どんな人の心にも潜む苦しみや孤独に気づきなさい

バハールの涙(シネスイッチ)→ライ麦畑の反逆児(シャンテ)→ミスターガラス(TOHOシネマズ日比谷)→暁に祈れ(ヒューマントラストシネマ有楽町)とみまして、暁に祈れはタイで覚醒剤かなんかの運び屋(か?尻穴からいろいろ出してた)件中毒者生活を送ってる白人のビリーさんが、ある日突然ガサ入れにあって刑務所にブチ込まれてしまう話。この刑務所が人員超過すぎて寝るときは本当にすし詰め状態だし、ちょっと可愛い(?)と強姦の対象になるし、禁止だつってんのになぜかほぼ全員頭のてっぺんから足首まで刺青入ってるし、しょっちゅうケンカ起きるし(タイ語での激しい言い合いが何度もあるんですけど、字幕がほとんど出ないのでタイ語のわからないビリーさんの状況とほぼ同等の心境を味わえる)、飲み水確保するのも困難だし、生きてくのが難しいほどに地獄なんですが、そんな中でキックボクシングの練習場を見つけたビリーさんがそこに通い出してからわずかに生きる気力を得ていく。ビリーさんはいちおうボクサーらしくて入所する時点で肉体のほうはわりと出来上がってるんですけど、中毒者生活を送ってた(おかまのおねえさんを言いくるめて得たタバコと引き換えに覚醒剤か?ヘロインか何かをしょっちゅう炙って吸っている)ツケであんまし腕っ節はよくなく、練習場にいたコーチ的なヒトからいろいろ教わってだんだん戦えるようになってゆく。最終的には他の刑務所のボクサーとの大きな試合に出ることになる(看守たちも観客としてみている)んですが、なにしろヤク中なことも手伝って体のなかの具合があんましよくないらしく、ボディーを打たれると血を吐いてしまうんですね。おまけにいつも雑魚寝してる部屋のボスみたいな奴から袖の下的なもんを要求されるもんで、試合で得るお金をわたす約束をせざるを得なくなって、勝つ以外に道がなくなってゆく。これチラシとかに「世界的なベストセラー自伝小説を完全映画化!」とかあるんで、実話なんですね。おまけに「役者の大半は現地タイ人の元囚人たちが起用されており」とか書いてあるんで、納得の臨場感が味わえます。あと最後にはご本人がちょっと出るんで、まだ生きてるんだなあとなんとなく安心します。

ミスターガラスは前作アンブレイカブルで大事故を起こして不死身&怪力の超人を見出したサミュエルLジャクソンと、彼に見出された超人のブルースウィリスと、多重人格の人の3名が同時に収監されてる精神病院から彼らがいかにして脱出するかを描いた映画。彼らを診る医師の女性は超人なんかいないんだと頭ごなしに否定しまくるんですけど、策士ジャクソンはある目的をもって脱出に向かう。この女性医師つーのがある団体の一員で、その団体は世の中の秩序を保つことを最優先してるがゆえに超人の存在が邪魔なんですね。超人たちの存在が世間に知られてしまった時に、さらに超人がでてきてしまうことを危惧している。それを踏まえたうえでジャクソンが動くわけです。つーか、本当に超人が邪魔なら暗殺者に殺ってもらったほうが早いのでは。一応銃は通じる体みたいだし。

ライ麦畑の反逆児は作家のサリンジャーさんが代表作を書き上げてから田舎にこもるまでを描いた話。なんか女好きで自分から手を出すわりに一緒に暮らし出すとうまくいかなくなる繰り返しなんですな。ひとりでいたいのか伴侶がほしいのか、どっちなのかよくわからん人だ。パンフに書いてあったんですけど、ジョンレノンを殺した人が読んでたとか、レーガンさん殺害未遂の人が所持してたとか、なんかこう鬱屈を抱えた人がよりどころにしてしまう魅力を持った作品なんですかね。映画では熱烈なファンらしき人を発見すると怯えて逃げてましたけど。よんでくれてありがとうくらいのこと言ってあげてもよかったんでは。そういうの言うとストーカー的な行動がエスカレートすんのかな。それと徴兵で激戦地に行ってからPTSD的な症状に悩まされて文を書けなくなった際、インド?方面の瞑想術で心を落ち着けてましたけど、その師がサリンジャーさんに「嫌なモノは取り除くのです」連発してて、それってただ逃げるだけになるんじゃないのかなあ。あとはじめてサリンジャーさんの小説が有名な雑誌に掲載される段で、出版社側が「これハッピーエンドにしないと殺す」的な注文つけてたとこがひどいなあと思った。それまでにない内容だと売れるかどうかわからんから従来どうりの型にはめようとすんのな。ライ麦畑が売れてからはもう自由だったみたいだけど。

