しとやかな獣9割ねてた(でもなんとなく面白かった)

しとやかな獣(21日。神保町シアター)→生き残った者の掟(22日。シネマベーラ)→恐怖のまわり道→犯罪河岸→鳥(みゆき座)→スカーレット・ストリート(23日。シネマベーラ)→あるいは裏切りという名の犬フェイシング・アリ(アップリンク)→モンスター・トーナメント 世界最強怪物決定戦(えぬ)→スリープレスナイト(ヒューマントラストシネマ渋谷)とみまして、シネマベーラのはフィルムノワールと総称される50年以上前のアメリカやフランスの犯罪映画特集のアレですけど、なんか悪女がでてくるのが多いですな。しかもスマートな知能犯とかじゃなくて、口汚くて粗野なふるまいのいわゆるアバズレつーか。今でいうギャルのお下劣しゃべり的な言動をすごい美人な女優が吐き散らかすもんだから当時の観客的にはかなりショックだったんじゃないだろうか。アバズレ言動はアバズレビジュアルのヒトがやってるとなんのふしぎもないんだけど、見た目が清楚で可憐なお嬢様風美人がアバズレ言動やるとその落差感から「中身だけが異常に腐ってる」みたいにみえて少なからずショックが発生するんだよね。スカーレットストリートは四角四面の真面目人生をおくってきた中年男が、ある日出くわしたアバズレ美人に貢ぎつづけていいようにあしらわれ続けた結果ついに…な話ですが、フリッツラングがなんですごいといわれてるのか今までいまいちわからんかったですけど、この作品みてなんとなくわかったような。ラングつーヒトは容赦がないね。どういう理由があってああいうスジにしたのかしらんけど、頭のまわらない善人に対して救いをまったく用意せずに突き放すあたり、なんらか…「善や正義が無条件に勝つ」といったご都合主義の話運びに対する根深い憎悪があるとしか思えんのだが。スカーレットストリートの結末は要するに「いつか神が助けてくださるだ?はぁ?バカは最後までバカのままだよ」てことだよねえ。クライマックスでアバズレ女キティが主人公の銀行員に浴びせかける非道のセリフ、あれは「いいかげん目を覚ませこのうすのろ」て言ってるようにもみえるけど、それでもうすのろなままなんだもんな、あの男。そんなんじゃイイ女もみつからねえぜ。天賦の才だって活かせやしない。いいかげん神も呆れてるぜあんた。この場合のノワール部分はあのギャング的なDVカッポーのふるまいじゃなしに、このうすのろ男の目を覚まさなさだよな…。自分のバカに気づかない善人の中に閉ざされ続けている闇ってのはおそろしいもんだ。ギャングカッポーの男は彼女のキティをダシにカネせしめることしか考えてないクズだけども、あのキャラづくりとしては彼女を痛めつけたあとにメソメソ謝罪するとDV男(とその男から離れられない女)としてのリアリティがでるんだけど。当時はそこらへんの共依存的な知識がまだあんま知られてなかったかな。DV描写がさして痛々しくなくて、みょうにカラッとした雰囲気のふたりだったもんで。いまなら社会派映画撮るような監督さんがそこんとこ超リアルにしてリメイクしたらさらにドロッドロになるだろうな。しかしキティ役の女優さんのスレた雰囲気演技がすばらしかったな。前半の飲み屋で主人公と会話するシーンでのアバズレ話術がすごい。ふつうの女ではないというのが誰にでもわかるのに、主人公だけがまったくわかってねえの。目がハートマークになっちゃっててなーんもみえない。なーんもみえない主人公といえばラストのネオンサインがビカビカする部屋での神経症的な光景も見事だったな。あれはキティへの罪の意識よりも、彼女にまったく愛されずに嘲笑されつづけた自分というのを受け入れられない意識のが強いってことなんだろうね。いまだに彼女を愛している純粋さゆえに分裂せざるをえなくなってしまったというか。バカ善人マジキモい。
