが恐怖に震え上がって業務遂行に支障をきたしかねない、というあたりへの想像力が働かなくなってるあたりは経営者としてはどうなんだろうな。タイムリーにこんなのでてましたのでどうぞ。
トールマンは子供誘拐に関するサスペンスですけど、マーターズと同様に「貴族の遊び」を軸につくってんのね。貴族の遊びつーか特権階級的な人間が勝手な感情移入のえじきにした庶民をもてあそぶつーのかな。アレだ、かわいそうだからつってアフリカの貧しい地域から子供をもらって養子にしまくって善人ぶってるハリウッドセレブ(笑)から感想文もらったらどうか。欧米の金持ちは黙殺するだろうね、この映画。ジェシカビール夫妻のやってることって自己満足でしかないしねえ。「自分の考えこそが正しくその他は正しくない」て観念の押しつけだし、なにより自分が悲しみたくないだけが動機つーね。善行ぶってるけどその心根は土人さんを奴隷として拉致するのと大差なくないか。実の親を悲しませるようなことをチマチマするよりも、その地域に仕事をもたらすような会社なりなんなり誘致したりするほうがいいんじゃなかろうか。
ザ・レイドは杜撰な読みでマフィアの地獄マンションに踏み込んでしまった特殊部隊員がどんどん死んでく話。監督がスコットランド人?のインドネシア映画なんですな。主要キャラがもともとプロ格闘家だったヒトが演じてる(ふつう逆だよな)て向きばっかだし。俳優が格闘家から教わったとかじゃなしに、もとから教える側なんすよ。各々が正真正銘の戦闘のプロですよ。インドネシアの殺しの技術ですよ。ガチの特殊部隊員でもあすこまでの格闘ができるかどうか。こりゃクンフーか?!と思ったらプンチャックシラットつーモノなんですな。マフィアのアジトということで一応ボスはいるんですけども、そいつはさして強くなくてナンバー2のちいさいおっさんがものすげえ強い。主人公側が2人で挑んでも素手で相手できるレベル。そいつとの事実上の最終戦もイイんですけど、このマフィアの地獄マンション具合がグッとした。住人が基本的にほとんどマフィアの構成員なので、特殊部隊員がいるとなると床から天井から壁から、どこからでも殺しにくるんですよ。隊員たちもとにかく逃げなきゃならんからデカい金槌で床板たたき割って穴あけてにげこんだり(でもすぐしたの階でたちまち殺されたりする)、なんかこうゲームで掘り進んだり壁壊したりすんのあるけど、あれと血みどろの格闘ゲームがごっちゃになったカンジ。短パンTシャツのなんてことないおっさんが超腕利きのスナイパーだったりするような、血塗られた腕前が市井のニオイというゲリラ服をまとってるふうなとこにシビレた。兄弟がハンパに迎合しないラストもさわやかでよい。
カリフォルニアドールズは女プロレスラー2人組のマネージャー(ピーターフォーク)がどうにかふたりを売り込もうと試合とってきたりなんだりがんばるんですけど、イイ試合しても最初に言ってた報酬額よりも安く叩かれたりするとカッとなって絶縁状叩き付けたり、値切ったやつの車のガラスたたき割ったりと直情的すぎるのが原因でイマイチうまく売り込みができておらず、万年貧乏暮らしに甘んじてるんですけども、試合もなくいよいよ干上がりそうってときに意を決して女プロレスラーの片割れが文字通り体を張って試合をとってきてから畜生やってやるー!!とばかりに多少のイカサマや汚れ仕事も厭わずに率先して邁進しはじめるピーターフォーク。んで最後の大勝負がクライマックスなんですけども、興行を盛り上げるとはどういうことかがしっかりこまごまと描かれててたのしかった。もうね、場を盛り上げるにはちょっとした買収はあたりまえにするしかないんですよ。チビッコたちも結局それで釣られて盛り上げ役になるし。娯楽に於いて身ギレイでいるのなんて何の役にも立たない。場を味方につけるには安い投資だよ。歓声・音楽・歌ときて次は衣装とか登場方法とかね。初見でびっくり仰天さして惹き付けるのがめちゃくちゃ大事。そんな中で女プロレスラーの片割れの金髪ちゃんがちょっとヤクやんないと試合できなかったりするメンタルの弱さがあるんですけど、大勝負のためにやめて克服しようとしてたりすんのね。んで肝心の試合は主人公側がなんども勝ちそうになるんですけど、レフェリーがマフィアに買収されてるらしくて、フォールしてもカウントとろうとしないのよ。それであんまりあるもんだから、トサカにきたピーターフォークがもうレフェリーぶちのめせ!て叫んでレフェリーが痛めつけられます(そうされても主人公側を失格にしたりしないレフェリーはちょっとエライすね)。こんなようなことが何回もあってどっちが勝ってもおかしくないふうな展開になだれこんでゆく。娯楽興行におけるダーティさてのは「なくすべきもの」じゃなく、なくてはならないたいせつな要素のひとつなのだなーとこの映画みてひしひしと感じた。なくしたらつまんないよ。報酬値切ったりレフェリー買収したりするマフィアのボスもなんとなく憎めないおっさんだった。アメリカの和田アキコ的なゴリラおばさんもよかったな。ノーテンキで。
