自分らの失敗を検証しないで何度も痛い失敗を繰り返すのと、自分らのつくった美術品をさして評価しない精神風土て同根なんですかね?

『健康の増進で思い浮かぶのがスポーツの効用だけれど、かねて、矛盾めいて感じることがある。
 世界的なスポーツの祭典では、必ずと言っていいほど、炭酸飲料やファストフードのグローバル企業がスポンサーに名を連ねる。子どもたちは五輪やサッカーのW杯を見てスポーツに興味を持つとともに、ジャンクフードのCMや広告を通じてとりこになる、という構図だ。
 かつて自動車レースなどの花形スポンサーだったたばこの広告は、健康に有害だとして締め出された。
 ニューヨーク市長のような発想が強まれば、スポーツ界のタニマチである飲料業界やファストフードチェーンも規制の対象になるのだろうか。』(6月25日朝日夕刊2面)

クリストファー・マレーとかいうおっさんがおせっかい焼きにかかってきてるらしいですが、昨今はなにかにつけて大人からたばこや酒とりあげて放置するが善行といわんばかりだけどさー健康至上の規制狂いは心の癒しなんかなくても肉体さえ生きながらえればそれでいいとでも思ってるのかね。呑まずにいられない心根や抱えてる問題は無視でたばこをなくせば平和なのかよ。

『資源・食糧問題研究所の柴田明夫代表の話 穀物価格の高騰は一時的ではない。超円高で見えにくいが、2007年から高水準だ。米国の干ばつが落ち着いても、大勢は変わらない。世界の人口は昨年、70億人を超えた。燃料用穀物の争奪戦も続いている。メーカーのコスト競争も限界で、分量を減らして実質値上げをするぐらいなら、消費者に堂々と説明して価格を上げた方がいい。「食糧が安く手に入る時代は終わった」と消費者も認識すべきだ。日本の食糧自給率を上げる必要もある。』(7月26日朝日8面)

・日本はアメリカ様から粗悪品押し付けられて国土汚染したり欠陥品の実験場にされたりしてさんざんな目に遭わされ続けながらも冷や奴がくいたいので逆らえないのであった。そういえばこの記事に「住民の間で、排水には発がん性物質が含まれ、漁場の海が汚染されて健康被害が出るなどとうわさが広がっていた」てあるけど、噂程度で暴動が起きるほど環境汚染に対する意識が高いのなら大規模汚染を放置してるってのはいったいどういうことなんだろうか。政府庁舎内で暴れたってところからして今回も日本企業叩きにみせかけた中共抗議を繰り広げてるようにしか思えん。中共人事再編前を狙ってやったが事実くさいけど。なんかどさくさまぎれに朝日の記者さん暴行されてるし。汚染ついでにスチームパンクの世界にはこうゆう光景も当然あるんだろうなーと思った。

『気になるのが「エネルギーの使い方」の議論の薄さである。供給論はいうまでもなく重要だが、それは手段の議論に過ぎない。
 エネルギーは生産や輸送、家庭や業務などで使うために供給される。その消費のありようは、未来の我々がどのように働き、どういう街のどんな家で暮らすのか、またさまざまな価値のスケールにおいて何を重視して生きるのかという、まさにライフスタイルそのものに大きく依存する。』 (7月28日朝日新聞6面)

・反原発を叫ぶヒトの間抜けな言動について間違いを指摘するのは大事なんだけど、ことさらバカにするのはどうかと思う。反原発叫んでるヒトの間違った見識の多くはいろんな恐怖に根ざしてるように思うので、そうゆう心理状態のヒトに対して過剰に見下したり蔑んだりしてると歩み寄りからどんどん遠ざかってしまう。改革が必要なときに仲間割れはじめたらシリアみたいになっちゃうじゃんかよ。どうもポンニ人はこういう方向に陥りやすいんだろうか?

