包皮は再生できても、失われた神経組織を再生することはできないんだよ







幼児期に受けた虐待が原因で殺人をなんとも思わなくなったサイコパスの人てのは(はけ口がわりに)動物虐待をすることが多いんだが、至極ふつうの家庭で幸せに育って虐待もされてないのにサイコパスな人てのは動物を大事にする傾向なのな。前者がどうかすると改心する場合がわりにあるのに対して、後者は改心しない。殺人や暴力をするようになった原因が生育時に受けた外的要因なのなら、改心さすにも外的要因でどうにかなるんだけども、外的要因関係なしに遺伝子の時点から備わって生まれた場合(過去世が影響してるんだろうか…?)、の手術でもしないかぎりは改心さすことはできない。ごく幼い頃からサイコパス気質が出始めてる件(こういう子に殺人させないようにするにはどういうふうに言うのが適当なんだろう)とかみると遺伝子の時点で既にサイコパス脳が備わってるとしか思えんよ。このテの生まれつきサイコパスの人が矛盾した発言を平然とかますのは、感情表現を生活を送るうえで必要な共通言語としか思ってないからみたいなんすけど、なんで感情に対してそんなドライにしか捉えられないのかというと彼らの中では常に強烈な感情がわいてきていて、それをそのまま言葉で表現するから意味をなさないモノなってしまうていうのが原因ぽい。ゲイシーの思考のとりとめのなさからしても、なんか小さい子がやたらとしゃべってるふうだなーと思ったら赤ん坊さんと同レベルの断片的視点しか持てないての読んで納得した。殺人を虫の足や羽をむしるのと同じにしか思ってないのもうなづける(サイコパスの脳に電極を埋め込みたいて発想はまま実験してみたいとばかりに人を切り刻むサイコパスの発想と同じなんじゃないのかなー。怪物といわれる存在を怖れるあまりに怪物と同じ行動をしてしまう件と似てる)。経験したことをまんま現実の人に対して試してしまうあたりのタガのはずれっぷりと思いついたことをぜんぶ言ってしまうタガのはずれっぷりが見事に合致してるんだもんな。ちなみに消防士の顔がぼやけて怪物みたいになって怖い(なんかリンチの絵に描かれてる人を思い出す)てのは、つまり走ってる中のもんをそんだけしっかり見ようとしてるってことなんだろうか。なにしろ生まれつきサイコパスのヒトに関しては赤ん坊時代の「体にぬりたくる」とか「クチの中にいれて確かめてみる」あたりの行動から派生する快楽具合に囚われっぱなしな感が濃厚なので、そこを解明しないことには生まれつきサイコパスの人の殺人動機はわからんままなんじゃないかと思う。個人的には「人と関わること」への強烈な欲求がなんらかでねじくれて「人体を自分の体に取り込む」にすり替わっちゃったんじゃないのかと踏んでますけどね。赤ん坊さんは心地悪さを感じた際にそれを泣きわめく事で表現→養育者がやってきて不快感が快楽に変わってく、て流れを体感して覚えることで「人間と関わること=心地よさ」つーふうに人を大事にする前提の情操が育つんじゃないかと思いますけど、なんか…サイコパスの人て「人を求める強烈な欲求」がどういうわけか強烈に関わることの極北行為(殺すとか食うとか)になってしまってるふうなんだよね。彼ら自身もどうしてそうなってしまうのか、自覚できずにいるんじゃないのかな(これは外的要因でサイコパス化した人にしか当てはまらないかもしらんが幼児期に発する不快感表現を養育者から暴力によって禁じられることで「強烈な欲求を引き起こさせる対象=禁じねばならない」と刷り込まれてしまって、欲求をぶつけたのちに[ぶつけた自分もぶつけられた相手も存在してはならないので]殺してしまうようになっちゃたんじゃなかろうか。母親から暴力と性虐待を繰り返されて育った殺人者とかみてると「愛されたい」と「禁止」がないまぜになってて、強烈なエネルギーを発するに際して前述の相反する観念がフィルターとなることで「人を求める行動」が殺人や火をみてスカッとする的な破壊の形となって出てきてるかんじがする。