神仏は どこへいっても ヒトの世話





No.254 by ご近所さん 2014-01-05 16:06:04
ここが浸水するなら東京中が水没してしまうよ。
現地を知っている人の意見とはおもえないけどね。
 No.255by 匿名さん 2014-01-05 16:53:34
253さん、確かに微妙に黄色かもしれませんが、ここは高台なので、浸水被害は問題ないかと。
あえて言うなら、千川通りへ流れる雨水の通り道になるくらいですね。
地元の方なら、みんな知ってますよ。』
上記『』内はここから抜粋したブツ。ライバル企業の足ひっぱりと思しき書き込みなんかがこのテのとこでもあんのなあ(笑)まー件のはどういうヒトが書き込んでるかわからんけど。そもそもなんでこんなサイト知ったのかというと社長が長期旅にでてた期間に夫人に新築マンション観察行脚に付き合わされて、その流れでココも知らされたっつー。中古マンションでもカッコイイとこはこういうサイト通じて各会社に「空きがでたら入りたい」登録されちゃうから、空き部屋がでることがないんだそうだ。なんたかんたらみにいこーのマンションは一応「ランク高め」ブランドだったらしいんだが、手痛すぎる欠陥出しちゃった(現場のヒトがやさぐれてたであろう光景がよぎらずにいられませんね。)からランクも下がったりすんすかね。んで夫人にマンション観察に付き合わされて近所の新築低層マンション(なんたらかんたらみにいこーのマンションではありません念のため)なんかも観察してまわらされたんだが、なんか…その低層マンションが建った場所てのがこう…近隣でもそうとうの一等地だかなんだかで、土地代が相当アレらしいんよ。だから本来的には高層にしてより多く住戸儲けないと儲けが出づらくなっちゃうんだが、そこは周辺に細かい民家が密集してて、高層化するとたちまち日光が当たらなくなってしまうから出来ないんですね(ちなみにこの低層マンションと道路挟んだ向い側にはなんたらかんたらみにいこーの巨大なマンションが建ってるんだが、建てる前に周辺の土地を買い上げることに成功したのでデカイのが建てられたんだそうだ)。で…しかたなく低層マンションとしてつくることにしたらしいんだが、もうね、どうにかして儲けださなきゃ!とばかりに戸数をむりやり増やしたふうで各戸が狭いらしいんだよね。1階部分なんか半地下状態になってるし。すっごいムリして戸数増やした感がむきだしなんだよ。でも土地代高いもんだから家賃安くできないみたいで「狭くて高い」を地でいくしかないらしくて、売りといえば土地柄のみ、みたいなすごくかわいそうなことになっていた。ちなみにモデルルームで根掘り葉掘りしてきた夫人が「エアコンがオプションなのよ!今時そんな新築マンションあるー?!」て噴き出してた。もうエアコンすら取り付けれないほどのギリギリかげんでつくったんですな…。そんなんなら最初からつくんなきゃいーじゃん!て思うけど、まあなんかしらんが買っちゃってから難しい土地つかんじゃったのに気づいて、どうかしてつくるほかなかったんだろうな。大枚はたいて通行人から覗かれやすい日陰の部屋なんて買いたくないよねえ…。ドブにつっこむも同然じゃんか。由緒オンリーであのマンションに大枚はたいて入居する向きがいるのかどうか。おそらく売れ残ってる最悪の部屋(暗い・狭い・高い)は今後ずうっと空いてるんじゃなかろうか。つーわけでそのマンションを見かけるたんびにいつも哀れみの目で眺めています。低層の新築マンションでよさげなとこといえば神楽坂の某神社前の(あすこは坂がなぁ…)と、あとこれからできるやつでは駒込あたりのがあるけど、どっちも空くことはないのが確定したような物件ですよねーと夫人と共にうなづき合った。