パンチドランク・ラブ上映希望>青春映画祭


チェルノブイリハート(26日。ヒューマントラストシネマ渋谷)→マルホランドドライブ→くノ一忍法(27日。シネマベーラ渋谷)→殺られる→ふたりのヌーベルバーグ(28日。K’s cinema)→リメンバーミー(シネマート新宿)→キラーインサイドミー(2日。ヒューマントラストシネマ渋谷)とみまして、チェルノブイリハートはロシアの事故現場周辺で障害児がどんどん増え続けてる件をアメリカ人が取材してまわったドキュメンタリーですけど、因果関係はわからないとしながらも生まれながらに身体的・精神的障害のあるヒトがいまもふえてて、その子たちを親や家族が面倒みてるならまだましで障害があるとわかった時点で捨てられてしまった障害者孤児がえらい多いんですって。その区域内にある産婦人科医に「健常者として生まれてくる確率は?」て訊いたら15%〜20%(が健常児)とか答えてたよ。肉体的障害は生まれてすぐに治療すればよくなる場合のが多いんだけど、金銭的な問題で放置するしかないらしい。水頭症は生まれてすぐ水を吸引すればふつうの大きさになるけどお金がかかってできないし、心臓手術の必要な子は免疫系が弱くて手術自体ができないとか、疾患がひとつじゃないので手間もお金もかかるし、なによりからだが保たないから結果的にしぬのをまつしかない状態になってしまってる。そんな区域なのにくらしてるヒトがわりにいて、なぜかというと仕事をそうかんたんに手放せないから。住処を手放せないから。なにしろお金がない。たとえ住環境が汚染されたとしてもヒトはそう簡単に移住することができない。同じ(もっとヒドいかな)事故のおきた日本のおいらの住んでる地域もまったくおなじなのでよくわかる。他人事じゃない。積み上げたモノを捨てるって若いならまだ経験となるけど、年くってるヒトほどツラくてやってられないだろう。逃げたくないってのは虚勢半分で、実情は「逃げられない」が正しいよ。ロシアの例の区域住民のヒトも検査で危険て出てるのにそこらの木の実とか毎日食ってたりすんだよな…。夫人も有楽町でコレみたらしいんですけど「100年単位ですこしずつなくなるんじゃないかしら。自浄作用っていうの?結局死んでくんだし」とかあられもないことゆってた。チェルノブイリ心臓みてたお客さんみんな泣いてた。
リメンバーミーは家族内のゴタゴタから和解まで、人間のすべてを押し流してしまう津波のようなモノについての映画。主人公の青年が無関係のいざこざに率先して首つっこんでは暴れて牢屋にブチこまれるような不安定な凶暴性をもつヒトで、ある日のいざこざでさして言いぶんもきかず乱暴に牢に入れた刑事に娘がいるのを知って、ちょっとした出来心でイタズラでもして思い知らせてやろうと近づいたところ、主人公と刑事の娘がなんかイイ関係になってしまって…みたいな話。主人公にはかつてお兄さんがいたんですけど、そのお兄さんがどういうわけか自殺してしまって、それに対して自分がなにもできなかったこと、それに父親が仕事ばかりにかまけて家族をないがしろにし続けていることにそうとう鬱屈がたまっていて、牢から出される(お父さんは弁護士なので勝手に手続きしてくれる)ごとに父親の会社でいやがらせしまくる。いっぽうで刑事の娘さんは幼いころに目の前で母親を殺された過去があって、そのときからずっと父娘ふたりで生きてきたのでお父さんは娘さんを超過保護にしてるんですね。ハタチ過ぎだというのに門限もかなり厳しい。彼氏ができてすこしハメをはずしたい娘さんは初めて父親を疎ましくかんじはじめ、その彼氏である主人公は父の愛に飢えてほうぼうで暴力沙汰を起している。主人公のお父さんはお父さんなりに家族を気づかっているんですけど、なんせ忙しい高給取り職なのでわかりづらい。お父さんはなんでもないときはかまってはくれないんですけど、いざってときにちゃんとくる。でもわかりやすい愛情表現をぜんぜんしてくれないし、息子である主人公はお兄さんのことを消化しきれてないこともあって、あんまり寂しくて暴れちゃうんですな。主人公のお父さんも、彼女である娘さんのお父さんも、ちゃんと子供たちのことを考えているんですけど不器用なあまりに空回りしてしまう。