サビーヌのパンフさっきまであったのにどっかいってしまった

便座民・罵倒―吸う気な人生―ベンジャバに対抗してみましたがイマイチだったクソー。 SameShitさんはたぶん嫁さんがいても大喜びでAVのパッケージをブログにアップしつづけて家族から心底呆れられる人なんだろうな…とか思いつくづく尊敬します。ある点が決して追いつけない。

昨日はロルナの祈り(恵比寿ガーデンシネマ)→彼女の名はサビーヌ(アップリンク)→ベンジャミンバトン(ジョイシネマ)。ロルナはダルデンヌ兄弟監督作なんで。児童虐待の本でダルデンヌ兄弟の映画のことをやたら引き合いに出してる某本があっていつかみなきゃなー…と思ってたら新作やるっつーんでこれは!!と駆けつけた。今作の凄さは観終えて次の映画みにいく最中歩きながらようやくわかって泣きそうになったりした。スジとしては戸籍の闇売買稼業の犯罪グループの一員である主人公のロルナが、カモにしたヤク中男(もう死にそうなのでこのカモが死んだらロルナは未亡人→ベルギー国籍をほしがっている外国人の男に国籍を取得さすために偽装結婚する)と過ごすうちにどんどんほだされて…みたいな一見単純極まりないものにみえるんですけど、これのどこがスゴいのかというと国籍売買のための道具にされた男はげっそりやせ細った正真正銘のジャンキーなんですけど、でも一応立ち直ろうとしてて自分から入院したりして立ち直りかけたもんでそばにいたロルナも次第に彼に感情移入するようになって、なんとかこのまま真人間として生きながらえてほしいと思うようになるんですが、でも国籍売買の前準備としてはロルナが未亡人になる計画上で彼は死ぬという筋書きなので、なんとか彼を死なせずに未亡人となるために「ヤク中の夫から暴力をふるわれた」ことを装ってDVを理由に離婚しようとロルナは画策するわけです(ヤク中の人は優しいので命令されても嫌がってぶたない)。そんなヌルい事情を犯罪に手を染める連中がまともに聞くわけもなくロルナの知らないうちにこのジャンキーはあっさり殺されてしまい(「麻薬過剰摂取による死」)、その後に死んだヤク中の人の親兄弟とかと会うものの、実の親類にも関わらず死んだあとですらヤク中の人の存在を疎んじて忌避したりとかなり冷たくあしらわれる。死んだヤク中の人はロルナが偽装結婚の道具として利用する目的で近づいてきたにも関わらず彼女の愛情を絶えず求めていて、それはただそばにいてくれることだけをひたすら求めるわけですが、スジを追っていくうちにこの人が麻薬中毒になった原因が人からの愛情不足によるものであることがだんだんみえてきて、肉親だけでなく誰からも相手にされず、その辛さから麻薬に依存していってしまったところへ国籍ブローカーに使い捨ての道具として利用され、彼はあらゆる人間からその生を否定されつづけてきた者なのだった。その深い絶望に気づいたとき、ロルナはあらゆるものを脱ぎ捨て、その場で彼と激しく抱き合う。ロルナは愛を求める彼のような人を目的のために踏みつけにしてきた。それは愛と思い込んでいるだけで実際には暴力にほかならないのだ。そうしむけた人間とそれを実行する人間の間には口では愛と言っていようと実際には殺伐としたものしか存在しない。それに比べてただそばにいることを望むこと。憐れみではなく打算のない愛がそこにはあったのだった。
ダルデンヌ兄弟さんの作品をみたのはこれがはじめてですが、とりあえずスジだけみたらごくありふれたいつものアレなんですが、麻薬中毒者の原因みたいなものの描写がリアルだったこと。ジャンキーとひとくちにいっても実際にはそれに至る根っこが人によって千差万別なはずで、そこをちゃんとわかりやすく描いてるのがよかった。実際患者のひとをみたことはないですが、なんというか幼少期に受けた精神的な痛みみたいなものをベースにして構築してるみたいなところがかなりしっかり考えてるんだなーとなんとなく思いました。人が病むことがどういうことかをガッチリ把握してるカンジっつーの。そこらへんの精神描写はなんかすごいんですけど、ビジュアルがちょっと…。顕著なのがロルナ役の女優さんの裸が…それにも増して下着の壮絶な色気のなさっぷりときたら…。や…あれでロルナの肉体が豊満だとヤク中の人がロルナ自身ではなく肉体的欲望に駆られてる、みたいに思えちゃうから方法論としては成功してるんだろうけど。にしても…画的な快楽がちょっとなさすぎて…。ダルデンヌ兄弟ってホモなのかな。ちょっと女をきれいに撮らなさすぎてそこらへんだけガッカリします。あの色気のなさただごとじゃない。

