着物の男女が向かい合って競い合うかのようにひたすらうどんをすするごんぶとのCMをみせつければいいと思う。

去年テレ東のたけしの番組かなんかで、アメリカでラーメンが流行ってるとかでニューヨーカーが箸で麺をひたすら口のなかに詰め込んでる映像が流れてたんですけど、欧米のヒトにとって「東洋の作法」はマナーじゃないってことなのかね。蕎麦とか寿司とか庶民出のもんだから作法とかもともとあってないようなもんだけどさ、でも蕎麦やラーメンみたいな長物をせっせと口に押し込む光景はいくらなんでも野暮天極まりないよね。つるつるっとくうのが粋なんだよ。まあそれを言い出したらカトリーヌドメディシス以前の様式にのっとってフレンチ人は板にのった肉を手づかみでくうべきってことになりますね。そもそも西洋食事作法の根源とされるイタ公のスパゲチーをくるくるフォークに巻くの自体がなんか女々しいオカマだよね。サ店でナポリタンをぞるぞるすすってるおっさんとか山賊みたいでかっこいいもん。つーわけで西洋作法しかマナーと認めない勝手なニューヨーカーたちのラーメン店での差別的痴態については今後もなめるように映して公共の電波でタレ流し続けてくれたまえ。すする国のヒトでよかった〜。

―11歳の少女が血まみれになって人を殺すというキャラクターに違和感は?ママもOKだったの? 
 クロエ あら、だって映画の中の話よ。あたしが人を殺すわけじゃないでしょ。だからぜーんぜん平気。』(オトナファミ1月号 p.110 クロエ・グレース・モレッツさんインタビューより抜粋)

えーと昨年中にみた映画に関してですが、キックアスは街の乱暴者にいいようにされるのも、それをみてみぬフリするのにも心底嫌気がさしたオタク青年が一念発起して覆面かぶって困ってるヒトを助けてまわってるうちに重傷負うわリアル悪者でてくるわと、どんどん引き返せないところまでいってしまい…的なスジですけど、覆面オタク青年が奮闘中の動画がインターネッツに流出するや、手下を痛めつけられたリアル悪者によって別人(オタク青年をまねて覆面かぶってた)が殺されたり、特殊部隊並の技を身につけたリアルスーパーヒーロー的なヒトが悪者たちをブッ殺しがてら接触してきたりとシャレにならない展開に突入してくんですが、リアルスーパーヒーロー的な親子の身体能力が突出しすぎてファンタジーなので清々しい画ヅラになってしまっているとゆう。そのリアルスーパーヒーローさんは元刑事のお父さんと殺人教育を仕込まれた11歳の娘さんの親子で、一応主人公を助けてはくれるんですけども、自分の娘に私怨を吹き込み続けたうえ学校も通わさずに殺人マシーンと化すほどの徹底した教育を施してる時点でお父さんはかなり狂ってる(軽薄な雰囲気すら感じるほど突き抜けきった妄執に駆られているニコラスケイジの役どころが絶妙にピッタシ)わけで、この殺人親子のくだす鉄槌の容赦のなさから彼らに関わる主人公もタダじゃ済まなくなってゆく。ふつうに考えると「親の憎悪を子に継がせる=代理戦争を強要して血塗られた人生を歩ませる」というのは暗くて重たい設定ですが、ニコラスケイジの娘の殺人少女さんが技の修行や武器調達をいちいちキャッキャ楽しみながらやってるうえ、血みどろの正義任務をかるいノリでこなしている画ヅラなので重たいもんにはさっぱりみえない。嫌われたって気にしないもーん♪だっておんなのこだもーん♪みたいな音楽にのって悪者のおっさんを切り刻んではこっぱみじんにしてゆきます。主人公はというと、正義の味方業を思いつきではじめた当初こそ「俺はどうなってもいいから、こいつらをやっつけてくれ!」と自己犠牲の精神を全身全霊で発揮していた(あのセリフは唐突すぎて泣いてしまった。そこまでの決意だったのか!と思ってびっくりした)ものの、ちょっと展開が進んで彼女ができるや「大切な人を傷つけたくないからもう正義の味方はやめる」とかなっちゃって、まあその後の殺人親子がらみで全面戦争的展開に突入してく際にまた覆面をかぶることにはなるんですけど、どーも勧善懲悪モノにある善側キャラが感じさせてくれるようなカタルシスを感じさせにくい演出になってるっつーか。クライマックスの高層ビル戦とかの画ヅラ的な快感はものすごくあるんですが、けじめ的な点ではどうも腑に落ちない感覚がのこっちゃうんだよな。これでいいの…か?て違和感が残尿感のようにこびりついて離れない。個人的には「生きながらに改心さす」が人間道徳に於ける正義だと思うので、それをふまえると交渉なしで相手を消し去ってる時点で正義や善を語ることができないと思うんだよな…。それをさておいても「ちっさい女の子が汚れたおじさんを惨殺しまくる」画ヅラはカネだしてみる価値が大アリです。みとかないとどう考えても人生の損失レベル。いろいろカキましたけど、ヘタレ主人公が状況によって正義行為に接する態度を変遷さしてくさまはなんかちょっとアメコミの定番キャラのパロディ的なもんなのかなと思ったりもしました。彼女ができたことで危険を伴う正義行為を閉店休業状態にした展開のあと、しばらくたつと「俺にはやらなきゃならないことがあるんだ」つって静止する家族をふりきってでも行っちゃう光景ってさ、付き合っててラブラブのときには趣味を休止してたのに、結婚後に生活が落ち着きだすとまた趣味に没頭しはじめて家庭をかえりみなくなるオタクの肖像でもあるよね。オタクもスーパーヒーローも「妄執による狂気こそが生きる理由なのだ」といわんばかりに何もかもほっぽりだして悪者退治や怪獣映画上映会に全速力で向かってっちゃうっつー。
あとさ、おいらが座ってた席のすぐ横のC13・14にいたカッポー客が最悪だった。扮装した主人公がスクリーンに映るたんびにそのありさまをいちいち大声であざ笑ってんの。いちばん最初の取り寄せた覆面をはじめて着用してみたシーンじゃなくて、そのあとのシーンで扮装した主人公が映るたんびに嘲笑すんだよ。笑う箇所なんかどこだっていいけどさ、話の展開関係なく扮装した主人公が出てきただけで笑ってんだよね。そいつらは体育会系が文系をあざ笑うときの笑い方をしてた。よく聞いたから知ってる。文系はかっこ悪くてあたりまえだし、ひどい目にあってあたりまえだと思ってる連中。あの人たちはキックアスのクライマックスで蜂の巣にされる側の心持ちをしてるって気づかないまま生涯を終えるんだろうな、としみじみ思いました。
 
トロンレガシーについてはこれ以上(どうぞ)なにもいうことはない。