真のエリートはつねに万人を敵にまわすものですね。


フィリップ、きみを愛してる!(21日。新ピカ)→ブルーノ(バルト9)→マイレージマイライフ(武蔵野館)→スパイアニマルGフォース(22日。シネパレス)→息もできない(シネマライズ)とみまして、ブルーノは「シャレのわからない人」や「変態を許せない人」がいかに野蛮で危険かが手に取るようにわかる突撃いやがらせモノ。ブルーノに扮してるコーエンさん自身はべつにホモでもなんでもないらしいんですが、とりあえず露骨すぎるホモに扮していちばん怒り狂いそうな人のたくさんいる場所に赴いていってマジギレさせてまわるモノです。ことこまかい説明はパンフで町山さんが書いてますんで省きますが、オーストリア出身のハードホモのブルーノさんがアタシもハリウッドセレブになるのよ!と有名慈善事業家を招いてメキシコ人肉体労働者の人間椅子に座らせた挙げ句に男体盛りをごちそうしようとして激怒して帰られたり、イメージビデオを一般公募者に審査させたら「これはバカの映像です!」とか全員が同じ意見で完全一致したり、こうなったら外国政治に介入して一気に有名になるわ!と中東の街をピチピチのホモ服でぷりぷり練り歩いてたら激怒した数人から追いかけられたりアルカイダは怒りのあまり誘拐してくれなかったり、アメリカに帰ったら帰ったでお色気作戦よ!とばかりに大統領候補の爺さん議員に襲いかかろうとしたら口汚く罵られながら逃げられたり、中東からアメリカに帰る途中でもらったアフリカの子供について黒人さん番組でどのように手に入れたのかをたずねられた際に「ipodと交換したのよ。」と真実を述べるや黒人さんたちが一斉に激怒しはじめて子供を取り上げられたり、こうなったらホモはやめるわ!と男くさーい狩りのグループにまぎれこむも下半身の衝動が抑えきれずに追い出されるし、男くさーい軍隊にドルガバのベルト着用で入隊して叱られたり、男くさーいプロレスに参加するも恋人とのハプニングで偶然にもマット上でホモの濡れ場を観客たちにみせつけることになって暴動寸前になったり、スワッピングのところにきても常に男から目が放せないしとホモが各地の人々の血管をキレさせてゆきます。とりあえずセレブとかいう人間が「慈善」と称してやってる「あなたの生まれた土地ではそのまま生きていても不幸にしかならないから私が養子にして金満生活によって幸せにしてやってやる」みたいな行動がいかに恥知らずでバカな行いかをあらためて確認しなおしました。なにが幸いするかなんてだれにもわからないのに、それをさも知ったふうに振る舞ったうえ知名度のために平然と利用することを「慈善」とか呼ぶんだもんなあ。マドンナも恥じ入って静かになるのがスジなような気がしますけど。諷刺されて怒るのは真実突いてるって証しだよ。ブルーノにもどしますが、ラストらへんのプロレスでのくだりはむしろパンツも脱いでチンコがギンギンだったほうがショック度がMAXになったふうに思う。とりあえず広島の空にピカッて飛行機雲描いて怒られたら即謝罪した上善人アピールのために被爆者の人に味方してまわったちんぽさんはブルーノさんの爪の垢を数十年間煎じてのむがいい。そして広島空ピカで激怒しまくっていた日本人は、ホモっぷりをみて激怒したり、途上国養子諷刺で激怒するマドンナとまったく同じで知的に遅れている文化度の低いひとたちなのだなーとしみじみしました。「異質なものを頭ごなしに拒否する」はヒステリーです。なんであろうと。恥しらずの自称慈善家といえば上記画像はここのです。あそうそう、あと牧師さんだかなんだかのホモ直し人の前でブルーノがやるエアフェラチオがリアルですごかった。

『フィリップに対するスティーブンの想いは、相手に対する真の思いやりと言うよりも、むしろ自分の熱情を満たす事を目的とする利己的な感情が中心になっている。それは、本来あるべき利他的な「愛」とは、ちょっとベクトルが違うような気がするのだ。
 フィリップのためと言いながら、彼は結果的にフィリップを自分の犯罪の巻き添えにしてしまう。フィリップを愛してるんなら、彼の幸せとは何かを一番に考えるべきでしょ。フィリップが望んでたのは、嘘も犯罪もない静かな生活。なのに、スティーブンが与えたのは、それとは真逆のプレゼントだったのよ!
どうして、こんな事になっちゃったのか?「愛されるための嘘」と彼は言うけど、嘘をつかない彼を愛そうとしている人々はたくさんいるのに、彼自身が素のままでは他人を愛せないからなんじゃないか。おそらく彼は、「素の自分」が嫌い過ぎて、何者かのふりをしていなければ、他人とコミュニケーションを取れないのだ。何者かのふりをして、それがまんまと成功した時にだけ、彼は自分を好きになれる。彼があれほど「愛したい、愛されたい」と切望している相手は、じつはフィリップでも元妻のデビーでも元カレのジミーでもなく、他ならぬ「自分自身」なのだ。
(中略)
こんなにも魅力的な人間なのに、そして、こんなにも人から愛されているのに、己を愛せないというそれだけの理由で、スティーブンは周囲を裏切り、人生を棒に振る。彼はフィリップに愛される事に執着するが、じつはフィリップを通して、自分自身に愛され許されたいだけなのかもしれない。』(「フィリップ、きみを愛してる!」パンフレットのp.21中村うさぎさん文より抜粋)