合衆国最後の日カルフォルニアドールズと同じ監督さんですけど、ミサイル基地占拠して国家をゆする的な政治サスペンスだというのに、どういうわけか人情劇のもったり感が全体を覆い尽くしててねむくなる作品だったな。しかもものすごく専門的な制御解除技術とか必須な案件なのにお供が門外漢のコソ泥しかいなくて、むりにそいつらにやらせるから脂汗たらしながらガタガタ震えだしてメンタル崩壊寸前になっちゃうし。規模がデカくて深刻な仕事なのにそれやるほうの準備状態がずさんすぎてどうなってんだ。しのびこむほうもふせぐほうも、どっちもなんかのんびりしてるからねむい。両方が隙だらけなくせして完璧にこなしてるふう態勢で、全体的にのんびり風味。大統領役も肥え太ったおっさんだし。オチは結局「アメリカの良心が死んだ」てことなんだろうか。
ユングは(中略)ウィーンのフロイト宅を訪問する。フロイトユングが13時間ぶっつづけに話したことは有名だ。
 ふたりは急速に接近し、父と息子のような関係になった。とくにフロイトにとっては、権威ある病院の医師が、ウィーンの町医者の精神分析療法を認めてくれたことは大変ありがたかったし、しかもユダヤ人ではないユング精神分析の陣営に加わってくれたことは非常に心強かった。フロイトはつねに精神分析が「ユダヤ人の怪しい療法」と見なされることを恐れていたのである。フロイトはじきにユングを自分の後援者と見なすようになる。
 だが、ふたりの理論はもともとかなり違っていた。「蜜月時代」には、ふたりともその違いに目をつぶっていたのである。ふたりとも心の専門家だが、自分自身の心に関しては恐ろしく無知だったのである。』(「危険なメソッド」パンフp.10より抜粋)
危険なメソッドは日常生活に支障をきたすほどに言動が奇異になってしまっている女性の治療を進行するうちに、ある日やってきた性的自由人に感化されて治療中の精神疾患持ちの女性シュピールラインと情事を重ねてしまう心理学者ユングと、一時は深く親交した精神科医フロイトとの決別までのやりとりを、シュピールラインを絡めて描いたこじんまりした映画。ユングフロイトに関してわりと知ってる向きにはみごたえがあるのやもしらんのですが、大部分が会話だけで進行するうえ見世物的なシーンもない学術映画のようなノリなんで、娯楽を求めてる方にはおすすめできない。正直ゆって危険なメソッドは映画としては面白くない。ただユングフロイトに少なからず興味があるヒトにとっては当時の関係とかを感じ取ることができるんで、情報として知ってたい向きにはいいかもしらん。映画本編をみるだけだとわからんのですけど、パンフ読んだかんじでは社会的地位(人種差別に根ざしたもの)に関する鬱屈をフロイトは抱いてたらしくて、ユングが自分のみた夢を赤裸々に告白してみせても、フロイトは決して自分の性癖や本音をユングに対して語ろうとはしないんですよね。自宅にいけば子だくさんだし、ユングが訪問した際の晩餐時に性衝動の話題をだしかけて躊躇したユングに対して「ウチではこのテの話題いつもしてるからだいじょぶだよ」みたいに言うし、なにかというと精神疾患の原因を性衝動(feat.チンコ&肛門)に結びつけるあたりからして至極まっとうなエロオヤジなんじゃないかとは思う。ただ年くって保身が入りはじめた&頭かたくなっちゃったが同時にきたとゆうか。心のねじくれを性方面抜きで夢のお告げ的な方向や美術方面に求めるとかなると当時はあやしげなもんにしか思われなかったのかもしらんな…。まあ今でもその傾向はのこってますけどさ。ユングフロイトと直接会う前にフロイトの著作にかなり感化されてたらしくて、手がつけられないほど暴れる精神疾患持ちのシュピールラインさんに対してフロイトの編み出した談話療法(ひたすら話きく)を施してくと、シュピールラインさんは避け続けてきた(がゆえにおかしな挙動が出るようになってしまった)ドM欲求に向き合うようになって、まあだんだん落ち着いてユングの仕事も手伝うようになるんすけど、ドM性衝動そのものが解消されてないんでしぜんと手近なユングを誘うようになる。ユングは奥さんに申し訳ないから、とシュピールラインさんの誘いを断りつづけるんですけど、フロイトから押し付けられた性的自由人グロスさん(なんか唇にぬったくってる)にもう素直にヤッちゃいなYO!て焚き付けられて以降不倫街道を走りはじめてしまう。なんつーか、自分から心を開いても相手はおなじふうに心をひらいてくれるとは限らないうえ更に心を閉ざしてしまうこともあるし、お互いに心を開き合って肉欲をむさぼっても幸せになるとはかぎらないし、心を開いた者がその結果派生した不毛さに立ちすくんでしまうやりきれなさが描かれてるかんじだった。ユングの奥さんも夫の心が離れないようにするのに必死だったし。ユングの不倫を後押ししたグロスさんもなんか不遇の死をとげたんだっけね。フロイトユングに心を閉ざしたのもなんかしかたないかんじするしな。自分の性癖は他人に知られたくなくてあたりまえじゃん。育ちの良い年下に激しく嫉妬してる状態だったらなおさらだよね。もしもフロイトが欠点や弱みすらもどんどん出せるかんじだったらユングと共同研究もアリだったかもな。映画としてはクローネンバーグらしからぬお上品作品だし娯楽映画としてもぜんぜん面白くないんですけど、なんかクローネンバーグはエグい作品撮る前にこのテの精神疾患がらみの小品を撮る傾向にある気がするんで、次回作に期待。やっぱクローネンバーグ映画は血と臓物がドブドブ出ないと納得いかん。