そもそも夫人が買いたいと思う新築マンションに求める条件てのが「戸数60以上の低層マンション(+販売第1期に間に合わないと絶対売り切れてるレベルの屋内への厳密な希望アリ)」なうえ会社まで歩ける範囲内、てんだからちょっと色々ムリなんだよ。そういえばマンションがらみでチラッと聞いたお国柄の話がちょっと面白かったな。日本人てのは日当りを重視するから南向きの部屋を尊ぶけど、欧米のヒトは家具を傷ませたくないから北向きの部屋を好むんだって。本当かねえ。ちなみに会長が住んでたマンションも築年数はけっこういってたものの高級な部類だったのかな。そこはボイラー暖房がマンション全体に行き渡ってるとかで、真冬にいってもやたらにあったかかったなー。でも夫人の話では家具がやたらに傷んでたそう。そりゃ蒸気を家具に長時間あててたら傷むに決まってますわね。そういうの気にならなければあすこはお年寄りの体にはすごくやさしいマンションな気がする。新築マンションといえばさ…チャリであちこち行ってるとマンション建設中のとこがやたら多くてエーとなる。マンション建設て、山つぶして持ってきた土を土台にしてつくってたりすんでしょ。どんだけ山つぶしてんだ…て暗澹たる気持ちになるよ…。たまにいく小日向神社(あすこスサノオさんちゃんといますよ)脇もすごいのができるみたいだけど、山つぶしたこと考えるとなんかだいじょぶなのかって思わずにいれん…。山つぶしまくったら川から砂が流れてこなくなって海辺の砂浜が消滅してるらしいけど、それだってぜんぜん歯止めかかってないだろ。山っていちど潰したらもうつくりだせないよね…?自然壊していいわけがないんだけどそうもいっていられない、あたりのせめぎあいに耐えられなくなりそうな件とか今ふつうに進行中ですよ。経済成長しつづけるのって、結局元手を抑えるために遠く離れたとこからどうかしてくる、て方法しかなくて、それを続けてるうちに端っこから崩壊してかなきゃいいけどな…とか思わずにいれんよ。かつて滅亡した文明のこととか見ながら「自分で自分の首しめるようなマネ止めればよかったのに。バカだねえ」て思うかもしらんけど、その進行中にいる人間からすると「どうにもできない」状況なんすよ。そこらへんを権力者が危機感を持って視たうえで行動として現せるかどうか、てのが永らえるor滅びるの分かれ目になってくんでしょうな。
建築ネタついでに地場がらみの霊関連話でよく出るエネルギーを整えるには掃除が不可欠な件てのは「とっちらかってると理論構築もそうなっちゃう」てのと同じでごく当たり前のことだと思うんだけど、霊方面から語られると聞く耳もてない向きが多いのかしらね。要するに場について「気を使ってるかどうか」がすごく大事なんであって、そういう場が増えると安定感が増してくんすよ。神社仏閣でそのテの「場の安定」を祈願する際「(祈る人間の)バランスが良くなければ意味がない」て表現がよくトランブレーさんとこに出てんだが、アレは要するに祈願する側のバランスが偏ってると「祈る人間が良しとするモノにしか庇護がいかない」から結果的に一部分にしか安定が行き渡らないよ、て意味なんだろうなーと勝手に思ってる。「精神のブレなさ」と「どれだけ内包できるか」てのが霊力に直結してるふうなんだよ。「精神荒れてる人が多いと災害が多くなる」て霊の人がいうとそんなわけねーだろ!て思うヒトがわりにいそうだけど、いろいろブレやすくなっちゃって、その結果として抑えられるはずだったもんもよりヒドくなりがちんなっちゃう、て話なんだと思う。災害おきるたんびに犯罪に走る人はブレまくってる代表みたいなもん。精神―霊―現実が直結してる、てのはそういうアレ。荒れた場が多いほど不安定になってくんだよ。