後悔のない違法と、後悔だらけの法

ローズマリーの赤ちゃん(26日。イメージフォーラム)→ハードラッシュ(ヒューマントラストシネマ渋谷)→ギャングバスターズ(シネクイント)→コン・ティキ(1日。角川シネマ新宿)→しわ(バルト9)→10人の泥棒たち(2日。ぎろっぽんヒルズ)→欲望のバージニア(丸の内TOEI)とみまして、欲望のバージニア禁酒法時代のアメリカで地元民が酒の密造&売買しまくってた深田舎地帯があって、そこに新しく赴任してきた取締官(←パンフの粗筋にはそう書いてあるけど、保安官とかではなくあくまで酒のみを取り締まる人てことなんだろうか)が地元民へ向けてけっこうな額の賄賂を要求してきたものの、唯一その賄賂を拒んだ3兄弟が取締官から暴力的嫌がらせを受け続けて、長らく耐え続けてたんだけどもある一線を越えられたことで全面戦争になだれこむ話。あんなんなるんだったら赴任した直後にさっさと殺しときゃよかったんではと思わずにいれませんでした。ハナから殺しちゃうとボンデュラント兄弟がただの殺人者でお尋ね者になっちゃうからまあだめなのか。「地元民全員」が兄弟側にまわってる状態がつくられてからでないと、あの兄弟だけが悪いってことにされちまうしな。しかしあの取締官も密造者をお縄にする気はゼロで、最初から賄賂or暴行のどっちかしかねーのな。フツー違反してたんならまずは牢屋にぶちこむものだろうけど「カネよこせ。よこさねえ奴は半殺し」てギャングそのものすぎるだろ(笑)しかしこういう取締官てのは実績上ではどうなるんだろう。密造者をカネほしさに暴行したのがこなした仕事として計上されてるんだろうか。よくわからん。深田舎に飛ばされたってことはもしかすると都心の警察での蛮行がすぎたからなのかもしらんし。映画にもどしますが、取締官からの賄賂要求を唯一つっぱねた酒造業を営む兄弟てのが寡黙で責任感が強くて腕っ節のいい長男と、チンピラじみてガラの悪い次男と、それと気が優しいわりに一度思いこむとカッとなって失敗しやすい末っ子の3人なんですけども、この兄弟(というか長男)の商売上での信頼感とか不死身伝説なんかが取締官の耳に入るやよけいにイキリたったらしく、取締官が3兄弟への暴行をどんどんエスカレートさせてくんですが、要するにこの3兄弟への賞賛てのはそのまま地元民の誇りと直結しているというか、兄弟の動向がその一帯に暮らす人間の士気に関わってるんですな。取締官が赴任した時点で暴力に怯えた地元民はほとんどが取締官のいいなりになってはいたんですけども、ここら一帯の完全掌握には「伝説的なまでに語られる3兄弟が屈服する」ことがなによりも必要なんじゃないだろうか。だからこそこの3兄弟を言いなりにすることに取締官はずっとこだわっていて、最後まで殺さずに痛めつけていた。いきなり3兄弟をぶち殺してしまったら地元民からの支持はどうやったって得られなくなるから、生かしたままで彼らを軍門に下らせることが最重要なんだと思う。あの3兄弟が屈服することでそれまで賞賛してた人までそうなりかねないというか。深田舎に暮らす頑固者にとって信頼を置くに足るかどうかの判別基準というのはおそらく日常の生き様がどうであるかであって、その生き様をどの程度共感できるかにかかってるんじゃなかろうか。それは都市部の人間も同じだけど、人の入れ替わりがあまりない地域だからこそ余計にそれが色濃くでてくるんじゃないのかな。その信頼基準を見誤ると生きてくのが難しくなりかねないからさ。なにを信じ、どこを守ってやるのか、それをはき違えていった結果としていわれなき村八分やそうされた者からの逆襲なんかが起きるという。