フィリップ、きみを愛してる!はジムキャリとユアンマクレガーがイチャイチャする映画。当初おかまのジムキャリが内股でクネクネしてる様子を想像していたものの、ジムキャリはレズでいうタチのほう(チンコつっこむほう)だったのでクネクネしてはいませんでしたが、いつもの自他共に痛めつけ破壊する的(なわりに繊細そうだったりもする)笑いのとりかたは健在で、嘘ばっかついて自他共に人生をめちゃくちゃにしてまわる詐欺師キャラにピッタシ合っていました。ホモとはいえど人生の前半はノーマルな異性愛者として女性と結婚したうえ娘ももうけてるので一応おんなでも勃つ人らしいんですが、大事故に遭って命の危機を感じて以来「明日しぬかもしれないんだったら今から自分に正直に生きるんだ!ほんとは男のケツの穴にチンコズボズボやるの大好きなんだー!」とばかりに家庭(離婚したのかな?)と順風満帆な社会人生活をソッコー放り出して、ド派手ホモ人生をめいっぱい謳歌するためにクレジットカード詐欺に勤しんでは男とイチャつくジムキャリ。しかしカード会社が黙ってるはずもなくジムキャリはお縄になって刑務所にブチこまれるも、そこで金髪碧眼のユアンマクレガーに出会ってしまい…みたいなスジ。ジムキャリとユアンマクレガーは別々の棟にいるので囚人を通してひそかに文通しながら恋心をつのらせてゆくふたり。あるとき毎日のようにきていたジムキャリからの手紙がピタリとこなくなってしまい、悶々とするユアンマクレガーの部屋へ突然ジムキャリが!みたいな調子でラストまで「ジムキャリが根回ししてうまくやってしまう」のエンドレスで、それがスムーズにいってるときはいいものの、悪いときには何の罪もないユアンマクレガーまでお縄になってしまったりと迷惑きわまりない。ユアンマクレガーはレズでいうネコのほう(チンコつっこまれるほう)で優しくておとなしい気性の人なんですけど、この性格のために今まで男からいいように利用されてきたらしくて、だからこそ嘘をつかれたりだまされること(尊重されていない=バカにされている)をひどく嫌っているにも関わらず、ジムキャリと関わってしまったことでまたそういう目にさんざんあわされるわけです。ジムキャリも高望みせずに手にしたことを淡々とやっていれば大企業の経営者なんてメじゃないほど頭がいいというのに、せっかく手に入れた地位の仕事や環境が超ヒマすぎてついつい結構な額をちょろまかしてみたり(このバレかたがまた頭悪い)と詐欺師の才能が頻出しはじめるわけです。その後はまた刑務所にブチこまれたりするんですけど、IQ169を総動員してまんまと逃げ出すくりかえしで、これが実話で実在の人らしいんですけど、本人が詐欺&脱獄のエクストリーム人生を送りまくってたリアルタイムには大統領やってたブッシュが困り果てて厳重監禁令出したそう。で、なんでジムキャリ演じるスティーブンさんが詐欺をせずにいられないかというのは上記のうさぎさん文が的確なのと、あと推測なんですけど、幼い頃に自分が本当の親から捨てられたことや、それだけならまだしも金によるやりとりが背後にあったという事実を聞かされたことがむちゃくちゃショックで(本当の親を探し出すために警察官にまでなった)、いじめられっこがいじめる側になって擬似的に憂さをはらすのと同じで「人を出し抜く」ことでしか安心感を得られなくなってしまっているのかなーとちょっと思った。「だれかから見えないところで操られて人生を翻弄される自分」がいやでたまらなくて、万人を翻弄する立場に身を置かずにいられないというか。「傷つける側と傷つけられる側」の世界から出ないかぎりはその苦しみから永遠に抜け出せないんですけどね。映画中ではそんなジムキャリの周囲には親身になってくれる優しいひとばかりいて(特に元奥さんがジムキャリの考えをよくよくわかってる)、へんなことに手を出しさえしなければ暖かな人生が歩めるというのにIQ169をフル稼働させてはその場しのぎの嘘まみれエクストリーム人生にすべてを賭けてしまう。ずば抜けた天才にとってはそこらへんの企業とかたいくつ(詐欺でしのげる程度の仕組みってことだし)でしかたないんだなーとしみじみ思いました。心が飢えてるといかな才能もドブにつっこむことにしかならない光景そのものです。あとユアンマクレガーのかわいいホモっぷりがすごい。演技派ってああいうことなんだな。