『電力会社が原発推進の旗を降ろさない理由は、原発が動かないままだと経営がいずれ行き詰まりかねないからだ。原発の安定を保ったり、設備を維持したりする費用に加え、原発のかわりに稼働させる火力発電の燃料費が大きく膨らむ。』 (6月28日朝日新聞2面)

原発を持たない沖縄電力をのぞくと、電力各社は原発が動かせなくなり、2011年度の決算(単体)は、いずれも赤字だった。火力発電で使う燃料費がふくらんでいるためだ。
 「原発がこのまま動かないなら、検討せざるを得ない」。電力各社の幹部は料金の値上げを示唆しては、原発再稼働を訴える。
 だが、西日本の電力会社幹部は「東電のようにはなりたくない」と漏らす。値上げ審査で給与を削られ、経営の実態を明るみに出されるのはいやなのだ。経営を変えず、原発を動かす。電力各社に最も都合の良いシナリオだ。』(7月26日朝日5面)

『太平洋戦争の転換点となった海戦を取材して驚いたのは、取材に応じた人たちがミッドウェー海戦東京電力福島第一原発の事故との類似性を異口同音に指摘したことだった。
 図上演習で「待ち伏せされたら空母に大被害が出る」という結果が出ていたにもかかわらず、連戦連勝の奢りから真剣に対応しなかったことが敗北の一因となったという。香田洋二・元自衛艦隊司令官は、より高い津波に関する情報もあったのに対策を取らずに全電源喪失の事態を招いたことと通じる、と語った。
 5月に「ミッドウェー海戦」を著した戦史作家の森史朗さんは、情報を専門に分析する「情報参謀」が日本海軍にいなかったことが敵情把握に決定的な齟齬をもたらしたと指摘する。海戦で敵空母の所在が明らかになった直後に傘下の司令官が「攻撃機を即座に発進させるべきだ」と意見具申したが、丈夫の艦隊司令官は無視した。指揮権の分散を嫌ったためという。重大な局面で生じたこの齟齬は、東電本社と現場の関係に重なると森さんは話す。
 さらに、敗戦後も艦隊首脳を降格させなかったため、敗因の究明が広く行われず、その後の戦いに生かされなかったことは、オリンパスの不祥事隠しと同根だとも語った。
 日本にも、ミッドウェー海戦などを題材にとった「失敗の本質―日本軍の組織的研究」という名著がある。だが、敗北の戦史が組織論に生かされているとは言えない。
 一方の米国。米国海軍協会の調査では、海軍重大事件史の中でこの海戦は20世紀ではトップ、過去1千年でもスペイン無敵艦隊の敗北などに続いて4位にランク付けされている。戦史における重要性もあり、真珠湾攻撃などと並んで、主な海軍基地では毎年、慰霊行事が行われる。
 今年も司令官が「暗号解読が勝因。情報戦に勝った意義を忘れるな」と式辞で繰り返した。ハワイの真珠湾では、シンポジウムが開かれ、米海軍大学校の教授や歴史家、日本の元海将を講師に海戦を再現しながら戦史から何を学ぶか討議した。内容の充実ぶりは有料にしてもおかしくないほどだった。
 教訓は失敗にこそ豊かに含まれている。ミッドウェーと原発事故と。深刻な失敗を重ねないためにも、失敗の歴史に学ぶ取り組みが必要だ。』(7月25日朝日新聞 記者有論 文化くらし報道部 畑川剛毅)

『ブレア政権で副首相を務めたジョン・プレスコット(74)は、日本の官僚が法案を通すために議員への根回しまですることにあきれていた。
「貴殿らは(役人に操られる)官僚政治家ではないか」
 かたや英国は、政治主導の国だ。官僚は政治的な中立性を厳しく求められる。政策を決めるのは首相を頂点とする内閣で、日本の自民党政権のように、法案提出の前に党の了承を得る必要もなかった。
 「官僚が内閣を乗っ取り、党がOKしないと閣議決定もできないのはおかしい」。菅らは帰国後、政治主導をマニフェストの眼目にすえた。(中略)
 日本政治を学んで約50年のストックウィンは「安定した二大政党による政治が根付くと期待していた。がっかりだ」と話す。党内抗争で何も決められない様子に、政治学者の故丸山真男が指摘した戦前日本の「無責任の体系」を思わざるを得ないという。
 ニアリーは、震災の傷が生々しい昨年6月、自民党公明党と小沢が、菅内閣の打倒を画策したことが信じられない。「日本は『和の国』でしょう。なぜ、危機の時に政治は協力できないのか不思議だ」』(7月18日朝日新聞 ニッポン人脈記 日英新世紀9)

