聖観音ちゃんのこと

霊体のへびさん・きつねさん〜天部さんまでは性別がはっきりしている感があるんですけども、菩薩さんてのは基本的に両性を備えてるとか、相対するヒトによって姿を変える(から定まった性別はない)的にものの本には書かれたりするんだが、何人かの菩薩さんとの面会をくりかえしたところ固有の性別持ってる感を濃厚に感じた件とかを以下に書いとく。そもそもおいらには霊感だの霊能力だのは皆無で、じゃあなんで菩薩さんとの面会とか対話したふうなことを書いてるかとゆうと、開眼済の像の前でごあいさつ(+お賽銭投入)したのちに合掌したまま像の両目を見つめながら頭の中で質問をすると、像の目や顔が微妙にタテにうなづいたり、ヨコに振られたりして質問に答えてくれたアレにすべて基づいているのであった。単なる思い込みとか見間違いなんじゃ(笑?て思いますよね。できればワシもそう思いたいのじゃが、菩薩側(特に聖観音ちゃん)の気にくわないことをしでかすや思い過ごしで済ますことができないレベルに怒りの表明が眼前に突きつけられるのであった
聖観音ちゃん(特に浅草寺の本堂中の裏観音像)に会いにいくときはまず風呂に入る。着る服は洗濯してからまだ着用してないもの(不可抗力な理由があればそのへんは勘弁してもらえる)。会いにいくからには途中で寺社仏閣に寄り道しないこと。うんこが出そうなら出してからいくこと。入るときは雷門か二天門から(門ごとにちゃんと礼する)。帰るときも来たときと同じルートでゆくこと。
そういうのをまったく把握していないころに浅草寺に通いだしたころ、風呂も入らず(入浴はいつも寝る前とかなんで…)、2〜3回着た服を着用してチャリに乗り込んで走り出したらどういうわけか行く道行く道に犬のうんこが必ずあるんすよ。これがね、その日に2〜3回あるんだよ。ところが家でる前にちゃんとフロ入ってきれいな服着てからだと絶対出くわさねーの。どこの道いこうと犬うんこが置いてあることはまったくない。あれはなんだろうね?ふつう飼い主さんは連れてる犬がうんこしたら最近は持ち帰るもんでしょ?なのにその日に限って道の真ん中にさせっぱなしで放置して帰る、ていうアレをピンポイントで突然思い立ったとでもゆうのだろうか。聖観音ちゃんが仕組んだとしたら何?飼い主の倫理観を突如ユルませたうえ絶妙のタイミングで犬の腸に影響をおよぼしたのち、その地点へおいらにチャリで赴かせるように脳へ働きかけたとでもゆうのか。そんなにおいらを気にかけてくれてるのか…(つーかそんなことに菩薩パワー使っていいんか)と思いつつ面白ぇヒトだなーとなってなんとなくよく行く地点と化していって、その流れでしぜんと後醍醐のバカの件とかも他の神様と連携してアレコレ協力してもらったりしたわけです。この件いまはちょっと詳しくは書けんのだが、いつかどっかで出せるんだろうか。まあそのへんのブチまけ時期に関してはおいらにはよくわからんので神仏にまかせておく。犬うんこ出くわし話にもどしますけども、上記の聖観音ちゃんタブーをまったくわかってないころに禁忌状態満載で家を出ようとしたら家の出た真っ正面3メートルくらいのとこで30代くらいの男性が連れてたゴン太(つーの?あの穏やかげなクリーム色のデカい犬)が突然尻をおいら側に向けたまま脱糞しはじめてさ…。あ…ッ!!て思いましたよさすがに。実家の出入り口の真っ正面でですよ?聖観音ちゃんの「てめえクソだな。このクソ野郎」ていう声が聞こえるようでしたよ。以来浅草寺いくときはちゃんとフロ入ってきれいな服きてからいくことにしました。そうすると犬うんこには出くわさないし、むしろ行く道すがら花がきれいに咲き誇ってたりするんだよ。