悪魔への恐れなくして神への信仰は成り立たぬ

薔薇の名前(6日。みゆき座)みましたが、1300年頃のイタリアのキリスト教修道会で起きた人死の理由を探るうちに修道会の腐敗っぷりがでてくる話で、舞台となる修道会の統率者連中から異端審問官まで、権威を守りたいやつらが片っ端からキリストの教えに反すること―おもに相手を暴力で屈服させては満足げにふんぞりかえってるんですけど、そもそもキリスト自身は自分の教えを広めるために処刑や弾圧なんかしてないよね…?自由意志至上だったんだし。なんで後世の信者はキリストの教えに反することをあたりまえのように行って偉ぶってるんでしょうか。薔薇の名前のなかで異端審問官が真実を掘り出そうとせず、参考人を拷問にかけて手っ取り早く自分にとって都合のいい答えを吐かせて火あぶりにしてましたけど、キリストの名を讃えながらキリストを殺し続けてる光景に見えたよ。異端審問官やアリストテレスの本を隠してた聖職者はキリストではなくて、キリストを拷問&虐殺したローマ帝国の精神を受け継いでるよね。気に入らない人を理由つけて痛めつける時点で信者失格すぎる。気に入らない人を理由つけて痛めつけることで権力や儲けを得るって意味では現代の異端審問官はエクパット日本ユニセフですね。「児童ポルノ」という都合のいい言葉でそれについてなんも知らない市民を自分たちに都合のいいように操ろうとしてるもんね。警視庁もつながっちゃってさ。罪でもなんでもないことにまで範囲を広げれば自分たちの業績が自然に上がるもんだからって、ただ嗜好に沿った写真や映像を探し出して見たり持ったりしてるだけで極悪犯罪者だってよ。バッカじゃねえの。「児童ポルノ」て字面からは「むりやり拉致してきた幼児を強姦してる中の映像(スナッフフィルム)」をおいらは連想するけど、エクパット日本ユニセフのいう「児童ポルノ」てさ、子供自身が望んで出演してるPVやモデル仕事とか漫画やゲームまで含んでるんだよ。それも全部禁じろって言ってんの。被害児童がどうなってもいいんデスカ!とか真っ赤になってるわりに当の出演中の子供や漫画大好きな子供の意見にビタ1文耳貸さねー体制で。子供の意志や権利を尊重する気がぜんぜんない団体のくせに、子供を守ることを叫んでお金儲けし続けてるんですよね。日本ユニセフなんか「子供を救う」名目で集めたカネでデカいビル建てちゃってさ。子供の話に耳傾ける気もねーくせに。さらってきた子を暴力にさらすリアル犯罪映像みたいなもんとその作り手を厳罰に処す&禁じるってならわかる(つーかそれはとっくに禁じられてるっての)。でもエクパットだの矯風会だののいう「児童ポルノ廃絶」てのは、エロ系の文化を根こそぎ無くしたいっていう意味なんよ。スナッフフィルム系はちゃんと重罪として禁じられてるというのに、それをいまだ禁じられていないと思わせるような便利な言葉が「児童ポルノ」なんだよねえ。その字面をふりかざす時点でもうおかしいんだよ。なので、児童ポルノって言葉を多用して善人ぶって規制や子供守るなんてことを叫んでる連中は、子供の意志が尊重されている場での娯楽や仕事を奪うつもりでやってるので、お子さんたちはそういうバカをみつけたら根掘り葉掘り問いただしてみましょう。なぜ私たちの意志を踏みにじるのか、愛するものを取り上げるのかと。あなたたちはまだ幼くてろくに判断がつかないから云々たしなめられると思いますけど、じゃああんたにわたしの趣味のすべてを把握できるのかとかいろいろ言い返してやりましょう。子供を儲けのために都合良く操りたいだけの連中を甘やかす必要などどこにもありません。エクパット矯風会日本ユニセフね、エロ本をみちゃいけないってのはあくまであなたがたの教義でしょう。あなたがたの決めた事はあなたがただけで守ればいいことであって、部外者にまでなすりつけないでください。あとキリストのやらなかったことをやるなよ。拡大解釈しすぎだろ。拡大解釈しまくった理由を一生考えてろ。
子供嗜好弾圧やエロ漫画規制の反対をすると「じゃあ公然と子供にエロ本与えろってのか!!」とかすんごい極端な考えの反論してくる頭の弱い方が毎度出てきますけど、ちょっとした秘密を持っていられることも子供にとっての大事な権利ですよ。子供がエロに触れる機会についてそっとしといてやれよ。子供がエロよむのを罪悪にしようって人さ、それは「子供が大事」だからじゃなくて性についてを子供に説明するのが面倒くさいだけなんじゃねえのか。性教育が徹底してればなに読んでも心配はないはずなのに。なぜ心配なんですか?心配ならなぜ性教育しないんですか?そもそも子供や特定の趣味もった人をいちいち犯罪者に仕立て上げるのが立派な教育や躾だとは思えんな。

薔薇の名前にもどしますけど、修道会内での殺人は結局ある書物をこっそり楽しんでいた修道士がどんどん殺されていて、その書物がなにかというとアリストテレスの書いた詩学の2章、笑いについて書いたモノなんですね。笑いは偉ぶった人をおちょくる風刺につきものですけど、その笑いの標的に1度でもされるともはや偉そうにみえなくなってしまう=権力を振るいづらくなるということで、たいした論理や矜持を持ってないのに権力の座になんとなくいる人間からするとたいへんな脅威なわけです。エクソシスト映画に於ける悪魔的存在と同じふうに。じゃあその詩学の本をとっとと廃棄しちゃえばいいじゃんと思うんですが、なぜか黒幕はその本を廃棄せず、捜査人であるショーンコネリーと対峙するクライマックスでも燃やしたりせずになぜかちぎってバクバク食ってるんですよね。あの爺さんは詩学2章が大好きすぎてだれにも渡したくないのかなーとぼんやり思いました。読んだ人間も読後に死ぬふうにしてるしね。詩学の2章ていまだに発見されてないのかしら。だれか持ってんだろ。いいかげん皆様に提供しなさいよ。本日題は薔薇の名前の黒幕が権威保持のためには恐怖を抱かせとくのがなによりも大事なのだと吐露したシーンのセリフ。笑われても権力維持できるほうに努力しようとはしねーのな。あと青池さんも書いてたけど、修道士たちのキャラ立ちが異形的に激しくておどろおどろしくてよかったです。クリスチャンスレイターもフレッシュな若者修道士っぷりがよかった。しかしエーコは本好きなのによくあのクライマックス描いたな。ドラマ的にはアレしかないけどさ。