主人公のお父さん役はピアースブロスナンなんですけどいつもは涼しげな役どころなのに、今作ではめずらしく声を荒げたりします。父親というか喪失を抱えながらも不器用な愛を子供に注ぐ男親の物語ですな。おとなのおとこは軽々しく本音を吐露したりせず、朴訥に愛をそそぎつづけるんだなーとしみじみしました。ラストは津波的なモノがすべて押し流してしまうんですが、それも根をただせば父と子のこじれ的なもんがもしかしたらあるのやも。しかし刑事の娘さんは最終的にものすごくツラいことになるんですけど、あれはちょっとかわいそうすぎるだろ。乗り越えられるのかな。クソ重たいはずの展開を時間の関係上かなんかでてきとうに済ましてたけど。それと主人公には絵の才能をもつちいさい妹さんがいるんだけど、美術のエリート校に入学したもののどうも周囲となじめなくて、それをみた主人公が「おまえ(妹さん)が引っ込み思案なせいだよ。もっと自分から近づかなきゃ!」とか言ってよかれとばかりにギャングみたいな女どものグループのなかへ繊細な妹を放り込むんだよね。そうして妹さんはもっとヒドい状態に陥ってしまうんですが…つーかさー、おんなはクラスに気の合う人間がいたら自分から寄ってってしぜんと仲良くしてっから。女子の世界のことがさっぱりわからない男子はヘタになんかさそうとしちゃだめですよ。よりによってクラスに必ずいるギャングみたいな連中に近づけようとさすんじゃないよ。ソリのあわない連中のクラスから引き離せばすむ話なのに、父であるブロスナンまで「あんないじめっ子を放置してこの学校はどうなってんだ!」みたいに学校を相手取って闘うみたいな態勢でのぞんじゃって、あんな話広げちゃったら娘さんの立場がねーよ。そもそも才能がそんなにあんなら学校いく必要なくねーか。そんでも勉強さしたいってんならカネはあるんだから家庭教師的なもんつければいいじゃんか。なんなんだろうあのあくまでエリート校にこだわるかんじ。父も息子もおんなのこに対してKYすぎてどうなのかと思った。監督さんのおんな世界に対する無理解が炸裂していると感じた。まあ男の気持ちをあすこまで描けるヒトだけにそこはしょうがないか。
ふたりのヌーベルバーグはこまかいことはわからんかったけど、ゴダールつうヒトの目がグラサンのむこうでいつもカッと見開いててこわかった。文化相(マルロー…)に逆らってるときにトリュフォーが淡々とふつうの娯楽映画撮り始めたら「きみの映画は主人公だけが特別でその他大勢はどうでもいい存在なのかッ?!」とかゴダールが文句つけてきて勝手に絶交されたらしいけど、ゲージツ家だからこだわりについてはしょうがないのかもしらんけどゴダールつうヒトはめんどくさいヒトだねえ。最近つくった映画とかみても観客に対して真っ向から挑戦状叩きつける芸術映画だったし崩せないんだろうけど、あれいつもみてたら肩がこるよ。まちがいなく貴重な存在ではある。
ヒューマントラストシネマの滝本さんトークはいちばんやりとりがすべらかだったのがおなじみの柳下さんとでしたけど、その次に高橋ヨシキさんとの対談がかなりすべらかで意外に相性いいんだなーと思った。デビルズリジェクト的なお題で対談させればもっとノッたと思う。キラーインサイドミーに際しての柳下さんトークではステイシーキーチ版のがもっと卑しさ満点でスバラシーとのことと、今回のケイシーアフレック版はエルロイ以降のノワール系譜を踏襲していて「インテリ監督がB級作品を芸術映画として撮る倒錯した風潮」下のもんだと指摘してた。サイコパスのお気楽さが英国的風刺(人を小バカにしたかんじ)のしゃれめいた雰囲気と相まっててわりとおいらはスキですけどね。あたりまえの話ばかりぶつけて相手を幻滅させる会話乱暴術(それってよくよく考えるとちょっとモンティパイソンみたいだ)をイヤミったらしくたびたび差し挟んでたらあんなにお上品では済まなかっただろうな。サイコパスで暮らしていくことの最低条件としてみてくれが無害―つまり童顔とか可愛らしいことが挙げられるけど、その点でケイシーはほんとピッタシだよ。あんなピンク色の乳首して弱々しい物言いしてたら誰でも油断するよ。共感しきり。