バハールの涙はクルド人自治区で弁護士として暮らしてたバハールさんがいきなり押し掛けてきたISに夫を殺され息子を拉致られ、自身も拉致されたものの、そこから脱出して兵士として起つ話。チラシやパンフに『【女性に殺されたら天国へ行けない】と信じるイスラムの戦闘員は、彼女たちを恐れていた』て書いてあるんで、映画中でISのメンツが彼女たちに対して土下座して命乞いをするシーンでもあんのかなと思ってたんですけど、ISや男たちがその迷信的な言い伝えに怯えるシーンはいっさいないんで、本当に怯えてるのかどうかよくわからん。そのテのシーンがあったら痛快なんですけどね。とはいうものの、拉致されたバハールさんたちがお祈りの時間を利用して逃げ出すシーンは緊張感に満ちててよかったです。後で追ってきたISの男が「不信心な女たちを探してる」的なこと言いながらバハールさんらを追跡してるんですが、拉致・強姦・殺人を犯してることは不信心とはいわんのか。聖戦だからいいんだとか言い訳しそうだ。同行する片目のフランス人女性記者が「子供がいるから頑張れる」的なことを吐露した際、拉致られた息子を探すバハールさんと交流するところがちょっとよかった。

 

本日題はライ麦畑の反逆児パンフのp.16から抜粋したモノ。

そんなに苦労せんでももっと普通に降臨すると思うがなあ

私は、マリア・カラス(シャンテ)→未来を乗り換えた男(ヒューマントラストシネマ有楽町)→ヘレディタリー/継承(角川シネマ有楽町)とみまして、ヘレディタリーは悪魔の王が人間に降臨するまでの過程を丁寧に描いた話。なんかツイッタ評からこの映画怖い論が多かったんでもっと違うモノを想像してたんですが、結局アメリカは悪魔から離れられないんだなーとしみじみと。最初はある一家のおばあちゃんの葬式からはじまって、そのおばあちゃんに可愛がられていた孫娘の奇行っぽい行動(舌を鳴らす等)を追ってくうちにこの孫娘さんが事故で凄惨な死に方(首がちぎれてしまう)をして以来、この娘さんの母の精神状態がおかしくなっていく・・というか、このお母さんの精神状態がちょっと不安定な頃合いを見計らってかのように優しい言葉で近づいてくるおばさんがいて、結局このおばさんは死んだおばあちゃんの仲間だった人らしく、まんまと悪魔の王が降臨するにふさわしい状況に導かれてしまう。この間に娘さんの事故死の原因をつくりだした息子さんの身辺に奇妙な出来事が起こり出して・・という展開。おばあちゃんたちが降臨さそうとしてた悪魔の王というのがなんか人間の男じゃないと降臨しないらしく、息子さんがそのターゲットに狙われたわけですな。女はどういうわけかダメで、最終的にこの一家の女性全員(死体のおばあちゃん含む)が首が切られた状態で悪魔王にひれ伏すかんじになってゆく。孫娘さんが生きてた頃にしてた奇行のひとつに「窓にぶつかって死んだ鳩の首を切り落として持ち去る」場面があるんですけど、切り取った首はもしかして悪魔王への供物かなんかなんですかね。おばあちゃんもとっくに死んでるのに掘り起こされてわざわざ首切り落とされてるし。タイトルの「継承」てのはこの首切り落としの連鎖のことなんだろうか。悪魔王が降臨するまでの間、そのターゲットの息子さんのとこにはうっすら幽霊みたいなもんがでるし(暗がりではっきり見えないくらいの撮り方なのがうまい)、死んだ妹がよくしてた舌鳴らし音が聞こえてきたりとビクついて過ごすことに。その息子さんのお母さんはやけに優しいおばさんに言われるがまま降霊術を試したら事故死した娘さんらしき存在がきてアグレッシブにモノを動かしたりノートに絵を描いたりするんでさらに情緒不安定になって家庭内は崩壊状態に。この間唯一まとも(?)でいる旦那さんはいろいろ混乱してる奥さんの間違いで焼死してしまう。この焼死の原因は死んだ娘さんが霊体になってからラクガキしたノートを燃やしたせいなんですけど、このノートを最初奥さんが燃やそうとしたときには奥さんの服に火がついたんですが、2回目に燃やそうとしたときにはどういうわけか旦那さんが燃えてしまうんですよね。邪魔者認識をされたせいなんだろうか。ぜんたい効果音が心臓のドクドク音ぽいやつだったりして怖い雰囲気を盛り上げてるし、霊ぽいモノのもやっとした見せ方もいいし、精神疾患がらみにするのも思わせぶりでなかなか面白かったです。エクソシストみたいに悪への対抗馬を出さず、悪魔王降臨まで一直線に崩壊させてく手法がむしろ清々しい。クライマックスの謎の達成感ビジュアルも含めて。