ちなみにサイコパスの人は夜尿症経験者という共通項がある)。なんだかわからんけど「人と関わりたい」ていう強烈なエネルギーが湧いてきてて、それにしぜんに従うと「捕まえて切り刻む」になっちゃってるふうに。男てのは「車をぶつけて怪我させてでも関わりたい(誰かを傷つけるときてのは性別関係なく強烈な振り向かせたい欲求が元になってる場合が多いんだよな)」的な強烈な欲求を女子に対して抱いてる、とかいうふうな書き込みをいつだかまとめサイトか2nnかでみた気がすんだが、サイコパスの人てそのへんの強烈なエネルギーがだだ漏れになったうえで根幹にあるはずのブレーキがすっぽり抜け落ちてるかんじがすんだよね。生まれつきサイコパスの人は自覚してないだろうけど母親への強い執着とかみじめな感情を覆い隠したい衝動とかを実は持ってるんだけども、単純に「思いやる気持ち」よか「関わりたい」欲求のが過剰すぎて他をぜんぶ覆い尽くしてるってだけで、実は無感情でもなんでもないんじゃなかろうか。それが強烈すぎるがゆえにヌルい感情いっさいが機能しなくなってるとか。マジに無感情で苦痛がわからないのであれば「人体で実験がしたい」となった際に真っ先に自分の体でやるはずじゃん。なのにサイコパスの人は自分の体を使わず、あくまで他者の体でしかやらないてことは「自分が痛い思いをするのはヤだ」と思ってるってことであって、そうなると多くの人と同じ情操観念を抱えてることになるんよね。略奪されないために略奪するサイコパス思考からすると「自分が痛みを与える側」になり続けることで痛みに耐えられないことを忘れようとしてるんだろうかねえ。サイコパスの人の特徴としてとにかく自分以外のもののせいだと考えることが徹底しすぎてるゆえにものすごく充実して生きているらしいあたりの話からすると、同時に「すべて自分のせいだ」という絶望を抱えて生きてるってことなのかもしらん。基本的に重罪とされる行為てのは責任転嫁する心持ちから派生してんじゃないのかなーと思いますがね(リンク画像の本はいちいち邪悪表現しすぎで理解から遠ざかりそうだよ)。責任転嫁殺人のひとつに宗教がらみの事件とかあるけど殺人の理由を神のせいにするたんびに崇めてる宗教の神を貶めてるも同然なんだがな。イスラムやヒンズー掲げてる過激派の人はそこらへんに気がついてないんだろうか。「神の名のもとに殺人をする」てのは自分の拝んでる神仏を自分で侮辱してるのと同じなんですよ。突然男が訪ねてきて「あなたのために殺しました」て死体持ってきたらどう思うよ。なんも関係ねーのに「殺しの原因はあんただ」とか言われてイイ気分になるかよ。都合よくあんたの殺しの道具にされた神が喜んでるとでも思ってるの?それとさ、いじめで死んだ原因は「死んだ子が考え方を変えられなかった」ことだよ。責任をいじめてきた人にあると考えてるかぎりは「考え方を変える」ことにたどりつけなくなっちゃうし、責任転嫁することで被害者がいつのまにか加害者になっちゃって、憎悪のたぎらせ合いがはじまっちゃうよ。あと前回日記で出した「悪口を言わせないようにしたところで何の解決にもならない」件じゃないけど、刃向かいそうもない相手を痛めつけないといられない子てのは家庭に問題抱えてることが多いんだよね。暴力行為を人前に出させないようにすることでその子が問題抱えてるかどうかもわかりづらくなっちまうんじゃなかろうか。ここらへんからして、いじめられた側てのはいじめてきた側に対して責任が発生してるのかもしらんな。いじめてる子に対してだけ「自分に問題がある」てことを表現してるようなもんだし。そこで立ちふさがって「お前それ違うだろ」て徹底抗戦してくれるような、責任もって本気で付き合ってくれる友達を求めてるんじゃないのかな。