「ぶつかる」から色んなモノが生み出される件

次回に書こうと思ってるもんが微妙に霊方面ネタなんで、参考としてこのヒト(HP)に色々聞いてきた。真偽はたしかめようがないんだが、どれも面白かったので特に印象にのこった話を以下にちょこっと書いときます。
・世界各地の神話のなかで神様同士が戦ったり痴情のもつれ的な事態に陥るくだりがあるが、それは「戦う」ことで生み出されるモノがあることをわかったうえで行っている。(宇宙空間で、相反する2つのちからの狭間で破壊されたモノが散らばって銀河になり、そこへ「神の息吹」[これとかこれとかこれとかこれとかこれとかこれとかドゾ]がもたらされることで星が新たに生み出される図式と同じ。)ゾンビ化したイザナミから逃げ出す際にイザナギがペッて吐いた唾から生まれた神様みたいに、神様がなんかするといちいちそれが神様になるくだりは一見不可解だけど、実はなんかごく単純なことなのかもしらん。そういえばさ…大国主さんは多くの女性の心を射止めたあたりからして基本的に性格が優しくて細やかなんじゃないかなと思うんだが(美男ではなく愛嬌系のお顔だったぽいので、そうなると性質が図抜けていたとしか)、それは他者との関係を築くに際しては最上だろうけど、戦をして外敵を撃退するとなるとちょっとなんというか…向いてないんじゃないか。やさしすぎて。だからこそ天照大神みたいな激烈なちからをもつヒトに交代する必要があったんじゃないのかな。水木さんの古代出雲漫画よんでもなんか大国主さんとその息子たちは戦上手とはちょっと思えないんだよな。推測でしかないけど。余談だけどトランブレーさんのお友達のみいやさんから大国主さんのお言葉をもらったことがあるんだが、男の神様とは思えないくらいソフトな文面でやさしさがにじみでてたんよね。これは嬉々として暴力ふるうようなかんじではないなーと思った。冗談で皮はぎ馬なげこむレベルだと暴力案件とかは朝飯前だと思うんだがね。水木さんの夢枕に立った古代出雲人の話からするとそうとうな無念はあったとのことなんだけども、天照としてはその後の日本の展開を考慮したうえでの適材適所的な発想で交代を促したとかなんじゃないのかなとちょっと思う。…にしてもそれまで全身全霊でつくりあげたとこの管理を突然まるのまま差し出すってのは大国主さんとしても簡単にはできんかったろうしな。なので、加門さんが出雲行った際に大国主さんの機嫌を損ねたのはたぶん女にそういうことを探られるのは男として(というか元統率者として)我慢ならなかったからなんじゃないのかなと思う。神様は基本的に注ぐ慈悲は無限なのだけど、特に日本の神社の神様については性別ごとの性質がむきだしなかんじ。なんらか「生み出す」には性質の違うモノがたくさん居る、が必須なんじゃないだろうか。全部同じだと生み出せないのでは。
・神様と呼ばれるモノが人間の世界に於ける汚れや不浄を嫌うのは「汚れ」に重量があるためで、それがくっついた状態ではもといた場所(高次元)に戻れなくなる。俗にいう「あの世」には段階があり、そこへは肉体を持っている者にはたどりつけず、仮に肉体が死んで霊体になっても現世でのわだかまりや執着という「重量」を抱えていれば上の階層には行けない。高い階層のところほど「軽い」=何も持っていない、ということらしい。神様はたいてい「光」そのもの。(わだかまりや悩みがないからこそ「無限の慈悲」を注ぎつづけられるのかなーと思う。人間ならば誰しもくたびれれば何かによって癒されないと続かないけれど、神にはそういうことが必要ない…そのかわりに人間とのつながりや人々から感謝されることが唯一のよりどころなのかなと思う。)人間界移動中に汚れのくっついた神様はその汚れを落とさないといつものとこに戻れないんだろうね。都心は特に汚れた川ばかりだからな…。んで適当な人間をみつけるとついてって汚れ落ちるまで世話してもらうという。加門さん漫画でも描かれてたけどなんか…このテの神様が汚れ落とすためにひとんちにきてしばらく過ごしたのち何もいわずに突然いなくなるんだが、それはつまり大国主さんの件と同じく男のプライドが許さんからなのかな。この前おいらの部屋にいた神様も突然いなくなって、最初についてこられた場所をあたったらなんとなく特定できた気がすんだが、毎日だしてた酒もってそこに挨拶にいくのマズイですかね。逆鱗に触れますかね。やめておきます。場所はわかったんだけど、祀られてる方が複数いてどの方だかわからん。そもそもその汚れをつくりだしたのは人間が原因なので、神様にそれがくっついたからといって恥ずかしがることはないです…というか、あ…。それを寄せつけるということはつまり…。