未来を乗り換えた男はなんか現代でドイツ軍が侵攻しかかってる的な設定の話で、ドイツ軍にもうすぐ摘発されそうな緊迫した状況下でフランス人(ユダヤ人?じゃないよな)の主人公が知人からある作家宛の手紙を預かって、謝礼金目当てに言われたホテルの部屋に尋ねてくんですけど、作家はもう自殺済だったんでその部屋にあった遺稿を勝手に持ち出して作家名を名乗って生きてく話。手紙を預かったバーに戻ったらもうドイツ軍がきてたんで命からがら逃げ出して、列車の荷物車両?にこっそり乗り込んで適当なとこで降りてホテルで部屋とってぶらついてたらチビっ子がいたんで遊んでるうちにその子の家にあがることになって、ラジオ直したり耳の聞こえない母親と会ったりしてるうちに親密になってきて、ちびっ子の具合が悪くなったというんで医者を探してたらその医者の部屋に自殺した作家の嫁がいて、なんとなく近づいてくという。主人公は作家が自殺したことを言わないままその作家嫁と懇意になりたい風なんですけど、作家嫁はどうしても作家の夫を探そうとしてて、いまいち打ち解けない。そうこうしてるうちにもうすぐドイツ軍がやってきそうになってきて、アメリカ行の船に何度も乗せようとするんですけど、そのたんびに作家嫁はもどってきてしまって、どうしても作家の夫を探そうとする。主人公はなぜか「捨てた側と捨てられた側、どっちが早く忘れる?」的なことをたびたび聞かれるんですけど、自殺した(妻を捨てた)夫を装っていながら(夫に捨てられた)妻を口説こうとしてるんで、質問には答えられない。難民になることの絶望感が漂ってる映画。

マリアカラスは他の映画みようとしてダメだったから仕方なくみたんですけど、すごい歌唱力をもつカラスが声の調子がいいときには大絶賛されるものの、ちょっと調子悪くて公演やすむと大バッシングが起きるという激しい起伏を味わった人生だったとか。50代で死んじゃうとか音楽関係の人って短命が多いのかしら。長く友人関係にあった富豪がジャクリーンケネディと結婚したときには相当ショックだったらしい。数年後にその結婚は間違いだった、て富豪側が認めたものの。

ジョンソンさんはやはり南部なまりだったのかな

LBJ ケネディの意思を継いだ男(シネマカリテ)→ライ麦畑で出会ったら(武蔵野館)とみまして、LBJケネディ大統領が通そうとしていた公民権法(人種差別しちゃならん)案を、ケネディさんが暗殺された後に成立させたリンドン・B・ジョンソンさんが大統領になるまでを描いた話。ジョンソンさんは南部(人種差別が根強い地域)出身だったこともあってか、もとは公民権法に反対の立場だったらしいんですけど、家で雇ってる黒人のメイドさんの話(旅先でトイレに行きたくても貸してもらえない等)を聞いているうちにだんだん考えが変わってきたっぽい。んで副大統領の立場で公民権法案に賛成の立場を表明してくんですけど、恩師的な存在の人からはそんなのやめろと言われるし、副大統領には議会ではあんまし影響力がないからつって公民権法案成立を諦めさせようとする人が続出したりと前途多難なかんじなんですが、飛行機製造会社やなんかの大企業のお偉いさんを説得して黒人さんを雇い入れるようにさせたり等の地道な活動が徐々に実を結んでゆく。こうしてジョンソンさんは公民権法案成立のために努力してるんですが、ケネディさんの弟(だっけ)にはなぜか嫌われてるらしくて、説得してもどうもいい顔をしてくれない。ジョンソンさんはケネディさんにくらべるとちょっと下品というか、大統領予備選挙ケネディさんと競っていた)中に部下の人が48%前後の票がとれました!て報告しにくると、お前なあ、ちんこを机に置いたとして、どれくらい切られるかって時に何%「前後」じゃあ不安でしょうがないだろう!前後じゃなくて正確な数字を調べてこい!とかどやしつけたり、トイレのドア開けたままうんこしつつ部下の人たちと話してたり、腹がでてるから今のままのサイズじゃあタマとケツの穴がキツいんだよ!て部下の人たちがいる前でズボン店の人に電話したりと下半身ネタをふつうに語るので、そういうのがニガテな人には嫌われるやもしらん。それでもなにか事が起きるとなると迅速に部下の人たちに指示を出し続けるので、リーダーとしての素質は十二分に持っているっぽかった。そんでケネディさんを前に据えたオープンカーでの遊説中にケネディさんが頭を撃たれて(映画中ではケネディさん役の人の額に撃たれた穴が丸くきれいに映ってたけど、実際の映像では1発でもっとダメージが大きいかんじだったよね)、うしろでついてきてたジョンソンさんはSPの咄嗟の判断で後部座席に伏せたままケネディさんの入った病院にいくんですが(最初はケネディさんは重症だと報告されるんですけど、実際には車上で頭部がほぼ木っ端みじんになってたから重症もクソもなく即死だよね)、ケネディさんはまま死んでしまって、早めに国民を安心させたほうがよかろうということでジョンソンさんが大統領として立つことに。大統領になるための宣誓もワシントンに向かう飛行機中で取り急ぎ行う。んで大統領としての演説ではケネディさんの意思を継いで公民権法を成立させることを名言するー。てのが大筋。こうして人種差別撤廃のための公民権法が成立するんですが、棚ぼた的に大統領になったとはいえ大事な仕事をしたというのに世界ではあまり知られていないというのはなんだかな。ジョンソンさんの名前の頭文字を冠したタイトルはケネディさんの愛称であるJFKに比肩してるよという意味でつけられたのかな。よいタイトル。