息もできないは、親を愛したいのに色々ひどすぎて愛せない子供たちの葛藤が描かれているものです。先日だしたこの漫画にも描かれてましたが、いちばん愛されたい存在である肉親から暴力をふるわれつづけた子供にとって「親を愛する・大切にする」ことには困難なほどの葛藤を植え付けられてしまっているもようで、息もできないのなかでDV親(家庭内暴力のために妻と娘を殺してしまった)をもつ主人公が勤務先(サラ金)の上司から始終父親を大事にしろとか、ボーナスをお父さんに渡してやれとかいわれるんですけど、そのたんびに怒りをあらわにする。やり場のない鬱積のはけぐちにするかのように借金の取り立てで容赦のない暴力をふるう主人公。本来たいせつに扱うべき仕事仲間すらひっぱたいたりする。この主人公と同じように、半ば心を病んだ父親とろくでなしの弟をもつ女子高生が道ばたで出会い、いつも互いの身の上はすこしも語ることがないにも関わらず、どうしようもなくつらい目に遭ったときにお互いにしぜんと寄り添うようになる。恋愛というよりも会社で同じようにひどい目にあってる同士がつらいよなー…とか言いながら居酒屋でなぐさめあってるみたいなハードボイルドな関係です。ふたりとも10代なのに、お互いのことに立ち入ったり詮索したりしないおとなの関係すぎるし。こういうつらい目にあってる子供の目線から描いた作品はまさにそういう目にあってるお子さんこそみるべきだと思うんですけど。これを子供はみちゃだめって意味わからん。息もできないはラストにむかって主人公が本来的な家族のありかたとか人を大切にする生き方とかをすこしずつ身につけはじめるんですけど、それにともなってそれまでやってきたことが返ってきます。ポンニの浅薄なテレビ映画の人だとここでなにも考えずに大団円にしちゃってドラマもなにもない空っぽのゴミクズにしてしまうものですが、やったことのおとしまえをキチッとつけさすあたり、イクチュンさんは信頼できるよい監督さんですね。自分がふりまいた暴力が自分だけでなくめぐりめぐって大切な人まで傷つけていくあたりの暴力の連鎖っぷりもすごくリアルだった。主人公も当初こそ暴力の塊のようなたたずまいなんですけど、端々でみょうに誠実な行動をする(出会った女子高生を殴って気絶さすものの、意識がもどるまでずっとそばについていたり、いとこの子にことあるごとに会いにいったり)あたりで感情移入せずにいれません。ラストで主人公に暴力の連鎖をもたらす人は当初日頃されたことの鬱積からやったのかと思ったんですけど、パンフのその俳優さんのとこ読んだら「いつもなら褒められるはずの行動をしたら逆に怒られたからやった」みたいなふうに書いてあって、子供が父親に認められたいがゆえに…みたいなアレなのかなあと思いました。息もできないのシーンをひとつずつ解釈してくとけっこう深いモノがあるやも。とりあえず今作に関しては「愛する相手の鬼畜非道な行いをどうすればゆるしわかりあえるのか」が根幹に据えられた作品です。

この前夫人がフェリーニとかいう人の映画みてきたらしいんですが、ひとつひとつの背景がわからなくて難しかったって言ってた。フェリーニとかいう人のは有名なんでしょうけど、一般的にはあまり知られてないような地域の映画とかって行動ひとつとっても説明されないと部外者にはまったくわからない場合がけっこうあるんですよね。夫人はそうゆう作品が大好きでよくみにいっちゃ解説してくれたりわからながったりしていて偉いなーと思います。夫人に説明されるまでなにがわからなかったのかすら気づかずにいることが多いし。映画だけでも意外と「わかった気になってスルーしてる」ことって多いっぽい。あれってどういうことだったのかしら…とか疑問をもてる時点で頭がいい人です。おいらは大体スルーしてます。指摘されないと気づかないクチ。

マイレージマイライフはなんか人生うまいことやってると思い込んでたベテラン首切り通達人がふと気づいたら寂しい孤独な人生だった、みたいなスピリッツらへんに載ってるビジネス人情漫画みたいな作品でした。現実にはありえない大団円をいいおとなに見せつける空々しさをハリウッドの大作映画の人はようやくわかってきたもよう。つーかクルーニーがわかってるだけなのかな。寝不足だったせいかしょっぱなからぐうぐう寝てしまって、目が覚めたら童顔のえり抜き女性社員が男にフラれてウワーンて泣いてた。

スパイアニマルGフォースはモルモット目当てでしたが、ハト動き完コピ等の優れた動物リアル動きが随所に差し挟まれたボルトとは180度ちがって、現実にあるリアルな動きや生態についてあまりというかまったく取り入れられていないつくりでガッカリでした。せめてモルモットのキュルッとした声だけでも聞きたかった。モグラはミミズをいきなり踊り食いしたりせず、ミミズ体内に詰まってる土を前足の爪2本を箸のように使って丁寧にしごき出してからムシャムシャたべるのですよ。モグラが首謀者だけにリアルさのない描写がよけいに残念でした。天才で悪なのに主人公に簡単に説得されちまうし。いろいろとガキをナメてるつくりの作品でした。その気になれば疫病を蔓延さすこともできるネズミが頭悪いというのも納得いかん。