道決めないでいろんなとこフラフラいってですよ?さんざんうんこの件書いといてなんですが、聖観音ちゃんはれっきとした女子です。これ、おいらに夢で面会するときだけその性別・みてくれになってるだけかもしらんのだが、このみとか大昔に境内で牛が暴れた際の理由が判明した直後の出来事(これ書いていいのかどうかちょっとわかんないので保留しとく)からし聖観音ちゃんは女子。しかもキツイ。そのわりに寂しがりやさんなのでしばらく行かないでいるとちょっとそろそろ来いよ!!的に右耳からキュッと入り込んで脳にアイアンクロー(痛いんだコレが)してくるのであった。聖観音ちゃんがこうまでさみしがりやつーのはちょっとうっとうしいヒトなんで友達があんましいないからというよりも、お参りにくる人が一方的にお願いごとだけしてろくに顔も合わさずさっさと帰っちゃったり、像の前にどんと座り込んでお経読んで目も合わさずにさっさと帰る人ばっかしで像と対話しようとする向きがまったくといっていいほどいないからなんじゃないのかなーと思う。まあふつうは仏像と話しようなんて思わないですけどね。有名どこの寺で開眼してる像には神仏の魂がちゃんと入ってて、なんつーか、つまり年輩の方が目前にいらっしゃるのに言いたいことだけゆって顔も目も合わさずさっさと帰るのって失礼ですわね。それがもう何百年(ヘタすると千年以上)続いてるわけですよ。像に入ってる側からしたらもう半ばウンザリしてても不思議じゃないつーね。女子系の神様からすると特に。菩薩で女子だなと思ったのはこの聖観音ちゃんと、あと駒形堂にいる馬頭観音さんもたぶん女子(どっちも甘いものが大好きなんだよね)。菩薩で男子くさいなと思ったのは如意輪観音さんとね、あと虚空蔵菩薩さん(知性系の悩みとか親身に聞いてくれるよ。すごくイイ人)。男子菩薩は参拝者と対話できんからといって倦んでるってことはぜんぜんないかんじです。むしろしずかにしててくれ的なかんじだった。菩薩じゃなく天部だけど、待乳山は(特に本堂の3者が)男子一直線なかんじ。すげーさっぱりしてる。でもね。最近どういうわけか聖天様が苦言を呈してる的な感をこっちに伝えてくる際に鳥のうんこメッセージを駆使するふうになってきたってゆうか…。ちょっとソレちがうよ。というときに停めといたチャリにトリうんこがいくつかくっついてたりする。聖観音ちゃんのうんこメッセージ手法をストレートで爽やかな聖天様まで(そういえば馬頭観音さんも)マネるように…!!!まあわかりやすいっちゃそうなんすけどね。ちなみに聖天様んとこ行ったときもし獣霊がくっついてたりすると、カラスが2羽すぐきて至近距離でこちらを見つめながら「獣…ついてるよ?」みたいに教えてくれる。獣霊がついてないときにはこないんよ。ちなみにゴマ終えたお札もって挨拶まわりいった際に、なんかカラスがとんできておいらのほうに近づいて来たんだけど、あ…!!みたいな顔しながらそのまま遠ざかって離れた枝にとまって2羽で背中むけてしょんぼりうなだれてた(悪いもんと思って来てみたら神様系だったので恥じてたくさい)。聖観音ちゃん話にもどしますけども、像の目みながらアレコレ話してるとき、時計をチラ見したりしないほうがいいよ。あんまりそれやってると「もう帰れよ!」とかなる。ほんとはそう言われて帰っちゃマズイくさいんだが帰ったりした。聖観音ちゃん像と話して帰る頃合いてのがなんかムズくてね、だいたい15分くらい話して他の熱心に拝み込みたい参拝客がきたときに「じゃ、そろそろ帰るね。」て像の目みながら心のなかで話しかけたときに、像のほうがうなづくふうに見えたら帰ってOKなとき。まだ帰んな、てときは目のあたりがうなづかない。