でも個性の豊かさをマジに許容するとなると荒くれがハバきかせだすしなあ。それの発散のために祭があんのかな。テキ屋運営くらいはゆるしてあげてもいいんじゃないかなとも思う。バランスのよさが徹底されてれば多少の荒くれといえど対処はふつうにできるレベルで抑えられるようになる気もするし。バランスがいい状態てのはどんなもんかというと中道と空を併せ持ってる状態のことなんじゃないかと思う。空は容れ物で、中道はどんな状況下でもブレずに対応できる柔軟性てのかな。自分を空っぽにして相手がどうであるか見つめることができる状態が「空」であって、自分が自分がの人にはできないんだよ。自分しか見えてない人に掛け値無しの相手の姿なんてみえっこないの。このヒトみたいに自分の才能に酔って中道から外れてしまうと「器」にはなれなくなってしまうんだよ。自分が四角い器ならば入ってきた水も四角くなるし、丸い器なら水は丸くなるんだけど、その器に形がなければ入ってきた水もなんの形にもならないわけよ。そこではじめて水の本質に向き合うことができるのよ。器でありながら何の形にもなってない状態つーのかな。そこで妙な執着だとかこだわりがあると、そのフィルターを通してしか水を理解することができなくなって、本質を見落としがちになってしまうんじゃなかろうか。外部の何者にも影響されることのないブレなさと、ありのままを視る無限の柔軟性を保つ、ていうのが常に一定量のまま在りつづける状態でないとこなせない仕事というかね。自分を保ちつつ自分を捨ててる状態というのかな(ちなみに出雲あたりのことは古代霊を加門さんに取り憑かせてじゃんじゃん調べあげたらいいと思う。ところで孤高世界てのはのことなんだろうか)。この人(これがマジだとすると物凄いちからだな)が言ってたというバランスを崩したてのは、要するに仕事中毒になりすぎて単純に体こわした、てことなの?同じ職業のこのヒトは治しちゃったクチらしいけど。霊能業界でバランスのよさの重要性を唱えるヒトがちょっと前まであんましいなかった、てことなんだろうか。そういえば現世利益至上としてるお寺にはそれを求める参拝者がわりにいるみたいだけど、「金ほしい」「地位ほしい」て漠然とした願望には狂うスイッチである「面倒くさい」が根っこにあって、その面倒くさいから派生した願望がマジに叶っちゃうと当人には御する気がまったくないから叶った状況によって食い潰されてくんだよなー。その食い潰されてく人と同じ心理の輩が凄腕のヒーラーA氏に群がってた客と同じ連中なんじゃないかなとちょっと思う。そのテの人に群がられてどうにもできなかったA氏てのも、相手に丸投げして済まそうとするような連中を集めちゃうようなユルさ(=良くいえば「優しさ」)があって、それを自分でどうもできなかったクチなんだろうね。相手の迷惑すら考えられない連中に対して優しさなんて持つ必要ねーのにな。同じ穴のむじあなというよか、弱点に群がられちゃった感。キモい奴とは距離を置くべきといえばこのテのいきなり馴れ馴れしくしてくるアホンダラは前の職場の接客時にけっこう遭遇したな。同業にもいたし(勤めてる頃の合同イベントで帳場にいた時に某同業の人が昼飯誰と食うの?とか聞いてきて、わしその人キモくて嫌いだったんで昼になると同時に姿くらまして、たらふく食ってから戻ってきたらその人が罵声浴びせてきてさ。うわやっぱり最悪な奴だ…てのを再確認したって話なんですけど、その人て長年にわたって格闘技やってるらしくて、その件以来武術に於ける基本思想にいつまでやっても辿り着く事のできない乱暴者止まりが格闘技業界にはひしめいているのかなーと思って吐き気を催しました)。しかし最近ではけっこうなクソ野郎に出くわしても人間全員がもとは神仏な件を思い出すようにしていますので「神さまバランス崩しちゃってんだな…」と多少はゆるせる気持ちになってくるような気もする。