ジョンソンさんはやはり南部なまりだったのかな

LBJ ケネディの意思を継いだ男(シネマカリテ)→ライ麦畑で出会ったら(武蔵野館)とみまして、LBJケネディ大統領が通そうとしていた公民権法(人種差別しちゃならん)案を、ケネディさんが暗殺された後に成立させたリンドン・B・ジョンソンさんが大統領になるまでを描いた話。ジョンソンさんは南部(人種差別が根強い地域)出身だったこともあってか、もとは公民権法に反対の立場だったらしいんですけど、家で雇ってる黒人のメイドさんの話(旅先でトイレに行きたくても貸してもらえない等)を聞いているうちにだんだん考えが変わってきたっぽい。んで副大統領の立場で公民権法案に賛成の立場を表明してくんですけど、恩師的な存在の人からはそんなのやめろと言われるし、副大統領には議会ではあんまし影響力がないからつって公民権法案成立を諦めさせようとする人が続出したりと前途多難なかんじなんですが、飛行機製造会社やなんかの大企業のお偉いさんを説得して黒人さんを雇い入れるようにさせたり等の地道な活動が徐々に実を結んでゆく。こうしてジョンソンさんは公民権法案成立のために努力してるんですが、ケネディさんの弟(だっけ)にはなぜか嫌われてるらしくて、説得してもどうもいい顔をしてくれない。ジョンソンさんはケネディさんにくらべるとちょっと下品というか、大統領予備選挙ケネディさんと競っていた)中に部下の人が48%前後の票がとれました!て報告しにくると、お前なあ、ちんこを机に置いたとして、どれくらい切られるかって時に何%「前後」じゃあ不安でしょうがないだろう!前後じゃなくて正確な数字を調べてこい!とかどやしつけたり、トイレのドア開けたままうんこしつつ部下の人たちと話してたり、腹がでてるから今のままのサイズじゃあタマとケツの穴がキツいんだよ!て部下の人たちがいる前でズボン店の人に電話したりと下半身ネタをふつうに語るので、そういうのがニガテな人には嫌われるやもしらん。それでもなにか事が起きるとなると迅速に部下の人たちに指示を出し続けるので、リーダーとしての素質は十二分に持っているっぽかった。そんでケネディさんを前に据えたオープンカーでの遊説中にケネディさんが頭を撃たれて(映画中ではケネディさん役の人の額に撃たれた穴が丸くきれいに映ってたけど、実際の映像では1発でもっとダメージが大きいかんじだったよね)、うしろでついてきてたジョンソンさんはSPの咄嗟の判断で後部座席に伏せたままケネディさんの入った病院にいくんですが(最初はケネディさんは重症だと報告されるんですけど、実際には車上で頭部がほぼ木っ端みじんになってたから重症もクソもなく即死だよね)、ケネディさんはまま死んでしまって、早めに国民を安心させたほうがよかろうということでジョンソンさんが大統領として立つことに。大統領になるための宣誓もワシントンに向かう飛行機中で取り急ぎ行う。んで大統領としての演説ではケネディさんの意思を継いで公民権法を成立させることを名言するー。てのが大筋。こうして人種差別撤廃のための公民権法が成立するんですが、棚ぼた的に大統領になったとはいえ大事な仕事をしたというのに世界ではあまり知られていないというのはなんだかな。ジョンソンさんの名前の頭文字を冠したタイトルはケネディさんの愛称であるJFKに比肩してるよという意味でつけられたのかな。よいタイトル。

ライ麦畑は自分が演じた演劇がうまくいかず、学生生活でもバカにされてうまく立ち行かずにいる主人公が、自分の好きな小説「ライ麦畑でつかまえて」を演劇にする許可を得るために作者のサリンジャーを探しにゆく話。学校では寮生活なんですが、いじめの対象にされて寝てるときに爆竹投げ込まれたり、愛用のタイプライターを壊されたりするので嫌気がさしてトランク1つで逃げ出してしまう。その前に憧れてる金髪女子に会おうとその女子のいる学校に寄るんですけど、女子にはもう彼氏がいるっぽくて近づけず、かわりに黒髪女子が近づいてきて同行することに。そんでサリンジャー探しがはじまるわけですが、数年前の雑誌のサリンジャー特集記事に出てるなんとかいう地域をぐるぐる探しまわる。その途中で黒髪女子とイイ仲になりかけて、キスだけは何度もするものの肝心のセックスまではどうもいかない(勃たなかった?)。最終的にサリンジャーさんには会えるんですけど、演劇にすると原作と解釈が違ってしまうからとかなんとかゆって全然OKしてもらえない。ガックリした主人公はひとりで兄貴のいるとこへ行こうとするんですけど、いぶかしんだ黒髪女子が主人公の母親に電話で問い合わせたところ、兄貴は死んでることが判明。いろいろあってもといたところに帰ることに。主人公ももといた学校に戻ったら、サリンジャーに会いに行ったことを知った教師からライ麦畑を演劇にするように求められる(骨があるやつだと思われたのかな)。いろいろふっきれた主人公は、自分は演じずに主役を他にゆずり、脚本だけを担当するふうにするとー。てのが大筋。この映画は1960年代が舞台なんですが(乗ってる車がやけに古い)、LBJも同じ年代の話だし、このハシゴをしたことがなんか合ってたかなと思った。