いじめられるまま自殺してしまったら、問題抱えてることを表現してくれてた子に対する責任放棄にしかならないよ。いじめっ子てのはもしかすると、ろくに会話もできないような、頭ごなしに命令に従わされるような家庭環境なのかもしれないよ(「自分より弱い相手を暴力で従わせる」て行動自体、養育者からそういう目に遭わされてる証左だよな)。「家庭内で自分が演じさせられてる役回り」と同じ役目の人間を学校でつくって鬱憤晴らししないことには生きていられないような心地を味わわされてるのかもしらん。暴行の仕方でどんな鬱屈抱えてるかわかっちゃう件じゃないけどさ、他者の体を痛めつける際にどの部分に固執するかで虐待がどういうものであったのかを探れるような気もする。拘束や拷問は意のままにならない養育者を従わせたいて欲求が下敷きになってて、つまるところ愛情不足みたいなんだよね。愛情が不足したままだと成長したときに鬼畜と化しやすいらしいですよ。父親から暴行されると男の子としてはだれかに同じことをしないかぎり解消されえない傷として残ってしまうらしいし。父親からさんざん貶されていたにも関わらず慕い続けてるふうなくだりを読むといかな殺人者といえど同情してしまう…。成長過程で養育者を持たなかった猿が社会性も性行動もできなくなった件からすると、若くして(愛されたい相手から存在否定されたことによる絶望感で)勃起不全に陥ったことから、発散できずに溜まった強烈なエネルギーを殺しで発散するようになってしまっても不思議じゃないかんじがするな。こういうのみてると犯罪者に対する精神疾患認定がわりとあやふやてのはごくしぜんなことにも思えるな。欲求がこじれたのを精神疾患人格障害のどっちにするか、てのはすごく難しい判別なんじゃないんだろうか。なにしろ精神疾患や自殺は幼児期の虐待が原因になってることが多いらしいので、自殺数がいまの日本に多いつーことは虐待もそれだけ多いてことなんですかね。そもそもさー人間社会で言う「道徳的な人」てのは「人間を痛めつけない人」て意味でしかないんだよな。たとえば害(と呼ばれる)虫を圧死させまくってても頭おかしいとは言われないけど、同じことを人間に対してやると頭おかしいとか暴力的だとか真っ赤になって言われるってだけでさ。しかし権力者の言うがまま暴力を出したりひっこめたりできる人間=常識人て観念もかなりブキミですけどね。殺す機械感あふれてて。そもそも人間が神仏分け御霊存在である以上は暴力的なのはごく自然なことなんじゃなかろうか。リンクした水木さんの山の神シーンじゃないけど、おんな拉致って監禁して生ませた子供喰っちゃう(子供喰いの心理てのは獲物がかわいいすぎて食べてしまう肉食獣の心持ちと似たナニかなんだろうか)とか、そういうの神仏がふつうにやるみたいなんだよね。かえって動物のがそういうことはあまりしないと思う(ただ動物の世界では子殺しはわりと頻繁に起きてるので人間の本能にも子殺しが組み込まれてる以上は自治体が目光らせるとかしないかぎり救える命も救えなくなる)。動物は強姦すらしないんじゃないのかな。メスに認められたときにしか交尾しない種のが多いだろうし。知能よりも本能が勝ってるゆえに生殖以外の無意味な行為はしないんだろうね。逆に知能の高いイルカなんかは快楽のためにセックスをしたり、シャチなんかは食べる前に捕らえたアシカの子を弄んでいたぶるんだよね。知能が高すぎるとその複雑な心を満たさなきゃならんくなって、おかしなことしはじめるかんじがする。ここらへんからすると、なんつーか…ヒトが人間以外への暴力行為をし続けなければ生きられない存在であるかぎり、自分を棚にあげて他者の暴力性をなじることは誰にもできないてことになるのかしら。近親相姦をあってはならないこととすると近親相姦で生まれた子を差別することになるしな。