うんこに全身つかる場面のある映画は高確率で爽快な件

さっきTBSのたけしニュース内で、韓国の学校の先生が生徒たちに竹島占有意識を叩き込む的な授業をしてるとこを映してたけど、教育てのはそもそも「いろんな考え方をするための手助け」的なモノなのであって、ひとつの考え方きりできないようにする、てのは洗脳そのものなんじゃないのカナー。権力者にとって都合のイイ意見を市民のだれもかれもが復唱しまくるとかすっげえブキミ。まあ「いい学校・いい会社に入る」がとりあえずの安泰人生コースとして偏差値さえ満たせば的な体制になってるポンニの学校もヒトのこといえないすけどね。なんか領土のことで女子たちに歌い踊らせる動画でアピールとか、美女軍団にマスゲームさせて悦に入る北朝鮮のと手法や考え方があんま変わらねえ印象。むしろ領土のゴタスタをバカらしく思ってしらけてる韓国市民の方の率直な意見を聞かせていただいたほうがお友達になりたい感がアップするだろうにね。件のちいさい島に関してはたけちゃんも言ってたがはんぶんこすりゃいちばんまるくおさまる気がすんだが。慰安婦の件もさ、戦時下での兵隊さん相手の売春婦業募集につられていざ働いてみて、辞めたくなったときに辞められなくてつらい思いをしたこと(=自分の意志で望んで就いた業務上での出来事。それって現代の風俗でもよくあることなんじゃないのかな)についてあやまってほしいならはじめからそう言えばいいじゃん。慰安婦について日本軍によって性奴隷にされて云々(=慰安婦になったのは自分の意志ではなく無理やりそうさせられた、と受け取られかねない表現)とか、さも日本軍の兵士がそこらへんにいた女たちを唐突に拉致監禁・もしくは強姦したと誤解されかねないような表現をなんでする必要があるのかすんげえ疑問。日本側が韓国に永劫謝罪すべきだって向きは「日本側の関与が事実な以上は些末な違いはどうでもいいから謝罪しまくるべき」とか思ってるんだろうけど、誤解されかねない内容についてまでなんでもいいから謝れってそれはいくらなんでもおかしいよ。謝罪対象の内容を精査しないってことは何に対してあやまるのかがはっきりしないってことだよ?なんではっきりさせたくないの?慰安婦の件になんでここまでこだわってるかというと、仮に自分が戦時中に慰安婦やってたとして戦後に何十年も文句つけにいくかなって疑問がぬぐえなくてね。文句つけるとしたら「慰安婦業務でのお給金が少なかったからもっとよこせ」とか、そういうことならわかるんだけど。日本に対する文句のベクトルがいまいちよくわからないんだよねえ。村山さんとか宮沢さんとか河野さんとか首相が何人か謝罪してもそれ無視しながら経済支援はちゃっかり受け取りつつ、それでもまだ日本側に謝罪を求めつづけてるっていうね…。謝罪を受け入れないってことはつまり謝罪がほしいんじゃなくて、日本を「極悪人」イメージで染め上げたい目的でやってるふうにしか思えんのだよね。憎悪を愛国心と錯覚さすような政治のしかたはもうそろそろ卒業したらどうだい。なんかさー…敵を憎むことが国への愛だと教えこむなんて寂しい国だよね。憎悪と愛の兼ね合いといえば24日に神保町シアターでみた人間狩りはなんか悪を裁かずにいられない若手熱血刑事の長門裕之(若い頃の顔が北島康介に激似でビビッた)が時効寸前の殺人犯の初老の男を追い詰める話で、だいぶ寝たんで細部がよくわからんすけど長門裕之は殺人犯の夫が死刑になった後家さんを心のよりどころにしてるんですが、犯罪者追跡にのめりこみすぎて彼女をほったらかしにしまくってるので「アナタは殺人犯の元妻という目でしかアタシをみられないんだわ…もう離れた方がお互いの為よ…」「キミがいないと僕はだめなんだァ…ッ!!」「……。(溜息)私との愛よりも憎悪をたぎらせるのが好きなんでしょう…」みたいに愛想を尽かされかけてる。いっぽう殺人犯のほうはなんかごくふつうのおっさんで、殺しもはずみでやったふうですんごい後悔しまくってて、逃亡の前に寄った実家で順風満帆な人生を歩みまくってる長男からボクの人生を台無しにしやがって!!!的に罵倒されたりつかみかかられつつお兄ちゃんだってお父さんにいろいろやさしくしてもらったじゃないの〜!!