なんで毒と酒を隣同士で置いとくのか

ナイトメア・アリー(TOHOシネマズ上野)みまして、話としては後ろ暗い過去から逃げるように流浪の旅をしていたスタンさんが、あるとき目にした小人さんの後をついてくといつのまにか見世物一座のなかにまぎれこんでいて、いろいろ見てくうちに一座の仕事を手伝うようになってそこで出会ったヒトから読心術を学んで成り上がってくという筋なんですが、読心術をさらに発展させたのがあなたの隣にいま霊がいます…的な幽霊ショーで、それやってると破滅するからやめろって!!て師匠的な存在から再三言われてるのに、イヤこれは儲かるから!て言いくるめてどんどんヤバい方向へ転がっていってしまうとゆう展開に。ニュースでたまにとっ捕まった詐欺師の行状について取り上げてますけど、詐欺師ておカネ大好きなわりに使い方がショボいというか、酒のんでどんちゃん騒ぎしたり高い車買ったりしたりとか、大金手にしたときの用途や発想が大学生レベルなんだよな。その点スタンさんはあまりハメ外したりすることなく、ただただ「金を儲ける」ことだけを目的に詐欺に勤しんでいた。人を騙して金を得ること自体に快楽を感じてるのかもしらん。んでスタンさんは拾ってもらった見世物一座で稼いでた世間しらずの純粋なモリ―さんを誘って助手として使いながら一座から離れて都会で読心術を武器に金持ちからカネを巻き上げてくんですけど、あるとき読心術ショーをみにきてた心理学博士のリッターさんと関わったことから、リッターさんの顧客であるお偉方をカモにする方向に。ここで禁じ手の幽霊ショーを本格的にやり始めて、それを真に受けたお偉いさんがもう俺の前に幽霊呼べよ!てなって、後戻りできなくなったスタンさんはモリ―さんを使ってヒト芝居打つことに。ところがこれがバレちゃったもんで血迷ったスタンさんが殺しに手を染めることになるんですけど、おそろしい破滅の道をたどる的な宣伝からもっとヒドいことが起こるのかと思って期待してたら、なんか最後はおさまるべきところにおさまった的な展開になってた。自殺した人が死んだことに気付かずに何度も何度も自殺しつづける的なエンドレス地獄にでもなるのかと思ったりしたのでちょっと肩すかし。ぜんたいモリ―さんをはじめとする見世物一座は残酷残虐を謳って客集めしてるんだけど、それは客の側も嘘が混じってることに薄々気づいてる程度のものであって、観覧してもちょっとびっくりして帰途につくレベルなんだが、スタンさんの幽霊ショーは観覧するとトラウマを掘りおこして人生を根幹から揺さぶってしまうような作用があるので、ターゲットになったヒトは死に肉薄することになってしまうんですな。見世物一座の人々は物言いは一見乱暴なんですけど、実はあたたかいというか、境遇や体裁は一切問わずに受け入れてくれる深い度量があるので、なんかほのぼのしてるんですよ。小人さんや軟体の黒人さんや、ホルマリン漬けの1つ目の胎児までもみんな包み込んで居場所をつくってくれる。モリ―さんも見世物一座にいるときはすごく安心して楽しげに過ごしてるんですよね。ところが幽霊ショーをやりだしたスタンさんといっしょにいると消耗して元気がなくなってくかんじだった。スタンさんは離しちゃいけないもんを手放して、近づいてはいけないほうへどんどん近寄ってしまう。タロットカードがそれを言い当てているのに、それを捻じ曲げて解釈する有様。見世物一座の描写に関しては、パンフによると、原作小説では「カーニバルの芸人たちの生活の言語がそのまま使われている」「隠語のたぐいに限らず、とにかく原文がかなり難しかった」ということなので、見世物一座に興味がおありの方は読んでみるといいやもしれません。原作者のグレシャムさんも霊媒について調べ上げてたりしたとかで、なんか伝記でも誰かつくればいいのにねえ。

あなたの隣に霊が的なくだりで思い出したんだけど、以前特攻隊の件で三巳華さんを批判したことがあったんだが、江原啓之自身は本物の霊能者なのに、この件で詐欺師呼ばわりされてテレビから追い出されてしまった件があったから、なるべくなら事実を記したほうがいいよ的な老婆心から書いたんだけど、なんかイマイチ伝わってないのかもしれないな。嫌われるのは慣れてるからいいけど、本物が偽物呼ばわりされるのは納得いかん。