件の3兄弟が暮らす周辺から山ひとつ越えた街ではギャング一味がハバきかせてて、取締官なんぞ来ようもんなら車ごとかるく蜂の巣にしてるわけですが、3兄弟の内のカッとしやすい末っ子とその親友がそのギャング一味にキャーとなっていて、なんというか、自分が崇拝しているヒトの生き様がまま心持ちの砦となっているというのかな。あのヒトがそうなんならオレも!ていうふうな。3兄弟はそれを知ってか知らずかあくまで取締官には屈服せんのですね。この対立が起きるすこし前に、この兄弟が経営する酒場(ダイナー?)で働きたいというパツキンのおねえさんがやってきてて、もとは都市部で踊り子してたらしいんですが、例の取締官のような悪徳な連中の魔手から逃れてきたらしいんですね。長い事ここで暮らすうちに長男とそこはかとなくイイ仲ふうになってくんですけども、長男は獰猛な腕っ節もってるわりになんか奥手みたいで、どうしてもパツキンさんに手出そうとしないんですな。純…ていうか、責任感が強すぎて出せないふうだった。商売上でも儲け話をもってこられてもなかなかノろうとしないし(石橋を叩いて渡らない、てとこは「細く長く」続ける目的でいってる個人商店の手堅さそのものでリアルだ)。親がわりに年下のもんを育てる苦労を味わってきたことからそういう気質にならざるをえなかったのかもしらん。だからといって気に入らない輩の言うなりになるかというと全然ならなくて、取締官の要求を頑として受け入れないわけですが、その結果として喉笛をかっ切られてしまい(兄弟の大黒柱だから彼を殺したら総崩れになると踏んだんでしょうね)、パツキンさんも暴行されたりするものの、2人とも命に別状はなかったことから不死身伝説が裏付けられてしまい、取締官の思惑が裏目にでてしまうことに。パツキンさんは自分が原因と思いこんで出て行こうとするんですが、ここが君の居場所だ、と長男から言われてとどまる(逃げ続けた先でこういう事言ってくれるヒトに出会える可能性のがめちゃくちゃ低いしな)。その長男は命に別状はないものの大怪我負って入院してるため、頭の固いにーちゃんのいない間にー!!とばかりにカッとしやすい末っ子が憧れのギャング一味に密造酒売りつけんのに成功したことからウハウハんなって高いスーツ着て高級車乗り回すわ牧師の娘さん連れ回すわとやりたい放題しだすんですけど、そんな浮かれた状態なのを取締官が見逃すわけもなく、ある日森の奥の蒸留所まで後をつけられてしまって、作業をしていた親友が殺され、蒸留所は燃やされてしまう。これで兄弟が動くと踏んだ取締官側は橋を封鎖して迎え撃つ準備をするわけですが、親友を殺されたことを聞かされて逆上した末っ子がひとりそこへ殴り込んでいくという。爆走する末っ子をみて慌てて長男次男も追ってくわけですが、なんというか全編通して先走りがちな末っ子がすべての原因になってるような気がしなくもないですけども、まあほっといてもあの取締官一味は嫌がらせをエスカレートしてったろうし、結果としては対決時期がちょっと早まったくらいのもんだろうか。クライマックスの銃撃戦はおもに短銃と散弾銃が使われてたこともあって、現代のアクション映画で多用されるような凶悪な重火器とは比べ物にはならないのだけども、なかなか当たらない(命中率があまり良くない?)あたりの1発1発の重たさが「あの時代ならではの重たい銃撃」感があってよかったです。最後の最後で取締官側についてた住民も、真に守るべきはどちらなのかを思い出す結果になってよかった。バルキルマーが主人公のインディアンの土地をめぐる映画とオチが似てるなあと思った。ぜんたい何をされても死なない長男がかっこよかったな。これ創作じゃなくて実話らしいってとこもすげーし。