彼女の名はサビーヌはちょっと変わった子(のちの診断では自閉症的行動をする小児精神病)だけど10代頃までは意思疎通も生活もけっこうふつうにできるし、ピアノとかも弾きこなしたりと手のかからない子だったんですけど、それまで身近にいた兄弟姉妹がどんどん離れていってサビーヌが母親とふたりきりになってしまったらとたんに暴力的な子になってしまって、母親に手をあげるわ暴言を吐くわして手がつけられなくなったので病院に5年ほど入院させたら(薬の影響もあって)生活すらおぼつかないほど悪化してヨダレをダラダラ流したりろくに動かなくなったりしてしまい、どうしようと思ってたところへいい施設がみつかって、そこで過ごしてるうちになんとかちょっとずつ人間らしさが戻ってきつつある今の中年のサビーヌを中心に写しながらすすむ映像です。サビーヌさんはある悲しみや怒りに直面すると自分では自分をコントロールできなくなってしまう疾患ぽいかった。一般的には耐えられるような悲しさも、彼女にとっては堪え難いほど大きなものらしく、直面するとだれかに向かってぶつけずにいられないみたいだった。かといって周りの人は生活のために自立しないわけにはいかないし、遅かれ早かれサビーヌがこうなってしまうのは時間の問題だったんですかね。基本的には池沼の人と同じ幼児的思考で、いやだと思えば仕事も放り出してその場で寝そべってしまうし、目の前に食べたいものがあればだめだといっても食べてしまう。それに加えてサビーヌは目の前から好きな人がいなくなってしまうことが気になってしかたないらしく、今回も撮影にきたサビーヌのお姉さんに対して事あるごとに「明日またくる?ぜったいくる?約束できる?」てぶるぶる体を小刻みにふるわせながら何回も何回も何回も何回もたずねる。引き金になった出来事がよっぽど悲しかったのかなと思った。彼らを四六時中世話してる人たちは仕事とはいえすごい人たちすぎると思った。
えーとベンジャバですがとにかく赤ん坊から年寄りまでを逆行する男と愛し合った女の話で、ビジュアル的な意味でのショタ(もしくはロリ)萌とかおっさん萌とかノーマル恋愛とかを通りいっぺんいちどに経験できておトクだなーという話だと思う。老いてアルツよりもむしろ幼児化してまっさらになってくほうが残酷なような気はした。ブランシェットが初老のころに中坊くらいのそばかすブラピがたずねてきますが、あの初恋をしてるみたいな表情で長年連れ添った恋人をみている光景のなんともいえないピュア(キャー)なカンジがなんかすごかった。想いは熟成してるはずなのに感覚だけ童貞みたいな雰囲気がおもしろい。今作といいゾディアックといいつまんなくはなくて観ればまァ思うものはあるにはあるんですけどさ…最近のフィンチャーの映画って大河ドラマみたいなダラダラ長くてみるのが疲れるわりに面白さが薄い作品ばっかしだよね。偉い人になりたいのかな。それか偉い人に気に入られるためにやってるのかどっちか。つまんねーの。ターセムがだめになるわけだ。