自分がイラつくことから自分がわかる件からすると、おいらが避けた乱暴者的な側面がおいらの中にもまたあるってことなのやもしれませんが(神経毒による人格変貌てなんとなく大山さんがよぎるな…)。貴方が嫌う者から、学ぶ事ですてカンタンにいうけどムズいよ。常に冷徹に批評しつつ拒否しない、て態度を貫くことが必須ですし。なにしろ近しいヒトが次々離れてくようなことが起きた場合、自分のほうに問題がある可能性がすっごく高いのでそこに向き合わんかぎり状況はいつまでたっても改善されないと思いますよ。ただそれを指摘されても逆上して指摘してくれた人を遠ざけてしまうかもしらんが…。心ある者を遠ざけてキモいもんに成り下がってるといえばここここは同じ寺なんすかね。キモいもんしか寄りつかないような場に成り下がってるて誰か言ってやったらいいんじゃなかろうか。昔から伝わってるもんに仕えるて原則を解していない、てのはつまり「そんなもんいるわけねー」「商売で儲けるほうが大事」て思ってるてことなんだろな。寺社仏閣の管理者が銭ゲバに陥る原因てのも突き詰めれば生育環境が根にあるのやもしらんが。基本的になんの業界でもいろんなのをみるホドに「軽んじる」方向にはなりづらくなるはずなんだがな…。クオリティ高いもんほど大切にされるし。テレ東の鑑定団で数百万の価値があると思い込んで意気揚々と持ち込んだもんに千円鑑定下される爺ちゃん婆ちゃん(言動がなんか下品な向きが多め)がいるけど、そのテのヒトて作品(ていう意識すら持った事なさげ)に対して本来的に持つはずの「形状の美しさ」や「完成度が心に刺さるどうか」て視点がゴッソリ抜け落ちてて、だからこそ本物と偽物のクオリティの違いを比べながら学んでくふうな観点すら持つことができんでいるんですよね。ただただ「トクするかどうか」しか考えてないみたいなんだよ。「数万円の元手で数百万円のもんを引き当てた」的ファンタジーに浸りたい願望しか持ってないとゆうのかな。国宝レベルの美術作品をつくった作家が自分の作家人生のすべてを叩き込んでつくりあげた孤高さとはもう対極の銭ゲバ精神しかないっつーかね。作品がどうかじゃなくて、それによってトクして浮かれてる自分の姿ばっかり追い求めてるというか。その銭ゲバ精神ファンタジーをどう刺激したらいいのかをよく心得ているのがある種の骨董商の(おそらく特定の店舗なんかは持ってない)方々で、まあどっかしらんところでそのテの銭ゲバ相手にうまいこと儲けているのだろうなあ。過ぎた欲が害悪化するありさま勝利を執拗に求める心理易々と道徳を踏みにじるのに似ておそろしいもんだよ。経済成長をなんの疑問もなく旗印にしてるといつのまにか自分が悪霊と化してるかもしらんぜ。ヒトにしろ霊にしろバランスくずすと黒ずんじゃうどころかそういうのはほっとくと人ですらなくなるだとか、成仏させないようにしてるいろんなモノがくっついてひどいことになっちゃったり、思い込みがキツすぎるとだれもより付けない場所と化してしまうなんてこともあるらしいので、バランス保つってのはいろんな面でものすごく重要みたいですよ。バランスを整えるといえばさーなんか…怨霊と呼ばれてたヒトの生まれ変わりさんだけじゃなく、どうやら神仏の生まれ変わりさんもけっこう今いるみたいで(これができる霊能者がわりにいるので)、そのヒトたちはほぼ全員が毎度のごとく他人の世話(人生相談から冠婚葬祭まで)に従事してて偉いんだが、もしかして気質を整えてから守護膜はるの流れをはじめる前の仕込みとしてこれとかこのテのもんの後始末をいっせいにやるために生まれなきゃならんかったクチなのかなーとニラんでる。