白黒映画のころに美人のアバズレ悪女キャラがでる映画がわりとつくられてたってのは、そのキャラの人気がわりと高かったてことなのかな。ジムトンプスン、確実に影響されてるよね。スカーレットストリートもふつうにみたんだろうな。これにどうしようもなくバカなチビのおっさんの短編がでてるんだけど、トンプスン先生はまさしくそのバカに底なしの闇をみてたわけで。ただ犯罪やりゃノワールかってちがうんですよ。もっと単純がゆえにおそろしい狂気のことなんすよ。リンチは絵でそういうモノの心象風景を表現しようとしてるんじゃないのかな…?とすこし思う。
犯罪河岸は嫉妬深いピアノ弾きの夫が、歌手業の嫁に男がたかってくることをいつも気にもんでいて、あるとき映画会社を経営してるエロ爺さんがこの歌手嫁に目をつけたうえ仕事の話と称して歌手嫁を爺さん宅に招いてきたものの、当然嫉妬深い夫が全力で阻止しようとするので、映画の仕事がしたい歌手嫁が夫に黙ってこっそり爺さん宅を訪れてしまう。歌手嫁は実家にいくのだと言っていたものの、それをどうにも信じられずにいた嫉妬深い夫が歌手嫁の隠してた爺さん宅の住所を書いたメモをみつけてしまい、夫が鼻息荒げて爺さん宅に踏み込んでみると、そこにはすでに歌手嫁はおらず爺さんの死体だけが転がっていて…みたいな話。映画会社経営のエロ爺さんが歌手嫁に目をつけたのはそもそも歌手嫁の親友である写真屋さん(この作品内でいちばんの美女)のスタジオで偶然出くわしたことが原因で、このエロ爺さんは気に入った娘の素っ裸を撮った写真の蒐集家で、まあ歌手嫁にもその趣味を満たしてもらおうとしたんでしょうな。かるい気持ちで爺さん宅いった歌手嫁がなんか酒瓶で爺さん殴って泣いて帰ってきて、真っ先に親友の写真屋の美女んとこに逃げ込んでくんですよね。よくよくきいてみたら歌手嫁が現場に忘れ物してきたってんで、写真屋美女さんは自らその忘れ物を取りに行ってあげたりする。この美女さん、はっきりと描かれないけどなんかレズビアンキャラなもよう。歌手嫁にひそかに片思いしつづけてるんだけど、それは(おそらく時代的なアレで)ぜったいに出せないから同じアパートに住んで寄り添っているんですね。その後は敏腕刑事がでてきて、愛しい歌手嫁をお縄にすまいとする写真屋美女さんがアレコレ取り繕ったり、嫉妬深い夫も事件当日のアリバイづくりに必死になったりとそれぞれがあたふたします。この刑事さんなんですけど、まあ敏腕なんだが、ラストに写真屋美女さんがレズビアンであることに薄々感づいて「アナタと私には同類のニオイがする」的なセリフをいうんですけど、あれは具体的にはどういう意味なんだろうか。つーかあの刑事の子供ってもしかして稚児さんかなんかなの?ちがうよね。なんかさーフランスの白黒犯罪映画のあらすじで「意外な展開が」とか書いてあるやつってたいてい脱力感タップシな方向にいくよね(例:賭博師ボブ)。そもそも全体的にいろんな要素を散りばめすぎててジャンルが定まってないふうな作品になってるやつが多いつーか…。どうしてあんな散漫なかんじなんだろうか。ああ旦那との確執ね…えっ…コメディ?サスペンス?あれぇ…?やっぱ犯罪映画?みたいな流れで。あの常に流動して定まらないふうなところがヌーベルなんたら映画につながってくのかしら。犯罪河岸については作品がどうこうつーより端々にみえる当時の風俗がおもしろかったかな。エロ写真蒐集家の爺さんとかよかった。あと歌手嫁の夫役をイケメンではなくハゲオヤジにしたのは、あれは写真屋美女さんを引き立たすためなんでしょうな…。どうみてもアッチよりコッチだろー?!みたいに思わすための。この監督さんは同性愛者に同情するきっかけかなにかがあったんだろうか。