大日如来はたとえるなら大企業の社長的な仕事をしているため、いちいち人間の悩みをチマチマ聞いてるわけにいかんので各仕事をしやすくするために不動明王三宝荒神のような化身をつくったらしい。(余談だが不動明王キリスト教ではミカエル、ヒンズーではシヴァらしい)
・夜叉や鬼神(西洋では悪魔)には対になる存在が必ずいる。その姿でなければできない仕事がある。ところで「他者をみたときに嫌だなと思うところは自分の中にもある」(鏡な件)と「神には必ず対になる存在がいる」件を合わせて考えると荒ぶる神がたくさんいるということはつまりその荒ぶる神と同じだけ穏やかな神様もいる、ということになるのかな。
・悪魔は抱きしめてナデナデすると消えていなくなる。つらくあたるとよけい荒れる
・神様たちが怖い、というのは神様に近づけさせたくない連中が流布した嘘。(おいらの経験からしても神様的な存在は怒ってるときには必ず理由があって、それについて怒ってるだけで日常的に怒ってるわけじゃなかったしな)神様はどの方も基本的に気さくであらゆる豊穣さをもっているのだそう。
・寺社を参拝するにあたって、そこに祀られてる存在は「ついでに寄って手短かに切り上げる」ふうな参拝を嫌がるらしい。進藤さんいわく「親友にそんなふうにされたらいやでしょ。それと同じ。」とのこと。くるならゆっくりしていってねということです。
・基本的に地上では「してはいけないこと」は何もないらしい。つまり「すべては人間にゆだねられている」ということか。神様は人間から乞われたときにだけ助けてくれるってことなのかな。この世を地獄にするも極楽にするも人間次第。殺しについては当人に殺した理由に向き合わさすことが肝要、死刑は何も解決しないと進藤さん談
放射能を怖がりすぎ。本当はさほどの影響はないし大昔からそこらにある(と進藤さん談)。それよりも今現在は大地が干上がりはじめていることのほうが深刻で、その原因はたとえばアメリカでは放棄された耕作地が相当数あることで、だれも土や大地の手入れをしない=愛そうとしないことが根本的な原因なのだそう。大地の枯れ具合が深刻なのはアメリカ・中国・日本で、その3国に共通してるのは「わがままな国」であることなのだとか。進藤さんはアチコチいって枯れた土地に水をひくために龍を呼んでまわってるのだそう。相当深刻らしいので目にみえる成果はすぐにはでないとは思うけども、応急処置としてとにかく身近な土や大地に愛情を注ぎつづけるのが何よりも大事なんだそうです。なんかねえ、手で直接「土に触れる」のがすっごい大事なんだって。昨今は機械作業ばかりで、土や大地が人に触れられることもなく寂しがっているという。放棄された社に閉じ込められた狐さんが誰にも世話されず飢えて痩せ細ってるのと同じだな…。人間は大地からも狐さんからも恨まれっぱなしじゃ将来ロクなことにならんだろうな。大地が枯れるに際して「水を含んでいることができない」ためにボロボロに崩れてくことが多くなるとか。杉植えすぎたのも原因なんだろうね…。いい森さえあればそれだけで海の幸も豊かになるのに。ところでこれにのづちさんという巨大みみず的な山野の精がでてくるんですが、視子さんどうにかならんすかね。のづちさんは超過労働させると毛が生えるらしいけど。生えない程度に。
・3月11日の地震の直接の原因になったのは鹿島神宮のラインではなく、青森の日本海側から栗駒山を通って宮城の亘理町(→宮城沖の震源地)につながるラインなのだそう。鹿島の要石が弱ってるのは事実なので、労ってあげるが吉。元気をあげられればいいけど。
大体こんな話で、なんか神様にしろ霊世界の構造にしろ難しさとか全然なくてやたら単純なかんじでしたよ。進藤さんがおっしゃるに、神様はすごく気さくで「聞けば教えてくれる」とのことで。悪いヤツが神を偽装するらしいんでそこらへんはなんかむつかしいんだが。天魔について聞くの忘れたな。でもそれも光の裏側だとすると必要だからこそ居るんだろうな。見極め力をつけさすためとかで。霊能者に二択試験させたいところだ。霊がみえるヒトてのも念力云々とかっていうより「苦しんでる心に向き合わさす」ためにみえてるかんじがしなくもない(その視える能力が備わってるのに霊に向き合わず逃げまわってばかりいると次に進む段階がみえなくなるんじゃなかろうか)。神様については個人的には「ふつうの人」なかんじ。無限の包容力+ふつうの男・ふつうの女…なんだけど、性別ごとの特徴がすごくむきだしなふう(小学生男子・女子的な…。たぶんそれが神[=分け御霊である人間]の本質なのであって、だからこそ軋轢ができた際に物語が生まれるのかなと)。聖観音ちゃんについては…なんか「相手に礼を尽くす」について厳しく学ばされてる中。おとなの基本か…。おとなか。あーあ。ちょっと間違うと即うんことかハエとかゲロとか動物の死体などで表される。


最近みた映画・展については別立てで手短かにまとめるかなーと検討中。わすれかけてる。