『現在も17年前の阪神・淡路大震災について、当時の避難所運営などの実態を把握する作業を続けている。しかし、たかだか17年前のことを記録した史料でさえ、その多くが散逸してしまっている、行方を探ろうにも、当時、避難所の運営をリードした人々の多くとは連絡が取れない状況だ。
 数多く作られた報告書は、歴史学では二次史料であり、原史料に比べて格段に扱いが低くなる。なぜなら、編集の過程で削除されたり記載されなかったりした内容のなかにこそ、重要な要素や観点が多く含まれているからである。
 例えば「阪神・淡路大震災復興誌」(全10巻)などの報告書を読んでも、統計的な数字と総括文章からは、避難所の運営実態などを分析するに耐えうるデータを読み取ることができない。(中略)
 願わくば、国や自治体レベル、そして個人レベルで、早急に今回の震災関係資料の保存に取り組んでほしい。残された一次史料のみが、東日本大震災への対応・対処を冷静かつ克明に将来に伝える基本データになる。阪神・淡路大震災の二の舞いは避けたい。(中略)
 阪神・淡路大震災は都市型の地震災害であり、東日本大震災はまったく別の様相の大規模災害だ。今後、西日本一帯を襲うと予測されている地震災害は、両方の要素を含んだものになるだろう。両大震災の二つの教訓を、近未来の地震災害にいかすためにも、震災資料の集中的保存と分析、研究、応用ができる施設が必要である。』(7月25日朝日新聞 私の視点 神戸学院大教授(史料学)水本浩典)

この記事とっとくの忘れて抜粋できないんだけど、なんか現お年寄りはボタンをいじる的な道具じゃないとだめだからカセットテープにこだわってるって話が面白かった。

『自然エネを増やすのはいばらの道だ。東日本大震災前の2010年、自然エネは10%を占めていたが、8%分はダムなどの水力発電だった。ダムを増やすのは難しく、2%分しかなかった風力や太陽光を増やさなければならない。(中略)政府は30年には、太陽光パネルを設置した家の数を今の90万戸から1千万〜1200万戸に伸ばしたいという。風力は今、原発の0・5基分の発電しかしていないが、30年には9〜12基分に増やすという。 
 日本商工会議所は「高度成長時に発電所をつくったような規模で風力と太陽光の発電所をつくり続ける計算」と批判する。政府がどれだけ予算を割き、どう進めるかを示さないと、絵に描いた餅になりかねない。
 月300キロワット時の電気を使う家庭は月約110円の電源開発促進税を払っている。この税で集めた年4千億円近いお金は主に原発関連に使われてきた。こうしたお金を自然エネ推進に使う政策転換が必要だ。
 「自然エネを増やすお金は原発を減らすための投資」。環境ジャーナリストの枝広淳子さんはこう言う。家庭、企業、行政が自然エネへの投資を分かち合わなければ、経団連などの自然エネ限界論が勢いを増す。』(7月26日朝日6面)

効率のいい熱利用法とかちらほら出てはいるみたいですけど。ところでレーザー核融合はやっぱ津波には弱いのかしら。災害でやばいもんがでちゃう系のエネルギー源はちょっと日本向きではないよね。

O嬢とかわんねーのにいまさら…?と思ったけど、わりと「文章がひどい」がポイントなのかもな。ケータイ小説的なかんじで。あっちのおばさんはわりとエロ読み物に免疫がないのかね。

『「主婦ってこんなに大変なの?!」の一言。やってもやっても仕事が途切れない。毎日10時間くらい献立のことを考える。締め切りが1日に3回ある感覚。それでいて誰にも評価されない、誰からも褒められない。子どもたちに終始、囲まれているはずなのに孤独感が心を覆う。会社に行く方が、ずっと楽だと思いました。
(中略)
 育児休暇は刺激的な日々でした。子どもたちは、テクノロジーの進歩にかかわらず、今も昔も変わらないと感じました。寂しがり屋なのに、みんな他人に感情を伝えるのが下手なのです。』 (7月18日朝日新聞34面)