ライ麦畑は自分が演じた演劇がうまくいかず、学生生活でもバカにされてうまく立ち行かずにいる主人公が、自分の好きな小説「ライ麦畑でつかまえて」を演劇にする許可を得るために作者のサリンジャーを探しにゆく話。学校では寮生活なんですが、いじめの対象にされて寝てるときに爆竹投げ込まれたり、愛用のタイプライターを壊されたりするので嫌気がさしてトランク1つで逃げ出してしまう。その前に憧れてる金髪女子に会おうとその女子のいる学校に寄るんですけど、女子にはもう彼氏がいるっぽくて近づけず、かわりに黒髪女子が近づいてきて同行することに。そんでサリンジャー探しがはじまるわけですが、数年前の雑誌のサリンジャー特集記事に出てるなんとかいう地域をぐるぐる探しまわる。その途中で黒髪女子とイイ仲になりかけて、キスだけは何度もするものの肝心のセックスまではどうもいかない(勃たなかった?)。最終的にサリンジャーさんには会えるんですけど、演劇にすると原作と解釈が違ってしまうからとかなんとかゆって全然OKしてもらえない。ガックリした主人公はひとりで兄貴のいるとこへ行こうとするんですけど、いぶかしんだ黒髪女子が主人公の母親に電話で問い合わせたところ、兄貴は死んでることが判明。いろいろあってもといたところに帰ることに。主人公ももといた学校に戻ったら、サリンジャーに会いに行ったことを知った教師からライ麦畑を演劇にするように求められる(骨があるやつだと思われたのかな)。いろいろふっきれた主人公は、自分は演じずに主役を他にゆずり、脚本だけを担当するふうにするとー。てのが大筋。この映画は1960年代が舞台なんですが(乗ってる車がやけに古い)、LBJも同じ年代の話だし、このハシゴをしたことがなんか合ってたかなと思った。

超能力者はツラいよ編

バーバラと心の巨人(シャンテ)→テルマ(YEBISU GARDEN CINEMA)→ブレインゲーム(武蔵野館)とみまして、テルマは親元を離れて大学に通い出した女子(テルマさん)が、たび重なる痙攣発作に見舞われながらも自分の性癖や能力に目覚めてゆく話。テルマさんには気に入らない相手を瞬間移動させたりする超能力が備わってるんですが、それが出ないようにするために両親(特に父親)がいちいち生活上の予定を報告させたり、神に祈らせたりして抑圧している。ずっと親元にいたと思しきテルマさんにとってはその抑圧は自分にとっていいことなのだと思い込んでいたっぽいんですが、親元から離れてはじめて自分に向き合うことでその抑圧に疑問を抱いてゆく。ここらへん両親からずっと氷を操る超能力を禁じられて育てられた姉が、親元から離れて能力を全開にしてゆく「アナと雪の女王」と似てる。最後に真の愛情を示すのも妹だし。テルマさんの初恋の相手も女子なのよね。テルマにしろアナ雪にしろ、生まれつき備わった超能力を自在に操れるようになるような育て方をしたら最初から円満だったろうに、どちらも超能力によって人を傷つけてしまったことから抑圧する方向になってしまう。本来的に使い方さえ誤らなければ「素晴らしい能力」なのに、忌避することから「恐ろしい能力」という認識に陥ってしまうという。テルマさんはたびたび起きる痙攣発作の原因を病院の精密検査で探ろうとするんですが、検査ではなにも出てこない。自分の本当の欲求や能力を抑圧してることが原因なんで当たり前なんですけども。テルマさんのもつ超能力は強い欲求と直結してるらしくて、幼少期は泣き叫ぶ赤ん坊を一時的に消して(この間消された相手はどこにいるんだろうか)もといた場所とは違う場所に現れさすようなことをしたりするんですが、これを無意識でやってしまうあたり両親が怯えてしまうのも致し方ないですな。ここから超能力を意識的に操るような訓練をみっちりしておけば当人も周囲も怯えずに済んだろうに。テルマさんと恋仲になる女子も、テルマさんが強い欲求を覚えたときに消えてしまうんですが、最後になると出てくるんで、亜空間かどこかにいたんだろうか。テルマさんと女子がいい仲になる前にテルマさん父がひどい仕打ちを受けるのは、それまでの抑圧への反抗心の表れということなんだろうか。下半身不随の母親も治してしまうし。すごい能力。

ブレインゲームは過去や未来を視ることができる超能力者アンソニーホプキンスが、同じ能力をもつ殺人者を追う物語。殺人者はその能力で近い将来病で苦しむ人たちを発見して安楽死させてまわってると胸を張るんですが、殺される人の了解も得ずに勝手に殺すのはどうかと思う。あの世にいけば痛みも苦しみもないらしいので、この世で経験する痛みや苦しみは固有の財産なんじゃないのかな。警察から依頼を受けたホプキンスがその能力を使いながら殺人者を追うんですが、近い未来を視てどの行動をするとどうなるか、普通に追って撃たれて死んだホプキンスの映像がいちいちみせられるのでちょっとギョッとなる。それを踏まえて行動するので僅差で弾丸をよけられたりするんですけども。殺人者が犯行現場にいちいちメッセージを残すのは快楽殺人者によくある挑発的なアレなのかと思ったけど、同じ能力者であるホプキンスに語りかけてるからなんですな。なにしろサイコパスを追う風の刑事モノの王道からはちょっと外れたかんじの作品。