最後にこの長男の死因がでるけども、家族が真に穏やかな生活ができる状態になったのを見届けて安心して死んだのかなとなんとなく思った。キツイ刑務所にいれるほどに脱獄しまくる囚人さんが、すごくゆるい良心的な刑務所にいれられたら脱獄しなくなった的なかんじで。ギャングバスターズの主役3兄弟の長男も怪力で寡黙だったけれども、なんか長男さんてのはそうゆう傾向になりやすいんだろうか。あと街のギャングの頭役やってるゲイリーオールドマンもかっこよかったなあ。仕事中毒の刑事なんかもいいけど、やっぱし悪者が光るねえ。取締官をハチの巣にする際にブッ放してた丸っこい弾倉のついてるマシンガン、撃ってる中の振動というか反動がけっこうあったっぽくみえた。カッとしやすい末っ子が想いを寄せる娘さんのお父さんが牧師やってて、娘さんと会うために末っ子が密造酒あおったイキオイで礼拝中の教会に入り込むくだりがあんだけど、あの礼拝のタテノリ感がすごいすね。部屋にみっしり座った信者たち全員が声のかぎりに聖歌うたってるの。いいかげんな歌い方じゃなくて、ひとりひとりが全力だして歌い上げてるもんだから、あれだけでそこ一帯の信仰の根深さ具合が一発でわかる。ちょっと軍隊じみた歌い方なんよ。こわかった。そこへ千鳥足で入ってく主人公もたいしたもんだが。つーか酒でものまんとあんなとこ入れんよな。そういう環境下で敬虔に敬虔に育てられたはずの娘さんが、兄弟の末っ子相手にまんざらでもないかんじですらすら会話してるあたり、人間てのはどうやったってコントロールなんかできんもんなんだなーとしみじみした。この牧師の娘と末っ子がお付き合いするようになるあたりから、商売も軌道にノりだして末っ子が男として自信もってくようになるんですけども、それでもまだ他の兄弟にくらべてイマイチ弱気で、その末っ子が完全に男としての強さを備える引き金となったのが親友の死だった(=取締官が親友を殺さなければ末っ子が真に男にはなれなかった)というのはなんとも悲しい。この件があってしばらくしてから酒が解禁になるんですが、そんなに簡単に手のひら返されるとデカい顔してのさばってた悪徳取締官や兄弟との抗争で死んだヒトはなんだったんだよと思ってしまう。なにが違法なのか、てのはお上の一存しだいで真逆になってしまうあたりを考えると「法」が一過性の効力しか備わっていない至極空虚なモノということになって、おとなしく従うのがバカバカしくなってしまうね。命をかけてまで「法」に従え、とかなるとよけいにね。ウォルターヒルのバレットで主人公が法とは関係なくあくまで自分の信念を判断基準としているがゆえに生き抜いていってたけども、欲望のバージニアのボンデュラント兄弟(特に長男)もそれと同じなんだろね。たとえ周囲と違う道をゆくことになっても信じるところはぜったいに譲らない、というあたり。何を信じるかってのは「どれに命をかければ納得いくのか」てことなんだろうと思う。悔いを残さずに死ぬほうに常に身を置くというのかな。
追記(7/5)。上記文中にある「長男」部分は「次男」に差し替えてお読み下さい。
徳島県三好郡で採集された話に次のようなものがある。
「桃太郎は遊んでばかりいる。爺は桃太郎に仕事をしろという。桃太郎は山へ行くが、木や柴の切り方を知らない。株になるような木を根元から引き抜いてかついで帰る。家に着き、木を家にたてかけると、家がつぶれて、爺はめしぞうげ(夏に飯を入れておく籠)に、婆は雑炊鍋に首を突っ込んで死ぬ」