富山県の小学校の男性教師(55)が考える、いじめ対策の要点は「教師に相談する行為を『チクった』と思わせない雰囲気作り」だ。児童の「告発」なしに素早い火消しは難しい。
 2年前、複数の男子から「ばい菌」とからかわれた女子児童へのいじめは、別の女子が教えてくれたことで解決できた。普段から「不満や疑問を口に出すのは正しい行動」と教えてきた結果だと考えている。』(7月18日朝日新聞34面)

・↑の記事の中に東京都内の中学で1年の学級担任をする女性教師(55)談として「教師の目が届かない子どもだけの世界は以前より広い。いじめの質が変わっている」てのが出てるんだけど、いじめの質が変わったのは親に本音を打ち明けられずに鬱屈を溜めまくってたり、自宅でプライドをズタズタに壊されたりしてる子がすごく多いってことだと思うよ。数年前よりもずっとえげつないレベルで。ちょっとでも弱いもんを見つけ出してウサ晴らししないと自分を保っていられないのかもな。大津のいじめっ子の親もふんぞりかえっていっこうに謝らないらしいけど、謝罪するイコール自分の行いが間違っていたと認めることでもあって、それを認めたら今まで苦労して積み上げたもんが全部崩れちまうからできないんだろうね。子供への道徳教育よりも自分の体面が大事って向きだからまあ謝罪とかできないだろうねえ。そんな心理状態で仮に謝罪しはじめても「何に対して謝罪するのか」を把握できないでしょうね。あと「毎日10時間くらい献立のことを考える・締め切りが1日に3回ある感覚・それでいて誰にも評価されない」主婦生活を大学出たての女子が子持ちで働きつつひとりきりでやってたら気が狂うのも当然ですな。

『誰かが中国を悪く言い始めると、火がついたように盛り上がる。
「毒を入れた人は悪いと思うけど、そのことで私たちを責められても困る」とエミさん。日本にも中国にも、いい人もいれば悪い人もいる。中国のことをよく知らないのに、なぜそんなに中国を嫌うのか。(中略)
 エミさんは「そんなに中国が嫌なら食品を輸入しなければいい。中国製の服も買わなきゃいいのに」と憤る。
 2人とも日本は好きだ。自分から日本を悪く言うことはない。でも、中国を悪く言われると「中国人としてのプライドが傷つく」。(中略)
 「共感してくれる人がいるから救われる。日本の友人も普通にいるけど、外国ルーツの子の方が多いかな」。エミさんも「すごく仲良くなるのは外国ルーツの子が多い気がする」。』(7月18日朝日新聞34面)

 ・犯罪に関して国や人種に結論づける傾向になっちゃってるってのは、つまり人間であるかぎりやるこたさして変わらない、みたいな道徳教育が全然されてないってことなのかしら。

『日本の侵略行為を一日も早く終わらせるために原爆は有効だった―。こうした考えは日本では決して認められないけれど、海外、とくにアジア・太平洋では一般的です。原爆が投下されたのは、侵略・加害の結果だった。日本が戦争を始めなければ、原爆は落とされなかったんです。』 (6月29日朝日新聞16面)