バーバラと心の巨人は襲いくる「巨人」対策のために腐ったブツを高いところに吊るして罠をあちこちにつくったり、秘密基地的な場所で対策を練ったりしてる少女が、それを許容してくれる子と友達になったり、親身になってくれるカウンセラーさんと交流してくうちに自分の中にある恐怖心と向き合うようになるまでの話。学校でも自分の中に閉じこもって行動してるんで、いじめっ子に因縁つけられたりするんですが、気が弱くてそういう行動してるわけじゃないので普通にやり返したりします。「巨人」を退けるたびに「皆を巨人から守った」と豪語するんですが、主人公しかその「巨人」をみてないので周囲が振り回されることに。最終的に「巨人」は主人公が恐怖を感じるところから逃げ回ってるせいで出てきてたってことなのかな。

空想と現実の壁は小さくて低いときがある

アンダーザシルバーレイク(バルト9)→エンジェル、見えない恋人(武蔵野館)→かごの中の瞳(シャンテ)とみまして、かごの中の瞳は事故(か?)で盲目になった既婚女子が、角膜提供の手術を経て目がみえるようになると、盲目のときとはまったく違う(というか認識できずにいた)自分の趣味嗜好を全開にしていった挙げ句性欲も解放してしまって、結局浮気をしてしまい、盲目時代に築いた夫婦関係が崩れる話。目がみえるようになった女子が盲目時代に着ていた地味な服をぜんぶ捨てて、自分の好みに沿った派手めな服をまとうようになり、髪も金髪に染めたり、夜の生活も妙に積極的になったりして、盲目時代とは真逆のありさまになってイキイキしていくことに不安をおぼえた夫が、医者から処方された点眼薬に手を加えて・・ていうことなのかな。そこらへんハッキリとは描かれないんですけど、目がみえるようになった女子が点眼薬(抗生物質だっけ)をこまめにさしてくにつれてまた目がみえづらくなってしまう(軽度の拒絶反応が起きる)ので、また盲目時代の何事も起こらない平穏な生活を望んだ夫がなんか細工をしたのかと思わずにいれん。目がみえるようになった女子が浮気してしまう相手というのが犬の散歩中にいつも会う男子で、女子のほうの犬が熱中症かなんかでへばったのでウチで休む?という話になり、そのまま・・みたいなありがちな展開なんですけど、なんか中出ししたらしくて妊娠してしまうんですね。その前に女子をどうにかつなぎとめておきたい夫が子づくりしようと病院で診察してもらうんですが、なんか夫の精子が異常に少ないことから妊娠の可能性が低い・・というか無いことが判明してしまって、そのあとに女子から妊娠報告をされるので、浮気による妊娠てことがバレてしまうんですね。妻であるこの女子が性に奔放になってくきっかけになったのが、里帰りしたスペインでの夜のおとなの歓楽街での出来事なんですけど、姉夫婦といっしょに興味本位でのぞき部屋にいってみたり(ここに入ることを夫は拒否した)、宿泊してるガラス張りのホテルで別室にいるカッポーが堂々とセックスしているのを目撃したりしたことなんですが、夫のほうはそういうのについていけない真面目さんなもんで、性関連にはちょっとウンザリしてるかんじだった。奥さんである女子が盲目だったころのふるまいこそが本性なのだと思い込んでいた夫が、盲目によって本来の性根が封じ込まれていただけだったことに気づいてたじろいでしまうという。本日題はこの映画のエンドクレジット中に流れてた歌の歌詞からのモノ。

エンジェル、見えない恋人は透明人間として生まれた男子が、盲目の少女に存在を感づかれてからお互いに惹かれ合う純愛話。少女は透明男子がみたくて目の手術して盲目でなくなるんですが、透明なので当然見えないわけです。そんで透明男子を認識するために目を閉じて存在を感じ取る。最後のほうで透明男子が化粧されてちょっとみえやすくなるんですが、そんなら最初から洋服とかマスクとかじゃんじゃん着せろよと思う。なにしろ「かごの中の瞳」とは逆で、目を閉じることで相手を認識してお互い愛し合うという物語。

アンダーザシルバーレイクは気になる女子に出会ってから謎が謎を呼んでぐるぐるなる話。その謎つーのが80〜90年代の歌だのゲームだの(それと昔の映画がたくさん、とパンフに出ていた)が絡み合ってて、逆再生して込められたメッセージを解読したり、ゲーム誌の付録の地図で示された場所にいって所定のことをやるとホームレスがやってきて謎の場所に案内されたりといろいろチャレンジするものの女子には出会えない。その探す途上でいろんな女子が絡んでくるあたり、MXでやってた終物語つーアニメにちょっと似てるかんじ。この世で流行った音楽のほとんどをワシがつくったんじゃ〜!といいながら銃ぶっ放してくるピアノ弾く爺さんの破壊されっぷりが凄かった。

