ムラ上春樹の小説がほかの作家の作品題(しかも超有名なやつ)とかぶるのは馳星周のエルロイへの追従まるだしのアレと同じようなものなのですか?

少年メリケンサック』は柳下さんみたいなルサンチマン系の中年はもう通用しないと言っている映画なので、彼らにとっては不快なんでしょうね。痛いところを突かれすぎて。僕も宝島チルドレンのひとりだから、あんまり言いたくないけれど柳下的なルサンチマンについていけなくて、僕は秘宝だったりサブカル保守から離れていったという経緯があります。教室でいじめられている自分はその分真実が見えているんだ、みたいな逆差別をあの年で生きがいにしているところがどうしようもなくつまらない。』

上記『』内は柳下さんの批判を曲解して悦に入ってる人たちの件からの抜粋です。メリケンどーたらはみてないんでアレですけど、以前とりあげた際にリンクしたとこで書かれてたものをみると(以下『』内各リンク先より抜粋)、

『少し前なら『メガネ男子』。今は『草食系男子』などなど・・・あらかじめ反抗する事は『ダサい』とされ、羊のように従順に何の疑問もいだかずに、いだいたとしても声には出さず、いだいた自分を否定して、黙って屠殺場への列を進んで首を刎ねられるような今の若者の精一杯な『パンク』なのだなぁ。コレは。』(ゾンビカンフーさんとこより)

『これなら『ザ・クランプス/精神病院ライブ』を10回観た方がよっぽど心洗われる。期待して観たのに、こいつ本当にパンク好きでもなんでもねえんだってことだけハッキリと分かる映画だった。パンク精神すらなかった。心底ガッカリした。』(シンプリーデッドさんとこより)

ということで、メリケンなんたらに怒り心頭な人はたぶん監督した人が題材にしてるパンクやロックというジャンルが好きでもなんでもない上、知識すらろくろくない状態で話の軸になってるドタバタコメディの単なる添え物的な片手間扱いをしてることに対して怒ってて、それはパンクが単なるジャンルじゃなく気に入らないものには従わないという生き様そのものを指すことでもある熱いものなのに、怒りとは無縁の狂言回し的な扱いであしらわれたのがよけいに違和感を感じずにいられなかったんだと思います。何度も書きますがパンクとかロックの精神て誰がどういおうと関係なく自分が抱いてる怒りや目的に従ってやりつづけることだと思うんですけど、柳下さんに対して見当違いのこと言ってる宇野とかいう人はまさかパンクやロックを『教室でいじめられている自分はその分真実が見えているんだ、みたいな逆差別』から派生したものとでも思ってるんでしょうかねえ。ロックすらろくに知らないくせにこの世のなにもかもわかってるとか思い込んでるジジイが、好きで音楽に打込んでる人に対して「目立つことをやってる人は寂しがってるかわいそうな人」とか決めつけて上から目線で憐れむ様子をさも心温まる場面かのように描くクズ映画をつくった人と同レベルの意識ですな。そもそも『いじめられている自分はその分真実が見えているんだ』は柳下さんでなく本田さんだと思いますけど。なんか…こういう根本的な思いまちがいをしてる人がプロの批評家名乗って金とっていいんですかねえ。そういえばこの前爆音ピアノチューナーオブアースクエイク観終えて便所から出て廊下歩いてたら、クエイ映画のシュルレアリスティックなところをあざ笑ってるカッポー(特に女)がいてさー、シュルレアリスム自体が笑えてナンボだからまあ正しいのかもしれないけど、でもこのテのシュルレアル関係の美意識でつくられたものみてバカにする女とかってじゃあそれ以上にすごい美意識をもってるのかというとそうじゃなくて、最上級のいいものと認識してるのがケータイ小説だったりジャニーズのコンサートだったりしてバカ指数が高めの嗜好だったりすんですよね。そうそう、あと日本映画ばかり賞賛して「ハリウッド映画は云々」とか外国映画をけなす人に顕著なんですけど、この人たちのいう「日本映画」とはごく最近つくられたあたりさわりのない作品のことだけで、座頭市とかピンキーバイオレンスとか石井輝男とか高倉健のヤクザ映画とかみたいな心を逆撫でするような傑作群はまったく含まれない様子なのがなんかすっげえ気色悪い。石井輝男は日本映画じゃねえっつうのかよ。偏ったものの見方しかできないくせしてハリウッド映画だからとか一括りにしてけなすとかバー