 これはうっかり「神の子」など産むと大変なことになることを端的に示している、示唆に富む話である。香川県三豊郡採集の話では、桃太郎は仲間と柴刈りに行くが昼寝をしている。大木を引き抜いて帰るが、大木なので家が倒れ爺さん婆さんは下敷きになって死ぬ。つまり、桃太郎は怪力なのだが、その力が災いのもとになり、鬼退治ではなく、おじいさん、おばあさんを殺してしまう。
 こんな話を読むと、私などはすぐ最近の家庭内暴力の例を想起する。子どもはせっかく「神の子」として生まれてきたのに、親は人間のはからいで「よい子」に育てようとする。遊んでばかりいる桃太郎に爺さんが仕事をしろ、というのとよく似ている。人間の浅はかなはからいで「よい子」にされてしまうと、神の子の力は破壊力としてしか作用しなくなる。家庭内暴力をふるう子どもの暴力は凄まじいが、それは残念ながら使い方や使い所を誤った強力なエネルギーや才能の顕われなのである。もちろん、人間は一人一人異なるので、すべての家庭内暴力がこのようだなどという気ははない。しかし、暴力をふるっている子どもをこんなふうに見ると、その本質が了解されるときがある。
 桃太郎の国定教科書的理解では「気はやさしくて力持ち」ということになっているが、類話を見ると、桃太郎は遊んでばかりいるとか、皆が働いているのに「何もしない」でいる、というのが割にある。島根県隠岐郡の話では、「七つ八つのときに悪いことばかりする」。おじいさんおばあさんが叱ると、「考えがあってやっているのだ」と桃太郎は言って、鬼退治に行く話になる。こんなのを見ると、やはり「桃太郎」を育てるのが難しいことがよくわかる。才能の豊かな子、繊細な子などは育てるのが難しいのだ。昔話には何気なく語られているようでも、意味深いことが多いものである。』(おはなしの知恵p.28-30)
ギャングバスターズはアメリカ南部の深田舎に住む乱暴者のバカ3兄弟が、間違って押し入った家で住人を射殺してる中の腕前を見込まれて美人のねーちゃんから仕事依頼をされる話なんですが、ただのお気楽アクションかと思ってたら「不遇な境遇のなかで強く生きるとはどういうことか」的な軸が配されてたりして、観賞後の満足感が爽やか高い良質のバカアクション映画。美人のねーちゃんが3兄弟に大枚チラつかせて頼んできた仕事てのが「別れた旦那のとこにいる息子を取り返してきてほしい」つー依頼なんですが、この息子さんてのがほとんど四肢が動かせないレベルの身体障害者で、車椅子にのせて連れてくことにはなるんですけど、この子が居る方になんかの遺産が入るんだったかな。この子の奪還を依頼してきたねーちゃんの元旦那つーのがビリーボブソーントンで、凶悪なマフィアのボスなんですけども、障害持ちの息子を確保してるのも遺産目当てでしかなくて、遺産入手後はその子がどうなるかわからんわけです。依頼を受けた3兄弟も当初は高額報酬目当てでしかなかったんですけども、長い道中を共に過ごしているうちに障害持ちの少年は体こそ不自由なものの心はちゃんと「男」であること(3兄弟の荒くれ&無軌道っぷりに喜んでる)がわかってきたりして、兄弟と少年はだんだん心を通わせてゆく。そもそもこの3兄弟がどうして汚れ放題の犯罪者暮らしをしてるのかというと、幼少期に両親を事故かなにかで亡くしてしまって、それを不憫に思った地元の黒人保安官さんが親がわりに育ててくれてたんですが、これまでに兄弟が悪さしてもその保安官が職権乱用してうやむやにしてしまってきたんですね。その保安官さんはべつに悪意があってとかじゃなく、なんというのかな…3兄弟をたいせつに思うあまりについ甘やかしてしまったふうにそうしてしまってきたかんじだった。深田舎だけに欲望のバージニアで酒の密造がごくふつうにまかりとおってたふうな、そこの地域ならではの暗黙の了解が優先されてた的に。