罰とか因果応報とかみんなけっこう真面目だなあ

『決して口にしなかった夫に対する女の本音。人前では立派でも、犬にさえ見透かされているミハエルの本質的弱さ。戦死した息子は、生きていた。それで充分だったのに、即時帰還を要求した夫のエゴ。その結果、何が起きたか?そんな男とは、もう一緒にいられない。

 [子どもが生まれる喜びは、やがて薄れてしまうけれど、失った悲しみは、永久に消えないわ]。

 夫は言う。[戦争が終わって帰還の途中、後ろの車に先を譲った。何故だったか分からない。その車は爆破された]。』(「運命は踊る」パンフレットp.4より抜粋)

『彼は、自分の行動がもたらす結果にまったく気づいていないのです。それどころか、彼は正しく、また当然と思える行動をとる。単なる偶然と、運命の仕業に見える偶然との違いがそこにあります。一見混沌に見えるものは、すべて定められたものなのです。罰は極めて正確に罪に見合っている。因果応報、なるべくしてなる。そして、そこには運命につきものの皮肉も感じられます。ミハエルは、息子を救えるという思い上がりゆえに、罰せられるのです。』(「運命は踊る」パンフレットp.8より抜粋)

『検問する側のちょっとした不安や心の変化によって、ルーティーンのような時間の流れは凄惨な瞬間へと暗転する。だが検問される側はあくまで受け身であり、検問する側の変化に抗うことはできない。検問所という場所を共有しながらも、検問する側とされる側はまったく異質の世界に属している。』(「運命は踊る」パンフレットp.11より抜粋)

クワイエット・プレイス(バルト9)→チューリップ・フィーバー(バルト9)→運命は踊る(ヒューマントラストシネマ有楽町)とみまして、運命は踊るは徴兵されてる息子の訃報を告げられて遺族たちが右往左往しているうちに、日頃は隠してる本当の性質がだんだんあぶり出てきたところで訃報が間違ってた(死んだのは息子と同姓同名の別人だった)ことを告げられ、それまでの右往左往がなんだったのかとばかりに父親が怒りを爆発させて、通達にきた軍人らにいますぐ息子を帰還させろと怒鳴りつけて実行させたところ、それが原因で息子が本当に死んでしまうという話。この父親というのが素直に悲しみを表現せず、落ち着かせようとする周囲を振り払って怒鳴り散らしたり、飼い犬が寄り添ってきても蹴りつけて遠ざからせたりとやたら怒りっぽい言動をとって自分は弱くないことをアピールしまくるんですが、ひとりになるとトイレで熱湯を手の甲に浴び続けて火傷を負ったりと自傷行為に走ったりする。当の息子はというと、だだっぴろい砂漠じみた荒野のなかにある検問所で同い年くらいの青年たち3人と共に警備にあたってるんですけども、たまに通るのはラクダだし、車がきてもあきらかに無害な地元民だし、寝るとこはコンテナ(ちょっとずつ沈みかかってる)のなかだし、いろいろグダグダな暮らしを送っている。ところがある夜にきた男女の乗る車から落ちたモノが原因でビビッて機銃掃射してしまい・・という展開。ここらへんはアルマジロやウィンドリバーと同じく「モノもヒトもなにもない砂漠の退屈のなかでそれ(暴力)が待ち望まれてしまう」系譜ですな。弱さが原因でやったことが最悪の結果に、というあたり、強がって無理に息子を引き戻そうとして最悪の結果をもたらしてしまう父親と似ているかんじ。しかも息子のほうは上官の命令とはいえ失敗を隠蔽してしまう。そしてその直後に息子は死んでしまうんですが、パンフみたら監督さんは因果応報モノとしてこれを描いてるそうで。ユダヤ教にも因果応報思想があるのかな。「踊る」というよりもよく言えば「行きて帰りし物語」つーか。もとのところにもどってくる。最終的には息子の両親が別居してしまって(離婚した?)、弱さを隠して強い男ぶってきた夫を妻がなじるものの、妻もまた手の指に自傷行為じみた傷を負っていて、お互い寄り添い合う。最後のほう、息子が死ぬところがあとまわしに配置されてるから夫妻のやりとりがなんなのか最初ちょっとわからなかったりした。あと息子が描いてるイラストでちんこ握ってるシーンがあるんですけど、ボカシなくちゃんと映ってたのでよかった。ちんこの先っぽをボカす思想ってなんなんでしょうね。単なる棒と穴なのに。それと冒頭でたずねてくる軍人が、息子の訃報きいて倒れた奥さんを落ち着かせる?ために注射打つんですけど、手際がよすぎて管理社会SFじみててこわい。夫に水のむことを知らせる時報とかも。

