裸でいるとこに男がきたから急いで服着た話をする人はふつうに女だと思う。

一昨日はやさしい嘘と贈り物(シネスイッチ)→17歳の肖像(しね)→スナイパー:(アンジェリカ)→その場所に女ありて(シネマベーラ)→ファンボーイズ(シアターTSUTAYA)とみまして、やさしい嘘と贈り物は孤独な人生に耐えられなくなった独居老男性のもとにある日とつぜん女性が転がり込んできて…的なラブコメ設定で老男性の実の家族が老男性との「新たな」関係を築いていこうとする物語なんですが、この老男性は自分では気づいてないんですけど痴呆が進行していて家族がいたかどうかもすべて忘れてしまっている。映画のつくりとしてはしょっぱなから老男性の独身生活のようすだけが淡々と映されるスタイルで、それ以外の情報がまったく語られることがないので観客目線でも「年老いてはいるけどふつうに生活してるじゃん」とか思ってしまうんですが、クライマックスで明かされる老男性の「正常」だったころのかつての姿が映されると、現在の状態がかなり深刻な状態なのだということがはじめて理解できる。しかも老男性は痴呆のことについてまったく関知していないのかといえば実はそういうわけではない、という証のようなものが自分宛のプレゼントに詰まっているあたりも物悲しさに拍車をかけます。脳の病の進行具合を表しているかのような画ヅラが老男性が眠りにおちるたびに夢として映し出されるんですが、なんかこう赤色の神経細胞のようなモノがモヤモヤと増していくふうの映像で、それを寝てる最中にみて恐怖に怯えて毎朝飛び起きる、みたいなくりかえしをしていて、避けることも制御することもできない肉体へのいらだちやはがゆさがリアルかつ空恐ろしい。そういうことをすべて理解した上で初対面の人間として現在の老男性=かつての夫と徐々に親交を深めていく奥さんはつらいだろうなあ。かつて共に味わった苦労や幸福といった、長年連れ添った者だけが共有できたはずのすべての記憶をなくしてまっさらになってしまった状態の最愛の人に対面するだけでも悲しいだろうと思う。外側だけは目の前に存在しているのに、中身がすっぽり失われてしまった、まるで人間の剥製でもみるかのような残酷な気持ちを味わうだろう。当人はなにが失われているのかがさっぱりわからないので、まるで10代の少年のようにふってわいた女性との甘い時間に無邪気に喜ぶわけです。その状態も薬のちからを借りないと保てないものなんですけども。ラストですべてが明かされてから考えるといろいろなものが巧妙に映されずに展開していることがわかって、監督さんはうまいことやる人だなあとしみじみしました。パンフみると大学生活中的なみてくれの若い方で題材との落差がすごい。ちなみにおたんこナースって漫画では介助士が痴呆症の女性の話に合わせて「彼氏」を演じていたら痴呆が治って退院してゆくおはなしがありましたが、やさしい嘘と贈り物ではそのような都合の良い展開にはならず、奥さんがよけいかわいそうな気がした。
17歳の肖像はピーターサースガードが女子高生を歯牙にかける話。ケツコンをやけに急ぐ男はてめえのことしか考えてないはガチ。自戒をこめて断言。ピーターサースガードは男女間で都合が悪くなると逃げ出しては新たな女をつかまえることで問題解決した気になるエンドレス生活をしてる詐欺師で泥棒の人なんですが、そんなこととはつゆしらず、おとなの男性ならではの物腰やわらかな態度と知識と社交界とのパイプ的なアレにつられて優等生でならしてる箱入りのジェニーちゃんが人生の泥沼に足をつっこみかかる話。そもそもジェニーちゃんが学校帰りに大雨の中ずぶ濡れでバス停にいるところをサースガードがめざとく見つけて車寄せて来たところからはじまったんですが、そこでも強引に乗せようとは決してしたりせず、僕は女子高生狙いの不審者じゃないよ?その証拠にきみの楽器だけ車に乗せるからね。きみは歩いて。とか不信感払拭行動の巧みさ(プロポーズ直前までこのスカした信用感増大行動が続きます。初夜にいきなり襲ったりせず、とりあえず自発的に脱がせて裸をみてから何もせず服を着せる、等の「僕は理性的な人間ですよ」アピールの為のこれみよがし行動)がいきなり発揮されたのち、結局ジェニーちゃんちの実家前まで乗りつけて住まいを把握してしまうし、その後は高級な鉢植えのプレゼント攻撃+ジェニーちゃんの自宅にあがりこんだ挙げ句、両親に対面してお世辞(母親みて「えっお母様!お姉さんかと思いました!」みたいな)連発しながらジェニーちゃんが吹奏楽やってるのにかこつけて「娘さんを一流のコンサートにお連れさしあげてもよろしいですか?」などとまんまと親の了解を得ての公認デートにかこつけてしまう有様。歯の浮くようなお世辞にも何の疑いもなくコロッと引っかかってしまう労働者階級のジェニーちゃん両親。その後はこの親の了解をかこつけつつ無垢なジェニーちゃんを引き返せないようなところまで徐々に引き込んでゆき、ある日突然サースガードがジェニーちゃんに結婚を申し出る…というのが大体のスジ。年齢がある程度いった女性が相手に対して求めてしかるべきこと(家族構成・収入等の連れ添う上で把握しなければならない重要事項の認知)を、いまだ人生経験の最高レベルが女子高生でしかないジェニーちゃんがトシくった男性に対して対等に求められるわけもなく、そういう女性としての総合的な判断力がまだまだついていない状態の女の子を仮に見初めた男がいたとしても、真にジェニーちゃんという個人を愛しているまともな男ならばジェニーちゃんが自立したおんなになるまで待つものであって、そうなるまで待てないで手を出してしまう時点でどんなに物腰が柔らかかろうと決定的におかしいです。