同時に生まれるにはちょっと多すぎるくらいそのテのヒトビトが生まれてるかんじなのよ。それはどうしてか、て考えるとそこらへんのことしか思い浮かばん。霊の世話係さんたちのお仕事である浄霊てのはつまるところ「納得いってない人」を納得さすとこまで辿り着かすてことだよな。納得いかんから成仏しないでいるんであって。霊といえど頭ごなしに消滅させてると収容所で殺人くりかえしてるのと同じく冷血になってったりすんだろうか。早良親王の言う本当の闇に近しいナニかになってくように。軽めの闇属性であるこれとかこれみたいなウネウネは疫病の根とかなんですね。ニオイの大元からすると蛆だとかヒル的なもんなのかな。おいらが夢でみた焦げ茶の甲冑まとった奴が振り向きもせずに伸ばしてきた触手はこんな細切れじゃないんですよ。ながーいの。しかもすごい速さだった。うしろの人が助けてくれなきゃヤバかったよ。しかも甲冑の奴は神仏並に冷静なかんじだったな。リンク先の2人みたいなつまらん小物じゃなくて、たったひとりで疫病を蔓延させられるみたいなレベルの奴なふうだった。や、雰囲気だけなんだけど。ほんとうは爽やかな奴なんじゃないだろうか。甘っちょろい依存気質なんてみじんもかんじられない雰囲気だったし。ひとり軍隊てのがいるとすればあいつもそれに入るふう。そういう意味でなんらか…バランスの良さを保ってはいるみたいなんだけど、でもあの疫病の触手を操るようになったのはどうしてなんだろう。あれ程のがあんなんなってるてのは。よくわからん。疫病触手じゃないけど否定的な感情抱くと自動的に相手を攻撃しちゃうので否定的な感情自体抱かないほうがいいてなるとキツい批評とかぜんぜんできないじゃないスか。そういうの避けるようになると分析がされなくなってよけいに悪循環になる気もするが。 霊やについて科学で実証してやろうって科学者はいまだに出ないのかねえ。霊を科学で証明するとなると思考を物体化するくらい困難なんだろうな。「考えてること」が文字で出てきちゃう、的な機械がつくれれば霊もしぜんと証明される気がする。いまだに霊だの気だのってなると色物視しかされねー遅れた状態だからいつ達成されるのかは見当つかんけども。これをすごくわかりやすい形で証明できたらノーベル賞もんだと思うがなー。詐欺師あつかいされんのが怖くてできないんだろな。脳みそのフェチ化する部分とか考えるだに意外と単純そうにも思えるけど。なにしろ不可能て断じちゃうと誰も考えようとしなくなっちゃうので、いつかできるかもねー程度にてきとうに放置しとけばいいんでしょうな。しかしいろんな霊がそこらじゅうにいるてのはこういう状態と見なしていいってことだろうか。各地で目撃談のあるちいさいおっさんてのはおそらくこういうもんのことなんだろな。ところでこの前ノンストップ!でムーのこと取り上げた際に、月面着陸したときの船長が言ってたとゆう「月にデカい赤ん坊がー!」てのはもしかして コレとかコレのことですかね。月にもいるのか。霊や気と同じく解明されきってないもんとして寝てるときにみる夢があるけど、たとえ霊世話業者がこういう技術に長けてるとしても夢はそうはいかないのよ。夢にだすブツの象徴ぜんぶわかったうえで前記のをやんならアレだけど。夢みさす人に何が欠けてるのかとか、方向性をそこはかとなく自覚さすのが目的な場合が多いから、生きてる人間が安易にいじくれないようになってんだよ。夢判別といえば明治天皇の奥さんの夢の件はでっちあげかリアルかわからんな。霊のヒト調べられないだろうか。彼女がマジにみたのかどうか。松吉さんがひきとった子の親も含めて。そういえば神仏は起きてるときには最初のコマの状態で見えるけど、夢ではちゃんと人間になって出てくるよ。どの神仏もスゲーふつうの人のかんじ。