チューリップ・フィーバーは1600年頃のオランダの孤児院兼修道院で育った女子が、金持ちの商人のおっさんとこに嫁いだものの子供がいっこうにできなくて悩んでたところ、気分転換に頼んだ肖像画描きの青年と恋してしまってさあ大変、つーアレ。なんかパンフの中野さん文にでてたんですけど、当時のオランダでは画家がたくさんいて(一般市民が発注してたらしい)、薄利多売してたんで兼業しないと食えないくらい貧しかったらしいすね。主人公の女子が恋する青年も貧しかったんで、彼女といっしょになるために当時流行してたチューリップの売買に手をだすものの・・という筋。なんで画家青年が本格的に主人公女子といっしょになろうと思ったかというと女子の家に勤める女中さんが妊娠したものの相手の魚売りの男が失踪してしまった(彼もまた貧しいためにチューリップ売買に手をだして高値で売れたものの、女中さんが浮気したと勘違いしてフラフラしてたら全財産盗られてしまい、失意のなか外国へ強引に行かされてしまう)ため、じゃあ残された女中さんのおなかの子を自分の子として夫に告げて自分は死んだことにすれば画家青年と暮らせるじゃない!と思いつき、それを聞いた画家青年が一念発起してチューリップ売買で一攫千金を得ることに邁進してくという。ところがこの画家青年があちこちに借金してたらしくて、いざ球根を取りに行こうとすると金貸した人たちが押し掛けて青年を逃さんように押し止めるもんで、なぜか元アル中のオヤジが代わりに球根をもらってくることになって、飲むなよ!ぜったいに飲むなよ!と念押しされたにも関わらず帰途酒の誘惑に負けてしまって球根を紛失(食べたんだっけ)してしまう。 ガッカリして帰ってく金貸し人と青年。おまけに恋する主人公女子の服が川に浮いていて、女子が死んだものと勘違いしてしまう。女子はというと棺桶に入っているうちになぜか改心してしまって金持ち夫のもとにもどるものの、赤ん坊をあやす夫をみてもう戻れないかんじになっていたため、とぼとぼと贖罪の途につく。そのとき女中さんとこには元魚屋の元カレがもどってきて復縁し、その会話(浮気したのは自分の服を借りた主人公女子だったこと)を聞いた金持ち商人夫がなんかもういろいろあきらめ、住んでる家を女中さんにあげて東インド会社に行ってしまう。数年後、画家仕事をするため招かれた修道院で青年が女子と出会い・・ていうのが大筋。この修道院は話のなかで何度もでてくるんですが、孤児院もやればチューリップ栽培もするし、なんか物語の狂言まわし的な重要ポイント。あといちばんかわいそうな金持ち夫が、過去にしでかした件でずっと後悔してるあたりが運命は踊るの夫とちょっと似てるかなあと思ったり。

クワイエットプレイスは聴覚だけが異常に発達した化け物によって大半の人が殺されてしまった世界で、なるたけ音たてないように暮らしてる家族が、音がどうしてもでてしまう状況(怪我したり出産したり)をどうにかやりすごしながら化け物と対峙することになる話。目がよすぎる天津飯に悟空が太陽拳かますエピソードを思い出した。

何もしないから生まれるものがあるよ

プーと大人になった僕(TOHOシネマズ新宿)→死霊館のシスター新宿ピカデリー)→バッド・ジーニアス(武蔵野館)とみまして、バッド・ジーニアスは父親に促されて進学校に転入してきた貧乏な天才女子が、進学校に在籍してる金持ちの生徒たちに請われてカンニングさせてあげてるうちにそれがエスカレートして規模のデカいカンニング計画に発展してしまう話。この女子がどうしてカンニングに加担してしまうかというと片親でお金に苦労してるからで、金にモノいわせて入学したと思しき生徒たち(勉強がぜんぜんできない)から金で釣られてしまうという。最初は消しゴムに解答書いて後ろの席にわたす程度のカンニング行為だったんですが、希望者がちょっと増えたので今度はピアノの鍵盤をたたく指の運びかたを何種類かおぼえさせて、テスト中に天才女子が机の上でその鍵盤たたきをするとそれを見た生徒が示されたとおりにマークシートを塗りつぶしてゆくとゆう。それがうまくいって天才女子には金がじゃんじゃん入るし、金持ち生徒連中はテストで高得点とれるしと利害一致していってしまう。それに気づいたのがやはり片親で貧乏な天才男子で、最初こそ生真面目にカンニングしている生徒がいることを教師に告げ口したりするんですけど、この天才男子をデカい計画に加担さすために留学のかかった大事なテストの前日に暴漢に襲わせてゴミの島?に放置させてしまう。今度は全世界でいっせいに実施される海外大学に入学するチャンスのかかったSTICつーテストでカンニングすることになって、どうやってカンニングするかとゆうとまず天才女子&男子がオーストラリアでSTICテストを受けて、その解答を暗記してトイレに隠したスマホからLINEでタイの金持ち息子たちに送信し(時差があるからテスト開始時間がオーストラリアよか数時間遅い)、金持ち息子&彼女が送信されてきた解答をバーコードにつくりなおして、それを2B鉛筆製造機にかけてカンニング用鉛筆を大量につくって、金を持ち寄ったカンニング希望者に持たせてテストに向かわすとゆう。このSTICつーテスト中はやはり監視がキツくて、トイレに長時間(つっても10分程度)いると告げ口されるし、ここらへんのハラハラ具合もなかなかです。結局カンニングがうまくいってボンクラ息子たちは合格するし、天才女子&男子は大金を手にするしと一見うまくいったようにみえるんだが・・つー筋。天才男子のほうがこの一連の仕事で大金を手にできることに味をしめてしまって、それまでカンニングすらゆるせない正義漢だったのに、普通に働くことすらバカらしくなってリアル犯罪者になりかかってしまっているところがせつなかった。今度はSTICと似たような世界規模のテストにまたカンニング稼業で荒稼ぎしようと天才女子にも持ちかけて、加担しないなら今までのこと全部バラすと脅しまでかけてくるようになる。それに対して天才女子は・・という展開。なんとゆうか金でなんでも解決してしまうとろくでもない人生をあゆむことになりがちなのだなあとしみじみ思った。