・ちゅーごくが他国領土侵犯しすぎてるとアメリカがちゅーごくに原爆落とすんだろうか。イギリスはすごくいろんな植民地もってたけど、原爆は落とされなかったね。

『中国の隣、同じく共産党一党制のベトナム。7月2日の記事が指摘するとおり「デモは認められていない」。政治的自由や表現、宗教の自由などは大幅に制限され、山積する社会問題を批判すれば投獄も覚悟しなくてはならない。
 そんなベトナムにとって我が日本は、中国や米国と並ぶ「超大国」だ。開発援助額は1位、貿易額も3位(09年)。その日本の主要メディアは、ベトナム国民の向きあう現実に、あまりに無関心だ。メディアの無関心が、国民の無関心、そして、対ベトナム外交を決める官僚や政治家の無関心につながる。日本政府の外交政策は、ベトナム国民の苦しみにほとんど沈黙を続けている。
 平和的に政治的・宗教的意見を述べたことを理由に有罪判決を言い渡されたブロガーや活動家は、我々ヒューマン・ライツ・ウオッチの調べで、昨年1年間で少なくとも33人に上る。刑法には「人民政権倒壊罪」や「国家に敵対する宣伝の罪」など、極めて広範かつ不明確な罪が並ぶ。その結果、政治犯・宗教犯は合計数百人も獄中にある。中国に劣らない極めて抑圧的な国なのだ。』(7月10日朝日新聞 わたしの紙面批評)

『英語の授業で先生に間違いを指摘したら目の敵にされたし、文学でも先生が教えたのと違うことを答案に書くと点が悪かった。自分の意見をいうと抑え込まれるのです。終戦後3〜4年はよかったんですが、大人が民主主義を理解していないので元に戻っていく。展覧会では男性の方が展示場所を優遇され、地位も高い。芸術に性別など関係ないはずなのに。』(2011年10月4日朝日5面be)

大津市いじめ自殺問題に関連する3人の中学生とその両親や親類の名前や顔写真、住所などが、ネットの掲示板などで晒されながら拡散している。学校や教育委員会への嫌がらせや脅迫もすさまじい。(中略)イジメとは抵抗できない誰かを大勢でたたくこと。孤立する誰かをさらに追い詰めること。ならば気づかねばならない。日本社会全体がそうなりかけている。この背景には厳罰化の流れがある。つまり善悪二分化だ。だから自分たちは正義となる。日本ではオウム、世界では9・11をきっかけにして、自己防衛意識の高揚と厳罰化は大きな潮流となった。ところが北欧は違う。この流れに逆行する形で寛容化を進めている。
 昨年7月にノルウェーで起きたテロ事件の被告であるアンネシュ・ブレイビクの公判が、6月22にち結審した。(中略)もし責任能力が認められたとしても、77人を殺害した彼の受ける罰は、最大禁錮21年だ。なぜならノルウェーには死刑も終身刑もない。最も重い罰が禁錮21年なのだ。
 2カ月前、テロ事件の際に法相に就いていたクヌート・ストールベルゲと話す機会を得た。日本の一部のメディアでは、ノルウェーでも死刑が復活するのではなどの記事が出たが、犯行現場のウトヤ島にいながら殺戮を免れた10代少女の言葉「一人の男がこれほどの憎しみを見せたのなら、私たちはどれほどに人を愛せるかを示しましょう」を引用しながら、元法相はその見方をあっさりと否定した。死刑を求める声は、遺族からも全くあがらなかったという。
 2009年にノルウェーに行ったときに会った法務官僚は、「ほとんどの犯罪には、三つの要因があります」と僕に言った。「幼年期の愛情不足。成長時の教育の不足。そして現在の貧困。ならば犯罪者に対して社会が行うべきは苦しみを与えることではなく、その不足を補うことなのです。これまで彼らは十分に苦しんできたのですから」
 これは法務官僚個人の意見ではない。ノルウェーの刑事司法の総意だ。つまり善悪を二分化していない。罪と罰の観念が根底から違う。もちろん、被害者や遺族への救済は国家レベルでなされるのが前提だ。
 ただし、寛容化政策が始まった80年代、治安悪化の懸念を口にする国民や政治家は多数いた。でもやがて、国民レベルの合意が形成された。なぜなら寛容化の推進と並行して、犯罪数が減少し始めたからだ。
 つまり理念や理想だけの寛容化政策ではない。犯罪の少ない社会を本気で目指したがゆえの帰結なのだ。満期出所者には帰る家と仕事を国家が斡旋する。彼らが社会に復帰することを本気で考えている。一方、この国の刑事司法は、本気で犯罪の少ない社会を作ろうとは考えていない。むしろ追い込んでいる。クラスの多数派が誰かを追い込むように。悪と規定した標的やその家族をネットとメディアが追い込むように。』 (7月26日朝日15面)