血族間性交からだと奇形が生まれやすくなるらしいからそれを避けるため、てのが近親相姦を禁じる建前なんだろうけども子への強烈な欲求だとか親しい相手を殺そうとする心理を根とする家族内の虐待(アメリカに於ける妊婦の死因第一位が殺人て怖ぇ)を何ら抑止できてないあたりからしてあんまし効力なさげな建前だな…。尚、自分がなにされてもグラつかないレベルの中道を体現してるヒトでないと虐待経験のある子を育てるのは難しい(子が暴れたことで養育者側も釣られて暴力をしてしまう)とのことなので、虐待されたヒトが親になる場合はそこらへん自覚持ってあたらないとうっかり虐待を継承させてしまうことになるのかな。いじめっ子が自分よか弱い者を探し出す能力に長けてる件じゃないけど、サイコパスの人が自信がなくて依存心が強い女性を嗅ぎ分ける能力が突出してる(ちなみにサイコパスの人が伴侶を殺さないのは自分の体の一部として見なしてるかららしい)のは、同じ弱さや依存心を持ってるからこそよくわかるってことなんじゃないのかな。弱みをみつけることに長けてるてところは一見して肉食獣が獲物を狙うのと似てるようにも思うけど、肉を喰らう目的じゃないので類は友を呼ぶ方向のもんだよね。弱いモノがいないといられない男といえばさー強姦する人て自分が快楽を得られればそれでいいって手合いなのかね。千人斬りを自慢する人とかいるけど、千人のなかでイッた女子てどれだけいただろうねえ。女子が千人いれば千通りの快楽ポイントがあるので、それを把握しもせずにセックスしたって女子側としてはなんの感慨もないと思うけどな。暴力を振るえばふるうほど女子の心は離れてくのに暴力的言動ですべて手にした気でいるなんて単細胞もいいとこだよなぁ。各々の女の快楽ポイントすら把握しないで1度まぐわっただけで所有物とみなす、てのはすべてに適用できるようなやり方などないていう5000人とヤッてみてたどりついた向井さんの結論とは真逆の思考停止でしかないよ。他者の不快が前提の自由な行動てのはつづけるホドに自分を不自由な状態に陥らせてくのにね。誰かを好きになることに関して本気で考えたことがないのかもしらんな。女子が心をつかまれるのはちゃんと心根に向き合ってくれたときだけだよ。ちなみに早漏なうえイクと泣き出す強姦魔は「異常なまでに支配にこだわる」性癖からして、自分が誰かから支配されてる、ていう被害者観念に囚われてる可能性大な。
 
本日題はここのです。ちんこの皮に神経末端が集まってることから皮があるヒトはまぐわる際にいろんな快感を受け取れる(おんなにとっても大事みたいすよ)のに対して皮がなくなるとちんこが乾燥して快感度がなくなるとのことです。包皮切除したネズミが交尾しなくなった件からして、包皮切除を勧める人てのは生殖を否定してるんじゃねえのかと勘ぐってしまうよ。そもそも生命に関わるレベルの重病でもないのに生まれつき備わってるモノを切り離すことを善行かのように喧伝する時点でなんかおかしいよなぁ。「そのままのお前では駄目だ」と頭ごなしに否定され続けてきたせいでそのままでいいと言われてもなかなか信じられないヒトと似てるな。包皮切除を是とする代表として ユダヤとか韓国とか有名ですけども、包皮切除してセックスでの快感を得られなくなったことから溜まった鬱屈を元にあちこちで憎悪煽りみたいなことしてまわってんのかな。解消しないままでいるとずうっと溜まって、その溜まったエネルギーをなんらかの形で出さなきゃならんぽいだけに。サイコパスの件も結局その出し方が歪んでるから理解されづらいってだけなんでしょうね。なにしろ自分の亀頭にやさしくすることは、結果として女性にやさしくすることにつながるてあたりからすると「ちんこを手荒に扱う者は女性も手荒に扱う」てことになるんだな。皮嫌いの件といい廃仏毀釈の件といい、篤胤てバカなんだろうか。