特別美男美女てことはない。そんなんで出られるとエェ…てなるし。キレーすぎるとなんだか安心できないんだよな。ナニが目的でそんなナリなの?て構えてしまう。構えてしまうといえばなんか…千躰荒神さんとこに島原の件で文句言いに行った人がいるみたいで、千躰さん悲しそうにしてたじゃないのよ。神仏は基本的に人間に関わりたいと思ってるけど、あくまで人間側からなんらかお願いされたときしか動かない(=人間の意志を最大限尊重してる)もんだから、戦がらみの場合なんかは対立する2者のうち「勝った場合に心入れ替えたり平和な社会つくったりするほう」(あの当時なら徳川方か)に肩入れしたってだけなんだよ。それについて「ゆるし」を良しとするクリスちゃんが怒りをぶつけにいくって、お門違いもいいとこなんじゃないのか。たとえ神仏が肩入れしたとしてもそれはすべて「人の意志ありき」のことなんだよ。昨日かいた日記で出したいちばん最後の画像の天使さんが「次はどういうもんに生まれますか?」て聞いてるけど、人間はこの世で何をしてもいいってのはそれなんよね。神仏てのは辿り着くべき点は知ってはいるけど、あくまで人間の意志でそこまで辿り着かそうとしてんだと思うよ。どっちがどんだけ悪い論てのはさ、太子側でみると蘇我が悪役だけど、天智と天武よんでると蘇我側がイイやつにみえるし、なんだかイメージなんてけっこういい加減なもんというかね。自分にとっての「快・不快」構図を善悪と思い込んでるだけに過ぎないかんじがするがなあ。いかな権力者も文書や芸術でしか後世に残れないあたりからして、結局創作物の自由を重んじる体制でいさえすればそこらへんの妙な思い込みに左右されづらくなるんじゃないのかなとも思ってるけど。藤原さんは大陸系なのに神道敬ってたてのは面白いな(あ…スサノオさんが大陸系だからなの?)。藤原さんがらみの談山神社には摩陀羅さんが祀られてるしね(秘仏の如意輪さんもいるよ。ここらへんからしてもやたら男根主義な場所だなー)。その門の屋根の内部にも摩陀羅さんが祀られてたりしてな。どうも境い目に狂言回し役の乱暴者(と書いてスサノオと読む)を置いとく風潮が大昔にはあったくさいですね。もとは重しだった(てことはそれを結界利用したらどうかと考えたヒトがいたってことなのかしら)もんがいつのまにか霊的ブツに変貌してたり神社における仏教要素と化したりしてるわけだが、どうもそこらへんの移り変わりが風化しかかってるくさいのが残念なところ。昨今は結界的なもんを設けずにやたらめったら汚れをなくしてまわる風潮ではありますけども。除菌煽りがフツーに巷で受け入れられてるってことはつまりこういう過去世もつヒトが今大量にいるとか?尚、過去世にしても思い込みさえ捨てれば怖いことなんてないし、自分のなかの相反するもんを統合できずにいるヒトはよけいな抱えもんが多すぎるとのことです。ちなみにこのヒトは異種間での生まれ変わりはみたことないと書いてるけどここんちのコはフツーにあるとゆっております。そうそう、なんか…ドーブツ関連でひどいことが起きるたんびに馬頭観音さんがきておいらの左足に入り込んで悲しそうにしてるんだが(話きいてあげようにも詳細教えてくれんから慰めようがねーのよ…)、ちょっとドーブツ関連に携わってるヒトは馬頭観音さんとこに1回だけでもいいからお参りしとくといいよ。神仏のほうと人とでつながりができてくと、妙なことが起きたときに対処しやすくなるみたい。よくわからんのだが。今の日本で動物を飼うに際して「ペットが病気になったりトシくって動けなくなっても飼いはじめたときと同じ愛情をもって世話することができるか」て考えさすようなアレがぜんぜんないのがそもそもな…。「可愛くないと世話しない」てのがどんだけ冷酷か自覚してないだろ。