んでこの3兄弟としては親がわりの保安官の助けを借りずにどうにか自分らだけで「出来そうな仕事」をみつけて暮らしてこうとしてたんですけども、今回受けた依頼の性質上(ビリーボブの放った刺客が次々と襲いくる)、3兄弟が殺した連中がうなぎのぼりに増えてくことになってしまって、保安官でもうやむやにできないレベルになってしまう。あんまりひどいんで普通に連邦捜査官がきて保安官を捜査してくるんですけども、保安官、どうにか苦しい言い逃れしつつも、もうお前らを守り切れんよと3兄弟に電話で通告。その後も息子を奪おうとゴリラトラックに乗った黒人ギャングたちだとか女王様バイカー軍団だとかいろいろでてくるんですが、3兄弟は凶暴でバカなんだけども意外とおんなには奥手そうなところとか、不遇な生まれを利用されて周囲の大人に踏みつけにされてきた者への思いをしっかりわかっているところとかからしてなんか憎めないです。ブチ殺され人数がけっこうなものなんでバカアクションであることに変わりはないんですけどもね。兄弟も、障害持ちの子も、見た目からはいろいろ誤解されがちなんだけども、お互いに同じ「男」であることを見出してわかりあっていくという。結果的にこの兄弟が障害持ちの子にとって「良き父」的な役割になれたのがよかったなあと思った。
ハードラッシュはかつて運び屋として名を馳せたマークウォルバーグの嫁の弟(アンチヴァイラルの主人公役のヒト)が、小型船で麻薬を密輸してる最中に海上警備隊かなんかの捜査に入られたイキオイで麻薬を海に捨ててしまって、逮捕はされなかったものの麻薬の受取人だった男から弁償しなけりゃ家族を殺すと脅されていて、どうしようもないんで元プロ運び屋のウォルバーグに助けを求めるんですけども、ウォルバーグはもう過去にいろいろあったらしくて2度と危ない仕事には関わりたくないと思ってはいたものの、すでに家族の身に危険が及び始めたもんだから仕方なく協力する話。とりあえず要求額をすぐに入手すんのはムリなんで、友達とか刑務所に収監されてる父親とかのツテを頼って精巧なニセ札で手を打たそうということになって、それを運ぶのにコンテナを大量に積載する大型貨物船をつかうのですけども、ウォルバーグ父がたしかその船で働きながら運び屋やってたのがバレて逮捕されたんだったかな。兎に角その貨物船の船長はウォルバーグ父が何やったかを知ってるもんで、息子のウォルバーグが乗船してきたと知るや怒って追い出そうと探りたおすんですね。またなんか良からぬことをたくらんでるんだろうとばかりに。ふつうにたくらんでるんですけども、一流運び屋として名をはせただけあって怪しいとこはまったくださず、そしらぬふうに船員たちとなじみだすウォルバーグ。ウォルバーグに協力する船員も4人ほど選んであって、彼らはそこでずっと働いてるんだけども、裏稼業に加担するとなってもビクついたりせずに、いつもどうりに淡々と仕事をこなしてる玄人仕草ぷりが堂に入ってて良かったな。肝が小さいと「隠すこと」自体にアガッてしまって妙にウキウキしたり、いつもとは違う態度を出してしまったりしがちなんですけども、こういう仕事のときにはどんな態度でいればいいのか(いつもと変わらずにいるが最上)を、誰にいわれずとも各々がちゃんと心得ていて克つ楚々と実行している明晰さがいいすね。油断しすぎても駄目だし、緊張しすぎても駄目なんすよね。それほど肝が座るまで何度もやってるということなんだろうけど。あのテのうだつのあがらない万年労働者ぶっていながら実はすごくうまくやってる、みたいな「市井の職人」キャラが好きだ。犯罪者モノってさ、1回こっきりデカい仕事やってトンズラ、てのが多いのだけども、あの貨物船の船員4人は今後もずっとそこで働くつもりでやってるとこがタチが悪くてマジメでサイコー。