恐怖のまわり道はニューヨークでうだつのあがらないピアノ弾き(この職業設定多いねえ)やってる男が、ハリウッドにいっちゃった彼女を追うためにヒッチハイクをくりかえした末にやたらと景気のいい話ばかり繰り出すハスケルという男の車に乗っけてもらうんですけど、突然この男が死んじゃって、でもそれをバカ正直に警察にゆっても信じてもらえずにどうせムショ送りになるだろう(てのがこの頃の警察クオリティだったんだろうか…)し、という結論からハスケルになりすまして彼女のとこまでいっちまおう、て決めて服や金もガメて車で流してってかなり順調だったものの、途中で寄ったダイナー(だっけ)でヒッチハイクしてた一見キレイふうの女を拾ってみたらハスケルが話していた頭のおかしいアバズレ女で…という話。この女がもうとにかくカネをむしれるだけむしる的なおんなで、主人公がハスケルになりすましてることに気づくと車売るカネ半分よこすまで離れないだとか、それが頓挫しかかると今度は新聞にでてたハスケル家の財産がらみで身分偽ってガメさせようとしたりだとか、納得いく額のカネを手にするまでは取り憑いて離れず、骨の髄まで吸い尽くして利用しようとするアバズレっぷりが見事だった。クライマックスあたりでウトウトしてしまってわからんかったのでトイレ前に並んでたおばさんにそこんとこちょこっと聞いたんだが、このアバズレが最後に死んでしまうんですけど、そこのシーンがどうも主人公がハリウッドにいる彼女に電話してる最中に、その電話線が首に絡まって絞まって死んだふうだったらしい。どういう死に方なんすか。ちゃんとみたかった。そもそもさー主人公が訪れようと思ってるハリウッドの彼女、たぶんこの男を見限って西海岸いったんだよね。それほど好きでもないし、キャリアのためにハリウッドいくかーくらいにしか思ってないくさい。ピアノ弾きの主人公は仮に彼女のとこたどりついてもいいことなかったと思うよ。この旅路そのものがハナから呪われているというか。あとなんかところどころにイカすセリフがでてきたような。ドル札を「雑菌まみれの紙きれ」とかゆってた。
しとやかな獣はなんか若尾文子のコメディちっくな詐欺師モノらしかったけど、ものすごくねむくてぜんぜん起きれなかった。ほんのすこし起きれたとこで口八丁な詐欺師家族がでてきてすごい面白かった。あの淡々と詐欺信条を説く父ちゃんイカスな。たしかこの詐欺師家族の家の壁にルノアールかなんかの裸婦画がでーんと飾ってあったような。あんましおぼえてない。ちゃんとみたいよ。
生き残った者の掟はなぜ監禁されてるのかわからない女を愛してしまった男が、わからないままに女を解放するために戦いぬくんですけど、女の正体を知ってしまった男の表情をみた女が生きていられなくなる話。あの結末はつまり「真に愛する者ができたからこそはじめて心からの謝罪行為をすることができた」てことだよね。それまではほんとの自分を知られたところでべつになんとも思わない相手しか周囲にいなかったんだけど、知ってほしくない相手がはじめてできてしまったという。この映画、最後まで女の正体がわからないままひたすら主人公が女を救うために奮闘し続けるんですけど、主人公自身は朴訥な正義漢なんだが女の来歴がなんにもわからないから主人公の行動がはたして良いことなのかどうかがずーっとわからない漠然とした不穏感がつづくのよ。あの仮面の男とその一派、女が心からの謝罪をどうやったらするようになるのか、それを知るためにずっと待ち続けてたんだね。
