きわどさがあってこそ大人の娯楽たりうるんですよ

会田さん作モニュメントフォーナッシングIVを撤去さそうと抗議したおばさんが巡回頁にでてきたんで当時のやりとり(興味あるヒトはここらへんの日前後に書いてた書き込み参照)について改めて考えてたんだが、下谷おばさんの肩持って返信繰り返してきたヒトはアニメアイコンさんがすごく多かったんで、アニメ好きさんに現代美術嫌いが多いんですかね(ちなみにツイッタでよく抜粋させてもらってるca5さんなんかも現代美術嫌いふうな引用をしたりするんでなんとなく好意を抱いてはいないぽい)。アニメ好きさんが現代美術家を嫌う理由は主に自分らの好きな作品が門外漢に切り刻まれて、元の作品とは別の観点によって観賞されるあたりの愛情もへったくれもない暴力的で冷酷な使われ方に対してなんだろうけども、それってキャンベル缶のマニアがウォーホルを嫌悪するようなもんで短絡的つーかケツの穴ちいせえつーかなんつーか。「現代」を客観視するための作品をつくるにいちばんわかりやすい素材はナニかつーと「そのときに誰もがよく知ってる」モノであって、そこからすると「もはや常識」レベルに人気があるモノほど現代美術家は使わずにいれんと思うですよ。そうして美術家に使われることによって元の作品が忘れ去られた何十年後まで認知される(=世界中の美術館で展示される)可能性が高いんで、長い目でみれば(現代美術作品化を)非難するのはお門違いにも思えるんだがな。現代美術作品をつくるうえでどの部分を「現代そのもの」と規定するかってのが各美術家の腕(目か)の見せどころでもあって、会田さんのモニュメントフォーナッシングIVは「原発事故時に発信された色んなツイッタ書き込み」がその当時を表すに多分ちょうどいいと思ったんであろう。何かや誰かに修正させられたり強制させられて発信したモノじゃなく、個々人が自由に書いた、てあたりの生々しさがポイントなんじゃなかろうか。その生々しさを表現するにいちいちアカウントに掲載許可取ってたら鮮度が損なわれる(=書いた当時の生々しい発言を、あとになって改めて精査したすえに出す=後年の意思によって手が加えられた後の「問題が何もない書き込み」となってしまう)から「許可得ずにぜんぶだす」あたりが肝になってる作品なんじゃなかろうかとなんとなく思う。んでそのモニュメントフォーナッシングIVでツイートを無断使用されたアカウントのヒト全員を「被害者」と決めつけたうえで撤去要求を繰り広げてたのが下谷おばさんとアニメアイコンさんたちだったんだが「市民(会田作品にツイート使われたアカウント全員)代表を勝手に名乗って抗議を繰り広げる」あたりの心理傾向からはなんとなく田中功起さんが日本で映像作品つくろうとしたら通行人から難癖つけられてつくれなかったのでニューヨークでつくった件から醸し出される「興味外の文化に対する現代日本人の狭隘さ」を感じずにいれん。ニューヨークあたりだとヘンなことやってても「美術作品づくりです」つーとゆるしてもらえるらしいんだが、こと日本の公園なんかで妙な事してると「迷惑ですから」つって止めさせられるらしいんよね。なんかさあ、いまの日本人の多くが「許すべきところ」とそうでないところをだいぶはき違えてるような気がすんですけど。休むべきときと頑張るべきときをはき違えすぎていつの間にかブラック企業化してしまってるふうなノリで。現代美術家つーと眉をひそめるのって、有給休暇に思いっきり遊んでるヒトを白眼視するふうなのと似たもんを感じる。いい大人が公にバカやっちゃいかんし、そのバカに権利与えるなんてもってのほか的に。会田さんに難癖つけまくってたアニメ好きさんはそこらへんの潔癖さと現代美術嫌いがないまぜになってるふうなかんじ。なんつーか、大人の「遊び」が実際にどういうものなのかを把握しきれてない生真面目さんが多すぎるというのかな。芸術家に怒り狂ってるてのはつまりどこを許したらいいのかがわかってねえってことだろ。おとなとしてしっかり成熟しきってる欧米の方はとっくにそんなのわかったうえで無断ラクガキを高額評価してるのにね。まー全アカウント代弁者抗議も含めて、ツイッタがまだ「古い」ものではない現時点の風潮をまんま表している点からしてもモニュメントフォーナッシングIVはやっぱり優れた作品だと思う。それと宮崎勤事件のマスコミの印象操作(オタク=危険煽り)報道以来、テレビ新聞はなんだかことあるごとに事件起こした少年の部屋に漫画だのアニメDVDがあっただのとさも関連があるふうな報道をやたらするけども、アニメ好きのヒトが頭ごなしに現代美術を嫌悪してるとしたら前述のマスコミが繰り広げてる魔女狩り(=オタク危険煽り)誘導心理とさして変わらんことになるですよ。
あとさー以下はおいらの単なる推測でしかないんだが、 下谷おばさんが(該当ツイートの個別黒塗りではなく)執拗に作品自体を撤去さそうとしてたあたりからして、もしかすると会田作品に使われた彼女のツイートがデマじみた内容の書き込みだったとかで、そういうツイートをかました過去を広く知られるのがヤで撤去要求してたんじゃないのかなとなんとなく推測。仮にそうだったとしても「あの作品に使われてる自分のツイート内容はかなり間違ってるので真に受けないでネ☆」てひと言書けば済む話なのに、そうしないのは「このアタクシはデマじみた書き込みなどする低能な人間ではない」という山のように高いプライド思考をもとに構成された大変高尚な体面を保ちたいがゆえに「作品自体の撤去(=自分の書き込み自体をなかったことにしたい)」をひたすら要求していたのかなと邪推したり。個人でなく会社の名を出してやってたあたりがなんとなく気になるんよね。
 
なにしろ作者が消したがるもんほど他人にとっては面白い、てのはインターネッツで可視化された人間の爛れた欲望のひとつですね。あたかも見知らぬヅラをはがすのにえも言われぬ喜びをかんじるのと似た。そういえば魚拓サイトとかどうなるんだろう。政治家がHPなんかでかましたまずい発言ブログとかわりと取られてるはずだけどね。