経営者からしたら最悪だけどな。まーあの船長もけっこう悪辣なヤツなんでそれなりのお灸展開になりますけどね。結局ニセ札がちょっとマズかったので別件でパナマの凶悪な奴んとこいってむりやり強盗を手伝わされるはめになるんですが、この強盗仕事で盗み出したのがまあ某美術作品で、強盗計画たてたヒトは知ってたんだろうけどずっと船で労働してるヒトとか裏稼業ばかりしてたヒトはどうやら興味がまったくないらしくてそれが美術作品かどうかすらも判別がつかなかったらしくて、ボロカスな扱いをされています。あれ闇で転売できたんだろうか。あそうそう、ニセ札をつくってもらったところというのがパナマで、そこでちょっと滞在しなきゃならないためにウォルバーグが船員に言ってむりやり船を止めさすんですけども、なんか?油が捨てる量が多すぎて護岸に積載船が激突するとこ面白かったな。やりすぎだろーと思ったけど、わりとなんとかなってた。船モノでアクションといえばたいてい軍事がらみだけど、コンテナ積載の貨物船てのもなかなかおもしろいもんすね。前半はゴタスタしてなんだかわかりづらかったけど、船乗った中盤あたりからぐんとスリリングになるですよ。なんか、働きながらなにかをしてるヒト、てのが中心に据えられてるふうだった。
コン・ティキは人類学者のハイエルダールさんというヒトがポリネシアのなんとかいう島を訪れた際に、南米の果物と同種のモノがポリネシアにも根付いていること、原住民による「先祖は海を越えてやってきた」という言い伝えなんかから確立した「南米のヒトが昔ポリネシアに筏でやってきた」説を世にだすべくほうぼうの出版社に打診すんですけど、そんなわけないし(笑)とか一蹴されまくった挙げ句、じゃあアンタが南米からポリネシアに筏でいってみろや(笑)とか嘲笑されてよーしとばかりに資金と人手あつめしだすんですけども、出版もままならん状況でそうそう集められるわけもなく途方に暮れていたところ、酒場で偶然ハイエルダールさんの熱弁を耳にした冷蔵庫の営業マンがその筏ならこうこうこうしたらしずまないよ!と乱入して意気投合、とりあえず2人して南米へ向かうことに。この冷蔵庫の営業さんはうだつのあがらんサラリーマン稼業にもう倦んでいて、ここで1発派手な冒険に賭けてみたいと常々思ってたらしいんすね。現地ではお金(スポンサーがつかなかったんでペルー大統領に国威高揚させる的な営業をかましてまんまと成功)もヒトもなんとか集まって、ポリネシアの先祖が乗ってきたのとほぼ同じ素材でつくった筏(麻のロープで縛った丸太+竹の編みマット)で出航することに。いざ出発してみてみると山に遮られて無線が使いもんにならなかったり、舵もろくに動かないしでマジで海流まかせで進むしかない展開に。その直後に嵐がやってきてカナヅチのハイエルダールさんが海に放り出されたり、帆を張るロープを切らなきゃならなくなったりとさんざんなメにあうもののなんとか切り抜け、穏やかになったところで無線が直ったー!!とはしゃぐと同時に鸚鵡(ハイエルダールさんがなにげなく連れてきた)が無線機の線を噛み切ってしまう。ガックリする間もなく筏に向けて巨大な陰が浮かび上がってくる。あれジンベエザメなのかな。たぶん人間はたべないのでその点心配はないんですけども、ふつうよりも巨大なうえ、筏で遊ぼうとしてる気配で巨体をぶつけてくるんですね。怯えきった営業さんがつい銛を投げ込んで命中し、ちょっとガタついたもののなんとかジンベエザメを追い払うことに成功する。この冷蔵庫の営業さんは冒険を望んでたわりに出発前からなんか微妙に恐怖に駆られはじめてたらしくて、ほ、本番前にまずはテスト出航しない…?