プーは主人公が子供の頃にいっしょに遊んでいた動いてしゃべるヌイグルミ(森に住んでる)が、大人になった主人公(過労ぎみで疲弊してる)のとこにどういうわけか現れて、最初は煙たがってた主人公もヌイグルミたちの(5歳児位がよくやるような)遊びにのっかってくうちに何が大事なのかを思い出してく話。原作よんでないんでわからんのですけど「なにもしない」をする、とか赤い風船をもつと幸せな気持ちになるとか、おそらく原作ファンにはたまらん描写なのかなあ。動いてしゃべるヌイグルミはプーさんだけでなくロバ的なキャラとか何匹かいて、彼らが本来いるべき所から姿を消してしまって、プーさんが彼らを探してるうちに主人公のいる場所に来てしまうという。森の木の穴と主人公のいる都会の木とがなんだかつながってしまったらしく。主人公はビビってプーさんをもといた森(遠い)に戻すべく列車で森へ向かったところ、奇妙な鳴き声じみた音が響き渡っていて、単に風見鶏のきしむ音なんですけど、それをとんでもない怪物の鳴き声だと思い込んだヌイグルミたちが怯えて隠れてしまってる。そこへ主人公がやってきて風見鶏のせいだと告げるものの、怯えきったヌイグルミたちは隠れた場所からでてこない。仕方なく主人公が怪物をやっつけるフリを全力で演じた結果、ようやくヌイグルミたちがでてくる。このヌイグルミたちのほかに生の動物(ウサギとフクロウ)も混じっててやっぱりしゃべれるし、どういう原理で動いているのかがよくわからん。主人公のつくりだした空想の友達ってわけでもないみたいだし。このヌイグルミたちは排泄してるわけでもないのに茶ものむしハチミツをなめるし、あの腹ん中はいったいどうなってんだ。都会の木とつながった亜空間と同じ構造にでもなってるんだろうか。んで森までやってきてヌイグルミたちを助けた主人公は会社に戻らなければならず、大事な鞄を抱えて都会へとんぼがえりするんですが、ヌイグルミのひとりが鞄の中身を「大事なもの」とすり替えたことが発覚して急いで主人公を追うことに。その途上でちょうど遊びにきていた主人公の娘さんがヌイグルミたちと出会って、父である主人公を追うべくヌイグルミたちをひき連れて列車に乗り込んでしまう。この娘さんの父である主人公はなんで会社に戻らなければならんのかというと、勤め先のかばん屋で売り上げが落ちてる部門(旅行用かばん制作部)に所属していて、上司から20%の経費削減か部門つぶすかせまられてて、あちこちからちびちびと削減する案を綿密に練り上げた書類を会議に持ち込まなければならないわけです。生真面目な主人公は急いで会議に向かうわけですが、そこに奥さんがやってきて娘さんが会社に向かってることを告げる。捜索した結果娘さん&ヌイグルミたちに出くわすわけですが、娘さん&ヌイグルミが書類をぶちまけてしまって、手元にのこった1枚の紙きれを主人公に手渡すと・・という展開。結局解決策としては旅行かばんを売るために旅行を世に流行らせましょうよ!ということなのかな。なんかプーが都会まで木の穴を通じて来てしまうとことか、奥さんと娘さんが遊びにきてる場所がちょうどプーたちの住む森の近くだったりとか、お子様向けだからこんくらいでいいだろーとばかりにつくったと思しきテキトーなご都合展開がそこここにある。

死霊館のシスタールーマニアにある立派な修道院で謎の怪死があって、バチカンから神父と見習い女子が派遣されるつー話。その修道院は大昔になんとかいう貴族が悪魔を呼び出す儀式をしてそれが成功してしまって、その貴族は踏み込んできた騎士たちに殺されて悪魔よびだした穴も封印されるんですけど、なんかが原因でその封印が解かれててしまって悪魔が棲み付いてる。その悪魔に殺された修道女たちがゾンビ的に襲ってきたりして、前半で姿をなかなか見せない修道女たちのありさまと比べると落差があってビックリします。このアグレッシブな修道女ゾンビに対して神父が聖水をかけた十字架を押し当てたりすると、十字架が突然火を噴いたりして、退治のありさまもわかりやすくてアグレッシブです。最終的に悪魔がでてきた穴をキリストの血(仏陀の歯みたいなもんか)を使って封印する方向になるんですが、そうゆうことはこの城を修道院にすると決めたときにあらかじめやっとくべきなのでは。