マンテーニャの星は満点の星のことなんだそう

夜のポエティズム Vol.41 - 『緑子』の黒坂圭太を徹底解剖する!を昨日アップリンクファクトリーで観覧しまして、なんか赤塚さんが黒坂さんを横に座らせて「好きな鑑賞物」を羅列させたうえで実際にその作品の断片を上映しつつ、黒坂圭太作品を構成してる原点をほじくりかえしてく充実のイベントでした。紹介されるつーても時間的な関係でほんの2〜3分ずつで各作品のごく1場面でしかないんですけど、赤塚さんがこれはと思った箇所だけに緑子とかなり近しい場面がわりにあって、特にベンハーの冒頭場面を流しつつ赤塚さんが「緑子の某場面はここから影響されたんですか?」とたずねると黒坂さんが「これは…影響されたっていうか……完全にパクリですね……………」とか自分で自分を絶句するわ恥ずかしがるわしてらしてすごく共感した。自分でも気づかないうちに影響されたもんをまんま模倣してしまってるってのはあります!!好きすぎたあまりにそれが誰かのつくったもんだったのか自分がつくりだしたのかもはや判別すらつかない。もう脳にとけこんでてなんのふしぎもなくまんま出しちゃう。鑑賞した側に指摘されてはじめて気がつくっていう。自分のなにもかもをさらけだすってのはつまりそういうこともすべて含むんすよね。てっとりばやく儲けるのに手間隙かけんのがヤだっつー理由で意識的にパクったヒトがそのテのいいわけしちゃうこともあるので部外者からは判別がしづらいのだけども、鑑賞した側から激似指摘をされたときに恥じ入ってキャーとなるか悪びれて認めないかで大体わかる気がします。ハナから意識的にオマージュを捧げる目的でやる場合はもっと原型の形を意図的にすこしずつ変形さしてることが多いんでまたひとあじちがう。ある作品との激似箇所を「意識的につくられたのか無意識下でなされたアレか」を見分けるゲームをしたらいい。答が当人申告しかないのでだめか。なにしろ無意識下でなされたもんはわりと「まんまやっちゃってるのに当人は気づいてない」なことが多いっつー。ほかに緑子を構成してるブツとしてリンチのイレイザーヘッドの赤ん坊のありさまがもろ緑子まんまでまた黒坂さん絶句してましたし(イベントでは触れられませんでしたけど、イレイザーヘッドの主人公の寝床のよこに盛り土から生えたちいさな木みたいのもあって、そういえばリンチの短編作には木に関するもんもたしかあったし黒坂アニメ内の植物率の高さからしても黒坂さん脳内にはそうとう影響しみこんでる気がしましたよ)、あそうそうイレイザーヘッドの赤ん坊が謎なことに関して黒坂さんが「あれはふつうに指人形だと思いますけど、それあかしちゃうとつまんないから言わないでいるってだけだと思いますよ。」てさらっとゆってた。指人形だったとしてもひどい生々しさですけどね。あとはタル子フスキーのストーカーにおける朽ちた「物」への妄執には共感したそうで「民放で放映されたら確実にバッサリ切られるであろう」(by黒坂さん)的なストーリー進行上影響のないたぐいの「物」ショットの長回しなんかも言及してました。タル子フスキー映画は基本的に「お父さんの詩を描写してる」前提でつくってるふうなので、たぶんストーカーの朽ちた「物」を映してるシーンもその前提に忠実に沿ってやってるんじゃないのかなー、するとストーリー(とゆうか映画構成上)的にはとてもたいせつな部分なのでは?という気もする。そうゆうふうにみればタル子フスキー映画における「不要な部分」てのは実はひとつもないんじゃねーのかな。ねむくなるのはしかたないにしろ。「物」に関することでは建物にしろ廃棄物にしろ「人が関わった」もんであることにすごく惹かれるとおっしゃってました。新品のだれもさわってないもんには興味がないそう。それと黒坂作品が「欲望の過剰さ」を描写していることに赤塚さんが触れてて、そこらへんに関するモノとして盲獣や東京フィスト(筋肉暴力といえば黒坂さんの好きな漫画にふくしま政美作品が挙げられててなるほど爺さんが暴れるわけだ[笑)が挙げられてた。シュヴァンクマイエルのオテサーネクに関しては緑子の製作中にみてしまったらしくて、なにかつくってる最中にはあまりに似通った作品はみないでいるほうがいいですよー…とおっしゃってました。それと「耳をすませば」や大魔神に関して「なんてことないシーンの間のとりかたがすばらしい」と絶賛してた。特に耳をすませばジブリだからでなく「近藤喜文監督作品だからよい」とのこと。あとは大林宣彦映画がお好きだとかビクトルエリセのエルスールをみて黒の画面のおもしろさに気づいたとかゆってました。正直ゆってさしておもしろくねーなーと思ってた映画も、こうして特定の監督さんのツボどころを通して観直すとべつの見方がそなわってすごくためになる。自分の視点だけではとらえられなかった味わいかたをできるってのはすごいことですね。このイベントでそれがはじめてわかってなんかびっくりしましたよ。最初ちょっと疲れてて寝たりしましたけど。イベント自体はマジすばらしい内容だったのですけど、アップリンクの椅子がダメで帰宅後もしばらくケツが痛くてしかたなかったです。あの椅子に4時間はちょっと苦行だわ。もうロフトプラスワンでメシくいながら徹夜でやろうぜ。