あるいは裏切りという名の犬は寝たんで詳細よくわからんですけど、事件解決のために犯罪者との裏取引をチマチマしてる誠実な刑事(レオ)が、どんなテを使ってでも(警察内での最高)権力者の座を手にしようとする刑事(ドニ)によってどん底に蹴落とされてしまうフレンチ犯罪映画。このふたりがちょうど署長候補かなんかに挙がってて、現署長は真面目な仕事っぷりのレオのほうを後任に据えようと思ってるんですけど、野心家のドニはそれを見抜いて工作にでるという。具体的には「事件解決のために犯罪者と裏取引してる」というあたりを極悪な犯罪行為と規定してレオを逮捕しちまうんですが、でもそれは事件の解決のためにしかたのないことで、それを理由にしてお縄にしだしたらおそらく解決するもんもしなくなるし、裏取引してまで犯罪者をお縄にしなくていいよ、てことで刑事としては失格じゃん。そこまでしてでも署長になりたいドニはただ仕事をこなしてただけのレオを勝手にライバル視して刑務所にぶちこむわ奥さん殺すわひどすぎる。そんなに権力の座がほしいんなら最初っからレオに負けないくらい仕事をこなしまくってりゃよかったじゃんよ。いざとなって分が悪いとなると相手の足引っ張るって最悪だろ。レオの人柄と仕事っぷりをよく知ってた仲間たちはドニの非道に我慢ならないんですけど、逆らうと地方に飛ばされるからなんもできないという。この厚かましいドニは涼しい顔でレオの奥さんの葬儀にきてて、もう全員でハチの巣にしちまえよって思った。いちばん悪いやつが隣にいるのに何もできない警察の滑稽さときたらねえな。警察官としての仕事したいんじゃなくて地位がほしいだけのバカは警察官になってはいけません。それはどの業界にもいえることだろうな。カネとか地位への渇きが満たせないヒトはたまに現実の事件でもみかけるけども、よっぽどひもじい思いをした原体験が根を張ってるんだろうな…。この映画、邦題からしてもっと裏切りのサーカス的な入り組んだむつかしい話なのかと思ってたけど、とっても骨太でシンプルね。ラストの因果応報的なおとしまえも任侠映画ぽくて単純でよいよ。あのテはさいごにチンタラしてもしかたねえからな。あと関係ないけどドニ役のヒト、鼻でかいっすね。蜂に刺されて腫れてるみたいだ。あそうそう、あと一瞬だけこの絵がどっかで映った気がする。この映画だったよな…?ちょっとあんまし覚えてない。
『ある賢者曰く、「エナミー(敵)のいない男にはクオリティがない。フレンドのいない男はジ・エンド」。じゃあアリはどうだろう?10人の「敵にして友」たちが最強王者の真実を語る本作で、アリの人生のクオリティがわかる。』(フェイシング・アリパンフの丸屋九兵衛さん文より)
フェイシング・アリはどんなヒトなのかしらんのでなんとなくみた。アリの名乗ってた名前はイスラム教のからきてんのね。しかも由来がマルコムXがらみという。俺様って最強でハンサムぅー!!みたいに悦に入るというたいへんわかりやすい性格のヒトだったっぽいからいろいろ吹き込まれて感化されちゃったんじゃないのかなー。基本的にアリってやたら軽口を叩くヒトだったのな。しかもお前のかーちゃんデベソ的なこどもくさい悪口のレベルつーかさ…。対戦相手のヒトたちもそれ真に受けちゃって激怒したりしたみたいですけど。あれってなんも考えずにやってたのか、それともそうしたほうが興行的におもしろくなるからってのを重々ふまえてやってたのか。ドキュメンタリーみるかぎりではなんも考えずにゆってるふうにみえたな…。対戦相手のヒトたち(パンフに掲載されてるそれぞれの来歴が壮絶だ)が悪口をまともに受け取っちゃうのには貧しい境遇での差別をさんざん味わわされてきたことが一因でもあるんだろうけど。受け答えしてた対戦相手のヒトたち、なんかクチがうまくまわらないふうなかんじのヒトが多かったな。あれは殴られ続けたことが原因でああいうしゃべりしかできないようになってしまったんだろうか。アリに関しては軽口を叩くつーてもガッツさん系の天然というか純粋さが原動力みたいで、ベトナム戦争には「ベトコンには何の恨みもないから」つー単純な理由でハッキリと反対表明したうえ徴兵も拒否したもんで、ボクサーのライセンス剥奪されちゃうんですよね。その後は年齢的なアレもあって落ち目になってくんですけど、アリは負けても相手にとっては「王者に勝った」ということで大きな喜びになるんですよね。ボクサーがアリに勝つってのはなんかふつうの勝利とはちょっとちがうんすよ。アリが負けることは相手にいろいろなもんをもたらすんだなぁと思った。養分のたっぷりふくんだ土のようなヒトだ。
