今でこそムチャにみえる企画も当時は笑ってスルーされてたはずだよな

『現実に引用に許可が必要となると、自由な評論や批判ができなくなり、言論は萎縮してしまう。表現が発展していく可能性を摘むことにもなる。強い立場の人間が発した暴論が誰にも批判されないまま流布するかもしれない。これは危険なことだ。
公表する以上、あらゆる表現は引用される可能性がある。誉められることもあれば、批判されることもある。茶化されることもあれば、間違いを指摘されることもある。それが表現の自由というものだ。
引用先の言い分に意義があれば反論すればよい。いちいち相手にせず無視したっていい。
しかし引用されるのが嫌なら、公表を止めるしかないのだ。』

・上記『』内は罪山さんの引用が違法なわけねーだろ文から抜粋したブツ。よっく読んどけシーソー管理部法務人間!!最近だと映画パンフにまで引用禁じます云々書いてあってへぇーと思います。あと上記画像はひろぶろさん経由のダブルピースさんとこのモノ。頭部クラッシュ前のたけしの関わる企画のキレのよさときたらマジ異常でした。あとたしかにひょうきん族はあとのほうダレてました。

・朝日の夕刊のこのコーナー出てた頁とかみてみましたが、「害」→「碍」の変更については文句とかべつにないですけど、つーかこういうのって障害者当人が言い出したならわかるんですがどーして部外者(健常者)間で話が勝手に進むんですかね。リンクしたtokujirouさん日記文中で『一部の障碍団体のリーダー間にみられる意見』ていう部分がありますけど『障碍団体のリーダー』は障害者の方なんですかね。最近のニュースのテロップでも部分的にひらがな使いしてる(ちゅう房とか)のを見受けますけど、読みにくいからみたいなガキ向けの配慮ならふりがな振ればいいじゃん。何なの?漢字差別なの?「ひらがなにする」が日本語にとっての正義なの?公のもんがやたらめったら単語をひらがな表現にしてんのとか、なんかいいおとなをバカにしてるふうにみえるんだが。なにしろ「漢字のひらがな表記」をまるで社会正義かのように喧伝する漢字差別っぷりと、当事者ないがしろでものごとを進めようとする姿勢がきもちわるい。高校生を「児童」定義の身勝手な決めかたといい、当事者の意見抜きでなにか決める連中は信用できません。本来的に障害者に関わることは障害者当人たちが中心にやることだろ。あとなんの考えもなく漢字をひらがなにしてタレ流してる連中は、クジラ食う文化のない国が自分には関係ないからってなんの考えもなく反捕鯨に加わるのと同じでタチ悪いですよ。よくわからん連中に肩入れしてんじゃねえよ。よくわからん連中ついでにアンペロのドゥーワ頁のせておきます。

肉は食いたいけど動物は殺したくない人って「肉食いたい」とか言ってる時点で菜食主義者失格な気がするんですけど。クリスちゃん的な考えからすると神の与えた地上のシステム(生き物を食って生きる)に背を向けて生きてるあたりが背徳行為な気もするし。暴れる肉欲をなだめすかすアイテムとしてこんなのもでてるもよう。疑似餌食わないとつづけられない甘え優先の菜食主義ってやってる意味あるんすかね。毎日精進料理食ってるお坊さんの爪の垢を煎じてのめばいいよ。

・『国家警察内に存在する「殺人部隊」が 40人以上を不法殺害した疑いがあり、この疑惑をうやむやにするために猟奇的事件をでっち上げたのではないかとみられている。 』って1文中にひどいものが詰め込まれすぎ。

どっちも本質的にはおなじ件はためになるなあ。政治ついでに深町さん経由で「激務薄給を受け入れてくれるようなおめでたい人なんかいるわけない」という当たり前の現実を「いいとこの坊ちゃんが選り好みしてる」みたいな話と巧みにすり替えてる人がいる件のせときます。

・数日前に朝日新聞にでてた荒俣さんの講演の件がおもしろかったんで引用しようと思ったけど、朝日のサイトのほうに出てないな。なんか明治のころの新聞は広告があまり必要なかったとかで電報の生々しい文章がたくさん載ってたとか、森下仁丹の創業者が一世一代の賭けに出た件(記事の3分の2くらいあるビスマルクの挿絵に「毒滅」ってでっかく書かれた梅毒治療薬の広告を打って大逆転)とかおもしろネタがちょろちょろ出てたんですけど。あと朝日サイト検索したら出てきた荒俣さんがウエハーをブルドーザー食いした件のせておきます。

寺山さんさすがだなあ。露出ついでに紀信大ピンチのせておきます。販売は問題ないのかな。