彼らは儲けのために作品を売ったりしない

『ハーブたちにインタビューしていたときのことですが、このアーティストの魅力はなんですか?作品の特徴は?と質問しても、「きれいだから」「気に入ったから」とか単純な答えしか返ってこなかったんですね。これは困ったな……と思って、アーティストのルチオ・ボッツィに相談したら、「だからこそ彼らは素晴らしいし、特別なんだ。どうして、ビジュアルアーツには洗練された言葉が必要だと決めつけるの?作品を前にした時の彼らの目を見てごらん。キラキラと輝くだろう!言葉では説明できないけど、彼らはなにかを見つけているんだよ。現代アートにはなにかしら小難しい講釈をつけるのが当たり前だと思われていて、近頃は美大生もそんな訓練ばかりしているけれど、アートはとにかく見ることが大事。言葉を尽くすよりもたくさん見なくちゃいけない」と言われたんです。』

ハーブ&ドロシー(29日。イメージフォーラム)みましたが、おいらがどうして村上隆をいやだと思うのか、その理由が凝縮してた。郵便局勤めのハーブさんと図書館司書のドロシーさんが結婚して美術作品づくりに傾倒してくんですけど、気づいたら他の美術家の作品ばっかしが家の壁じゅうを埋めつくしてくんで自作はやめて収集に情熱を傾けてって数十年たったらあら不思議、そこらの美術館なんぞメじゃないほどの現代美術コレクションが出来上がってました、という蒐集家夫妻のドキュメンタリーなんですけど、彼らが神様なのは買った作品が数億に高騰しても決して売らないことで、その理由は作品中ではっきり語られることはないんですけど、利ざやを得るために美術作品を買うことが目的なんじゃなく「自分たちの心を動かした作品とそれをつくる芸術家と心を通わせた」ことがいちばんの目的なので、その証である購入後の作品を「金銭で売り払う(=情感交流とは対極の冷酷な関係)」ことなどもってのほか、という理由からなんじゃないですかね。村上隆って芸術家たちにむけて「富豪にすり寄れ」っていうけどさ、貧しさにあえぐ作家たちの為によかれと思って言ってるんだろうけど、それって名を成すために自分の好き嫌いなんぞ捨てちまえ、魂を売り渡せってことだぜ。ヴォーゲル夫妻みたいな身の丈を知った良心的なコレクターのおかげで食えてた美術家はじゃあなんなの?世渡り下手で芸術家として失格ってこと?パンフで小山登美夫さんが書いてるような成金や人生破綻型のコレクターだって収集してることにはかわりないけど、かれらはヴォーゲル夫妻と同じくらい芸術家当人とその作品を愛してるのかねえ。作品自体じゃなくそれにくっついてくるオマケが目当てなんじゃ?芸術家のヒトだって自分の心をぶつけて作品をつくったはずなのに、心なんてどーでもいいと思ってる連中に所有されて満足なの?それって魂なんてどうでもよくて、金儲けが目当てで作品つくってるだけなんじゃないの?そういう守銭奴になりさがることを芸術家たちに説いてまわってる村上隆もさ、ネタにしたオタクさんたちから「オレたちのやってることで儲けやがって!」て批判きたときに数億持ってるくせして「貧乏ですよ?ぜんっぜん儲けてません」とか大嘘ついてるのはどういうわけなんでしょうね?儲けるのは正義だと主張するなら「ええ、儲けましたがなにか?」て胸張って堂々としてればいいじゃん。批判かわしに場当たり的な嘘を吹聴してるバカに分があるとはどう転んでも思えないんだよね。たまたま評価されて調子こいてるアホのいうこと真に受けてたら痛い目にあうよ。
ヴォーゲル夫妻の件にもどしますが、彼らは気に入った芸術家の作品の内で「自分たちの稼ぎで買える&家ん中に飾れる」という条件下におさまるモノだけをたくさん買ってくわけですが、ヴォーゲル夫妻のお気に入りになる作品というのが映画をみたかぎりでは「自由に解釈可能な模様」的な抽象作品で、どぎついメッセージ性のある作品はお好みではないもよう。つーかさ、抽象作品て「なんとなくきれい」「なんとなくすき」つー基準でみていいの?美術館カタログとかでそのテの作品説明みると、意味不明の難解ワードが羅列された作家説明が書いてあってさ………うわーどうでもいいと思ってますます抽象画が嫌いになるんだよねえ。なんとなく判定でみていいならいいで難しい説明並べてんじゃねーよ。どんなふうにみてもいいですよーて言いながらそうゆうわけわかんない説明しはじめるとその作家の顔面をグジャグジャに潰れるまでぶん殴ってやりたくなるよ。そんな矛盾したことばっかやってると村上隆みたいな魂のないぶざまな詐欺師人生しかおくれなくなるぜ。でも映画中でヴォーゲル夫妻がリチャードタトルにじかに注文つけてるとこ(自分達も作り手だったからこその鋭い視点を活かせてるんですね)みてすごいあたたかいきもちになって、ああ、抽象画っていいもんだなってほのぼの思ったよ。あんなふうに作家と温かな関係が築けたら買ったもん売っぱらうなんてできないよ。いい想い出は他人に売ることなんてできないだろ。ナショナルギャラリーの人もヴォーゲル夫妻について語る際(特に夫妻に「お礼」渡したら生活費にあてずにまた美術作品買い漁っちゃった件)、頬を赤らめてたな。芸術への純粋な愛を実践してるのを目の当たりにしたらどんなエラいヒトでも赤くなっちゃうよね。猫たちが夫妻になついてるのもちゃんと愛してくれてるのが伝わってくるからだと思う。なんかさー相手に過剰な儲けを期待したり生活を持ち崩してまで貢いだりする関係って、人間でいうと虐待や精神疾患につながる病的な依存関係だよね。でもヴォーゲル夫妻の作品や芸術家への接し方をみると自分も相手も大事にする真に対等な関係でいることを望んでるっつーかさ。これって「愛のない破綻した関係を求める人間は偉大なコレクターにはなれない」ことが立証されたも同然じゃね。猫もヴォーゲル夫妻んちの狭い部屋の中で快適そうにしてたけど、ハーブさんがたしか動物と芸術は深い関係がある、みたいに話してた件についてはしっかり聞きたい。そうそう、あと奥さんのドロシーさんの彩色センスがすばらしい。着てる洋服に顕著なんですけど、ソルルウィット作品のようなきれいな配色の横線模様の服とかいちいち素晴らしいのよ。夫のハーブさんの服もたぶん奥さんが揃いで選んでると思われる。なんかうまく言えないけど、ヴォーゲル夫妻のは「収集」という作品なんだよね。ただ集めてるんじゃなくなんかそれすべてが作品なんだよ。文化的に洗練されてるってヴォーゲル夫妻のことだなーとしみじみ思いました。上記『』内はハーブ&ドロシーのパンフからで、画像はアルフレッド・ウォリスさんの絵です。誰に教えられたわけでもないのにひたすら自分の心に忠実にやっていたあたりがなんか似てるなと思ったので。ウォリスさんは「いい色だ」と感じた素材にそのまま絵を描きつけてた。自分がなにをすきかなんて誰も教えちゃくれないしな。