メシくいながらといえば黒坂さんのすきなもんリストに好物のたべものとかでてますけど、ミートソースはやはりまんべんなく混ぜ合わせてからほおばるクチかしら。なんか性癖としてひしめきあってる状態に安心するらしいだけに。ぽつーんとしてるのは不安なんですって。じゃあ年末のアメ横なんかおちつくのかしらね。性癖といえば「足がなにかを踏みつぶす」画ヅラに関して赤塚さんが黒坂さんになんで頻出するのかたずねてましたけど、当人もよくわからんけどやらずにいれない画ヅラなのだそうです。足が踏みつぶす根源についてよくよく考えだすと頭が痛くなるとか。そうとうなものですね。幼少期に目前ですきなものとかをいきなり踏みつぶされたり等する経験があったんだろうか。あと影響うけたもんとしてウルトラセブンとか怪奇大作戦の話がもりだくさんだった。よくしらんけどどっちも面白そうだな。ウルトラセブンの答がでない話を解決せずにほうりだすやつはすごくよいですね。自分たちが生きるために脅威を叩き潰して生き残りは放置、てこと自体は人間がふつうに続けてきた事実ですからね。それを子供むけだからといって安易な結末にせず、ただむきだしにしてみせつけるってのはたいせつなことです。答えはみたヒトがそれぞれ考えればいいことだし。子供むけだからといって子供だましにしないっていう「優れた子供むけ作品」の大前提を円谷さんはきちんと踏襲してたんですね。「子供はこの程度のもんをみとけばいい」みたいに年齢でみるものを線引きしちゃう向きって「おとなの事情は子供にみせる必要がない」と思い込んでることがすごく多くて、そういう人のつくる話は結果的に「子供だましの安易な結末」になってしまうんですけど、数十年よみつがれる子供むけ作品をつくるヒト―たとえば円谷さんやビアトリクスポターといったヒトたちはどのヒトも「特に子供に伝える必要のなさそうな大人の事情」をかならず子供むけ作品にしっかり盛り込んでるんですね。それはどうしてかというと、かれらは子供を「大人の芽を潜ませた者」とみなしているからなんじゃないかなと思う。対して子供向き作品をつくるに際して子供だましの安易な結末しかできない人は、子供を「子供以外の何者にもならない存在」と捉えているように思う。「その後」をみすえていないってゆうかさ。しっかりしたものを投げかければかならず何らか波紋があるのに、波紋なんかないただのちいさなアホウ止まりだと思いこんでるふうな。日本の民放ドラマに関しては怪奇大作戦の「青い血の女」を好んでた黒坂さんはチャイルドプレイをみたとき「これ完全にパクられてる」と確信したそうです。あそうそう、あと幼少期にみてその後の芸術アニメづくりへの道を決定づけた作品として、手塚治虫監督のクレオパトラをあげてました。なんか宮崎駿は酷評したらしいんですけど、まあたしかに群衆とか細部がぜんぜん静止画で手抜きではあるもののなんか名画のキャラ総出でぐるぐる動き出す絵巻的なくだりとか意味不明のカオス画像並に笑えるます。あれ年末に流したら日本の民放の混沌ぷりが水増しされていいんじゃないすか。ちいさいころにああいうもんみると人生をまちがいますね!て力説してた。時間があったら黒坂さんのすきな絵画についてもふれる予定だったそうなんですけど、時間ぎれでなくされた。残念だった。あと黒坂さんはクラシック音楽にかなりくわしいらしいんですけどワシャしらん。ワシャしらんといえば黒坂作品中にやたら元気なヒゲのおじいさんが暴れてますけど、なんか黒坂さんは寝たきりのお爺さんをずっと模写してた影響でみなくても勝手に描けちゃうから描いてるんだとか。それとイベントでMTVのOPアニメとDir en greyのPVアニメ(23日まで緑子と併映してるらしいので必見!)をはじめてみましたけど、老いるごとにだんだん激しさが増す黒坂作品ンー!!!よけいがんばってほしい。あー大事なことを書くの忘れてた。黒坂さんはいわさきちひろ林明子(うおぉぉぉ!!ちいさいころみて癒されてた絵!!)が大好きだそうで、緑子の主人公の女の子の顔や目つきはいわさきちひろのタッチまんまでございますよ。これも当人は赤塚さんに指摘されるまでまったく気づかなかったらしい。いわさきちひろキャラが風呂場で全裸のおじいさんに絡まれたり家賃滞納してたりすると考えると絵本マニア的に感慨深いモノがある。あと黒坂嗜好リストにはごく最近の漫画や映画なんかもかなり出てて、影響はリアルタイム進行中なのだなーとじーんとした。自分が興味ない作品もこれだけいろんな方面のヒトビトに根深く影響してるありさまをハッキリと字ヅラや画ヅラでまのあたりにできたことに驚きですた。ひとりの芸術家の脳内にしみこんだもんをこうまでことこまかくあぶりだしてくのに数時間ぽっちじゃたりないに決まってるよなぁ。人生の書誌の確認作業のようであった。真摯につくったもんはどんな形であれちゃんと受け継がれるんだなーと確信した。たとえどんな客層であっても理由つけて手を抜いたりしちゃイカンのだね。なにしろ黒坂さん作品の軸にはあたたかな混沌と激しい欲望が渦巻いてるもよう。

  
このイベントでの赤塚さんの参考映像の編集っぷりとか進行が見事だった。あの映像編集すんのそうとう手間隙かかったろうな。尚、赤塚さんのしだれハゲはチャームポイントなのでかくす必要ないと思います。でも後半で帽子かぶってきたらすごく若返ってみえた。ふしぎだった。