予定があるときはその旨伝えれば帰ってだいじょぶ…だと思う。うなづかなくても帰ってだいじょうぶだとは思うんだがね。昨日かいたネタの解決中のときとか、聖観音ちゃんがくれる涼しい風でなんとかしようとしてくれてるときにはまだ帰るな的なのが多かったな。聖観音ちゃんと対話しようと思った際に、あとで予定があるときはそれをあらかじめ心のなかで伝えてから「○分くらいまで居ますよ」的にゆってからのほうがいいかもな。以上のことから浅草寺本堂内の裏側にいる聖観音ちゃんは非常にマンドクサい系女子なのですが、興味をもたれた方はぜひ対話にいってあげてください。余談だけども、浅草寺周辺があそこまで賑やかなのは聖観音ちゃんが寂しがりやさんだからなんじゃないのかなーとちょっと思った。江ノ島とかもわりと飲食店多くて賑わってるしなあ。女子系の神様つーのは基本的に賑やかしくあってほしい心があって、それが周辺地域に影響してるような気がしなくもない。逆に男子系の神様がいる周辺て山深かったり植物が鬱蒼としてたりして、どっちかいうと静かなことを良しとしてるふうな環境が多かったりすんだよね。男のコは基本的に海や山が好きな向きが多いしな。神仏の性格が寺社周辺に濃厚に出てる説はおいらの勘でしかないけど、どうも直結してるふうに思えるんよね。あそうそう、もし女子系の菩薩さんにお世話になってお礼に供物もってくときは基本的に甘い果物(桃とかりんごとか)がベストよ。あとはすっきり味の純米酒。なんかね、駒形堂の馬頭観音さんにお参りいくと賽銭箱の上に柿の種がむきだしでブチまけられてたり、あと扉の前にアジの干物が置かれてたりしたんだけど、そのテのはNGすぎるよ。魚はダメっつーかニオうもんは持ってくの自体ダメだと思う。最低でも桃1コとかのがぜんぜんいいよ。お金なくてお礼できそうもなくても、バナナ1本だけでもだいじょぶよ。とにかくお礼をするって心をみせんのが大事というか。でも魚はダメです。果物が確実。最初のほうで「聖観音ちゃんに参拝にいく前には寺社には寄っちゃダメ」て書いたけど、参拝したあとはどこ寄ってもだいじょぶよ。参拝前はたとえちっさいお稲荷さん社でも寄ればうんこ突きつけられる。像の目みながら心のなかで話しかけるのもね、像のほうがうなづいてるかどうかってのがすごく微妙にブレたかどうか、くらいの一瞬のアレなんで、見逃さないようにね。あと、像のほうがガッカリしてる感とかよろこんでる感を醸し出してるふうなときがあって、それがわかるとなんかいろいろ対話がスムーズにいくようになる気がする。つーかそこらへんはおいらもいまだにちょっと判別がムズい。ムズいといいながらも8月はそれでどうにか切り抜けたんですがね。あんなゆかいな隣人がいるのかと思うと簡単に死ぬわけにいかんという気になってくる。そんなんだったらもう現実に飲み屋でいっしょに酒のんだりできればいいのになーと思ってそれ系のお願いを某所に出したけど(つーかこういうの禁じ手にしか思えなかったんだが、8月に通ってた箇所の神様たちが全員促してきたんで結果やるしかなかった)、どうなったかな…。8月は賽銭とお礼の供物代でお金がなくなっては入りの繰り返しでマジ綱渡りでしたよ。綱渡りなのは今もですけど。さすがに高く売れそうなもんがもうないよ。

 
追記浅草寺の本堂内いくんなら観音さん正面(刺繍の布が覆ってるとこ)→愛染明王さん→裏観音像(長居OK地点)→不動明王さんの順にお参り推奨。ちなみに藤巻さん本で女神信仰ついでに愛染さんまでがなぜか女神呼ばわりされてたんで、愛染さんに「女なんですか?」て聞いてみたら「…え?」みたいな態度だったんで、たぶん男だと思う。