金で済ますと原因ほったらかしのままになりそう


この日記の存在て家の人にも夫人方面にも明かせなくて、その言えない理由てのがまたオカルトがかった期間縛り話なもんだから一笑に伏されるのが目にみえててよけいに言えないんすよ。で…昨日混血芸能人について取り上げた番組みてた際に、実兄が「身内に有名人でちゃったら家族はツラいよなー」とかゆってたんで、仮にうちから出たらどう?とか聞いてみたらイヤだいじょぶだけど?つーか何それ?て流れで根掘り葉掘りされかかったのでテキトーにもにゃもにゃゆってごまかしはしたんですが、なんか…実家内で把握しえない面がおいらに潜んでることを感じ取ったかなんかで実兄がスネてしまってソフト無視をくらっている。たぶん…いずれ実家からは出てくことになるだろうからちょっと嫌われてるくらいがちょうどいいのかなとも思うけども。にしても…なんか、改めて孤独を感じてちょっと鬱になったりしていた。これ読んでるヒトはわかりづらいと思いますけど、けっこうよく書けたなーと思うもん出せたときですら何の反応もないときの壁に囲まれてる感覚ときたらパないモノがあります。極力考えないようにはしてきたけども、昨夜の件でまたそれにもろに向き合わなきゃならんくなって、この誰からも何も言われない存在無視感だとか、やるちからはあるのにどこへも行けない四面楚歌の無力感から派生する絶望てのはわりにクるものがあるんすよ。ゆってみたらいいじゃん、て簡単に思うかもしらんけど、おそらく内容的なことで文句いわれておいらが思うようには書けなくなってたと思う。そういう意味でこの日記と、家の人と夫人方面両方を守るためにもココの存在について明かすわけにいかんかった。で…どこに発散しようもないんでその心境のままスキャナー撮りしてたんですけど、ふと重病患ってるヒトに関する記事みて、同じ痛みをもって世界を見ているのだな、と思ったとたんに孤独感が消えた。個々の感覚が似てるかどうかなんて端からはわかるわけないことは重々把握しておりますよ。けど…少なくとも孤独でつらいときの気持ちってのは、おそらく難病のヒトが味わってる絶望感や恐怖と根が同じモノなんじゃなかろうか。ツラくないときに味わう「共感」よかずっと身近に感じるふう。単純に他人が泣いてるのをみると悲しみがなくなる作用が働いてのことだったのかもしれんけども、こと孤独感に関しては、同じツラさを共有している同士がいちばんわかり合えるような気がする。克服してしまうともう「その傷で得たツラい感覚」てのは味わうことができなくなってしまうんですよね(ツラい経験ほど痛みを忌避しがちなので忘れてしまいやすい)。心や体の傷、てのは他者への思いやりや想像力を育むに最適なのかもしれん。人間の子を食うのが大好きだった女性鬼神(←人間側の観点からみた「人食い=悪者感」を出さなきゃならなくて「鬼」てつけてるんだろうけど、ただの「神」だった可能性大なんじゃなかろうか)の実子を仏陀が隠しちゃったらあっというまに人食いのヒドさがわかって改心して鬼子母神になった話とかあったけど「本心からでた行動」が他者への非道行為だった場合、それをやめさせるに「同じ痛みを抱く経験」をさせるしかないんだが、どの経験をさせば「ヒドい目に遭った人と同じ痛みとなるか」てのは神仏にしかわかりえないことなんだよね。「懲役10年」の経験が万人に同じ心理状態をもたらすとは限らないし。人間ごときには個々人の心がどういう経験でどの程度変わるのかなんて計り知れないことなんだよ。そこらへんからすると真に「他者」を悔い改めさすこと、てのは神仏並の霊能力でも持っていないかぎりは人間にはできないはずなんよね。「相手がどういう経験すれば改心するか」て話だから、心理やトラウマ具合を精査できるほどの霊能力がなければ不可能なんだよ。んじゃ神仏に頼らずに非道を行った者を改心さしてくのはどうしたらいいのかというと、痛みを受けた者が、痛みを負わせた相手を理解してくことしかないんじゃないかと思う。どうしてそうなったのか、そうならないようにするためにはどうしたらいいのか、てのを徹底して調べて、そのうえで痛みを受けた側が率先して負わせた相手に交流を呼びかけてく以外に改心に近づけさす方法はないんじゃなかろうか。そこらへんからして「傷を負わせた者に謝罪をさせる」てのは「相手が改心に至るかどうか」とは関係がない行動に思える。他者の心をちからでむりやり変えさせるなんて誰にもできないんすよ。