『例年料理屋で盛大な忘年会を開いていたある有力な暴力団も昨年末は組事務所で紙コップに乾き物のおつまみで忘年会を開いたそうです。最近知り合いの近畿地方の広域組織の幹部が「もうヤクザの時代じゃない」と私に電話した後、若い衆を道連れに自殺したということがありました。生活の基盤だけでなく、プライドも奪われたのでしょう。(中略)マフィア化し国際化する暴力団に対抗するには、司法取引に応じて犯行を自白して情報提供したヤクザには、減刑を約束するだけでなく、新しい名前と戸籍を与えて一生保護するくらいの思い切った捜査手法や、自治体警察の枠を超えた強力な取り締まり体制を導入すべきでしょう。』(7月13日朝日新聞17面)

・↑で抜粋したのは鈴木智彦さん文なんですけど、その隣に掲載されてた元警察庁暴力団対策部長の人が『彼らは暴力組織の威力を背景にしているからこそ、様々な利権に食い込んでカネもうけができるのであって、組織の背景のない個人的な犯罪はそれほど恐れる必要はないのです。』て書いてる部分があんだけど、無差別殺人的な個人的犯罪もバカにならんと思うんですけど。

自殺に接した子のケアを 支援団体「情報や教育が不足」死別に直面した人を支援する社団法人「リヴオン」(東京都荒川区)

『「社会保障」というと、強者が弱者を救うことと思われがち。でも、弱者ができるだけ弱者でなくなるようにしていくことが本来の姿だと思う。増税するからといって、所得が低い層に「手厚い給付をしよう」という考え方には、どうしても矛盾を感じてしまう。
 与えるだけの福祉は、人の誇りを奪うと思う。重度障害を抱える39歳の娘と、認知症の85歳の母の2人とも、病院などにかかる費用の9割は社会保障に助けてもらっているけれど、「助けてもらうのが当たり前」という発想はありません。
 娘の介護で若い頃に働くことができず、悔しい思いをした時期がある私にとって、社会保障は働く場をつくり出すこと。「税と社会保障の一体改革」であるなら、創業支援や教育など、人の力を引き出し、働く場づくりにもっと関心を払うべきではないでしょうか。』(6月26日朝日新聞5面)

『「The Scarecrows(かかし)」では、家の近くの水車小屋で起きた殺人事件の被害者が、かかしのお化けとなってよみがえり、主人公のサイモン少年と戦う。人間心理の暗部を見つめた、一種のホラー小説だ。
 英国の児童文学賞カーネギー賞を受けたが、日本の出版界は「子どもには怖すぎる」と敬遠した。でも上村は「主人公の内面がよく描かれている」と思い、出版に向けて動いた。水車小屋の構造がわからず、ウェストールに手紙を書くと、丁寧な返事が届いた。誠実で温かな人柄にひかれ、渡英するたびに会った。
 ウェストールは労働者階級出身。教師から作家になった。少年時代に第2次大戦を経験し、78年に当時18歳の息子を亡くした。それまでの作品は父親との葛藤や戦争などを題材にしていて、本格的なファンタジーはなかった。
 息子の死の3年後、ウェストールはファンタジー作品「かかし」を書いた。上村は「なぜこの作品を書いたのか?」とたずねてみた。ウェストールは沈んだ声で話した。
 「息子の死を信じられなくて、息子がずっとそばにいる気がしていた。何年かたって、息子の存在を身近に感じなくなった時、なぜか、『かかし』の主人公サイモンが頭に浮かんだんだ」
 現実が厳しすぎるあまり、「その先にある希望」を描けなくなった時、ファンタジーを生み出す力が芽生えたのだと上村は感じた。』(7月25日朝日夕刊1面 ニッポン人脈記 日英新世紀14 生と死描くファンタジー)