とか言い始めたりしていて(もしテストで失敗があるとそれが原因で士気が下がってしまうのを恐れたハイエルダールさんがテスト出航禁止した)、そういう心理下で無線通じない・大嵐にもみくちゃにされる、などの死と肉迫した苦難に畳み掛けられたせいで現状の欠点にばかり目がいくようになってしまって、特に自然素材オンリーで出来ている筏なんかはもう恐怖そのものでしかなくなってしまって、波にドプンドプンゆられて今にもほどけそうな麻縄&丸太とか、丸太や編み竹への海水の染み込み具合だとかがもういまにも崩れそうな危険素材にしかみえなくなったらしくて、鸚鵡が海に落ちた(たぶん水浴びしたかったんじゃないかと思う)のを契機にウジャウジャ集まってきた巨大鮫との死闘(近寄ってきた鮫を、鸚鵡好きの男が素手で持ち上げてナイフでメッタ刺しにする)してるときに、我慢が限界に達した営業さんが隠し持ってた頑丈な鋼のワイヤーを突きつけ、頼むからコレで丸太縛り直してくれとハイエルダールさんへ懇願しはじめる。ハイエルダールさん、無言で鋼ワイヤーを受け取ると、海へ放り投げる。だってポリネシアン先祖と同じ航行方法でいかんことには旅の意味がないもんね。唯一の心のよりどころだった文明の利器が放り捨てられてしまって、茫然自失となってしまった営業さんは足を滑らせて鮫がウジャウジャいる海に落ちてしまう。ハイエルダールさんが助けにいこうにもカナヅチで行けず、そんな中どうにか営業さんを助けたのは前からちょっと仲が悪かったヒトで、そのヒトは戦時の傷があって営業さんを助けることで自分も救われるかんじになるんですけども、なにがどう絡んでお互いをわかり合うようになるのかってのは予想のつかんもんだなあとしみじみした。このときにハイエルダールさんは隅っこで落ち込んでるんですけども、泳げないから助けられないのはまあしかたないとして、あれはもしかして自分の信念に逆らうヒトがいなくなればいいのにと一瞬でも思ってしまったことを悔いていたのかなとなんとなく思った。営業さんはそれまでの人生で死と隣り合わせの本物の冒険なんて経験がないもんだからビビリまくってしまったんだね。でもこの営業さん、コンティキ号の冒険を乗り切ったあともまた別の冒険をたくさんしてたみたいで、これが彼にとっては別の生を歩みはじめるための通過儀礼だったんすね。最初は誰だってこわいよな。結局この筏での冒険てのは都合100日弱くらいだったのかな?最後のほうなんか全員ヒゲも髪も伸び放題でたくましくなっていた。到着までには夜の海でキラキラ輝く魚が寄ってきたりして幻想的な光景に何度も出くわしたりして、昔のペルーの人もこんなんだったのかな…と感慨にふけっていた。んでなんとか海流に乗ってだんだんポリネシアに近づいてくんですけども、いちばん最後に鋭い岩礁が立ちはだかっているという。で、これを乗り越える方法として「13番目の波」にノることが提案されるんですけども、これふつうに聞けば危険極まりない賭けに思えるんだがその場にいる全員が「じゃあそれでいこう」てすんなり賛同すんですね。なんというか、もう幾多の難を越えてきたせいか、生きるための勘が異常に研ぎすまされてて、目前に提示されたもんに対して「ノるべきかどうか」の判別を瞬時につけられるほどの能力を全員が身につけてしまっていたのだな、と思った。野生の勘というのかな。無線の線を噛み切った鸚鵡もなんで連れてきたー!と思われたものの、あの鸚鵡が死んだことでそれを愛していた男が鮫に反撃を加えて、結果的に仲間を助ける際の撒き餌として機能したしね。