などと妹から泣いて止められたりする。殺人犯の実家のあるゴミ溜めじみたドブ川脇に立ち並んだしょんべん長屋の風情がすげーよかった。むかしってこうだったんだよなーとしみじみしてしまった。クライマックスは罪を許すことのできない長門が許すのか?!許さないのかー?!みたいな時効数分前のいろんな葛藤が濃縮された展開になだれこむという。これDVD買ってちゃんとみようかな。今回の神保町シアターの特集はちょっとしかみてないけど、なんか情や道徳がないまぜになって客に突きつけるふうな濃厚なやつが集まっててよいアレでしたね。特に人間狩りについては韓国の暴力映画監督さんがリメイクするとイイんじゃねーかな。毎週恒例のはしご物件については裏切りのサーカス(19日。しね)→ヴァージニア(ヒューマントラストシネマ有楽町)→ヘッドハンター(テアトルシネマ)→ミヒャエル(22日。ヒューマントラストシネマ渋谷)とみまして、裏切りのサーカスは本音(=職業間諜にとっての最大の弱み)をさらけだしたやつから消されてくふうなスパイ稼業の仲間内で、本音を仲間や上司に悟られることなく「制御される側」から「制御する側」へと静かに上りつめる男の話。こまかい設定とか人間関係とか入り組みすぎててさっぱりわかんねーけどたぶんそういう話だと思う。たいていのキャラが身の危険に陥るまでに取り乱したりしてぶざまに感情や性癖を吐露してしまうんですけど、主人公格のおっさんだけが最後まで平静なままなんだよね。ただラスト近くでほんのすこし体をふるわせる背後からのショットがみえるだけで。つくりについても画ヅラについても大人な作品だった。フレンチ映画がはっきりと理由なんかを描かないつくりするけど、そういう系の英国な映画だった。
ミヒャエルはさらってきた子供を監禁して暮らしてる小児性癖者の生活風景を淡々と撮った仕事図鑑的な映画。例によってはっきりとは描かれないんですけど、子供に嘘を吹き込んで信じ込ませてるふうな卑劣さとかが淡々と映されてて逆に戦慄する。小児性癖者のミヒャエルは監禁してる子の世話を始終やくんですけど、それ以前に地下室に監禁してる子の意志を99%剥奪してるんでなんにもいいとこない。後半にミヒャエルの母親がでてくるんですけど、この母親がごくフツーのおばさんで、自分の子供のことをなんにもわかってなかったんだなー的なところと、ミヒャエルがさらった子供をちょっとも理解しようとせずにひたすら自分のやりたいことばかりぶつける的なわかろうとしなさと同じく並べるふうなアレなのかなーとちょっと思った。でもまあまだ子供が五体満足で助かるであろう的にしただけ監督さんは良心もってるなあと思った。アメリカンなゴア監督さんならば中盤でとっくに監禁してる子供の手足の1本や2本はなくしかねないと思うし。あの設定だとやろうと思えばなんでもできちゃうけど、あえてそうしないことでかえって緊張感がすごいね。
ヘッドハンターは絵画強盗てとこに期待して行ったんですけど、なんか北欧のかならず満足させます的な映画ですげー面白かった。面接にきたヒトが美術品もってるとなるや不採用にして、直後にそのヒトんちから美術品ぬすんで売りさばいてしまう裏稼業をしてる人材確保業のちいさいおっさんが、その裏稼業でできたカネで宝飾品なんかを買って美人な奥さんのハートをどうにかつなぎとめてるんですけど、あるとき近づいてきた優秀なイケメンの家にルーベンスの原画があると知って忍び込んでルーベンスゲットしたのち、ふと奥さんに電話してみたらいきなり同じ部屋でケータイが鳴りはじめて…!みたいな話。その後は裏稼業をいっしょにやってる相棒のハゲが半殺しにされたり優秀なイケメンの経歴洗ったら実は特殊部隊出で、ルーベンス持ったまま追跡されはじめたのを皮切りにそのまま最後までたのしいことになります。前半は主人公ざまあと思うんですが、後半は主人公頑張れと思います。相棒のハゲ、ついてないな。
ヴァージニアはポーなのでいったけど、うーん…。相変わらずコッポラが性にあわん。なんか幻想的で重厚なかんじにしようとしてるんだろうけど、すごくB級だった。品があるのかないのかよくわからん。ないならないで徹底すればいいのに、それもヤなんだろうな。