鳥はある日突然トリがヒトに襲いかかってくるアレで、ディザスターものとスラッシャーものが混じったもんてなんつーの。最近では襲ってくるもんがゾンビだったり恐竜だったりすると逃げ回る側もビッチたちで両方してギャアギャアやるので全体的に品があんましないものですが(リアリティ追求するとしぜんにそうなるからしかたないんだけども)、鳥は逃げ回る側が美男美女だのでお上品なサスペンス風味のスラッシャーものにみえる。襲ってくるトリは同種が群れて突っついてくるんですけど、大写しになるのは大体カモメだった。三白眼トリの代表格で恐怖煽り効果バツグンだからかな。カモメやカラスが分厚い板をクチバシで突いてガツガツ穴あけまくる描写がわりとありましたけど、あのテのトリのクチバシはやわらかくて、現実であんな板つついたらたぶんクチバシのほうが割れてしまうと思いますよ。トリにとってクチバシが割れるのはイコール(メシが食えないことによる)死ですから、あの描写はあんまリアリティない。クチバシで分厚い木をつついて穴あけれるのはキツツキらへんのトリくらいだと思うがな。それ以外のトリがヒトをクチバシではさんだり突いたりするときは、ヒトのほうが食いもんを手に差し出していながらふざけて何度もひっこめたり、あとはよっぽど身の危険がせまったときくらいだと思う。卵をあたためてる中の雌がいる巣の周辺を守ってるときのカラスがヒトを攻撃するときは、必ず足の平で蹴るだけですからね。つつかないよ。あと鳥の中で群れて襲ってくるトリたちが、ヒトがでてきてるのにみんな落ち着いて座ってるシーンが何回かでてくるんですけど、ヒトとみるやたちまち襲いかかる時とそうやっておちついてなにもしない時の違いがどういう基準で決まってるのかがよくわからなかった。出てきたヒトがワヤワヤ騒いでるとトリも釣られて襲いたくなっちゃうってことなんだろうか。落ち着いてるトリたちが地面に座ってるなかを、主人公家族がそ〜っと歩いてくとこが面白かった。ぜんたい鳥に関してはお上品スリラー風味なので家族と地域社会に関する描写も微妙にあるんですけど、嫁姑問題がなにげなく解決してヒロインが主人公の家族の一員になりかかる風にしときながら結果的に嫁が精神崩壊しちゃうし、美人嫁がトリに襲われるシーンわりと長いし、ヒッチコックは美人をいたぶるために映画撮ってるのカナ?とちょっと思った。あとトリの鳴き声音響をかなり効果的に使ってたな。なんつーか品を損なわないように見世物をするのがうまい監督さんだなーと思った。
スリープレスナイトは借金かさんだ警官2人が、マフィアが取引中の上物の麻薬を横取りして借金返済にあてようとしたんですけど、警官の身元がマフィアにバレて息子が誘拐されて警官の片割れが呼び出されるとゆうスジ。呼び出したマフィアの経営するディスコ件高級酒場でヤクの入った鞄と息子が目まぐるしくアッチいきコッチいきさせられます。息子をとりもどそうとがんばる警官を追ってくる悪徳警官の足ひっぱるぶりにイラつかせられる。でてくるキャラほぼ全員が汚れてるんで、なんか狭い空間内に殺伐とした息苦しい雰囲気が充満してるのをひたすらみせられるかんじ。厨房のヒトたちとんだとばっちりだな。いまさらながらの小麦粉偽装がひさびさにでた。
最強怪物決定戦はおいらのほかに15人前後みてるお客さんがいたんですけど、はじまってからエンドクレジットまで席立つヒトがひとりもいなかった。高僧のようなお客さんたちだった。