あの鮫を素手で持ち上げてブチ殺したバカぢからはもしかしたら鸚鵡を殺さなければ出なかったやもしらんし。映画全体としては小作品というか、まあ史実に沿ってるからしかたないんだろうけど、もうちょっと見せ場があってもいいような気もしました。パンフに出てるハイエルダール息子さんインタビューでは「15年前にハリウッドメジャーから映画化の打診されたけど断った」旨でてますけど、そっちのもちょっとみてみたい気がしますがね。この設定下ならやろうと思えばなんでもできそうだし(もりこみすぎて台無しになる可能性大ではあるけども)。パンフといえば大場正明さん文にでてたけど、なんかハイエルダールの学説て今ではちょっと否定視されてるらしいすね。ウェイバック原作本といい、なんだか壮大冒険譚モノてのは否定意見がぜったいについてまわるものなんですね。そういうところも含めてなんかおもしろい。あとコン・ティキてのはインカ帝国の太陽神の名前の略称なんだそうですが、大日如来なのかなあ。なんか髭面のおっさんぽいビジュアルなところはスサノオぽいけど。おんなではなさげなのでアマテラスではないんだろうな。どうなんだろ。
ローズマリーの赤ちゃんは若夫婦が暮らすことになったマンションのおとなりにやたらお節介な老夫婦がいて、なにかというとクソマズい食い物とかもってくるし、メシ食いに来いとかいうし、落ち着いて過ごせないほど干渉がヒドくなってきたところで若夫婦の奥さんが妊娠するとまたしても「栄養つけなきゃ!」とばかりにマズいケーキと牛乳を毎日のように押しつけてきて、それ奥さんが食ってるうちに腹痛になる話。腹痛以外にもそれまでにいろいろ不吉な出来事があって、たとえば奥さんの夫が劇団の俳優かなんかで、ある役の獲得を争ってるところでなぜかライバルの役者が失明したことで旦那に役がまわってきてしまったりすんですが、その失明した役者さんが死ぬ間際に奥さんへある書物を送ってきていて、それが悪魔に関する本なんですね。開いてみると役者さんが線引きした箇所があって、そこみるとなんだかおとなりのお節介老夫婦の名とおぼしき記述があって、ま、まさか悪魔のしもべー?悪魔は…赤ん坊を生贄にするですって…?!となって確たる証拠もつかまないうちに奥さんがひとりでパニックに陥ってあちこちに逃げ出そうとして、行く先々で悪魔が…わたしのお腹の子を狙ってるんです…的な説明を素直にするものの、ああこの人…頭おかしい…的な対応しかされずに結局悪魔の一味と思しき医者のもとへ引き渡されるはめに。ここまでで奥さんが精神疾患に陥ってるのか、それとも奥さん以外のヒトがマジに悪魔一味なのかの判別が観客側にはちょっとつかんのですけども、オチとしては奥さんあんたそれでいいのか的な展開になってゆきます。お腹の子はべつに生贄にはされないんですけども、まあもっとマズい方向のアレです。妊娠中に母体がそうとう具合悪い時点でみてる側としてはなんとなく想像つきますけどな。
10人の泥棒たちは中・韓の俳優が入り乱れて協力して宝石強奪をたくらむものの、盗った盗られたホレたハレたで色々あって、チェイサーの刑事さんがおいしいとこをかっさらっていく話。クライマックスらへんのアパートからワイヤーで吊り下がりつつ逃亡してくとこがなかなかにスリリングだった。ヤムさんが早々にしぬのは多忙だからなんだろうかとか邪推したり。しかしこの映画、なんのサービスデー価格もなくどの日にいこうと1800円なうえ、パンフが強制的にDVDついて1300円てちょっと退職金なくなる秒読み中の身としてはツラかった。映画はカネに余裕のある社会人の道楽だなとしみじみかんじた。
しわね。感想も出せないほどガッツリ寝ちゃってすまなかった。原作はすきだし傑作です。