自分の頭で考え判断の下せる自立した女になられると厄介(負い目に気づかれてしまう)だから、男の御しやすい愚かな頭脳のおんなのままで自分のそばに置いておきたい。17歳の肖像中ではこういう男の都合だけで動いているので女のほうの人生が家族間も勉強も友人関係もどんどんズタズタに破壊されていくのですね。サースガードがジェニーちゃんの両親に対面しにいっているのも相手を大事に思っての行動じゃなく「信用を植え付けてうまいこと自分の思い通りに動かすため」であって、家族ですら単なるコマとしか考えておらず、つまるところおんな以前に個人として尊重されてすらいない。そんな鬼畜心証な状態のまま結婚だどうだと「自分の人生」の付属品をくっつけるかのようにひたすらジェニーちゃんとの関係を不動のものにしようとするサースガード。相手が自分を大事に思ってくれているかどうかは自分の生活の状態でわかる。付き合っている時点で女のほうの人生の大事なものが男によって(付き合う前よりも)破壊されかかっていたらいっしょになるのはやめたほうがいい。その男は愛がなんであるか、人を大切にするとはどういうことなのかをわかっていない。ジュノで主人公のおなかにいる子を託す予定でいた夫婦の夫のほうが、勝手な理由でいきなり主人公といっしょになることを決心しちゃう痛い男のリアル心理を描いた場面がありましたが、相手への思いやりや愛情がどういうものであるかを把握することなく体だけ育って世渡りだけは巧みになってしまった小児精神男のタチの悪さったらありません。17歳の肖像ではサースガードにみせられた、見た目のゴージャスな世界に魅せられたジェニーちゃんが、そういう浮かれた世界こそがすばらしくて、苦労が多くて退屈な勉強ばかり強いるおとななんか信じられないと言ってそれまでバリバリがんばってた学校に背を向けるシーンがあって、子供と大人の中間にある年齢の人の、未知のおとな世界へのあこがれのまなざしがどういったものであったかを思い出させてくれるほろ苦い映画です。男とまともに付き合った経験がなかったもんだからしばらくああいう態度をそのままやっていた時期があって、恥ずかしい。恋愛とか興味なかったからどうしたらいいのかわからなくて見聞きしたことをそのまままねしていた。本気の人があらわれたときどういう態度をしたら一番いいのかなんてわからなかったんだな。いまだによくわからないけど、あまりわかりたくもないとも思う。恋愛モノとか興味ねーんだもん。
尚、17歳の肖像の時代背景としてはフリーセックスだのヒッピーだのの出現直前ということで、まだまだしずかで清楚がルールな世界観です。夜明け前なカンジ。映画だから踏みとどまるけど、現実ではああいう男じゃなくともタチの悪いのと関わってとりかえしのつかないところまでいってしまう女子は今も昔もたくさんいると思う。きらびやかな世界にはなにもないか、あってもひどいものしかない。望みのものは砂粒程度すらあるかどうかわからないし、すくなくとも文かくときに感じる恍惚のようなものとは一切関係のないうつろさが売りの世界。
その場所に女ありては広告会社でバリバリはたらく女性のお話なんですけど、ここでもおんなを都合良く利用してのし上がろうとする男のヒモ本性が描かれていました。しかしバリバリ働くからって言葉づかいまで男のにしなくともいいのでは。OLないでたちで「俺」とか「〜だろ」とか言ってるとおなべなのかと思ってしまいますよ。
ファンボーイズは万年スターウォーズマニアのしょうがないおとなたちがルーカスんとこいってエピソード1盗むぜヒャッホー!とかアメリカ珍道中する話。途中でスタートレックマニアを小バカにしていこうぜ!とか集まりに乱入してやーいホモ野郎ー!とか乱闘(双方がいちいち作品中のポージングする)しかかったりしてギャハハハ!!!とかなるも故障して寄った酒場が田亀源五郎さん的な傾向の店で!!つーかトレホが!!!みたいな。オタク的な人に遭遇するたんびにオタク度をたしかめる的なことをするのもEですし、仲間内でもルークはレイアにホレてたのかどうかでマジギレ口論数時間とかなる本気のみせっぷりもアツくなります。ラストはスタートレックがらみの人に手引きしてもらってルーカス牙城に侵入してくくだりですが、ルーカスから指令されて行われるSWオタク度&童貞度チェック尋問がなんかよかったです。クライマックスはしみじみとあたたかな展開で、笑い90%・涙10%の見ないと損な作品です。つーかDVDのプロジェクター上映なんすけど、でもまあみんなで笑ってみるのがいいよこういうのは。オタクに対して上から目線でしかみれないポンニのテレビの高給人には決してつくれない良作ですよ。つーかビジュアルがオタク以外の何者でもないような俳優を連れてきすぎだと思った。特にRASHTシャツ着てるデブが飾ってあるグッツ売らない理由をぶつける客2人とか。
スナイパーは主演俳優のエロ画像が流出してお蔵になった映画なんですと。ふーん。ハートロッカーのような物資の乏しい砂漠的環境での長距離射撃戦は(撃つしか道がないゆえに)燃えるけど、大都会のまんなかみたいな何でもそろってどうとでもできる環境下では設定的な縛りがゆるくてスナイパーの存在が立ちませんね。都会で相手を消すんだったらべつにその武器に固執することないじゃん。深刻そうにつくってあるけどどうでもいい話だった。悪役の人が狂気に駆られるにしては理由(昇進できなかったことへの嫉妬)がちっさい気がしたし。