強要したところでよけいに心を閉ざしてしまう可能性のほうが高いし、悪者レッテル貼られつづけた人が糾弾してくる相手に対して憎悪を募らせてしまう件じゃないけど、相手を責め続けることは理由がどうであろうと平和とは真逆の混乱に向かってしまいやすいらしいし。お金や謝罪、てのは痛みを受けた者が「受けた理不尽」を帳消しにするために効率よく「屈服感」を得て済ますためのものであって、なんだか…いちばん大事な「相手が痛みを負わせるに至った理由」を調べるつー超絶にマンドクサい件から逃れるために編み出されたアレのようにもみえてくる。正直に「本性をむきだしにして生きる」事と、そうしたことによって痛みを受けた者がいるといういうこと、その両方共が他者や世界を知るための手段として大事なことであって、痛み、てのは「不幸」ではなく孤独ではないことを知るために必要不可欠なモノなのかもしらん。しちゃいけないことなんてこの世にはないんだな。
ところでさ、ユダヤ人のヒトてなんか…同じ人種のヒトがキリスト殺しに関わった件をまだ気にしてるのかな…?イタリアの人なんてビタ1文気にしてねーとゆうのに。キリストの嬲り殺しに至った心理はこういうアレなんで、そうならないようにねーて言い続けてれば済むことじゃないの。被害ぶりやがってキィィィィィ!!!てなるのはそういう冷静さとはかけ離れてるよね。どうもユダヤの人はいまだに憎悪に駆られっぱなしみたいにみえるんだけど。ナチ以前にもユダヤの人がやたらに弾圧されてたふうだけども、そんな事態になっちゃったのもそもそも先祖がキリスト殺しに関わった件でさんざん悪者視されたとかが原因なんじゃないのかな…。日本にきたキリスト教が土俗感あふれる内容になってた件じゃないが、長年経て変質しまくってる大昔の宗教のことで敵だなんだと憎みあうなんてバカだよ。アウシュヴィッツにしても殺戮仕事人を鑑としちゃうような体制だとか「敵」殲滅を是としなければならかかった原因だとかを全面にだしつつ、そういう状態に陥らないように気をつけましょう、てのを語り継ぐのが「過去への反省」の正しい後世への継承方法だと思うんだけども、被害ぶるのはゆるさんとか、そういうのっていがみ合いをまた再燃させかねないんじゃないのかなー。ユダヤのヒトはゆるしについてどう考えてるんだろう。ユダヤをゆるさない人と、ゆるされないユダヤの人が憎悪をつのらせ合ってるようにしかみえんのだが。そういえばこの番組でメンバーがハワイ挙式を勧めてきたのを真に受けた保田圭が、勧めるままハワイ挙式の出欠葉書だしたら勧めたメンバーほぼ全員が欠席した件を中澤裕子当人(そのグループのボス的存在らしい)に問いただす企画やってて、中澤裕子はエーそんな来てほしかったんだーとかすっとぼけてましたけど、どうやら保田圭が嘲笑されるに至った原因を自覚しないのを面白がって、中澤裕子が頭になって徒党組んで彼女に嫌がらせしてはほくそ笑んでるくさい。そこまで嫌がらせされるほどの原因をつくったことを保田圭がいつまでたっても気づかないのをバカにしてんだな。あとは中澤裕子一派が保田圭のナニかに一方的に嫉妬してるとか。それにしたって保田圭に対してサシでそれ指摘すりゃ済む話なのにさ。それをせずに内輪で嘲笑対象にしつづけるなんて陰湿だねー中澤裕子とその一派。この保田圭にあたるのがユダヤ人で、保田圭を内輪で嘲笑しつづけてるのがユダヤを嫌う人たちってカンジなんじゃなかろうか。ユダヤの人はなんでこうも嫌われてるのかわかんなくて、キリストか!キリスト殺しか!!て真っ赤になるたんびに「被害者ぶる加害者」ふうな有様のを見つけては自己投影するかのように結果的に憎悪煽りにしかならない糾弾に走ってる、とかじゃないのかな。いじめは当事者双方からの話をよく聞いたうえで対話させるのがイイというのを聞いたことがあるけど、ユダヤのヒトとユダヤを毛嫌いするヒトとで「なんでユダヤがヤなのか」について1か月に1回くらい話し合う場を設けたらどうか。なんか不毛なんだもんユダヤのヒトの絡んだモメごとって。
キリストがらみついでに、聖観音ちゃんが33キャラに分かれられるほどエネルギー得たのって、なんかマグダラのマリアだった頃に彼氏からたっぷり愛されたからぽいんだよね。心地よく愛されたヒトはしぜんといろんなことができるようになるみたい。こういうことしてたほうが糾弾して憎悪の火つけてまわるよかよっぽど世のためになると思う。