『生まれながらにプレゼンの才能がある人がいると思うのは、幻想です。小さい勇気と正直さを日々積み上げた人が、ここ一番で前に出られる。その訓練は日常でできます。1日に出すメールのうち、この1通だけは何時間かけても納得いく言葉を探そうとか。
(中略)
 技術を仕入れるほど上っ面の場はうまくいくけれど、本心で通じ合えた満足感がない。深い考えを伝え、もう一段高いところで人が言葉で通じ合おうとしている。日本人は進化しているぞ、って思います。』 (7月10日朝日新聞15面)

『元はといえば、営業マンが売り込みのためにやるものですからね。(中略)テクニック、だましっこの世界です。
 それを教育モデルにしたら最悪です。例えば子どもに「プレゼン」を求めると、自身を見込みのある物語にはめ込み、語りをほころびなく完結させる。人格や個性が商品になる。
 そうなると、子どもは二極分解してしまいます。一方に、勝ち負けを追求する戦略家。他方には、自分を高く売りつけるゲームがしんどくて、おりる子。どちらも学ぶ意欲は限りなくゼロに近づいてくるでしょ。(中略)
 言葉は世界を読み取る網のようなものです。もやもやしてる問題に言葉を与えることで、そういうことだったのか、と腑に落ち、見晴らしがよくなる。そんな確かな言葉を見つけられればいい。』 (7月10日朝日新聞15面)

・「自身を見込みのある物語にはめ込み、語りをほころびなく完結させる」て厨二病のアレもそうだろうか。言葉に関する件は、本音をだす訓練とその本音をよりよく他人に伝えるための表現がどれがいちばんいいか心掛けて書いてればしぜんとうまく書けるようになると思う。本音をださないでいるとつまんない文しか書けなくなると思う。

『新聞によって内容が異なるのはまだわかりますが、同じ新聞でも夕刊と朝刊で内容が異なっています。まるで芥川龍之介の小説『薮の中』のようではありませんか。
 事実関係を正確に取材して記事に再現することが、いかにむずかしいか、わかります。と同時に、新聞を読み比べ、「本当は何が起きていたのか」を推理することもまた楽しいのです。』(7月29日朝日新聞19面)

・「 事実関係を正確に取材して記事に再現することがいかにむずかしいか」てのはつまり警察関係者との人脈がモノを言うっていう隠喩なんだろうか。「速報ネタ正確に載せるのほぼムリだからもう各紙のまちがいっぷりを楽しんじゃってYO!」てアホか。

3部作は仮面をかぶったヒーローを否定するリアリズムの勝利として幕を閉じるのだ。の部分からして柳下さん的にはものたりないかんじなのかな。超人にリアリズムなどいらない的に。

『さまざまな生き物で「敵対」と「協力」の関係が偏らず、しかもその関係が多くあるほど、生態系が安定しやすくなると、龍谷大の近藤倫生准教授らの研究グループがモデル解析で証明した。「複雑な生態系は不安定」とする従来の理論を覆す成果で、生物多様性保全を進めていく上で参考となりそうだ。米科学誌サイエンスに発表された。
(中略)
 近藤さんらは、ある生き物の数の変化を、ほかの生き物との「敵対」「協力」の関係を組み入れて予測するモデルを開発。50種の生き物で、どうすれば数が安定しやすくなるかを1千通りの組み合わせで調べた。その結果、「敵対」「協力」の関係が偏ると安定性が損なわれるが、ある一定の割合だと安定しやすくなった。しかも「敵対」「協力」の関係が多様で、さらに生物種を多くするほど、安定性が高まった。
 近藤さんは「生物多様性保全には、絶滅危惧種など種そのものの保護だけでは不十分で、ほかの種との関係を自立的に維持できる生態系をつくることが重要だ」と話す。』(7月25日朝日新聞6面)

『同国[シンガポール]では、資本金1シンガポールドル(約62円)で会社を設立できる。登記上の役員や住所などの名義を提供し、連絡業務などを代行する会社が300以上あるという。同氏は取材に対し「自分は造船関係の仕事が本業で、パケット社のように名前だけの取締役を務めている会社が238社ある。ほとんどがペーパー会社だ」とも語った。」』(6月29日朝日新聞39面)